#地球研 #LINKAGE セミナー)#与那国島 の#漂流民 伝承――1477年の#済州島 民との出会いの衝撃波@#石垣島・与那国島・#西表島
2025/03/17
2025年3月18日
表記の連続セミナーを無事終えて、昨日山口市の阿東つばめ農園に帰着しました。
韓国の新聞で大きく紹介されましたので以下に掲載しました。全京秀先生ありがとうございます!
https://ankei.jp/yuji/?n=3045
2月11日
本の判型を、A4横向きに変更して入稿しました。チラシをそれにあわせて変更します。
1月22日 会場が決定しました。
開催時間が日曜日の石垣・西表両会場は、15時開演、水曜日の与那国島は18時開演になりました。
総合地球環境学研究所(ちきゅうけん)のLINKAGE(リンケージ)プロジェクトの成果を地元と共有するセミナーを開催します。予告や、資料などをこのページにはりつけていく予定です。
タイトル:与那国島の漂流民伝承――1477年の済州島民との出会いの衝撃波
講師:全 京秀(ソウル大学校名誉教授・人類学)
安渓遊地・安渓貴子(地球研LINKAGEプロジェクト研究員)
ビデオ参加 筆者の和歌嵐香さん(与那国島出身)ほか
日時と場所:2025年
3/09(日) 15:00~17:30 石垣市健康福祉センター
3/12(水) 18:00-20:30 Didi与那国交流館
3/16(日) 15:00~17:30 西表島西部 船浦ときめきホール
主催:総合地球環境学研究所LINKAGEプロジェクト
共催:アンパルの自然を守る会(石垣島会場)
与那国島の自然と共に生きる会(与那国島会場)
西表エコツーリズム協会・西表財団(西表島会場)
セミナーのおもな内容
1477年の旧暦2月、済州島から貢納のみかんを
積んだ船が出航して難破、2週間ほど漂流して
与那国島で救助されました。生き残った金非衣
ら3人は、島々をめぐって護送され、足かけ3年
ののちに帰国。朝鮮王朝の記録係が書き留めた
その体験談は、八重山・宮古の人々の暮らしを
はじめて歴史に刻んだ文字記録となりました。
この出会いと交流の記憶は、多くの島では失
われましたが、与那国島では口伝えで残してき
ました。その最後の伝承者である和歌嵐香さん
は、幼いころから聞いた漂流民「ふがぬとぅ」
との交流と、限りある島の自然の資源の賢い利
用の方法への後世への影響について、たくさん
の語りと絵を残しています。1970年代から八重
山の人と自然のかかわりを研究してきた、安渓
遊地・安渓貴子夫妻が編集してまとめました。
このたび、総合地球環境学研究所で、サンゴ
のある島々のさまざまな自然資源の持続可能な
活用の知恵について研究するLinkage(リンケ
ージ)プロジェクトの一環として、その内容を
一冊の画文集としてまとめることができました
ので、出版記念の巡回セミナーを企画しました。
プログラム セミナー開始30分前に開場 各パート30〜40分程度。質疑応答30分程度。
1. 朝鮮王朝実録の済州島民漂流記 (安渓遊地)
李氏朝鮮歴代の公式記録の中の、1479年の済州島漂流民の八重山漂流の詳しい語りの紹介。
2. 与那国島の「ふがぬとぅ伝承」との出会い (安渓貴子)
たった一人の子どもにすべての伝承を託そうとしたお年寄りの思いとその伝承は世界記憶遺産に匹敵。
3. 15世紀後半の朝鮮と済州島の暮らし (全 京秀)
韓半島で唯一みかんが実る済州島の歴史と文化。韓国・済州島から見た八重山の暮らし。
プロフィール
和歌嵐香(わか・らんこ)さんの紹介
著者は、1954年3月与那国島祖納生まれ。
幼いころから、昔ながらの生活の知恵と島こ
とばをお年寄りに叩き込まれ、八重山高校卒
業後は、京都を始めとして日本の各地で修行
して島にもどり、自然素材を生かした染織の
工房なんたむら を設立。2012年、北海道に
移住。身の回りのすべてのものにやどる「い
のち」に向き合い、心をこめて、祈りを捧げ
る日々の中から、さまざまなアートを生み出
し、舞踏家としては和歌嵐香の舞台名をもつ。
セミナー講師紹介
全 京秀(チョン・ギョンス)
ソウル大学校名誉教授。文化人類学専攻。哲学
博士。母方は済州島出身。2009年に八重山を
訪れ、感謝と慰霊のチェサをおこなった。
安渓貴子(あんけい・たかこ)
生物文化多様性研究所所員。生態学専攻。理
学博士。夫とともに、八重山と熱帯アフリカ
で学び、現在は、山口市北部で家族農業。
安渓遊地(あんけい・ゆうじ)
山口県立大学名誉教授。人類学専攻。京大理
博。西表島では「バカセ」と呼ばれ、宮本常
一との共著『調査されるという迷惑』あり。
扉うらの全京秀先生からのメッセージの抜粋
安渓貴子と安渓遊地がN子氏と何時間も電話をしている姿が目に浮かぶ。N子氏が描いた古代の岩刻画のような絵も何度も見た。それは神話が生まれる過程であった。与那国島と済州島両側の人々が互いの心と言語を交換した540余年前の物語が、和歌嵐香、安渓貴子、安渓遊地三人の心と言語の交換で作られた「ふがぬとぅ」神話である。 人間が生きてきた地球上で、一編の神話が誕生する過程が証明された唯一の事例研究である。今、済州島と与那国島は東アジア海域の神話共同体となった。この神話の一編が完成する過程を見るこ
とができた事実そのものが私にとっては無限の感動であり、栄光である。
全京秀(전경수)
裏カバーの紹介文から
1477年2月、朝鮮済州島の人びとが与那国島に漂着し、2年余りをかけて島々を護送されて帰国。三人の済州島漂流民と半年間をともに過ごした与那国島の人びとは、そのできごとを詳細に伝承していた。《ふがぬとぅ》(他所の人)と呼ばれた彼らとの異文化交流と学びあいの日々についての奇跡の画文集。サンゴの育つ南の島の限られた自然資源を持続的に利用してきた知恵の数々。それがどのようにしてかたち作られたかを雄弁に語るこの伝承は、気候変動と戦争の時代を生きる地球人の未来への指針である。
連絡・問い合わせ先:〒603-8047
京都府京都市北区上賀茂本山457番地4
総合地球環境学研究所 LINKAGEプロジェクト
担当者・安渓遊地 (メールで a◎ankei.jp ◎を@にして送信)
