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わが友)地域によりそい耳をすます #新原道信 さん
2025/07/29
2024年7月28日山口県立大学の大学院の公開セミナーがありました。
国際文化学研究科の斎藤理さんのお世話で、
新原道信さん(中央大学・社会学)のお話を聴きました。
https://sociology.r.chuo-u.ac.jp/member/detail/76
宮本常一流の人との接し方は、は社会学では異端でも、
たくさんの若者が育っているようすに励まされました。
お話の中に出てきた、彼がめざして(育てて)いる人のイメージが、こころに響きました。
社会のオペレーター
生活の場に居合わせ
ひとにこころを寄せ
声なき声を聴き
要求の真意をつかみ
様々な「領域」を行き来し
〈ひとのつながりの新たなかたち〉を構想していく人
以下は、追加で送っていただいた情報です。
◇昨日の話のなかで出たアマゾンの環境保護運動家のシコ・メンデスについてと、学生さんたちとかかわった湘南団地についてのドキュメント(中里佳苗さんが執筆)はこちらにございます。
編集室・水平線 オンラインマガジン『雨晴(あまはらし)』
新原道信「過去と未来の“瓦礫”のあいだで」(時評) https://suiheisen2017.com/category/niihara-michinobu/
中里佳苗「生きた吹き溜まり――「湘南プロジェクト」の記録」 https://suiheisen2017.com/category/nakazato-kanae/
◇これまでに書かれた公開中の文章を読んでみる https://drive.google.com/drive/u/1/folders/1NIWOn7a2C8cN14Q8CzfQu-rHdRPsAIJi
◇ゼミで一緒に勉強したい気持ちになったらhttps://drive.google.com/drive/u/1/folders/1aGeNVyRyhwIpSuxn7kIm0qsrt-JwVEUY
・・・・・・出会いの苦しみと喜びは、微妙な均衡の中にある。他者性の挑戦に向き合えるかどうかは、自己を失うことなく他者の観点を引き受ける力にかかっている。感情移入(empathy)は、日常言語の中にいまや入り込んでいる用語であり、それは他者の近くにあること、他者の観点から物事を見ることができるということを示している。しかしこれは往路にすぎず、空虚や喪失から自分を守らねばならない。私たち自身のなかにしっかりと錨をおろしたまま、私たちの自己と他者の自己との間の空白に橋を架けるという力をもたないのであれば、そこに出会いはなく、単に博愛や善意があるにすぎない。出会いは、意味の二つの領域(region)をいっしょにする。そしてそれは、私たちが調整している異なった振動数をもつ二つのエネルギーのフィールドを、互いに共鳴するところにまでもっていく。出会いは、苦しみ、感情、病をともにすること(sym-pathy)である。すなわちそれは、自らの情動や力のすべてをふりしぼって、内からわきあがる熱意をもって、喜び、高揚し、痛み、苦しみに参加すること・ともにすること(com-passion)、ある他者と・ともに・感じている(feeling-with-another)ということである。ここで発見するのは、意味は私たちに帰属するものではなく、むしろ出会いそれ自体のなかで与えられるものであり、にもかかわらず、それと同時に、私たちだけがその出会いをつくり出すことができるということである。
(Alberto Melucci, The Playing Self: Person and Meaning in the Planetary Society, New York: Cambridge University Press, 1996年=新原道信・長谷川啓介・鈴木鉄忠訳『プレイング・セルフ――惑星社会における人間と意味』ハーベスト社, 2008年, 139-140ページ)




