山口の朗読屋さん)「うちが原発反対派じゃなかったころ」というお話をしました #アーサー・ビナード
2024/08/12
2024年8月11日アーサー・ビナードさんを迎えた「山口の朗読屋さん」の集まりに初めて参加して、一家で楽しんできました。
予告は、以下に載っています。https://blog.canpan.info/jointnet21/archive/2491
https://www.facebook.com/mitsujiro.nakano のミュージシャン中野光次郎さんの写真と解説をお借りしました。
最後に懐メロを大声で歌えたのは、昭和人としてはよかったなー。
8月11日(日・山の日)午後は、小郡地域交流センター2階大ホールにて、詩人・アーサー・ビナードさんをお迎えして、朗読+落語+歌の会が、山口の朗読屋さん主催で開催されました。
今回は、アーサー・ビナードさん御本人・福田百合子さん(中原中也記念館名誉館長)・安渓遊地さん御夫妻(元山口県立大教授・現在山口市阿東で農業と環境を守る運動)を交えて、アーサー・ビナード詩集『詩の風景・ゴミの日』をテーマに、多くの話しをされました。
環境に関わる発電問題から、原子力発電と放射能・風力~太陽光発電の残骸処理~廃棄問題・・・これらの事は、むか~~し父の関係で政治の裏方として働いてた時に、幾度となく見聞してました。
宇部市在住の元小学校教員・岡本正和さんの、宇部大空襲の調査報告。特に、浜松市と宇部市の焼け跡の写真の調査結果として、浜松市の写真がホンモノ、宇部市の写真は副読本から削除するとの事。
山口大学落研江島屋ブギーさんの「お菊の皿」(別名・皿屋敷)は現代風にアレンジされ、怖い話がコミカルに終わり。今の御時世・・・あの世の世界も収入を得なくてはいけないのかな?てな感じ。(#^.^#)
そして、トワイライト4では、花はどこへ行った・涙そうそう・今日の日はさよならを演奏させていただきました。
戦い終わりどこへゆく 静かに 土に眠る 安らかな眠りにつく
きっといつか会える日を信じ生きてゆく
明日の日を夢見て~また会う日まで
宮崎県日南地震からの、南海トラフ大地震・・・台風・局地的豪雨と、日々不安な事だらけですが、突発的な事故・病気も怖いモノです。
今日一日、平穏無事に過ごせます様に・・・
(以上は、中野光次郎さんのお許しをいただいた、彼のfacebookからの引用です。)
代表の林伸一さんから、5分間で、上関原発の話をして、というリクエストがありましたので、二人で前に出て、こんなお話をしました。
みなさーん、こんにちは。原発いらない大学教員をしていた、安渓遊地・貴子です。
今日おくばりしたプリントの中に、8月25日に小郡で、上関原発いらない人たちの集まりの案内があります。私たちもお話します。ぜひおいでください。なぜ、原発いらないなのか、そのわけは、とても簡単です。
地震は止められない。けれど、原発は止められる。
https://note.com/masanoatsuko/n/nae4ffe00f95a
わたしたち家族3人は、1986年から88年まで、1年半フランスで暮らしました。チェルノブイリ(チョルノービル)原発事故の直後でした。でも、フランス政府の公式発表は「無視できる」の一点張り。8000キロ以上離れた日本まで放射性セシウムが飛んできたのですから、そんなわけないでしょう? 増殖炉のスーパーフェニックスもナトリウム漏れ事故を起こして止まったりしていました。
山口県にもどってみたら、県内には、上関原発計画について発言する大学教員はほぼいませんでした。もと高校教員の三浦泰生(やすお)・翠(みどり)さんご夫妻が始められた「原発いらん!山口ネットワーク」に入って、ようやく情報を共有できるようになりました。
安渓遊地が山口大学から山口県立大に移った1995年の8月、北米の先住民族の「セイクリッド・ラン」が、核のゴミの最終処分場の候補だった幌延(ほろのべ)から広島・長崎まで走るというので、大学生・高校生とともに参加して、上関から徳山まで、鷲の羽の「スタッフ」を掲げて駅伝形式で走りました。https://ankei.jp/yuji/?n=2880
そのことは、マスコミでは1行も報道されませんでした。それでも、ずっと私たちは、原発反対派でした。1999年まで。
安渓貴子は、植物学と生態学が専門で、山口県の「環境影響評価技術審査会委員」だったのですが、1999年、上関原発計画が審査対象になりました。公正であるべき委員が反対派では具合が悪い。私たちは、表向き反対を言うのをやめました。審査にかかわったみなさんの努力のかいあって、「予定地は生物多様性を有する地域」「科学的な環境影響評価を」等という委員会の答申を知事意見に盛り込むことはできましたが、山口県としてのOKは出てしまったのです。
いまでは『奇跡の海』(南方新社、2010年)と呼ばれる、原発予定地は、まさに竜宮城のような美しさ。高島美登里(みどり)さんらが「長島の自然を守る会(現在は上関の自然を守る会)」を結成し、生物多様性の素晴らしさに魅せられて、たくさんの学者が通うようになりました。
2011年3月11日からの福島第一原発の事故までは、原子力村のメディア支配が厳しかったために、原発への反対意見は、報道されるとしても、推進意見と並べてしか報道されませんでした。それは「メディアの金(かね)しばり」です。
記者たちは、原発や放射能のことを取材して、知れば知るほど賛成派になるということは珍しく、おしなべて反対派ですが、それを書けません、放映できません。しかし、原発予定地の学術的な生物調査結果や、それを踏まえた日本生態学会からの自然保護の呼びかけなどは、しばしば大きく報道してもらえました。
ですから、当時の日本では、個人的な考えはさておき「反対でも推進でもない立場」での発言をすることが、より広く県民や国民に知ってもらうためには、とても大切だったのです。
福島の事故のあと、埋め立て寸前まで来ていた上関原発計画は、ちゅうぶらりんになってしまいました。環境影響評価が終わって、10年たつと、上関町への補助金ががっくり減ります。原発がらみのお金で建てたハコモノの維持費にもことかくようになって、突然のように、2023年8月に浮上したのが、関西電力が福井県から持ち出せと言われている「使用済み核燃料の中間貯蔵施設」を上関にという計画でした。
6月末の中国電力の株主総会では、原発もやめないし、中間貯蔵施設も、適地だったら進めると決めました。廃棄物には手を出さないという提案は、脱原発株主たちの4%の賛成はありましたが、圧倒的多数によって否決されました。https://www.energia.co.jp/ir/irkabushiki/soukai.html
日本生態学会として再び動くことにして、半年かけて準備して、「法律にはなくても環境影響評価を」「建設するかどうかの調査で環境を汚すな」と、関係者に申し入れました。
https://ankei.jp/yuji/?n=2905
おわりに、阿武町在住の日本海漁師の茂刈達美(もがり・たつみ)さんが大学の教室に来て話された言葉を引用しておきます。https://ankei.jp/yuji/?n=73
世の中に、予想・予測 ほど信用できないものはないです。
ものごとは、後ろから読むとその本質が深くわかります。
「予想」を後ろからよむと?「うそよ」
「予測」を後ろから読むと・・・・・・
おあとがよろしいようで。
中国電力soukai100_oshirase.pdf (153KB)