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田中優子さんの言葉)「戦争する国」へと変貌する国家と地方自治の希望
2026/01/28
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「戦争する国」へと変貌する国家と地方自治の希望
2025年12月7日
「九条の会」世話人・法政大学元総長 田中優子報告
高市政権になって いろんなことが次々に起こり皆さんの危機感というのも尋常ではないと思います。それだけではなく、トランプ政権も大学への介入や公的機関の縮小などを進めていますが、日本もそうなるのではと予感がして 非常に恐怖を感じます。もう一つ懸念するのが、戦争状態に入るのかということです。数えてみますとアメリカが介入してきた戦後の戦争は、なんと12にのぼると言われます。そういう国と一緒にやってきたわけです。
その間日本は 直接にそれには関わらずにいままできましたがこれからはわかりません。
この「わかりません」という状況が起こったのは、10年前、2015年第二次安倍政権以降です。武器の開発や輸出、自衛隊の海外派兵、そして攻撃能力への転換、軍事費の拡大を次々と行ってきたわけです。高市政権は岸田内閣が決めた戦略三文書の改定を前倒しすると明言しています。ですからGDP2%という軍事費が3.5%ぐらいになる可能性があります。今まで懸念していた歩みがより早くより大きく進んでいくと思っています。
高市政権の「伝統的日本」は軍国主義の時代。私は江戸時代を専門にしているので「伝統的な家族」であるとか「伝統的な日本」という言葉が表れてきた時に、一体これは「どの日本のことだろう」といつも疑問に思っていました。はっきりと分かったのは「選択的夫婦別姓」を通さないと言う時に必ず出てくる「伝統的家族観」という言葉からです。江戸時代は夫婦別姓で、別姓が日本の伝統です。明治時代に夫婦同姓に変えたわけです。夫婦同姓を伝統というのであれば彼らはどこに伝統という言葉を置いているのかということを考えるわけです。
そうしますと、教育勅語と強制的夫婦同姓の制度が決まった明治時代です。明治時代には、帝国憲法が制定・発布され、一年後に教育勅語が発布されるわけですが、帝国憲法の時代、つまり軍国主義時代を「伝統的な日本」と呼んでいると考えると、自民党や高市首相の言っていることが大変よくわかります。日本の歴史は、縄文時代から考えれば1 万6000年ぐらいあるわけですが、その中のだいたい56年か57年ぐらいしか帝国憲法時代=軍国主義時代はありません。そこに戻りたいという願望を持っているからこそ、そういう時代のみを「伝統」と呼んでいるのです。
軍国主義の時代とは、日清戦争、日露戦争から始まってシベリア出兵、第一次大戦、満州事変、日中戦争、第二次大戦と戦争ばかりしていた時代です。特に日清・日露は大変大きな戦果をあげて勝ったわけです。江戸時代はずっと戦争がありませんでした。しかも「日本国」という国家単位は存在しませんでした。そこで、国家として最初に戦争した日清戦争に、民衆が大変熱狂したと記録にも残っています。「勝った」ということでたいへん熱狂した。自民党とその支持者たちは、この熱狂というものに支えら れた日本に憧れているのではないかと思われるのです。ですから非常に怖いのです。論理的に考えてということではなく、歴史を考えた上でということでもなく、単に自分の幻想の中にそれが渦巻いている方たちが、そこに戻りたいと思っている、と理解するしかありません。
日本国民は「軍国主義者」を除去しなかった1972年に日中共同声明が出された時、周恩来さんは「日本人民は軍国主義者の犠牲者だ。だから軍国主義者の犠牲者に賠償を支払わせるわけにいかない」と言ったのです。この「軍国主義者の犠牲者」という言葉は非常に重い言葉で、ポツダム宣言の中にあります。「日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力」という言葉です。「それを永久に除去する」とポツダム宣言の中にあり、これが軍国主義者の定義だと思うのです。しかし「永久に除去する」と言ったのに、日本国民は除去しませんでした。
戦後の政治、特に自民党政治というのはA級戦犯容疑者であり、勝共連合を作った岸信介から始まって、第二次安倍政権に行きつきました。ですから同じことが繰り返されるようになります。2012年に自民党憲法改正草案ができます。独自憲法の制定や軍事の再獲得など、岸信介がすでに言っていたことです。すでに言っていたことが2012年から整えられはじめ、私たち日本国民はそれを除去しないで、むしろ支えてきてしまったのです。
高市首相の頭の中にあることは、その軍国主義者の作ってきた日本のイメージで、おそらくそれ以外は日本について何も知らないと思うのです。そのイメージだけで日本を作ろうとしていますので、日本を戦争状態に近づける、という意図があると私は思っています そういう意味では非常に絶望的で暗いことばかりですが、しかし地方自治ということを考えると絶望だけではないと思います。トランプ政権のもとでニューヨーク市民がゾーラン・マムダニ氏を市長に選びました。9.11が起こったニューヨーク市でイスラム教徒の市長が誕生した。これは何かが変わったのかも知れません。アメリカの中で「99%の市民と1%の富裕層」という言葉が出てきたように、貧困の問題がかなり深刻に進んでいるんだと思います。人々がその事に気がついた時に最初に変えようと思えるのは地方自治なのだと思います。これはニューヨーク市だけなく、バージニア州知事、ニュージャージ州知事などなどトランプ政権とは反対の立場を取る人たちが当選しています。日本でも地方自治体がどのような政策を掲げ、どういう方向に向かっていくのかということをそこに暮らす人たちに訴えていくことは、今まで以上に重要になっていると思います。
その最先端は沖縄県でした。沖縄県民が党を超え、一致して翁長体制を支えていた。にもかかわらず南西諸島に次々に自衛隊基地やミサイル基地もでき、今度は九州の熊本県や大分県に同じことが起き、熊本ではミサイル配備が計画されている。米軍機の飛行訓練が沖縄に次いで多いのが熊本県で、自衛隊と米軍以外にオーストラリア軍が加わった合同演習が行われて、アメリカではもう飛んでないオスプレイが飛んでいる。北富士演習場ではインド陸軍との実動訓練が行われ、埼玉県の朝霞訓練場でも行われました。東京でも神奈川でも、米軍だけではなく自衛隊とそれ以外の国の合同訓練が次々に行われているのにマスコミはほとんど報道しません。特にテレビは報道しません。ですから自治体として伝えていく必要 があるだろうと思います。
それから自治体が抱えている大きな問題があります。食料の問題とエネルギーの問題です。それは戦闘状態になる、あるいはそれに類似した状態になった時に、いま一番日本人が不安に思っているのが自給率、食料の問題です。食料自給率がさらに低くなり、しかも値段も上がって、アメリカから相当輸入するという状況になっています。食料の輸入が止まった時に私たちはどうなるか、という問題を抱えている。そして抱えていながら何の対策も取らずに今まで来ました。お金さえ持っていれば何とかなるだろうと戦後の日本人はずっと考えてきたのです。そしてどうにもならなくなると軍国主義に戻る。それしか考えられなくなっているわけです。このような状態になった時に、自治体としては何を考えなければならないのかが重要です。
エネルギーの問題では原子力の話になり再稼働が進んでいます。しかしそれぞれの小さい地域のところに目を向けてみれば、地熱発電とか小水力発電などいろいろな事が行われています。それぞれの小さな地域で原子力に頼らないエネルギー政策を進めるということは可能なはずなのですが進んでいません。効率性やそこに補助金が降りてこないなどいろんな問題があると思うのです。日本列島全体に目を向ければ それから自給率のことで言いますと、日本は多様な気候を持っていますので、気候変動があるけれども、その気候変動に耐えうるような様々な事柄が考えられるわけです。つまり気候が多様であるから、ある部 分で温暖化が進んだとしても、別の地域ではそうでもないというようなことが現実にあります。そうした日本列島全体に目を向けてみれば各地の特色をまだまだ活かせるはずです。
お米については国の政策があって、自治体の思うようにならないこともあります。もちろん米農家の労働を時給換算すると100円程度、という問題もあって、働く人が減っている状態ですが、まだ間に合うと思います。まだ田んぼがあり、まだ土地がたくさんあるのです。 戦前もそうでしたが、征韓論だとか満州の侵略を見ると非常に不思議に思うのです。日本列島はその時まだ、例えば北海道の開発すらあまり行われていなかった。つまりもっと日本列島に可能性がたくさんあって、まだまだ生活の手段を開いていけるところがあるのに侵略したのです。そして大変なことになったわけです。ですから、伝統的日本とか日本が大事だと言うのであれば軍国主義の日本ではなく、日本列島そのものに本当は目を注がなければならないのです。
江戸時代の日本では、まさにその日本列島全体を開拓し、自給率100%でした。しかもその自給率というのは食べ物だけではなかった。日常生活に使う布や紙などありとあらゆるものが農村で生産され、農村というのはいわゆる工業地帯だったわけです。ほとんどの人がそこで働き、自給は共同・共有ということが基本になっていた。コモンズ(共有)の世界です。人々が土地も共有した。つまり私有ということがほとんど考えられない時代でした。コモンズ(共有)の時代の中で 私有主義と資本主義のもとで、資本の蓄積だけを目的にして、私たちは生きてきたわけですが、しかし本当はその前に共有や共用という時代があって、そういうコモンズの時代の中で、人々がそれぞれの関わりの中で、物を作り出してきた。そういう歴史があって、そこにもう一度目を向けるのが、本来日本に目を向けるということであろうと思うのです。おそらくいま政府が考えていることは単に競争することだけですので、地方自治体でそういうことを具体的に発案して実行していかなければ不可能なのではないかと思います。
世界中でコモンズの研究が進んでいて、世界の様々なところで小さなコミュニティが出来上がっています。そういう研究もしていかなければならないし、大規模ではなくて小さい規模で人々が生きていく。共用と共有の中で生きていくことができる社会というのが少しずつ生まれて、それが広がっていけば全体に及んでいく。そういう地道な努力がどうしてもこれから必要になっていくだろうと思うのです。私からは以上です。ありがとうございました。


