連載)阿東つばめ農園おひさま便り2020年11月-2021年10月 一挙掲載_ことしはウンカ被害もなくお米も大豆も順調です ご予約を 安渓貴子+遊地 #ロシナンテ社 #月刊むすぶ RT_@tiniasobu
2021/09/29
京都のロシナンテ社の 月刊『むすぶ』連載記事です。pdfを添付します。pdfではリンクが繋がりませんので、以下にテキストを貼り付けます。文字化けなどを修正しましたが、pdfの内容が公開したもので、以下のテキストは参照用です。
毎月の農作業と執筆締め切りに追われて、書いた内容のシェアを1年間も怠っていたことに気づいてボーゼンとしています。一年分12回、一気に公開します。
今年のお米の収穫は、10月上旬、大豆は11月下旬で乾燥調整が終わるのは12月に入ります。熟成させた去年の大豆の脱酸素パックは、少しあります。
ご予約・お問い合わせの方は、a(a)ankei.jp あてメールをくださいませ。
○11回(2020年11月)
◎地域が学校
ストーブが夜には欠かせなくなった山口市北部の阿東徳佐高原から。山裾を歩いて今日はリンドウの花がたくさん咲いているのを見つけました。キク科のサワヒヨドリも一緒に咲いていました。
さて、お米の収穫を終えて色彩選別機にかけた結果、今年の販売できるお米は例年の半分以下となりました。ウンカの被害が大きい田んぼの中を刈り取りの前日に歩くと、稲の株元が枯れて、ベタベタして歩きにくい印象でした。それでも五枚の田んぼのうち一枚だけは無事実りをいだたけて、見渡しても、稲穂を見ても美しく、田んぼの中は株元が乾いていて歩きやすく、さわやかです。並んでいる田んぼでも、なぜこんなに違うのか謎です。
予約して下さっていたお客様の注文を合わせると、すでに不足で、皆さんに事情をお伝えしたところ、少しずつ譲り合ってくださり、今は一〇月の新米の出荷を終えて、ほっとしています。
一〇月末から一一月にかけて、つばめ農園では山口県立大学の国際文化学部の学生の地域実習を四日間受け入れています。大学生が地域と大学とを結んで、お互いに学び合う試みで、ひとつの授業で多いときは一〇か所もの地域に学生たちとともに出かけていたこともあります。地域に出て地域で学ぶ「地域が学校・地元が先生」という授業を、私どもは二〇〇五年から担当してきました(安渓遊地・安渓貴子『大学生をムラに呼ぼう地域づくり実践事例集』二〇〇九年、みずのわ出版)。定年退職後はおもに地域側での受け入れにまわっています。今回はウィルス感染の危険のある宿泊はやめて汽車で通ってもらうことにし、若者たちは大学がある宮野駅を午前七時四分発という便で八時には徳佐駅に到着です。
朝早いのですが次の便は三時間以上あとでは仕方がありません。
仕事は大豆の収穫と草集めです。体を動かしながら、最近は遠隔授業とアパートでの孤独な食事ばかりで、ほとんど直に対面する機会がない学生たちはマスク越しに話すのも楽しくて仕方がない様子です。昼食はつばめ農園の農産物を料理して、草の上での食事をとりました。目の下にソーラーシェアリングが広がり、その向こうにSLが走る中国山地の絶景を前に、なかなか豪華な体験です。
◎学生の声
二日間の農業体験を終えた学生たちの声を、載せる許可を得て抜粋でお届けします。はじめの一文はみなで考えた授業の意味です。
・情報が手軽にどこでも手に入る時代に、地域に出て実習をするということは、自らの身をもって実際に体感することとなり、調べたり、見聞きしたりするだけではわからない問題点・現状、その深刻さが発見・把握できることが醍醐味だと思います。次に、そこでの問題を解決するにあたり、現場で自らの頭で考えることで、その場だけでなく、他の問題に対してもアプローチする方法を得ることに実習の意味があると思います。
・虫や植物、作物を育てる過程などの新しい情報をインプット……自己のレベルアップに繋げることができました
・一言で「大豆を収穫する」といっても昨日今日と二日かけても終わらず、普段お店に並んでいる野菜にかかっている手間の膨大さを学ぶことができました。普段農作物の値段を高いと思っていたが、とても安いものだと感じるようになりました。
・自分たちが普段食べているものを作っている大変な農業の現場について体験することで、どんどん便利になっていく世の中でのこういった経験が今後、自分の視野、考え方を広げることにつながると思いました。
・一つの野菜を育てるだけでも沢山の手間と労力が必要で、こういった現状は知らないだけで実際にあるんだということを身をもって体験することができました。
・今まで、何も考えずに食べてきた大豆やお米、使用してきた電気、見てきた虫や植物についてそれらを見た際、少し立ち止まって考えることができるようになりました。自分の見ている世界を広げ、豊かにできるのが阿東での農業体験のよさのひとつであると思います。
・田舎なので虫はたくさん、力仕事も多いです。そのため自然や、体を動かすことが好きな人はもちろんですが、好奇心旺盛な人にもおすすめできると思います。農園での作業は単純ですが、普段とは異なる環境の中、何に着目して、何を考えるかに発見があると思います。私は虫が嫌いで、家に出ると追い出すことに必死になってしまいますが、農園では虫があまりに多く、自分が動くたびに足元で虫たちも移動するのを感じました。するとなんだか、住処を荒らしてごめんね、という気持ちにさえなりました。そこから派生して、人間がどういう影響を環境に与えてきたか、安渓先生とお話をするのも楽しかったです。先生方はその場で疑問に思ったことがあれば何でも丁寧に教えてくださいます。
虫や植物など、人間以外の多くの命と触れ合う環境の中、
感じたことについて、生物学、文化人類学を交えながらお話しできる環境は、この阿東つばめ農園の一番の魅力だと私は感じています。
○12回(2020年12月)
◎生物文化多様性研究所
つばめ農園から見わたせる中国山地。その山頂付近のブナ林が一一月に入って一斉に紅葉するのが麦を播く時季の目あてだったそうです。今年は二年かけて増やしたライ麦の種を播きました。稲の収穫を終え、耕耘が済んだ田んぼでは、集落全体と山を距てる垣をくぐって、イノシシがあちこちを気まぐれに掘り返しています。白大豆のタマホマレは、収穫・脱穀を終えて、選別にかかります。田んぼのお師匠さんがつくっている麹と合わせて味噌をつくっていますが、その美味しさはひとりでに笑顔がこぼれるほどです。
阿東つばめ農園には、研究と大学等での教育に関わる私たちの拠点として「生物文化多様性研究所」という小さな看板もかかげています。どんな活動をしているか、その一端をご紹介しましょう。
私たちが一九七四年に始めた生物と文化の多様性を勉強するフィールドワークによって得られたデータ。それを論文の形で学界に報告するのが、研究者としての基本です。でも、それだけでは、調査された地域の人たちへのお返しにはなりません。そこで、生物文化に関する百科事典のような形でまとめて、世界のどこからでも利用できるインターネット上のデータベースはできないだろうか。そんな夢を形にすることが科学研究費補助金のおかげで、できはじめました。コンゴ民主共和国に四〇〇程度あるという民族語のひとつの「ソンゴーラ語」と、ユネスコが指定する日本の絶滅危惧言語に属する「西表語」の生物名と一〇〇〇か所を越える地名についてインターネット公開中です(https://aiiriomote.wixsite.com/mysite)
。
今年度は新たに「与那国語」の生物文化データベースに取り組むことになりました。三五〇〇枚の単語カードを手始めに進めています。これを書いた与那国島の伝承者子さんから預かっている絵や文章は、紙の厚さが一五〇センチを越える量です。彼女が小・中学生だった一九六〇年代、沖縄の学校では方言を使うことが禁じられ、使った子どもは「方言札」を首に掛けられました(「文化的ジェノサイド」http://ankei.jp/yuji/?n=2458)
。また、N子さんがお年寄りから聞いた与那国島への最初期の移住の伝承の中に、台湾から移り住んだ人びとのものがありますが、島では植民地化の前には台湾との友好的な交流はまったくなかったとされているのです。幼い頃から彼女が受け取ってきた古い伝承の多くが?島の正統な伝承?とは大きく異なる
として、「嘘つき!」とののしられ、書きためた伝承ノートを取り上げられ、目の前で燃やされるといった激しい弾圧に耐えて生きのびてきた貴重な記憶遺産です。
◎研究への圧力に抗して
映画『マルモイ ことばあつめ』を見ました。朝鮮語が学校教育から消され、創氏と改名によって名前までも消されていく一九四〇年代の植民地朝鮮で、民族意識を持たせないための朝鮮総督府によるしつような妨害と弾圧の中で、各地の多様な方言を含む『朝鮮語大辞典』を完成させようと、文字も読めない下層の人々までが命をかけて奮闘するようすを描いた人間ドラマです。私たちの小さな試みである生物文化データベースづくりに対するおおいなる励ましをも感じて泣きました。以下は、ちらしに載っているオム・ユナ監督の言葉です。
現実という壁にぶつかって夢見ることさえ贅沢になった今の世の中に、共に夢をかなえていく人々のぬくもりが伝わり、厳しい世の中を辛うじて一人で耐えている人たちへの小さな慰めになればうれしい。見回してみれば、共に歩んでくれる人が隣にいるんだと。(引用終わり)
「戦争ができる国」を目指すこの国の政権が次々にくりだしてくるさまざまなたくらみ。防衛省の予算で学者たちに研究費を配って軍事的にも役立つ研究をさせることも、そのひとつです。
原爆をつくったマンハッタン計画に動員された数多くの学者たちは、本当の目的を教えられずに従事しました。そして、自分の研究が人間の上に落とす原爆に役だったと知ったあとでも「生涯であれほど充実した時間はなかった」「本当にわくわくさせられた」等と回想したというのです。当時、勇気をもって政府に異議をとなえることができたのは、シラードなどごく少数の学者にすぎませんでした。戦争に荷担したことへの反省から、日本学術会議では、戦争につながる研究に手を染めることをしない、と何度も決議しています。その姿勢が気に入らない人たちの攻撃が、今回の学術会議が推薦した委員を認めないという態度に表れていると思われます。現在私たちがいただいている科学研究費は、
もちろん国民の血税によるものですが、
学者たちの審査委員が適確と認めた公平な推薦によって選定されているのです。そのような自律的な決定(学問の自由)を、政府の都合でくつがえすことを認めることはできません。自然と文化の多様性を抹殺しようとする、戦争につらなる動きに対して、阿東つばめ農園では非力ながらみなさんと共に歩み、声をあげ続けたいと願っています。
○13回(2021年1月)
◎コロナ禍の中でもつながりを広めて
中国山地の山並みが真っ白に雪化粧する中を、太陽が昇ってきます。一昨年の八月に始めた営農ソーラー。田んぼの上に、藤棚のようにパネルがひろがっている風景は、山口県では初めてのものになりました。おかげで、新型コロナ肺炎への警戒態勢のなかでも、訪ねて下さる方があって、ソーラーシェアリング仲間の広がりができてきました。地元の山口県や隣接する広島県はもとより、熊本、宗像、佐賀、鹿児島など主に九州からの見学がありました。宗像市の方には、現地の農業委員会への説明資料を作ってお送りしたところ、設置が認められるという動きになったという、うれしい報告がありました。営農ソーラーの仲間は全国にいますが、今年はもっと足もとからのつながりを、着実につくって行くことをめざします。
昨年一月にスタートして現在一九三人の会員がいる、「中国山地百年会議」に参加しました。『みんなでつくる中国山地』という雑誌を毎年一冊、百年にわたって出し続けようという地域づくりネットワークです。「経済成長や効率性を追い求める社会から、人々がつながりを実感できる『地元』で生産と消費をつなぎ、資源を循環させることが心地よいと感じるような持続的な社会を目指します」(https://cs-editors.site/
)という目標は、阿東つばめ農園で日々目指していることだと感じます。百年会議のネットワークの中には、すぐ近くの山口市阿東地福の地域拠点「ほほえみの郷 Toi
Toi」があります。ここからは、高齢者の安否確認もかねた移動販売車が毎週まわってきます。吹雪の日など、寒さで心が折れそうになりながら回っているという販売員の若者たちは、「あんたから買いたいんよ、スーパーまで行けばもっと安く買えるものでも」という地元住民の温かい声に支えられているそうです(http://jifuku-toitoi.com/
)。また、つばめ農園から一〇キロしか離れていない、島根県津和野町では、「山の宝でもう一杯」プロジェクトとして、放置された山林を生かす小規模林業とバイオガス発電の新しい試みを進めています(http://www.tsuwano.net/www/contents/1398673642733/index.html)
。大学教員として二〇〇五年から一〇年以上「地域が学校・地元が先生」をテーマに学生を派遣してお世話になった山口県内各地の方々・地域に、
「中国山地百年会議」
のネットワークを紹介しつなげたい、というのが新年の抱負です。
◎初心に返って根を深くはる
一九九三年、鳥取県の大山の麓の村で畑と初めての田んぼをしながら一年間暮らした時、別れの日が近づくころ、村の人たちからこんなことを聞きました。田んぼや畑をゴミ捨て場にして、そこにまだまだ使えそうな立派な材木を捨ててしまう工務店があるが、そういう人は、物の心、人の心がわからん。また、ゴミ捨て場にはしないまでも、丹精こめたナシの木を切って畑をつぶすのを見ると涙が出る。畑が草山になるのは見ておれんし、田畑を荒して、あとは野となれ山となれでは、そこを耕してきた先祖に対して申しわけがないですけぇなぁ……。この気持ちが、たとえ赤字でも農業を続けている原動力になっている、というのです。もうからないからと土地を放棄してしまえば、将来大水や地滑りなどの災害が起こるという
ことも強く心配しておられました。
すべての公務員は、少なくとも一年間は農民の生活を経験してから、仕事にかかるべきだ、そうすれば、人間の原点からもっとちゃんと考えるようになるはずだ、という村人の言葉がすっと胸に落ちました。それにしても、土地を荒せば先祖に対して申しわけがない、子孫に対しても環境を守っていく責任がある、という自覚はどうやってできて、世代を越えて伝えられてきたのでしょうか。また、「よそ者」は、いつまでたっても「地の者」にはなれないのでしょうか。たとえよそで生まれても、その土地に世代を越えて伝えられてきた智恵の世界に触れることは許されているということを、ここ大山の麓で学ぶことができました。実は私たちが住んだ村は、一八世紀の半ばごろ、
なんらかの理由で在来の村人のほとんどが追い払われる、
という事件が起きたといいます。その時に、数戸の家だけが追い払われずに残されました。田への水をどう引くか、それぞれの田の必要とする水はどのくらいか、といった水利についての知識のある人たちまで追い出したのでは、稲作も徴税も不可能になるからだったのです。そして、あちこちからの移住者によって村はりっぱに再建されて、それが今に連なっていたのでした。
そうであれば、私たちもまた、この土地の歴史や自然とつきあう方法をきちんと学んで、より深く根を下ろしていく努力をしなければと思います。そのようにして「地の者」への道を歩み始めたいというのが、もうひとつの抱負です。
○14回(2021年2月)
◎記録的な積雪
お正月すぎの天気はいかがでしたか。つばめ農園がある山口市阿東は、記録的な積雪となり、除雪車が脱輪したり、交通が途絶する集落がでたりしました。三が日はまだ積雪一〇センチくらいで、毎日コースを変えて散歩に出ました。鳥たちや野ウサギの足跡に、食べ物がなくて困っているだろうと気づき、くず米を雪のない軒下や、農機具用のひさしの下に撒いてやりました。田んぼの中に大豆殻を積んでおいた場所は、発酵して熱を持っていたのでしょう、そこだけ雪が融けて、直径一メートルほどの穴のようになっていましたので、そこにくず大豆とくず米を多めに撒きました。それを目当てにキジ、カラス、キジバト、スズメ、タヌキなどが入れ替わりやってきました。
雪は一月七日から一〇日まで降り続け、八日には家から町に出ることも難しくなりました。除雪車が通る市道までの八〇メートルの坂道が雪でふさがってしまったのです。日中も日がささず、気温が上がらない日が続き、マイナス一〇度を下回る朝もありました。暖房によって屋根の雪が融けて滑り落ち、軒の下には背丈ぐらいも雪が積み重なります。家の周りの通路の除雪と、昨年建てたばかりの長さ三〇メートルのハウスの雪下ろしに汗を流しながら「いい運動になるね」などと家族ではげましあいました。寒波で、簡易水道のパイプの破断があるらしく、有線放送がしきりに「凍結防止に水を出しっぱなしにするのはやめてください、近くの空き家も点検してください」とお願いの放送をくりかえしています。そこに、
停電が起こりました。
幸いすぐに復旧したのですが、オール電化の家もあり、灯油やガスの暖房器具でも電気がなければ動かないものが多い今、積雪の中に孤立した高齢者にとっては命にかかわる事態だという心配が頭の中を駆け巡りました。幸い、つばめ農園は停電しても水が出る井戸水で、手作りのロケットストーブと風呂用の薪も乾いたものが二トンほど積んであるうえ、農家だから食料の在庫もたっぷりあって、生鮮野菜を畑の雪の下から掘り出しにいけるようにさえなれば、たとえ世間が断水と停電になったとしても、一月ぐらいの籠城も問題ないと思っていました。
◎営農ソーラーの倒壊
一月九日、このあたりではナガヤとよぶ農作業用の小屋の上に三〇センチを超える雪が載っているので、重みでひさしが折れることが心配になりました。傾斜が強く屋根に登ることは危険なので、防水ベニヤの板と長さ四メートルのハウス用パイプで雪下ろしの道具をつくり、下から雪を下ろすことを試みました。
営農ソーラー(ソーラーシェアリング)のパネルの上にも雪が載っていますが、高さが三メートル以上の架台の上で、配線もめぐらされていますから、よほどの決心と技がなければ安全な雪下ろしはできそうもありません。
明けて一〇日の朝、息子の大慧が、夜中に屋根から雪が落ちるような大きな音が聞こえた気がする……と言うので家の周りを見ましたが、新しく落ちた様子はありません。貴子が、玄関の前を埋めた雪を掘って、そりで家の前の田んぼに運ぶ道をつけながら、ふと眺めると、あたりの景色がすっかり変わっていました。昨日まで建っていた、営農ソーラーのパネルが雪の下になっているのです。みんなで外に出て全体をみわたしてあぜんとしました。昨夜のうちにさらに降り積もった雪の重みに耐えかねて、パネルを支えていた架台の足が一斉に折れてしまったようです。家から遠い最後の一列だけがまだかろうじて立っていましたが、斜面に置いた七二枚を除く、二一六枚のパネルが夜中の積雪で倒壊したのです。
乗用車の屋根の上に積もった
雪をおろしながらその深さを測ってみたら、五三センチほどとわかりました。大慧が夢うつつに聞いた大きな音は、夜のうちの降雪で合計一〇〇トンほどにもなっただろうと推定される雪を載せたパネルと架台が一斉に倒れるときの音だったのです。想像もしていなかった事態にしばらくは呆然としましたが、嘆いたり悔やんだりしている暇はありません。まずは送電のスイッチを切ります。パワコンなどの機器は無傷のようです。太陽が出れば発電が開始され、漏電があると高圧の電気が流れる恐れがあるので、配線や架台に触れないようにして、「感電危険」の表示を掲げます。お世話いただいている「市民エネルギーやまぐち」に連絡し、全国の営農ソーラー仲間に雪害の注意喚起をするようにお願いしました。
自然災害に備えた再建と、
再開できるまでの間の休業補償のふたつの保険についての連絡と、6月の田植えまでをめざした様々な対応が続きます。
温暖化で海の温度が上がると空気中の水分が増えて、かえって積雪が増えるという現象があるそうです。より雪や風に強い形での営農ソーラーの再開をめざす足取りについては、随時ご報告しましょう。
○15回(2021年3月)
山口市北部の阿東では、二月に入っても、三〇センチの積雪があったりして油断はできませんが、しだいに暖かさを増してきました。農機具のメンテナンスや、田んぼの排水溝を掘ったりする耕作の準備作業を急がなければなりません。つばめ農園の周りでは、梅が少しずつ花をつけ、フキノトウがむくむくと芽を出しはじめました。鳥たちもにぎやかになり、数百羽のミヤマガラスが水田にあらわれて、朝鮮半島への旅立ちにそなえています。積雪で送電の止まった営農ソーラーの電線に、ヒレンジャクらしい群れがとまっています。
春節が終われば、中国から営農ソーラー復興の資材費の見積もりが届く予定です。次の号では、修理の写真も掲載できると期待しています。
◎手をつなぎ立ち上がる女性たち
コロナ後の社会は、コロナ前に戻すのではいけません。感染症の発生と感染拡大の背景にある、過密社会とそれを支えてきた大量生産・大量消費を根本から見直し、生物多様性を回復させる新しい生き方ができるかどうかが、人類の運命の分かれ道です。そんな持続可能な未来を予感させてくれる集まりが山口市でありました。二〇二一年二月一四日、山口市民会館の小ホールで「命と土がつながる給食」をテーマにフォーラムを開催しました。主催の「ヤッタネ!やまぐち」は、食と農に関心の高い母親たちが「こどもたちの未来のために」という共通の目標をもって集まった団体です。今回は「土は子どもの命そのもの!生きる力を育む食育」をテーマに、県内の会員が登壇して語りあいました。
新型コロナ肺炎予防のため一〇〇人に抑えた定員が満員御礼
となった会場のみなさんを巻き込んで、有意義な意見交換ができました(動画https://youtu.be/LqNHEuHxBkQ)。
パワフルな牽引役の食育指導士うっきーこと秋本葉子さんは、自作の漫画を見せながら、有機農業の畑の土と人間の腸内の細菌は共通することから、土の中のちいさな命を壊さない生き方の大切さをうったえました。野菜作りをする湯田・菅内幼稚園の阿野久子園長は、子どもたちの足腰が強くなり、泥んこ遊びにも慣れて、庭のキンカンをもいで食べるようになって風邪を引く子どもが減ったという印象を報告されました。
安渓貴子は、一九九〇年からの自給農業、原発震災で始まった阿東つばめ農園への歩みを紹介。アメリカの子どもたちが食べ物によって病気にされていること、遺伝子組み換えと除草剤グリホサート(ラウンドアップ)が原因と気づいた母親たちが手をつないで立ち上がる『UNSTOPPABLE(あきらめない)―愛する子どもの「健康」を取り戻し、アメリカの「食」を動かした母親たちの軌跡』(二〇一九年、現代書館)を紹介しました。
山口市の山村のひとつ仁保地区のPTAの京瀧映美さんは、「大楽だいがく・古民家こみんかレッジ」と名付けた築一五〇年の茅葺きの家で子育て真っ最中。高校生の時に留学し、その後働いていたハンガリーでの暮らしを紹介。欧州からの旅行者向けのパンフに「日本の野菜は農薬汚染がひどい」と書いてあることは知っていたものの、野菜を煮て塩を入れるだけでおいしいハンガリー風スープが、日本の野菜ではどうやってもできないことを知ったショックを語りました。「給食は大切な子どもの命を委ねること」と、有機給食の導入への期待を話されました。
農薬も除草剤もつかわないで二〇ヘクタールの田んぼをつくる倉重智子さんは、お母さんの再生不良性貧血発症がきっかけになりました。ホースの先をもって田んぼを歩き、農薬で真っ白になるのは女性でしたから、慢性中毒を疑って、無農薬の玄米正食を実践。本物の無農薬米がなかなか見つからないので、自分たちの水田のすべてを完全無農薬栽培に転換することに踏み切りました。売れる米がいただけるようになったのは六年目からだったけれど、お母さんの病気もすっかり良くなっていました。新山口駅前の一等地にあるおむすびの店「結び家くらとも」誕生秘話のあと、昨年、周囲の農家が壊滅的なウンカ被害を受けるなか、二〇ヘクタールまとまっていてクモ等の天敵が多いためか
無農薬米の田んぼは一切被害がなかったという、うらやましい話もありました。
最後は管理栄養士で周南市で県産食材を使ったカフェ「百日紅ひゃくじつこう」を運営する平井多美子さんで、給食を変えるには、まず学校の栄養士に有機野菜を味わってもらうことが大事で「有機野菜は皮まで食べられて台所からのフードロス削減にもつながる」と話しました。
会場では、その後、宇部、山陽小野田、防府、周南、岩国、下関と山口県内各地からの参加者の活動紹介と、今後たがいに連絡をとりあえるようになるための交流の時間もとりました。最後に、参加者ひとりひとりが山口市長あてに手紙を書き、参加してくれた市会議員のみなさんに託して、フォーラム後のパワフルな働きかけにつなげました。具体的には、「山口市の子どもたちにゆうき給食の日をプレゼントして!」という署名活動を紙とネットで進めています。
○16回(2021年4月)
◎遠くてもつながれる
つばめ農園から歩いて行ける徳佐八幡宮の参道を埋めつくすしだれ桜が、昨年より一〇日以上早い三月二〇日に満開でした。山々にも白いぼんぼりのようなコブシに続いて、山桜が咲きました。早生のコシヒカリをつくる田ではトラクタがうなりをあげはじめました。ツバメはやってきましたが、気がかりなのはミツバチがいないことです。例年なら三月にツバキの花を訪れるニホンミツバチもセイヨウミツバチもまったく見られません。チョウの仲間も、モンシロチョウとツマグロヒョウモン、ヤマトシジミが、多くても三頭、たいてい寂しく一頭です。どうなってしまったの?ツバメたちの食べ物はあるの?と、心配になります。縁あって先進地長野の「有機農業研究会第四一回大会 コロナ禍の先を見据えて」
にオンラインで参加できました。
長野市の標高九〇〇メートルのところからのメールには「雪も完全に消え、ニラの芽も一五センチぐらいに伸び、草花も花を咲かせる季節になりました」と、全国の方との「農ある暮らし」の共有の喜びが綴られていました。遠くても、簡単につながれるようになったのは、コロナ禍の中での希望です。
◎有機農地四〇倍増加計画
対面での交流も続けています。二〇二一年三月一四日には、防府市に山田正彦元農林水産大臣をお迎えして、第三〇回山口県環境保全型農業フォーラム「売り渡される食の安全いま山口県でできること」を主催しました。さまざまな参加者が新型コロナ肺炎対応をした会場いっぱいに来て下さいました。中でも『長周新聞』は、まるまる二面を使ったくわしい記事を載せてくれました(https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/20598)。
山田正彦さんのお話は、昨年暮れの臨時国会で強行採決された「種苗法改定」に対する全国の農業者の声の紹介から始まり、グリホサート(ラウンドアップ)の発がん性や、国と対等の地方自治体からこそできることがあることへ展開されました。その中で、三月五日の全国ニュースで報道された、農水省が「二〇五〇年までに日本の有機農地の面積を四〇倍に広げ、全耕地面積の四分の一にする」という「みどりの食料システム戦略」を五月までに決定して、九月の国連食糧システムサミットで発表するという、有機農業者のほとんどにとっては寝耳に水だった政府の動きについて、以下のように警告されました。 有機農業を全耕地面積の二五%に増やすとは素晴らしいと思われた方もあるでしょうが、内容をよく読むと
「ゲノム編集の種子」
を活用してと書いてあるんです。農水省が考えている有機農業は、遺伝子改変技術を是とするものだから充分気をつけないといけません。
マスコミ報道の情報量が少ないために、あやうくだまされるところでした。山田正彦さんの励ましを受けて、「日本の種子を守る会」とつながる「山口の種子を守る会(仮称)」の結成へ向けて走り出しながら、まず、三月二九日に公開された、農水省の「みどりの食料 システム戦略・中間とりまとめ」を読んでみました。以下がその抜き書きです。丸かっこ内は、私たちの補足です。いわゆる「スマート農業」の流れでしょうが、例えばドローンが大豆畑に発生しているヨトウムシを見つけたら、そこをピンポイントで自動的に農薬散布する技術や、見つけた虫をレーザー光線で殺すロボット。斜面も走れる除草ロボットの普及とロボット用に(棚田では田そのものがなくなりかねない)土手を緩やかにする土木工事。
(遺伝子改変技術を前提とした)
主要病害に対する抵抗性を有した品種の育成。(現在新型コロナ肺炎ワクチンで大規模人体実験中の)RNA農薬の開発。(一グラムの土壌に多ければ六万種類もいるという)土壌微生物機能の完全解明とフル活用による減農薬栽培の拡大。(これまでついに実現できていない)病害虫が薬剤抵抗性を獲得しにくい農薬の開発。先端的な物理的手法や(遺伝子ドライブなどの)生物学的手法を駆使した害虫防除技術等々。案の冒頭の営農ソーラーとトラクタはつばめ農園でも可能ですが、計画が未来に近づくほど、ほとんど、高速増殖炉や核融合の見果てぬ夢を語る人びとのような筆致です。
遺伝子ドライブというのは、ゲノム編集で開発されたCRISPR(クリスパー)技術を応用して、メスを不妊化する遺伝子をすべての個体に広げて、数世代のうちにひとつの種(しゅ)を丸ごと絶滅させることができるという、一歩間違えば取り返しのつかない技術で、ビルゲイツ財団の資金でアフリカでマラリアを媒介する蚊を対象に野外実験が行われ、最近ではイギリスに侵入した外来のリスなどを対象に実験がくりかえされています。
山田正彦さんの警告以上に、SFまがいのAI頼みのオンパレードという問題だらけの計画でした。なによりもいけないのは、これまで日本の有機農業を牽引してきた、草の根の農民や、地域での息の長い取組の産んだ先進的な事例をほぼ無視する形で、トップダウンでわずか数か月のうちに物事を決めようとする姿勢です。日本有機農業学会の研究者たちが、取りまとめた批判的な見解は、具体的でたいへん説得力があります。二〇二一年三月末までの状況をブログ記事にまとめておきました。
http://ankei.jp/yuji/?n=2512
○17回(2021年5月)
◎春はかけあしで
桜の開花が例年より一〇日も早くて驚いた春の始まりでした。山々が緑に染まるコナラの芽ぶきも一週間以上早く、もう藤の花が咲いています。「今年の田んぼのゆくえはどうなるのかねえ」といいつつ、草刈り・耕運・代かきの農作業があちこちで始まりました。一年で最も多くの人影を田んぼにみる季節です。地域では最年少だったつばめ農園の当主・大慧に加えて、今年は農作業に二〇代の若者の姿も見えるようになっています。がんばりすぎずに長続きするように応援したい気持ちです。
お米や大豆だけでなく、野菜も種子を自分でとって保存し、それを播いて育てる。そんなことを始めているので、春は種まきの季節でもあります。お師匠さんにもらった紫色の粒のトウモロコシ、瀬戸内海側の防府市富海で友人にもらったタデアイやチシャをまき、畑に移植しました。いまはいろいろなトマトの品種の種子を根が出るのを待って、ポットに植えているところです。まもなくキュウリやカボチャ、ラッカセイも続きます。
新学期になって、大学での授業も始まりました。貴子の生物学の授業では、医者をめざす学生たち一〇〇人以上に教えていますが、今年度は教室での対面で始まっています。実際に外を歩いて、草花を観察するという授業もあります。そのような体験型の授業の効果は素晴らしいのですが、新型コロナ肺炎の広がりの中で、いつまで対面授業が続けられるのかわからない状況です。
大雪で倒壊した営農ソーラーの方は、保険の対応と市民エネルギーやまぐち(株)、環境エネルギー政策研究所(ISEP)の全面的なご支援を受けて、五月中に倒壊部分の撤去と、より雪に強い構造での再建へ向けて、動き始めました。六月の田植えには間に合うように再稼働ができる流れになったことにひと安堵しています。使えなくなってしまったソーラーパネルの行く先が気になります。まだ使えるものや部品はリユースして、例えば「つばめ農園おひさま交流館」に設置したようなバッテリーに溜めて電力自給・自立型生活ができれば理想的です。割れたり歪んだりしたものは、山口県から近い北九州市にそのリサイクルを専門とする業者があり、枠のアルミ、表面の強化ガラス、シリコンの発電素子とケーブル、
ガラスを接着しているプラスチックに分けて、
それぞれに有効利用できるようなシステムが構築されています。雪で曲がってしまったアルミの架台や、田んぼにねじ込まれたスクリュー状の金属杭も、地元に回収業者がいて引き取りに来てくれます。性能保証の予定年数(パネルは25年と言います)が来ても、事故で壊れても、リユースやリサイクルが可能です。これは、原発やダムや巨大風車とちがって、手の届く技術で処理できるところが大きな利点です。メガソーラーの太陽光パネルや、高さ一五〇メートル近い巨大風車が耕作放棄地や山を埋め尽くし、発電した売り上げは都会の大企業や投資家に吸い上げられるというのでは、「明るい未来のエネルギー」にはなりえません。地域の農業と環境を守りながら、自給的経済の柱として地域のエネルギ
ーとお金が地域で回るという、ソーラーシェアリング(営農ソーラー)の可能性を引き続き追究したいと思います。
◎新しい勉強へ
わが家の三人は、親代々の共通の困った習性があります。それは、後先を考えずに、寝る場所もなくなるほどじゃんじゃん本を買い込むことです。遊地と貴子は、これまで、専門の人類学と生物学、地域で言えばアフリカの本や奄美・沖縄・台湾の本などが多かったのですが、四月に入って、急にさらに南の島々の本が増えてきました。まずは日本語の本からです(写真)。実は、新しい研究プロジェクトに二人で入りませんか、と若い友人に誘われて、ふらふらと引き込まれたのです。内容は、これまで勉強してきた奄美と沖縄の島々での人と自然の関係を、とくに水の循環に注目して掘り下げてみよう、さらに、サンゴ礁でつながるミクロネシアの島々、自然も文化もあまりにも多彩で目もくらむようなインドネシアの島々
についても足もとから地続き・海続きのグローバルな環境問題解決をめざす
視点からみなおしてみようという意欲的なものです。実際に訪ねられるのは数年後としても、なにかお手伝いできることがあるかもしれないと思って飛び込んでみることにしました。
地球環境問題は、いくら理科系の研究を積み重ねても、それだけでは解決の糸口が見えませんでした。それは人類の文化とそれに基づく行動そのものから引き起こされてきた問題だからです。これまでにない切り口から、足もとの問題と世界の問題をつなぎ、専門というたこつぼを、地域の人たちとともに楽しく爆破して、人びとの生き方そのものが変わることにつながるような取り組みをしよう。そんな意欲的な目標をかかげて、二〇年前の二〇〇一年四月に創立された、文部科学省としては最後となる直轄研究所「地球研」の新しいプロジェクトです。正式名称は、総合地球環境学研究所ですが、英語名は、Research
Institute for Humanity and
Nature、つまり人間と自然の研究所と称しています。つばめ農園での着土の暮らしを、生物多様性と文化多様性の減少というグローバルな問題に直面する南の島の人びとの暮らしや思いとつなげてみたい。そんな夢をもって、新しい勉強を始めています。
○18回(2021年6月)
◎鳥たちの動静
山口県は、平年より二〇日も早い梅雨入りとなりました。気温がなかなかあがらず、苗代におろした苗もようやく育ってきたところで、田植えは六月上旬の予定です。ツバメの雛が孵りました。巣の下にたまごの殻が落ちていたのでわかります。育ってくるとヘビに襲われることが多いので、ヘビよけにうちでは吸わないタバコを買ってきて、巣のまわりに貼り付けました。巣立ちまでカラス、ヘビ、ネコなどに気が抜けません。高原のここでは、春先からウグイスやホトトギス、竹筒をポンポンポンと叩くようなツツドリが鳴きますが、きのうはカッコウもやってきました。アカショウビンもこの季節です。代掻きをするトラクタのうしろをコサギ、チュウサギ、アオサギなどが歩くのがみられます。「月日星ポイポイポイ」
とさえずる
サンコウチョウや、数年前にはコウノトリまで来たことがありました。セグロセキレイ、ヒバリ、カワラヒワなどもいます。年中いるのは、スズメ、二種類のカラスと木を叩いているコゲラ、田の畦のキジとフクロウです。なぜかヒヨドリは少なめです。樹林の小鳥たちや猛禽など、ほかにもいろいろいるのでしょうが、いまは耳にとどくものたちだけ。
◎アフリカ料理に学ぶ
自然がいっぱいの阿東つばめ農園で、食べ物とエネルギーの地域自給をめざして暮らし始めたそもそものきっかけは、原発震災でした。しかし、実は、コンゴ民主共和国の森の中の村で、村長の養子とその妻という立場で、一九七〇年代の末に一年弱を暮らす中で受けた、地域自給の豊かさとその知恵に出会った衝撃がその背景にあります。
大きな森の中の人口一〇〇人ぐらいの村での大家族の生活のなかで経験した、自給による生活の素朴さと多様さ、その知恵の広がり。貴子は自給する料理のおもしろさに惹かれ、料理の全体像を知りたいと思いました。二人の主婦にノートを見せて三人で手順や名前を確認し、時には呼び名を考えたりしました。このノートをたずさえて、一九八七年から一年半、パリの植物園内にある自然史博物館の民族生物・地理学部門の研究室の仲間に入れていただいて、流行のやり方でつまみ食いをするのではなく、ひとつのフィールドに何十年と腰をすえて全体像を把握することをめざす、息の長い地道な研究方法を学びました。
「料理の全体像を捉える」そこにはソンゴーラの主婦が食を自給するための考え方や方法が見えています。といっても「全体像」を日々の暮らしの中で意識しているわけではありません。手帖にすることによって、一年中飢えないで食べる、という基本を満たしながら、いろいろな料理を食べて楽しむ、そんな工夫の実体が見えてきました。
自給生活の中で多様な料理を楽しむ背景には、焼畑での栽培だけでなく野生動植物のの種類が多いことがあります。料理法の工夫も大きいことがわかってきました。一九六〇年代の独立後の戦争とそれに続く内戦のときには、「森のなかに逃げて暮らした」といい、野生の豆の木の実やヤマノイモの仲間を毒抜きして食べた話もききました。
コンゴの森の民の料理の世界をまとめて、貴子が一九九〇年に出版したのが「ソンゴーラ人の料理手帖」でした(http://ankei.jp/takako/?n=65)。三〇年前の料理手帖では研究誌の特集号として出版していただいたこともあって、女性たちのもつ膨大な経験と知識の内容を英文とたくさんの挿絵で書き記すところでほとんど終わっていました。日本のみなさんにも、もっとわかりやすく伝えたいと願っていました。
ソンゴーラの人たちは一九九〇年代に始まった内戦とアフリカ大戦のなかでインフラが崩壊しています。二〇一九年に、私どもは何十年ぶりかの「里帰り」をめざして旅立つ準備をしたのですが、エボラ出血熱が出たことで渡航中止となりました。いまどうやって暮らしているだろう。そう思った時、なにがあってもまた森のなかできっと生き延びていてくれるだろう、と思ったのです。そのことは、料理手帖をまとめることで実感できたし、グーグルアースで森のなかに焼畑が行われていることを確認することもできました。
二〇二一年五月後半に、アフリカ地域研究のさまざまな発表ができる日本アフリカ学会の年次大会が、コロナで対面ができないためインターネット会議の形で開催されました。「アフリカの食文化」に焦点を当てたフォーラムで貴子が「塩を買うだけで二一〇〇種類の料理をつくる--コンゴ民主共和国・ソンゴーラ人の食の多様性によるレジリエンス(しなやかさ)」というタイトルで発表をしました。この多様な知恵が社会の強靭さを支え、森のなかに逃げて暮らすときにも役立ったのです。一方、足元の日本の食をみると地域自給も国としての自給もできていないことが明らかです。新型コロナ肺炎禍のなか、基本的な食糧を自給できないことの危うさ、できなくなったときどうすればいいかも考えたいと思いました。そこで、発表の
最後に私どもがアフリカの経験をきっかけに土と出会い、つばめ農園で家族農業を始めていること、おひさまとともに暮らす日々の学びの大きいことを紹介しました。
○19回(2021年7月)
◎営農ソーラーの再建
つばめの雛六羽が無事に巣立ちました。しばらくは家の軒下で餌をもらっていましたが、自分で餌がとれるようになって、両親は新しい巣づくりを始めています。ソーラーシェアリングの雪害からの復旧が二〇二一年六月二日に完了し、田植えに間に合いました。以下に、事故から再建までのみちのりを記録しておきたいと思います。
現在使っている三四馬力のトラクターの高さは二メートル、三五馬力のコンバインは高さ二・五メートルです。もともとの設計では余裕をみて地表から高さ三メートルまでの空間を農業機械が通れるようにしてもらいました。通路側には筋交いが入っていなかったため、台風の時には、気休めに柱にロープを一〇本ほどかけてみたりしていました。
二〇二一年一月上旬、阿東では大雪が続いて降り、何日も太陽が姿をみせないまま、しだいに積雪量が増えていきました。湿気を多く含んだ暖地の雪は、パネルの上に積み上がり、一枚一枚のソーラーパネルの外側に五〇センチずつほどもはみ出していました。一方、長さ三〇メートルのパイプハウスは、半年ほどかかって自力で建てたものですから、雪でつぶされたら大変と思って、大きなトンボのようなものを作って外から下ろしたり、中から押して雪を落としたりといったケアを続けました。一月九日、積雪が五〇センチを越えた時には、物置小屋のさしかけ屋根などが折れるのではないかと、雪下ろしを試みました。でも、ソーラーパネルを支えているアルミの架台が全体の重みに耐えかねていることには
まったく気づきませんでした。
今回雪で倒れた本体部分は、ソーラーパネルの地面との角度が5度という、ほとんど水平に近い設計でした。山口県ではもっとも雪深い阿東ですから、もう少し角度をつけられないか、と現場で聞いたのでしたが「それには部材を取り寄せて追加しなければなりません」という返事に、断念しました。両面ガラスのパネルなので、雪が降っても、日が射せば雪に反射した光が下からあたって、発電を開始するので、その発熱で雪は融けて落ちるでしょう、という業者の説明に期待をつなぎました。
積雪が七〇センチに近づいた一月一〇日の未明、架台の足もとの部分が、固定してある杭の上三〇センチほどのところで一斉に折れて、パネルも地面に投げ出されました。倒れたことに翌朝起きて初めて気づいたのです。
もしも積雪で営農ソーラーがつぶれることがあるという意識があったら、リーフなどの電気自動車の五台分という高価な施設ですから、なんとか守ろうと、夜中でも雪下ろしを試みていたかもしれません。そして、もしも総重量一〇〇トンにもなっていた雪の重みで柱が一斉に挫屈した瞬間にパネルの下に居たら、逃げる暇もなく、居場所によっては圧死ないしは体を挟まれて動けない状態で凍死というようなことになっていただろうと思います。無知が幸いしたのでした。日が射して雪が融ければ、たとえ割れていてもパネルは発電を開始します。パネルからの電圧は、八〇〇ボルト以上です。もし漏電していたら、架台に触れるだけで危険です。まずパワコンのスイッチを切り、立ち入り禁止のロープを張って、
保険屋さんに連絡しました。
被害の査定の人が広島から来て、残雪をかき分けながら三時間ほどかけて丁寧に見てくれました。杭は少し傾いたものや上端が曲がったものもありますが、パネルの多くは無事のように見えます。ずっとお世話になっている市民エネルギーやまぐちの力を借りて、再建業者を探してもらいました。一般の建造物は、阿東では一七〇センチの積雪に耐えるように設計されるのだそうですが、パネルの角度を三〇度と大きくして雪が落ちるようにし、六〇センチまでの積雪に耐える強度にすることになりました。パネルなどは、二年前と同じ特性のものがもう製造されていないということで、結局全部交換ということになってしまいました。杭も、一八〇センチから二二〇センチのより長いものにして強度を高める設計です。
火災保険では、もとの通りに復旧するお金と、
片付けの費用しか出ません。より丈夫なものに建て直すための差額は自己負担です。ここでもありがたいことに、市民エネルギーやまぐちの支援をいただくことができることになりました。
材料を中国に発注し、それがそろってから工事にかかるという計画ですが、田植えに間に合うようにお願いをしました。地元の農業委員会には、杭の太さと本数が同じですから、届けだけで許可の更新は不要でした。工事の人たちにとって大変だったのは、梅雨が始まってしまって、予定地が一挙に田んぼのどろどろになってしまったことでした。泥がつけば拭き取らなければなりませんし、最後のパネル挙げは、足をとられないように、なんと長靴を脱いで裸足でやってくださいました。パネルの角度が大きくなって、風の影響を受けやすくなった分、巨大台風の直撃がないことを祈っています。
○20回(2021年8月号)
◎早い梅雨明け
山口は七月一三日に、昨年より一七日早く梅雨明けしました。オニユリやムクゲの花が咲き、ウスバキトンボやシオカラトンボが飛んでいます。日差しが強いので、我が家は毎朝七時には農作業開始です。連日の晴天に、稲はぐんぐん生育して、水面が見えなくなりつつあります。雑草を抑えるために始めは水を深めにしていたものを、水を切って土を乾かし、排水を促すために「溝切り」をしました。中国山地を背景に、緑の絨毯が広がる、ここ徳佐高原ですが、SLやまぐち号は、二〇二一年は、牽引する蒸気機関車(C57の一号機とD51の二〇〇号機)の検査・修繕のため、ディーゼル機関車による牽引で観光列車DLやまぐち号として運転が始まりました。コロナ禍で、わが家も山口線を利用する頻度が減っていて、
存続を心配していますが、
観光列車のお客はそれなりにあり、カメラをもって沿線に詰めかける「トリテツ」さんたちの車もずらっと並び始めました。
◎ツバメの警戒警報と天敵
梅雨明け間もないある日の午後、ツバメたちが集まっていました。前にうちを巣立った若鳥たちが挨拶に来たのかと思って、声をかけていましたが、二〇羽ほどもいて数が多すぎます。羽根を激しく羽ばたかせて、いつもとは違う鳴き方で鋭く鳴きながら、つばめ農園の玄関の前を飛び交っているのです。ふと巣を見上げると、そこから口を開けて顔を出しているものがいます。大きく開けたひなの口より二倍も幅のある口です。どうやって這い登ったものか、やや金色をした青大将が巣に顔を突っ込んで、ひなをいくつか丸呑みしたらしいところでした。
数年前に巣が自然に落ちてしまった時も、その直後にたくさんのツバメがこんな風に集まってきたのでした。早く気づいてやれればよかったのですが、居合わせた遊地は、慌てて手近な棒で蛇の頭を叩きました。蛇は逃げましたが、力あまって巣まで叩き落としてしまいました。拾い上げてみると、まだ四羽ほどの雛が生き残っているようです。以前の自然落下の時は、急いで拾い上げて、丈夫なテープをねじ止めして元の場所に支えることができたのでした。今度は、巣が壊れてしまってその手は使えません。手近にあった代用品は、ポリエチレンの漏斗だけでした。それをねじ止めして、巣の中の枯れ草と一緒にひなを戻してやりました。屋根の下の蛇どめの板が小さかったのだろうと考えて、板を増設しました。
一応これでよしと考えて、草刈りに出か今年の一回目のひなたちけました。三〇分ほどで戻ってきてみると、ツバメたちの警戒体制が続いています。なんと「まだ食べ残しがあったはず」と言わんばかりに戻ってきた青大将が、巣の真ん前の電線にとぐろをきっちりと巻いて、そろそろと頭を伸ばすところだったのです。五〇センチほど離れていますが、そのぐらい空中に体を伸ばすのはなんでもないことのようです。遊地は、残されたひなを守るために、草刈り機でこれを切り殺しました。長さ一メートル半を超える大物でしたが、梅の木の根方に置いて手を合わせました。親鳥は、自分たちの手作りの巣が急に変てこなプレハブの家になったのを警戒して、近づいても覗き込もうとはせず、餌をやるそぶりを見せません。
やきもきしながら祈るしか仕方がない状態でした。
親鳥の代わりをして、人間が餌をやるとすれば何をやればいいのでしょう。ミミズはだめかな、などと考えながら、インターネットを見たら、許可をもらって育てた経験がいろいろ載っていました。うちのツバメは、それでも夕方には、少しずつ餌を運び始め、翌日には平気で漏斗の巣にも止まるようになりました。こうして、結局三羽が生き延びたのでしたが、巣立ちまでには、まだまだ波乱がありそうです。
つばめ農園では、蛇が主な天敵ですが、ご近所に聞くと、カラスも家の中まで入ってひなを食べるそうです。猫を飼っている家では、出入りする親鳥をテーブルの上から飛びついて獲ることもあるとか。しかし、実は、今ではツバメの生存を脅かす最大の存在は、人間であると言わざるを得ない状態です。奄美や沖縄に年中いる同属でやや小型のリュウキュウツバメとは違って、ツバメは、はるかな旅を重ねる渡鳥です。二つの生育地の両方が、健全な環境でなければならないのです。一九九〇年にコンゴ民主共和国の森の村に滞在した時、「ツバメをゴムのパチンコで撃ち落として食べたんだけど、足にこんなものをしていたんだよ」と見せられた足環には、ブダペストの文字が刻まれていました。はるかハンガリーから飛んできて
食べられてしまったのでした。
日本野鳥の会によると、近年田畑が減ったこと、西洋風の建物が増えて巣がかけにくく、ツバメの繁殖が減っています。そして、日本では非常に強力なネオニコチノイド系などの農薬がツバメの餌である昆虫を激減させていることも大きな問題だと感じています。
○21回(2021年9月号)
◎日照りから長雨へ
全国的な豪雨で被害を受けられた方もおありと思います。心からお見舞いを申し上げます。その前には二週間も雨がなくカンカン照りが続いたのでした。大豆に花がつく大切な時期なので、水路から水を入れたり、野菜畑に軽トラックに載せたタンクで水を運んだりしていましたが、今度は排水に苦労させられています。
つばめ農園の大豆は、種まきが密になって株が密生すると、無農薬だけにたちまち虫や病気がつきます。そのため、除草しながら根気よく間引いていくという作業が続きました。一方、隣接する自給用の野菜畑では、こぼれ種からひとりでに生えてくるものも大事に育てています。肥料をやらなくても、人が世話をしなくても育つ、たくましい性質を持ったものが出てくる可能性があるからです。
家の前の畑の、台所の生ゴミと草を積んで堆肥を作っている一画から芽生えたカボチャは、大きな葉を広げて蔓を伸ばし、土手に広がっています。その葉の下に、白く丸い、赤ちゃんの頭ぐらいのものが見えたのですが、カボチャではありません。キノコです。昨年は直径三〇センチほどに育ったのを放っておいたらたくさんの胞子を出しました。これが畑一面に出る光景を想像したら不気味ですね。それで、今年は胞子ができる前の若いうちに採ってみました。ネットで調べてみると、オニフスベという種類で、味は薄いけれど食べられるというのですね。味見してみましょうか。
◎大学生とともに学ぶ
今年も、学生実習で山口県立大学の学生が通って来てくれています。幸い晴れ間の多かった午前中は、お互いの距離を確保しながら長靴で田の中を歩いて、ヒエを取るという作業をしてもらいました。黙々とよく働いてくれましたが、半袖で来てしまった男子学生は、両腕全体がイネの葉で細かく切られて真っ赤に腫れてしまいました。ドクダミの花やスギナの葉のエキスを塗ってあげましたが、農場では長袖での作業が基本です。午後は、雨降りの場合を想定して準備してあった、ハウスの中のブドウの棚づくりと、虫除けネット張りなどをしてもらいました。
新型コロナ肺炎の流行の前までは、毎年のように、大学生たちの実習の引率で台湾を訪問していました。山口県と台湾を結ぶ様々な絆のおかげで、台北市の台湾大学図書館や、南部の嘉義市や阿里山での1週間以上の訪問をしてきました。
そんな中から、戦後も台湾に残った日本人の大学教員の思い出を『榕樹文化』という日本と台湾を結ぶ同人誌に連載させていただく機会をいただいています。最近まとめたのは、台湾生まれの小澤太郎山口県知事の依頼で、台湾から帰国直後の一九五七年から、山口県の農業顧問として指導にあたられた広島県福山市生まれの磯永吉博士についての記事です(印刷中)。磯永吉は、蓬莱米(ほうらいまい)と命名された日本型の稲を台湾で育てるために尽くした功績によって、生涯にわたって中華民国政府から毎年二〇俵(一二〇〇キロ)のお米を贈られました。台湾では「蓬莱米の父」として、その名前は、八田与一の名前とともに広く知られています。八田与一は、嘉義市の西に広がる一五〇〇平方キロを超える広大な耕地を
灌漑する嘉南大曙V(かなんたいしゅう)を建設し、
烏山頭(うさんとう)ダムは観光名所にもなっています。その業績を単行本で紹介した古川勝三さんのブログは、台北帝大教授としての磯永吉が、「台湾全土が研究室である」と台湾中に足を運び、「大地が教室である」と現場を大事にした、と記しています(https://www.nippon.com/ja/column/g00446/?pnum=3)
。私どもも、山口県立大学で「地域が教室」「地元が先生」「キャンパスは地球」という目標をかかげて、学生が地元の方とともに考え、ともに汗を流す実習を創ってきました。昨年福山市で行われた磯永吉展で示された「農業と道徳」と題する、磯博士の遺稿を読んで、家族一同深い共感と大いなる励ましを感じました。この文章が掲載されている『磯永吉追想録』は、磯博士の『蓬莱米談話』
などとともに、
台湾の磯永吉学会のサイトhttps://www.isohouse.org.twで全文を読むことができます。
いかなる農夫も作物に対する限りただ誠あるのみで虚偽は許されない。故に人を道徳的にならしめる。木石を相手にする工人にも道徳が与えられる。物のみでなく生命をも相手にする農人が愛なる要素を加えてさらに人間性を豊かにする。農人は求めず意識せずして道徳を授かる民族中の恵まれた階層であり、農業は道徳をも育てる。それにより民族の健全性が保たれ「農は国の基」となる。其の道徳教育は可能であり技術訓練の中にも生まれる。このことは教育を科学する現代の教育方法にとりて一考を要することと思う。『榕樹文化』のこれまでに掲載した記事については、このブログで検索していただくとお読みいただけます。
○22回 (2021年年10月号 ただいま印刷中)
◎陸上イージスミサイル基地から巨大風車へ
八月の長雨に続いて九月も曇りと雨の日が多く、青空がうれしい今年の秋です。山口市阿東高原では、早稲のコシヒカリの収穫が終り、晩稲の酒米・山田錦が色づき始めました。去年のようなウンカの被害はなく、うちのイセヒカリもまもなく収穫です。大豆畑の草取りと間引きで枝豆を堪能する日々です。そんな農的な暮らしのかたわら、私どもは、中国電力の上関原子力発電所の予定地が生物多様性の高い「奇跡の海」なので、いい加減な環境調査で埋め立てていい場所ではないという立場から、日本生態学会を主な舞台に一九九九年から保全活動をしています。
山口県と秋田県にイージスという名前の、巡航ミサイルも発射できる基地を作る計画があったのを覚えておられますか。ここ阿東も予定地の萩市むつみや阿武町から近いことから心配していましたが(http://ankei.jp/yuji/?n=2345)
幸い中止になりました。ところが、二〇二〇年七月に阿武町にHSE(日立サステナブルエナジーを改称)による風力発電所建設計画が来ました。高さ約一五〇メートル、ひとつ四二〇〇kWの風車を最大で一三基、尾根の上に建てるという山口県内で最大規模の計画です。二〇〇五年に私どもが見た再生可能エネルギー導入でEUのトップランナーのスペイン・ナバラ自治州ではひとつ六六〇kWでしたから、近年の巨大化がわかります。環境影響評価が必要です。その第一段階の「配慮書」を見て驚きました。風車の
具体的な設置場所もアクセス道路も書いてないのです。工事中のことは、配慮書では評価の対象としないとも書かれています。そもそも配慮書とは、事業を実施する・しないを含め、複数案を検討するためのものです。それなのに、複数案を設定しないことにしているものでした。これらの不備は二か月後、貴子も委員だったことのある山口県環境影響評価技術審査会の答申に基づく知事意見で、風力発電設備の配置及び構造・機種・取付道路・送電線ルート等の工事計画を明らかにすること、インターネットで示す情報は誰でも見やすいような形式にすることなど、きびしく指摘されました。会社は、予定地の特徴にみあった環境影響評価のための「方法書」を今年の一月提出しましたが、風車の位置は示したものの敷地や取付道路の
位置もなく、
具体的な工事計画や代替案なども示されせんでした。今年八月の知事意見では、土砂災害等への住民の不安に答える情報開示の姿勢と、評価項目の見直しが要求されています。
貴子は、今回の建設予定地に隣接する山口県自然記念物「八幡原のミヤマウメモドキ群落」の調査報告を二〇〇五年に書いたことがあり(https://core.ac.uk/download/pdf/196711564.pdf)
、現地住民のみなさんから影響を考えるフィールドワークへの声がかかりました。ほとんど一〇年ぶりに現場とその周辺を歩いてみましたが、山中にどのように工事道路をつけるのかなどがわからないと、日本固有種であり微妙なバランスの上になりたっている日本の最西南端の希少な植物群落への影響などは評価できるはずがありません。
◎ハチの干潟とLNG発電所計画
九月になって、今度は瀬戸内海からのSOSが遊地に届きました。広島市の東の竹原市に残された希少生物の宝庫「ハチの干潟」に隣接する天然ガス発電所建設と洋上への備蓄タンクの設置計画です。JBG(ジャパン・バイオガス)という会社で、ベルリンに本社があり、日本ではもっぱら小規模な天然ガス発電を手掛けています。「ハチの干潟および賀茂川河口」は、環境省の「生物多様性の観点から重要度の高い湿地」に指定されています。二二ヘクタールと面積としては小さいながら、これまでに研究の進んでいる貝類を中心に、新種や新分布の発見が相次いでいるかけがえのない場所です。最も絶滅のおそれが高いイリオモテヤマネコやコウノトリクラスの絶滅危惧?類として環境省レッドリスト二〇二〇・環境省海洋生物
レッドリスト二〇一七に掲載された種が
一四種、絶滅危惧?類が一六種、準絶滅危惧種が三六種、少なくとも棲息しています。JBGは、広島県の条例の、環境影響評価が必要とされる火力発電所の七万五〇〇〇kWをぎりぎり下回る計画とし、会社としては、カブトガニほか二、三の種類の存在しか把握していなかったことがわかりました。
これは大変なことですから、日本貝類学会多様性保全委員会・軟体動物多様性学会自然環境保全委員会(遊地が委員長)・日本生態学会中国四国地区会(二人は会員)・日本魚類学会・日本ベントス学会自然環境保全委員会が合同で要望書をまとめ、JBG・竹原市・広島県・環境省などに順次遠隔会議をお願いして、申し入れや情報交換をしています(要望書は、http://ankei.jp/yuji/?n=2528に掲載中)。なるべく情報を出したくないという企業姿勢は、HSEと共通していて、地域住民への説明に配った図面などのほとんどに「マル秘」のマークが付けてあり、学会として備蓄タンクの構造や浚渫の有無などを尋ねても「まだ決まっていない」「本社に相談のうえ」など、具体的なことを教えてくれません。
二酸化炭素排出量をへらすという国際社会の目標にあわせて増えてきている再生可能エネルギーや天然ガス発電などは、とりかえしのつかない原発事故よりはましだとしても、やり方を間違えると人間の生存のもう一方の基盤である生物多様性そのものの崩壊につながりかねないことを心配しています。(つづく)
以上、執筆は 安渓貴子・安渓遊地@阿東つばめ農園・生物文化多様性研究所 でした。