わが師わが友)谷川健一さんをしのぶ
2025/05/26
宮本常一という人物を見出して編集者として世に出した人・谷川健一さん(1921-2013)には、二度お会いしました。中学校のときにお二人の合作というべき『日本残酷物語』を読んでいました。沖縄研究をするようになって、『風土記日本』や『海の群星(むりぶし)』などは愛読し、『海の群星』ビデオも見ました。もちろん『叢書・わが沖縄』(木耳社)には、限りなくお世話になりました。
お会いした一度目は、山田秀三先生(1899-1992)の挨拶があった、熊本で開かれた全国地名研究会でした。(https://ankei.jp/yuji/?n=91)
1992年に小学館から出た、谷川健一編著『琉球弧の世界』(海と列島文化 第六巻)の575-601頁に、「西表島の稲作と畑作――南島農耕文化の源流を求めて」という原稿を書かせてもらうための相談もあって、お会いしたのだったとおもいます。おなじく小学館から出た『稲のアジア史』3巻に書かせてもらっていた関係で、大林太良先生や渡部忠世先生(https://ankei.jp/yuji/?n=2855)のご推薦があったのでしょう。
二度目は、石垣島でした。石垣博孝さんもバリバリでお元気だったころです。
熊本にて
谷川:日本の稲作の起源を考えると、宇野円空の『マライシアに於る稲米儀礼』(1944年)を見れば一目瞭然なように、稲魂の信仰は、南の島々と共通する要素が強いことは明らかなのに、日本の民俗学はそれを無視してきている。こうした状況を打開するには、あなたのような農学者にこそ、頑張っていただだかないと。
安渓:はあ(農学者と呼ばれたのは生まれて初めてでごんす)。おっしゃる通り、西表や与那国での稲魂様への祈りを間に挟むと、フィリピンのハヌノー人の稲作などとも、インドネシアの島々とも、結びつきがあることがはっきりしてきますね。
・・・・・・
安渓:話は飛びますが、『おもろさうし』の不詳語に、船造りにかかわるらしい場面に「きみ」という言葉があります。姫田忠義さんに誘われてトカラ列島の中之島での丸木舟づくりを見学に行った時(https://ankei.jp/yuji/?n=1152)、舟の内側を刳る道具が2つあって、ひとつは小さい「ツボジューノー」、刃の長いものは、「キン」と呼んでいました。おもろ語の「きみ」を、あなたは「船」と解釈されていますが、そうではなくて、金偏に斤と書く漢字の「釿(きん)」ではないでしょうか。「よき」と「きみ」のセットで、舟の外と内を削ったと考えれば、わかりやすいでしょう。
谷川:・・・・・・。いや、そうではなくて「きみ」の語源はむしろ「ティーイン」(手斧の沖縄語)という可能性はないですか?
安渓:首里那覇方言では、歴史的に「キ」の音が「チ」の音に口蓋化しました(おきなわとウチナーのように)。だからと言って、ティーインは、チーインではないし、それがキーインに遡って、「きみ」と書かれていたというのは、仮説としては無理があります。
谷川:・・・・・・。
石垣島にて
安渓:1986年から88年までパリに住んでいたときに、宮古島の古謡の訳を手伝ってほしい、とフランス人の研究者に頼まれて、西表島の知識では類推がきかないところが多くて、だいぶ難渋しました。
谷川:誰ですか?
安渓:シモーヌ・モクレールというひとで、漢字では「木蓮」と書いていました。
谷川:久高島でのイザイホーの取材のときに、われわれは男だから入れないところに、女性だからということで入れてもらっていたなぁ。言葉の深いところまで、果たしてわかったのかどうか・・・・・・。
熊本市でのわたしとの会話のあと、谷川さんはそれまでの「きみ」=船 の解釈を変更されて、「あれは、釿が語源だろう、トカラでは今でもキンと言っている」と話しておられた、「あの出所はあんけいさんだったのか」ということを、亡くなられたあとで聞かされました。〝農学者〟の説に降参されたのかもですね。
外間守善さんが亡くなられた時の追悼文に、いま述べた「きみ」=船説にも軽く触れました。ただし、谷川さんは、根拠を示さずにそう書いておられましたので(出所を明示しないのは、感心しないことですが)、谷川説とは書きませんでした。(https://ankei.jp/yuji/?n=2003)
(短い追悼論文では扱いきれない掘り下げた研究がなされていることを、最近知りました。「すら」の語源の探求論文です。
佐藤清「すらからの速御船」『琉球の方言』26号(2002)法政大学出版局 https://hosei.ecats-library.jp/da/repository/00012566/ryukyu_26_sato.pdf
)
2019年に谷川さんが手掛けられた最後の作品『民衆史の遺産』の全14巻が完結しました。
どういう風の吹き回しか、最終巻『沖縄』の最後の報告として、安渓遊地「フィールドでの「濃いかかわり」とその落とし穴――西表島での経験から」が収録されました。https://ankei.jp/yuji/?n=3037
以下は、谷川さんが情熱を傾けた日本地名研究所のサイトから、地名研究大会の歩みを引用させていただきます。
https://chimei.people.co.jp/history/
日本地名研究所のこれまでの歩み
2023
第42回 全国地名研究者 京都大会が5月20・21日に
佛教大学紫野キャンパスと福知山市日本の鬼の交流博物館で開催する
会長あいさつ 大会開催趣旨説明
会長あいさつ 大会開催趣旨説明
京都地名研究会会長 「一口」再考の研究報告
京都地名研究会会長 「一口」再考の研究報告
京都民俗学会会長の鬼の交流博物館オリエンテーション
京都民俗学会会長の鬼の交流博物館オリエンテーション
日本の鬼の交流博物館館長による館内説明
日本の鬼の交流博物館館長による館内説明
2022
第41回 全国地名研究者 一乗谷大会が11月19・20日に
新しく完成した、福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館で開催する
新博物館の建物内に、発掘された川港を復元
地元福井で行う全国大会で基調講演する金田所長
前田速夫さんと正津 勉さんの「白山」をテーマに対談
地元遺跡保存会による遺跡見学会
2021
日本地名研究所創設40周年・初代所長 谷川健一生誕100年
第40回全国地名研究者大会「谷川民俗学の可能性 ―小さきものの声を聞く―」
記念大会で祝辞を述べる福田紀彦川崎市長
「谷川民俗学の現代的意義」について講演をする金田久璋所長
「父 谷川健一の人と学問」について記念講演をする谷川章雄さん
「谷川民俗学の可能性 ―小さきものの声をきくーのシンポジウム
第50回 川崎市文化賞を受賞し、11月4日に贈呈式が行われる
川崎市長より賞状を受ける金田所長
受賞後に挨拶する金田所長
2020
第39回全国地名研究者 南砺市利賀村大会「越中・利賀の地名と風土」
利賀村大会特集の『地名と風土』を紹介する金田久璋所長
シンポジウム「利賀・五箇山の魅力を語る」の一場面
瞑想の郷で「マンダラ」を説明する浦辻一成さん
一向宗の拠点の一つ「西勝寺」
2019
関 和彦第三代所長が逝去され、第四代所長に金田久璋氏が就く
第38回全国地名研究者 遠野大会「陸奥の地 遠野からの発信」
関 和彦所長への追悼の言葉 事務局長
レセプションで挨拶する金田久璋所長
記念講演をする赤坂憲雄遠野文化研究センター所長
探訪から
2018
第37回全国地名研究者 出雲大会「出雲 神々をめぐる地名と風土」
川崎市住居表示懇談会委員として参画する
実行委員長 吉山 治氏挨拶
出雲大会コース
奥出雲たたらコース
島根半島国引きコース
2017
第36回全国地名研究者 武蔵野大会 「武蔵野の地名と風土」
小田大会実行委員長挨拶
レセプションで挨拶する関所長
記念講演をする新谷尚紀氏
探訪 大国魂神社境内宮乃咩神社
2016
第35回全国地名研究者大会「信州 天龍川をめぐる地名と風土」
第3代所長就任する 関 和彦氏
第35回全国地名研究者大会
第35回全国地名研究者大会開催
第3代所長 関 和彦氏
パネルディスカッション
出砂原・惣兵衛堤防
2015
第34回全国地名研究者大会「美濃の地名と風土」大垣市・関ヶ原町。
日本地名研究所 新ホームページ開設。
関が原記録写真
関ヶ原町
2015年パネルディスカッション
第34回全国地名研究者大会開催
2014
第33回全国地名研究者大会「日本地名列島からの発信」川崎市。
谷川健一先生追悼し、『追悼 神は細部に宿り給う』を発刊。
谷川彰英 二代所長に就任。
『地名と風土』復刊。通巻第8号。
御茶ノ水記録写真
2014年パネルディスカッション
第33回全国地名研究者大会開催
2013
第32回全国地名研究者大会「地名は警告する」川崎市。
谷川健一所長 8月24日 逝去。
谷川彰英所長代行に就く。
国分尼寺資料館記録写真
2013年パネルディスカッション
第32回全国地名研究者大会開催
2012
第31回全国地名研究者大会「災害と地名」川崎市。
三浦半島記録写真
2012年パネルディスカッション
第31回全国地名研究者大会開催
2011
第30回全国地名研究者大会「古代・中世の城柵と地名」川崎市。
鎌倉記録写真
2011年パネルディスカッション
第30回全国地名研究者大会開催
2010
第29回全国地名研究者大会「『遠野物語』と地名」遠野市。
2009
第28回全国地名研究者大会「黒潮の育んだ熊野の文化」和歌山県那智勝浦町。
2008
3月文化功労者受賞祝賀会・千代田区如水会館で開く。
第27回全国地名研究者大会「若狭を中心として日本海の交流」小浜市。
日本地名研究所が神奈川文化賞を受賞。
2007
第26回全国地名研究者大会「東北のアイヌ語地名と蝦夷語地名」宮城県松島町。
谷川健一所長 文化功労者に受賞。
2006
第25回全国地名研究者大会「加藤清正の築城と治水―その風土と地名―」熊本市。
2005
第24回全国地名研究者大会「平成の大合併と地名」。大会声明を採択、提出。川崎市。
2004
『平成の大合併』について申し入れを行う。
『第23回全国地名研究者大会「地名の美しさ・美しい地名」川崎市。
2003
第22回全国地名研究者大会「渡来文化と近江への道」大津市。
2002
第21回全国地名研究者大会「信州の先史古代と阿智の地名伝承」長野県阿智村。
2001
第20回全国地名研究者大会「信濃への道」長野市。
日本地名研究所設立20周年記念祝賀集会・川崎市。
日本地名研究所ホームページ開設。
2000
第19回全国地名研究者大会「壬申の乱と関ヶ原合戦」大垣市・関ヶ原町。
1999年以前のあゆみを見る
1999
第18回全国地名研究者大会「瀬戸内の地名と交通」姫路市。
シンポジウム「秋田の城柵とアイヌ語地名」秋田県十文字町。
1998
第17回全国地名研究者大会「日本海交通と越後・佐渡の地名」新潟市・安田町。
1997
第16回全国地名研究者大会「自然村から行政村へ」「焼畑地名と狩猟地名」川崎市。
1996
日本地名研究所が川崎市高津区溝口へ移転。
第15回全国地名研究者大会「金属と地名」川崎市。
シンポジウム「北上川と白鳥伝説」宮城県。
1995
第14回全国地名研究者大会「山岳信仰と地名」「神奈川県の都市地名」川崎市。
1994
第13回全国地名研究者大会「江戸時代の文化と地名」「海岸・内海・潟湖の地名」川崎市。
全国地名交流誌『地名談話室』発行。
1993
第12回全国地名研究者大会「地名と軍記物語」「小集落地名をめぐって」川崎市。
全「日本地名研究所通信」第1号発行。
1992
第11回全国地名研究者大会「地名と考古学」「各地の地名研究会の報告」川崎市。
1991
第10回全国地名研究者大会「姓名と地名」「川崎の地名・町名」川崎市。
『川崎の町名』発行。
1990
第9回全国地名研究者大会「万葉集と地名」川崎市。
第1回郡上八幡全国地名研究者大会。全国で開催するきっかけとなった会。
静岡県地名シンポジウム「地名は何を語るか―大地に刻まれたふるさと史の索引―」。
1989
第8回全国地名研究者大会「近世の城下町地名」川崎市。
『横須賀の町名』発行。
1988
第7回全国地名研究者大会「中世の地名」川崎市。
1987
第6回全国地名研究者大会「海民の文化と移動」「地名/アイヌ語の視点から」川崎市。
『藤沢の地名』発行。
第1回神奈川県地名シンポジウム鎌倉大会開催。第4回(90年)まで実施。
1986
第5回全国地名研究者大会「風土記の世界」「地名・アジアの視点から」川崎市。
シンポジウム「地域文化の源流を地名に求めて―佐倉をめぐる歴史・風土・伝説―」佐倉市
地名シンポジウム熊本大会「環シナ海文化と九州」。熊本市。以後、毎年開催。
1985
第4回全国地名研究者大会「地図と地名」「民俗学と地名」川崎市。
静岡県の地名調査始まる。
1984
第3回全国地名研究者大会「考古学と地名」「気象・災害と地名」川崎市。
『地名と風土』創刊。
神奈川県下の地名調査始まる「漁村地区の地名と民俗」。
1983
第2回全国地名研究者大会「地名の年代」「海岸・海中の地名」川崎市。
藤沢市の地名調査始まる。
1982
第1回全国地名研究者大会「柳田国男没後20周年記念シンポジウム」川崎市。
シンポジウム「風土と地名―地方の根っこを考える―」新潟市。
1981
「地名を通して『地方の時代』を考える全国シンポジウム」川崎市。
日本地名研究所の発足(川崎市川崎区宮本町)。谷川健一氏が初代所長に就任。
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