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イノベーションを考える)〝もうかる農業〟という思い込み #津野幸人 『#小農本論』 を読む
2025/12/07
山口県の県議会議員の有志と県内の有機農業をめざす団体のメンバーが毎年年末に会合して、情報交換や懇談をするという集まりがあります。これとは別に県職員との情報交換の会ももっています。
2025年12月9日の会は、例年通り合志栄一議員のお世話で実施されました。熱心に聞いていただいて、とても良かったのです。自らも有機の田んぼで汗を流しているという、井原すがこさんの発言もすばらしかったです。
以前は、農林水産委員会に属する議員との懇談ということを、議会事務局がセットしてくれていましたが、数年前からやめになりました。
私がはじめて参加したとき、ある議員が副委員長でしたが、その発言は、県会議員の中には、もうかる農業という考え方に呪縛されている人がいるのだと、かなり感心(寒心)しました。
「あなたがたも、有機農業とかおっしゃっていますが、農業もちゃんとやれば、もっともうかるんじゃないんですか。いろいろな政府の支援策などを活用して取り組めば、近いうちにベンツに乗って湯田温泉に飲みに行くぐらいのことはできるはずです。頑張ってください。」
私たちは、吹き出したいのをこらえてにこにこ聞いていましたが、ベンツではなくて「田舎のポルシェ(©篠田節子)」ともいわれる軽トラに乗り、飲み屋街の得体のしれないものを口に入れるより、自分でつくったどぶろくの楽しみに惹かれるから、小農・家族農・有機農をやっているので、まだ若い議員の口から、そんなバブル経済のあぶくのようなものが吹き出してくるとは想像すらしていなかったのでした。
なぜ、小農が滅びないのか、ということを、私たちが稲作農民になる道を開いてくださった津野幸人さんの名著の冒頭から画像で引用します。エッセンスは以下にあります。
貴子 「私、鳥取大学の津野幸人先生から『小農本論――誰が地球を守った
か』(農文協)を贈っていただいて、今とっても感心して読んでるところな
んだけど、その中でも津野先生のおじいちゃんの話が印象的だった。昭和19
年の冬、中学2年生の愛国少年だった津野先生は特攻隊を志望して予科連に
合格。その時、〈片田舎の一介の老農夫〉であったおじいちゃんが、かわい
いお孫さんを兵隊に行かせまいとしていった言葉が、こんなものだったのね。
『日本は負ける。お前らみたいな子供までが死ぬことはない。明日これで小
指を切れ。小指がのうても百姓はできる。』そして牛のかいばを切る押し切
りを指さした。当時、国際的な情報を一切もたないおじいちゃんよ。大本営
発表なんかの圧倒的な世論工作に抗して、日本は負けるということが的確に
判断できた根拠というのが、なんと古いアメリカ製の剪定鋏だったというの。
もらって20年にもなるのに、バネはびくともしないし、切れ味も新品同様。
『百姓道具にこれだけのええ鋼鉄を使う国なら、兵器も日本のものとは較べ
もんにならんぞな』とおっしゃったんだって。
(これは https://ankei.jp/yuji/?n=3088 野外調査から野良仕事へ というエッセーからの抜粋です。)










