上関)「研究者の役割と4つの学会の活動」というエッセーを書きました
2010/04/23
4/29修正 印刷・発送されてから気づく変換ミスを手直しします。御用学者の対局(
→対極)にある市民科学者……でした。
No Nukes Asia Forum Japan http://www18.ocn.ne.jp/~nnaf/ からの依頼で、エッセーを書きました。
学会の立場や研究者の役割について説明したものです。電力関係の広報誌から依頼がこないかなあ。ずっと以前には月刊誌の『原子力文化』http://www.jaero.or.jp/data/03syuppan/genshiryokubunka2010/genshiryokubunka2010.htmlから西表島の無農薬米のことを原稿にと依頼されたのですが、ゆえあってお引き受けしなかったことがありました。
上関の原発予定地は瀬戸内海の生物多様性ホットスポット――研究者の役割と4
つの学会の活動
安渓 遊地(あんけい・ゆうじ 日本生態学会自然保護専門委員)
学会と原子力発電所
原発という、日本では一ヵ所で1兆円を超えるような巨大なプロジェクトが国策で
進められる時に「いのちの風はアジアから」という願いにたって、その一つ一つをス
トップしてください、という果敢な取り組みを進めてこられたノーニュークスアジア
フォーラムのみなさんの交流の場に執筆させていただけることを光栄に思っています。
上関原子力発電所予定地の生物多様性についての学会の取り組みを紹介する原稿を
書いてほしい、ということでしたから、まず学会とは何かということを、ちょっとご
説明させてください。学会というのはひとことで言って研究者の集まりです。日本生
態学会の場合は、生物多様性の研究が主ですが、研究するだけでなく保全することも
大切だという観点から、自然保護専門委員会というものも設置されていて、私はその
委員をお引き受けしています。しかし、研究者や研究機関の中には、電力会社から研
究費や環境調査の仕事をもらっているという学会会員も少なくありません。ですから
学会としての意見を要望書としてとりまとめる際には、推進・反対のどちらかの立場
に立たないように充分配慮したものでなければ、いくつものステップのある審議の途
中で没になります。そもそも学会は自然保護運動をする団体ではないし、まして原子
力発電への反対運動をする団体ではないからです。
自らの良心の声に耳を傾け、研究者としての発見をゆがめることなく発言していく
――これが研究者や学会の社会的責務である、と私は考えています。
日本生態学会の具体的な取り組み
霞ヶ関の官僚や政治家、電力会社の職員や「原発予定地の自然保護は、開発を進め
る事業者や国策としてこれを推進する国の責任です」と言い切ることで責任が回避で
きたという(思考停止状態に陥っているように見える)地方自治体の担当者に対して
も、たゆむことなく事実を伝えていく――これこそが研究者と学会の役割だと考えて、
上関については、2000年3月から日本生態学会として取り組んでいます。以下に抜粋
するのは、2010年3月の三度目の総会決議です。
「この海域は、瀬戸内海に最後に残された生物多様性のホットスポットであり、しか
も、豊後水道に続いているとはいえ、海水が滞留しやすい内海である。この計画がも
し押し進められてゆくならば、今までかろうじて残されてきた周防灘の生物多様性と
生態系が著しく損なわれることになり、それはまた、瀬戸内海の自然の再生可能性を
失うことにもつながる。
このような状況を踏まえて、日本生態学会は以下のことを要望する。
1.日本国政府は、本年10月に名古屋市で開催される第10回生物多様性条約締約国
会議の議長国として、上関周辺海域を含む瀬戸内海の環境保全を国家戦略の中に明確
に位置づけ、適切な対策を実施すること。具体的には、上関周辺海域を含む瀬戸内海
の総合的な学術調査を新たに実施すること。
2.中国電力は、上関原子力発電所建設計画にかかわるすべての工事を一時中断し、当該海域の生物多様性に関する環境省主導の公正な調査の実施に協力すること。また、当該海域が瀬戸内海の生物多様性ホットスポットであるという事実に照らして、本計画の是非を再検討すること。」(全文はhttp://ankei.jp/yuji/?n=895)
いくつもの学会が手を結ぶ
最近、日本生態学会をはじめとするいくつもの学会が手を組んで、シンポジウムを
したり要望書を提出したりする、という新しい動きが生まれています。上関原子力発
電所の予定地が瀬戸内海の生物多様性保全のホットスポットであり、将来瀬戸内海が
よみがえるための最後の大切な種子なのだから、埋め立て工事は中断して、公正な再
調査を、という意見を複数の学会で共有できるようになってきたのです。
きたる5月1日には、山口県光市民ホールで生態学会以外にも、日本鳥学会、日本ベントス(底生生物)学会、日本魚類学会の4つの学会が協力し合うシンポジウムが、広島市、東京都内につづく第三回目として「上関――瀬戸内海の豊かさが残る最後の場所」が開催されることになっています(チラシは次に載せましたhttp://ankei.jp/yuji/?n=925)。どうぞ多数の市民の方がおでましください。
市民科学者の時代へ
学会は反対運動をしませんが、自然保護の住民団体とは協力関係をもっています。学会主催のシンポジウムの前後に行う現地観察会などでは、市民科学者を育てるという、高木仁三郎さんの残した夢にそって、高木基金http://www.takagifund.org/の助成を受けて活動しておられる「長島の自然を守る会」のみなさんと学会の会員としてもできる範囲の協力をしてきました。
市民科学者というのは、御用学者の対極にくるあり方です。研究者が生活者として
の立ち位置にたつとともに、市民自身が研究者としての目を育てていくというあるべ
き道筋を示す言葉です。御用学者の役割については、東大の名物助手(のちに沖縄大
学教授)で地域公開の『公害原論』という授業を展開しておられた宇井純さんが、わ
かりやすくまとめています。宇井さんによると、日本の公害経験は次のようにまとめ
られます。1)比較的早い段階で本当の原因がわかる。2)現地のことを知らないの
に異論を唱える「偉い学者たち」が現れる。3)諸説が現れたために本当の原因がわ
からなくなる。4)その結果、被害者はながく放置される。
事業者や体制よりの研究結果を出していく「御用学者」にもっとも大きな社会的責
任がある、というのが私の理解です。これを撲滅していくのは、学問の世界に住む私
たち研究者の義務であり、真実を知ることを求める主権者であるみなさまの権利でも
あると思っています。
文理融合でなければ解けない地球環境問題
私はもともとは生物学の研究をしたいと願って京都大学理学部に入学しました。し
かし、当時はDNAなどの分子生物学が学問の主流となり始めており、私は生物学の
道をあきらめて、チンパンジー研究の伊谷純一郎先生のもとでアフリカのフィールド
ワークをめざしました。テーマは「人と自然のかかわりの総合的研究」というつかみ
所のないものですが、今ふうの言葉を使えば、生物多様性と文化多様性の相関とでも
なるでしょうか。
生物多様性の保全という課題は、専門家、細分化の進んだ学問世界の最先端のスペ
シャリストにはなかなか難しいことです。多彩な各分野の最先端の研究成果をバラン
スよく盛り込んで、わかりやすく世界に発信することが必要だからです。その役目は
専門の報告がきちんと理解できて、それをまとめる研究者(ジェネラリスト)ないし
科学読み物執筆者(サイエンスライター)の仕事なのかもしれません。
地球レベルでの環境破壊の問題の解決は、理科系の専門家にまかせておいたのでは
おぼつかないことに気づいておられるでしょうか?地球環境問題は、科学技術の発達
が産み出したものであり、人類の生活様式(=文化)そのもののはらむ問題でもあり
ます。
文部科学省が京都に総合地球環境学研究所(地球研)を2001年に設立したのも、文
理統合による研究の重要性が社会的に認められたからと言えるでしょう。そんな意味
でも、たくさんの市民科学者の当場が待たれるところです。
瀬戸内海に残された最後の場所・上関
日本生態学会の自然保護専門委員として、生態学の研究者である妻の貴子とともに、
私がもっとも力を入れてきた保護案件のひとつが、上関原子力発電所建設予定地の生
物多様性の研究と保全です。「だまされたと思って一度来てごらんなさい」という誘
いに乗って、現地を訪れた研究者がそれぞれ専門分野が違うのに「これはすごい!」
と興奮するような、他ではめったに見られない生物相がここにはあるのです。そのこ
とを、日本生態学会が年に一度の総会で認めて「要望書」という形で決議したのが20
00年3月でした。それ以来、「原発を建設しても環境は守れるから建設を進めたい」
とする中国電力に対して日本生態学会からは合計8度にわたって要望を重ねてきたと
ころです。
要望書の要点は、「こんなずさんな環境影響評価で建設に進めば、現地の環境破壊
だけでなく、将来瀬戸内海の自然が復活するときのタネ(遺伝子の多様性)の核とな
るところを破壊してしまう」ということです。
まじめに耳を傾ければ十分説得力のある要望なのですが、耳をふさいで前のめりで建設への手続きを進めようとする電力会社側に語りかける日々が続いています 。いったん埋め立て工事を中断して環境調査をやろうよという学会側と、法律にのっとったアセスメントはもう終わっている、という電力会社の議論は平行線をたどることが多いのですが、あとで読み返すと、ライブの感じがあり、取材で立ち会っている新聞記者が思わず笑い出してしまうようなところもあります。中電の社員さんとのやりとりの記録は、2010年2月のhttp://ankei.jp/yuji/?n=908とちょっと古いところでは2005年のhttp://ankei.jp/yuji/?n=63がありますが、引き続き掲載していこうと思っています。
またどこかでお会いしましょう。 (チェルノブイリ事故の記念日を目前に)