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中川真さんのお話)うたの力・舞いの力で災害からたちあがる #YPU #震災 #神楽 #岩手県 RT @tiniasobu
2025/09/17
2025年9月17日修正
中川真さんの大阪市立大学のプロフィールのリンクがなくなっていました。wikipediaで御覧ください。
2023年12月22日修正 中川眞 → 真 に変えました。
東日本大地震のあとでの、伝統芸能の復興の動きを追う映像作品と、病院でのインスタレーションの映像のリンクを追加しました。
2011/10/27が最初の投稿でした。
山口県立大学国際文化学部公開講義で、
災害後の生活文化復興とアートマネジメント という題の お話がありました。三年生のゼミの時間でしたが、地域・人権・アート となれば、聞きに行くしかない!
交換留学生もふくめて、8名のゼミ生とともに走っていって、安渓貴子もいっしょに聞きました。
冒頭、マルク諸島での、心をわしづかみにするお話に、とても感動しましたので、話してくださった 中川真(なかがわ・しん)大阪市立大学大学院教授の了解により、ここにお話のあらましを書き付けておきます。
安渓が変人という脱線のところを削らないようにという注文がついていましたw。
◎うたの力――マルク諸島で見たこと
災害後の生活文化復興とアーツ(いろいろあるので複数形)マネジメントということをお話します。
今回の大震災については、私は当事者では全然ない。でも、当事者でないけれど、実は当事者なんだよ、ということを、今日はお話したいと思います。
一九九七年頃、インドネシアのマルク諸島というところに3週間ほど滞在して、サウンドアーツとか、サウンドスケープのことを調べました。澄み切った海ととてもうつくしい島。塵ひとつ落ちていない。夕方には家々から美しい合唱が聞こえてくる。天国というのは、こんなところだろうか、と思ったほどです。
でも、実は10年前には、悲惨な村だったんだ、と村長はいうんです。ドラッグと暴力などでたいへん荒んだ村だった。村長のなり手もいなかったので、体格の大きい人間が村長をさせられた。ところが、この人が、歌が好きで、みんなに無理矢理ひっぱってきて歌を歌わせた。
それで、5年ほどすると村が変わり始め、合唱でインドネシアで1位になって、オランダにまで歌をうたいに行くということになるんです。それが、今の村が生き返るきっかけになった。村長は、歌をうたわせる以外のことはなにもしていないのに、その力で村が復興できた。とても感動しました。これは僕の研究の原点のひとつです。
人間は他者なしには生きていけない。このことが実感されたのが、災害の経験だったのではないでしょうか。
君たち、生まれた時から、一人では生きていけないんです。あ、一人で生きていけるのは……、ここの先生で、変人のアンケイ先生ぐらい? 一年生でアンケイ先生知らない人は手を上げて? ああ、いませんね。実は、子どものころから知り合いで、家が5キロほどしか離れていなかったんですよ。
それはともかく、みんなが支え合っていく、それがコミュニティです。バリ島の例をあげましょう。警察も消防もない。みんなが助け合って、泥棒を捕まえたり、火事を消したり、田んぼの仕事をしたりする、そういうコミュニティがあるんです。
◎震災前よりあったかい社会をつくりなおしたい
そうしたコミュニティを作り直していく、それが震災後の社会を作るための課題だし、震災前のような冷たい社会ではなく、できたら、あったかい、あったかい社会を作りたい。その手がかりになるのは、伝統芸能やお祭りだと思って注目しているんです。
「なぁんだ、お祭りか」と思われたかもしれませんが、これから、岩手県の映像を見ていただきます。だいたいは震災後の映像で、一部には震災前のあたたかい社会が描かれています。10分ほどです。もう亡くなられた方も映っています。
DVD阿部武司「東日本大震災を乗り越えて」から10分程度
雄勝(おがつ)神楽保存会の練習風景。会長は行方不明。震災後であうのは、これが初めて。ブルーシートの前で神楽を奉納して復興を誓い合った。
舞う人のすがたにかぶせて、中川先生の「この人は亡くなりました」の説明。
2011年6月18日、死者の出たお宅あとで供養の舞いをまう。
両親が犠牲になった子ども達による太鼓の奉納。山車や太鼓もおおくが流失した。
陸前高田市の「うごく七夕」に、内陸から、60本の笛の寄贈があった。
黒森巡行神楽の震災前のようす。400年にわたって続けられてきた。
宮古市の重茂半島を望むところで、標高30メートルぐらいのところまで逃げて、一瞬の機転で命が助かった神楽衆の話を聞く。
仮設住宅前で、黒森神楽を奉納する。身堅めとして、獅子に体の周りをぱくっと食べてもらう住民たち。狂言「清水の観世音」を上演。住民から大きな笑いと拍手が沸きおこる。
吉里吉里(きりきり)虎舞のようす。「来年はこれ以上もりあげるべし」。
7月24日大船渡市末崎小学校仮設住宅。昨年10月以来の虎舞復興と餅まきに参加者たちはもりあがる。
念仏舞・剣舞、自粛を解いて、南無阿弥陀仏を唱えて踊る本来の姿で奉納。
5月沿岸復興バザール。盛岡市桜山。大槌町など、被災した町では、道具を融通し合って奉納。山田町八万太神楽は、すべての祭道具を火災で失った。(傘を回して踊る幼い子どもに教室から笑いがもれる。)
全体で60分ある撮影・編集:久保田裕道、阿部武司ら ナレーション:伊藤美幸 のこの作品は、「東日本大震災を乗り越えて 岩手県沿岸部の民俗芸能復興と現状」として公開されています。https://www.kagakueizo.org/create/other/4456/
◎大阪で当事者になる・山口で当事者になる
この映像を見ると、わりとみんな元気よくやっているように見えますが、陸中海岸の数百ある芸能団体のおよそ1%ぐらいがこうして立ちあがってきただけなんです。
東北地方には、たくさんのこうした芸能やお祭りがある。それは、自然の災害の中で、鎮魂と祈りを表現するものとして息づいてきた。そこが根こそぎ、コミュニティごと芸能団も壊滅した。そういう中からようやくたちあがりかけてきた。
大きな問題があります。県とか、国は有形文化財の救援については始めているんですが、無形民俗芸能については動きがない。仕方なく、ある財団(注、日本音楽財団)がストラディバリウスのバイオリンを12億円で売って、それで、民俗芸能の復興に役立てるといったりしています。そういう状況はまずいんじゃないか。
さきほど、おたふくのお面が出てきて、ブラジャーした人がだきついて、みんなを喜ばせていたでしょう、あれが神楽なんです。
巡行する神楽――鵜鳥神楽と黒森神楽が沿岸部を巡行していた姿が、行き先である「宿」とそれをささえるコミュニティそのものがなくなってしまっている。すばらしい神楽が失われるとしたら、大問題。震災以前から衰退の傾向があったので、それを復興していく支援をしたいんです。
さっきの神楽を大阪に呼ぶことをきめました。岩手県は四国と同じ大きさだということを知って驚いたんですが、何も知らないから来てもらって、関西の人たちが神楽復興の当事者になってもらう、まきこまれていく。観念的ではなく、具体的に動いていくことで、学術調査もする。評価・検証もしていく。そうしないと資金の援助も得られない。長期的には、他地域でも使える汎用型データベースづくり。南海東海地震が30年以内にやってくる。津波に洗われて何万人が死ぬかということも、予測ずみです。そういう時に、いかにしてコミュニティの芸能を復興していくのか、ということを学ばせていただく、という取り組みなんです。
これまでのアーツマネージメントは、美術館で展覧会をしたり、ホールで音楽をしたりすることに留まっていましたが、これからは、コミュニティ全体で考えていこう、という新しい取り組みになっていくんですね。社会とかかわりをもつ、アーツマネージメント。
◎日常的にも排除されている人たちとともに
例えば、東北震災後に芸能をやっている。これは非日常ですが、日常的にも、差別されていたり、元気がでなかったり、排除されている人々をめぐるさまざまな問題があります。こういうことを、解決していこう、という取り組みです。
いろいろなハンディをもっている人たち。Accessibility が低いという排除の構造。障害者、高齢者、重篤な入院患者、ホームレス、大災害の被災者……、エイズなどの特定感染症、ゲイ、被差別民、少数民族(在日のold comerに加えて、最近はイランあたりからのnew comerもきています)、突然解雇された人々、受刑者……
こういう人たちがなんとか、社会とのチャンネルを増やしていけないかという取り組み。何年か前にここに来させてもらった時は、障害者のDVDを見てもらったんですが、今回はすこし違った面から。
大阪市立大学の付属病院は、アーツへの取り組みが日本の最先端。はじめは、仕事が増えるとお医者さんも看護師も反対したけれど、10年たって、その大切さがわかってきた。じつにいろいろなプロジェクトがありますが、そのひとつをご紹介します。
シャボン玉を飛ばすという、非常に単純なことをやってもらう。血液がんなどの、ものすごい重篤な病いの子ども達が入院しているんですけれど、常日頃アートに接することもなくすごしている子ども達になにか感じてもらいたい。
DVD上映 花村周寛「霧はれて光きたる春」
ハナムラチカヒロ・インスタレーション、「霧はれて光きたる春」の様子。
病院のパティオの大空間を生かして、煙が立ち上り、たくさんのシャボン玉が舞う。それをつかもうとする子ども達。看護士たちのこころもうきたつようで、その様子がガラス越しに映しとられている。
音もアーチストが作っています。簡単そうですが病院の中でこれをやることは、多くの人がかかわっていて、たくさんのリスクを乗り越えて、ようやく可能になったんです。
森本君という人がとりくんで、写真の撮り方を教えられた少年が、病室から空を撮る。そこから選んだ写真展は、日本をまわった。16歳でこの子はなくなってしまいましたが、写真をとっている間は、生きているという実感があっただろうなと思います。
この映像は、https://www.youtube.com/watch?v=UJSDt8C-bJM で公開中です。
◎どんな社会をめざすのか
これからの社会は、どういう姿をめざすのか? そういうビジョンが必要だ、とおもうんです。
差別を受けたり苦しんでいる人たちがいるような、あるいは、リーマンショック以来、たくさんの人たちが首を切られて、苦しんでいる。大阪の西成区というところでは四人に一人が生活保護を受けているんです。
山口にも、そうした問題もあるはずです。
じつは、先ほどお見せした、うちの病院でのとりくみの全体は、山口大学医学部を出た人が、仕切っているんです。
排除傾向の少ない社会、もっと平たく言えば、「居心地の良い社会」。自分だけが居心地がいい、それは最低。想像力――イマジネーション――に満ちた社会がこれから目指す社会だとおもうんですが、これからいろんな人たちがアクセスできる公共性の領域を広げていく。
みんながシェアできる「公共圏」(ドイツの社会学者、ユルゲン・ハーバーマスのことば)づくり。これは、アーツで、文化で、できることだと思います。そうしたところにアーツマネジメントの可能性がある、と思っています。こんなやり方を、今後の社会をつくっていく考え方のひとつの窓口にしてほしいな、と思っています。(拍手)
中川真教授のプロフィール
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/asia/teacher/nakagawa/index.htmlを参照してください。
→ リンク切れにつき、研究業績は https://researchmap.jp/read0020288/?lang=japanese
社会的活動も含めた紹介は、https://ja.wikipedia.org/wiki/中川真
追加 このイベントの案内文 https://ankei.jp/yuji/?n=1579
2011 年度 国際文化学部 客員教授講演会 大阪市立大学大学院 教授 中川 真
日時: 2011年10月27日(木) 午後4時10分 ~ 5時40分
場所: 山口県立大学 6 号館(新キャンパス)F204 号教室
主催: 山口県立大学 国際文化学部
アーツマネジメントは、アートを社会につなげる仕事ですが、その役割が大きく変わろうとしています。コミュニティのもっている問題の解決のために、アーツマネージメントが用いられようとしているのです。本講演では災害からの復興という課題に焦点をあて、近年のインドネシアや東北の被災現場を事例として、生活文化を取り戻すことの大切さ、またその際にアートの果たすことのできる役割について話されます。
皆様お誘い合わせの上ご来場ください。
講師プロフィール:
音楽学者としてアジアの民族音楽、サウンドスケープ、サウンドアートを研究するかたわら、ガムラングルーフ〈マルガサリ〉を主宰し、国の内外で公演を重ねる。
『平安京 音の宇宙』でサントリー学芸賞、京都音楽賞等、現代音楽の企画で京都府文 化賞を受賞。『小さな音風景へ』、『サウンドアートのトポス』等の研究書のほか、小説『サワサワ』を上梓、船場アートカフェのプロデューサーとしてアートによる社会包摂に取り組み、日本都市計画家協会賞を受賞している。
大阪市立大学大学院文学研究科教授。チュラロンコン大学(タイ)、インドネシア芸術大学客員教授。
会場 国道 9 号線北側 坂上左建物 6 号館 2 階 F204教室
おまけ https://ankei.jp/yuji/?n=2614 からの補足
中川家とは、京都の城陽市に住んでいたころ、歩いて行けるご近所付き合いをしていました。ずっと後に、正文さんの息子さんの中川真(しん)さんと山口で再会するのですが、その時の様子は、以下にあります。https://ankei.jp/yuji/?n=1581
その場に立ち会われ、懇親会にも参加された、ガムラン・マルガサリメンバーのブログ(2008年1月)で、佐久間新さんのメッセージを、ここに貼り付けさせていただきます。
http://margasari01.blog63.fc2.com/?date=200801&page=0
45年前と65年前
木曜日の夜から山口へ出かけた。マルガサリの中川真さんと車を交代で運転しながら、夜間割引の始まる午前0時防府東インター着を目指した。インターから30分で湯田温泉にある水谷由美子さんのマンションに到着した。水谷さんとは20年来の知り合いで、彼女は山口県立大学の先生で、マルガサリの「桃太郎」の衣装を担当してくれている。
旅の目的は、3月にある「桃太郎」山口公演の準備と山口県立大学主催のフォーラムに参加することだった。フォーラムでは、真さんが「アートによる社会包摂」の発表をした。難しい言葉を使っているが、アートをしながら、社会のいろんな人を巻き込もう。そうすることによって、みんなにとって生きやすい社会を作りだそう、と言うことだ。そして、それはアートにとっても新しい可能性があるという考え方だ。マルガサリの「桃太郎」や「さあトーマス」の作品作りにもその考えが反映されている。なので、このふたつの旅の目的は重なっているのだ。
フォーラムの出席者のひとりに安渓遊地さんがいた。山口県立大学国際文化学部の先生で、専門はアフリカだという。真さんがフォーラムのプログラムを見ながら言った。
「僕な、この先生に40年以上前に会ったことあるねん。1回だけやけど、すごくよく覚えているわ。」
小学校から中学校へ上がる頃、親同士が知り合いだった関係で、同い年だった安渓くんが真さんの家へ遊び来た。親からは、あの子は毎日百科事典を隅から隅まで読んでいると聞かされていた。当時真さんは普通の子で、お気に入りの漫画やおもちゃを見せてあげたんだけど、安渓くんは全然興味を示さなかった。その時の安渓くんの顔を、未だに鮮明に覚えていると、身振り手振りで教えてくれた。
フォーラムの発表席に二人が並んでいた。真さんがいきなりそのことを話し始めた。
「実は、僕は安渓先生と45年前に一度出会ったことがあるんです。先生覚えてますか?」
「もちろん。」
と、安渓先生が答えた。真さんがさっきのエピソードを説明した。すると、今度は安渓先生が、
「今日、僕は、65年以上前に作られたこんな本を持ってきています。世の中に1冊しかありません。」
と、話し始めた。取り出した本は、真さんのお父さんである中川正文さんが安渓先生のお父さんの作った俳句をまとめた句集だった。
「うそー、わっほんまや!」
と驚かすつもりだった真さんが驚かされている。
打ち上げの席で、本を見せてもらった。古いが作りがしっかりしている。ケースから取り出して手に取ると、手書きの文字がやさしい味を出している。よく見ると直筆である。印刷でなく、ペンで直接書かれているのだ。大学の同級生だった友人の作った俳句を書き写して、きれいに装丁して本にしたのだ。裏表紙の奥付には、昭和16年10月30日書写、31日装丁、と書かれていた。そして、句集とは違う筆跡で、中川正文君の武運長久を祈ると書かれていた。お父さん同士、そして本人達同志も京都大学で同級生だったのだ。中川正文さんは、絵本作家であり、現在もご活躍中である。安渓先生のお父さんは数年前に亡くなられたとのことだった。
(佐久間新)
以上、勝手に書き留めた人
いろいろな ものごとを編集する 「変じゃ」の安渓遊地でした(「炉端の怪人」というホラーにも登場してます。http://ankei.jp/yuji/?n=275)。
2025年9月16日には、鼻笛怪人とキムチとの出会いがニュージーランドの人類学者を巻き込んで引き起こす奇想天外の物語に匿名で登場! https://www.serendipitousencounters.com/single-post/the-yeosu-kimchi-chronicles-a-cross-border-spicy-adventure




