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絶望の中の希望)サンダーの遺産:種を絶滅から救ったバイソンとジムの物語
2025/12/11
News & Tips というサイトの、2025年12月8日の記事「The Legacy of Thunder: The Bison Who Saved a Species」からのDeepLによる翻訳です。
末尾のことばは、ジョアンナ・メイシーさんの名著『絶望こそが希望である』(カタツムリ社)を思い起こさせます。
このメディアでバイソンを検索すると、ほかにもいろいろ載っています。https://ifeg.info/?s=Bison イエローストーン公園でバイソンに近づきすぎて空中高く(21フィートも)跳ね上げられた観光客の女性という記事まであります(ついている写真はAIですが)。
さて、今回の記事、facebookでの紹介を読んで、面白そうなので、原文をさがしてみました。タイトルと一部の小見出しだけは、安渓遊地が訳しました。原文は以下のリンクとここに添付したpdfにあります。19世紀末の話ですから、サンダーとジムのカラー写真はないと思いますが、ここに載っているのは、現在の、ジムのひ孫と3000頭に増えたバイソンたちの写真でしょう。
https://ifeg.info/2025/12/08/the-legacy-of-thunder-the-bison-who-saved-a-species/
執筆 THAO ROSE(タオ・ローズ)
2025年12月8日
果てしない地平線を風が駆け抜け、目に見える限り広がるアメリカの平原の広大で野生の心臓部で、人間の強靭さ、思いやり、そして人間と動物の揺るぎない絆を証明する物語がある。これは、最後の野生のバイソン「サンダー」と、その命だけでなく種全体の未来を救った牧場主の驚くべき物語である。
最後の生き残り
1885年、アメリカ西部の老牧場主ジムは野原に横たわるバイソンを発見した。密猟者に撃たれ、傷だらけのその体は広大な荒野で死を待つばかりだった。ジムが間もなく「サンダー(かみなり)」と名付けるこの牛は、同種の最後の生き残りだった。かつて北米の大平原を自由に駆け巡った強大なバイソンの群れは、狩猟によってほぼ絶滅寸前まで追い込まれていた。1800年代後半には、わずかな個体しか残っておらず、その未来は不確かなものだった。
アメリカのフロンティアで移り変わる風景を生き抜いてきたジムは、バイソンの重要性を理解していた。この雄大な生き物は単なる動物ではなく、西部の野生の精神の象徴であり、かつてこの地を特徴づけた手つかずの美しさを今に伝える存在だった。しかしサンダーは、ジムが気づいたように、孤独だった。野生の最後のバイソンが、野原で見捨てられ死にかけている姿は、単なる種の終焉の象徴ではなく、それに伴う悲嘆の象徴でもあった。
ジムは躊躇しなかった。衰弱した動物を腕に抱き、自らの牧場へ連れ帰った。そこで彼はバイソンに餌を与え、世話をし、回復を願った。しかしジムの懸命な努力にもかかわらず、サンダーは食べようとしなかった。動くことさえ拒んだ。何時間もじっと立ち尽くし、開けた野原を見つめ、虚無に向かって鳴き続けた。その鳴き声は悲しみと喪失感に満ち、胸を締めつけるものだった。ジムはすぐに気づいた。サンダーが嘆いているのは傷だけではない。群れを失った悲しみなのだと。このバイソンは、自分が種の最後の生き残りだと信じているのだとジムは理解した。
思いやりの力
土地を耕すことに生涯を捧げてきたベテラン牧場主ジムは、人間も動物も家族が大切だと理解していた。サンダーの悲しみは単なる生存問題ではないと気づいたのだ。それは深い孤独であり、つながりと共同体への渇望だった。その瞬間、ジムは全てを変える決断を下した。
諦める代わりに、ジムは牛の半数を売却し、その資金で地域各地から孤児となったバイソンの子牛7頭を購入した。これらの子牛は、密猟者や急激に変化する環境の力によって母牛が殺され、家族を全滅させられた後に見捨てられていた。ジムは、サンダーが老齢と疲労にもかかわらず、単なる食料や住処以上のものを必要としていることを知っていた。彼には家族が必要だった。生きる理由が必要だった。
サンダーが孤児の子牛たちを見たとき、奇跡的なことが起こった。長い間沈黙を守っていたバイソンが、ジムが今まで聞いたことのないような声をあげたのだ。サンダーは泣いた。本物の、心のこもった涙を。まるで彼らを認めたかのようだった——彼が必要とするのと同じくらい彼を必要とする、迷える魂たちを。何年ぶりかに、サンダーの悲しみは和らいだように見えた。彼はもう一人きりではなかった。
父の愛
その日から、サンダーは七頭の子バイソンを我が子のように引き取った。彼らの守護者となり、父となり、守り手となった。かつて孤独に悲しみに暮れていたバイソンは、今や世話をする家族、教える家族、愛する家族を得たのだ。ジムは畏敬の念を抱きながら、疲れ果てながらも父の優しいが確かな手で子たちを育てるサンダーを見守った。彼は生き抜く術、身を守る術、そしてバイソンとして生きるべき姿を教えた。
子牛たちへのサンダーの愛は無条件だった。彼は子牛たちを常に近くに置き、アメリカ西部の厳しい冬と灼熱の夏を共に乗り越えた。一歩一歩、見つけた草場の一つ一つを、彼は子牛たちと分かち合った。サンダーの人生で初めて、生きる理由が生まれたのだ。もはやただ生き延びるためではない——子牛たちのために生き、危害から守り、強く自立した大人へと成長させるために。
年月が経つにつれ、ジムはサンダーの変化を目の当たりにした。かつて孤独だったバイソンは、父となり、守り手となり、教師となっていた。彼の血筋、彼の遺産は、救った子牛たちを通じて受け継がれていった。サンダーは新たな世代のバイソンの礎となり、絶滅の悲しみを知ることのない世代の礎となった。
守護者としてのサンダー
二十年にわたり、サンダーは繁栄する群れの父として生きた。子牛たちが力強く威厳あるバイソンへと成長する姿を目にした。その一頭一頭に、彼の魂の一部が宿っていた。彼らはもはや孤児ではない。サンダーが自らの愛と犠牲で築いた共同体、家族、群れの一員となったのだ。かつてサンダーが独り佇んだ荒涼とした大地は、今や生命に満ちあふれていた。バイソンは再び平原を自由に駆け巡り、その数は年々増え続けていた。
サンダーは多くの者が不可能だと思っていたことを成し遂げた。絶滅の淵から自らの種を救ったのだ。しかしサンダーの遺産は単なる生存以上のもの——それは繁栄そのものだった。彼は新たな命をこの世にもたらしただけでなく、永遠に失われたと思われていた種に希望を取り戻させたのである。
時代の終焉
サンダーが年老いるにつれ、ジムは老いの兆候を目にすることができた。かつて力と不屈の象徴であった強大なバイソンは、その歩みを緩めた。足取りはより慎重になり、体はより衰弱していった。しかしサンダーが弱りゆく中でも、その精神は相変わらず強くあり続けた。彼は群れを見守り続け、その安全と幸福を確保した。生き残るための手段を彼らに与えた今、彼自身が休む時が来たのだ。
サンダーが逝去した時、それは単なる一頭の動物の喪失ではなかった。一つの時代の終焉であった。最後の野生バイソンは目的ある生涯を全うし、それによって歴史の流れを変えたのだ。サンダーが救ったのは自らの種族だけでなく、北米におけるバイソンの未来そのものだった。牧場を駆ける全てのバイソンに、彼の血筋は受け継がれている。その遺産は引き継がれ、今なお繁栄している。
サンダーの遺産は生き続ける
今日、ジムの曾孫がサンダーがかつて歩いた同じ牧場を経営し、サンダーが復活に尽力した群れは3,000頭以上のバイソンに成長した。かつて孤独な最後の生き残りだったバイソンは、新たな世代の父となった。サンダーが救ったバイソンたちは今、自由に歩き回り、その数は年々増え続けている。
サンダーの物語は、思いやりの力、家族の重要性、そして一人の人間がもたらしうる驚異的な影響力を思い起こさせる。ジムはただ死にかけている動物を見たのではない。彼は父親であり、保護者であり、家族を必要とする生き物を見たのだ。そうすることで彼は種を救っただけでなく、希望をも救った。サンダーの遺産は生き延びただけでなく、繁栄したのである。
一人の行動意欲がもたらす力
サンダーの物語は単なる生き残りの物語ではない。絶滅が必然ではないという証だ。圧倒的な困難に直面しても、希望の余地は常に存在する。サンダーの生涯は、世界を変える力が必ずしも壮大な行動から生まれるわけではないことを示している。時には、たった一人の人間が立ち上がり、変化を起こそうとする意志から生まれるのだ。
ジムがサンダーを救い、家族と未来を与える決断は、深い思いやりの行為だった。その行為によって彼はサンダーの命を救っただけでなく、その後を継ぐ数百頭、いや数千頭ものバイソンの命をも救ったのだ。サンダーの遺産は、平原を駆け巡るすべてのバイソンに、繁栄するすべての群れに、そして彼の物語を聞くすべての人々の心に生き続けている。
おわりに
サンダーの物語は教えてくれる。どんなに絶望的な状況に見えても、希望は常に存在すると。思いやりと愛と変化のための余地は、いつだってあるのだと。サンダーは単に一つの種を救ったのではない。未来そのものを救ったのだ。彼の遺産は今も生き続け、時にたった一人の人間が変化を起こす力を持つことを私たちに思い出させる。一人の牧場主、一頭のバイソン、そして行動する意志——こうして絶滅は阻止され、希望は取り戻されたのだ。
最後の野生のバイソン、サンダーは生き延びただけではない。彼は繁栄した。そしてその過程で、たとえ旅路がどれほど孤独で、困難で、暗くとも、家族の絆、思いやり、そして愛の力が世界を変えられることを証明したのだ。
以上、翻訳による引用終わり
安渓遊地のおまけ(https://ankei.jp/yuji/?n=2838 からの抜粋)
「絶望」と「絶望的」はまったく違います。「絶望的」であることから目をそらし、君たち若者が心配するほど未来はたいへんじゃないよ、という年寄りたちが、旧来の暮らしや仕組みをつづけようとすることこそが、まさに「絶望」なのではないでしょうか。状況が絶望的であると認め、そのことを仲間と共有し、ともに涙を流すところから、不思議なエネルギーが湧いてくるのです。迫りくる核戦争の危機の中で、ジョアンナ・メイシーさんは、数々のワークショップを行い、その経験を『絶望こそが希望である』(1992年、カタツムリ社)という本にまとめました。実物はなかなか手にはいりませんので、紹介文をリンクしておきます。https://blog.goo.ne.jp/ryuzou42/e/4243e0bdba18d379195b39829a929aeb 警告されていた原発震災事故が現実になったことは、我が家にとっては、自分の暮らしの拠点を阿東徳佐に移して、家族農業をはじめるきっかけにもなりました。http://ankei.jp/yuji/?n=1328



