セイクリッドラン95)祝島の願いを背負って――上関原発予定地から徳山市までのブランチラン報告
2024/05/04
1995年、安渓遊地が山口大学を辞して山口県立大学の教員となった年です。
私たちは、はじめて町に出ました。以下はその簡単な記録です。
『人間家族』255号 1995年9・10月号: 23-25
祝島の願いを背負って――上関原発予定地から徳山市までのブランチラン報告
安渓遊地(大学教員・山口環境ネットワーク)
「セイクレッドラン95、 広島〜長崎間が相当ハードです。 可能なら山口でできることを何かお手伝い頂けませんか?」
堀越由美子さんからの便りがやってきました。 5月下旬のことです。
私はすぐ、ユミさんに電話をしました。
「どうせ山口県を走るのなら、中国電力が原子力発電所を造ろうと計画している、瀬戸内海沿いの上関(かみのせき)を通って下さいな」
でも、上関町までは往復100㎞近い寄り道になると知って、いったんは断念しました。ところが、ブランチランという方法がある、と教えてもらい、元気な大学生のO君に相談すると、「面白いですね、走りましょうか」という返事でした。
中国地区のお世話をしておられる、彫刻家・よしもと正人さんと連絡を取り合ううちに、広島の原爆記念日に、瀬戸内海の上関町から徳山市まで48㎞を走ってみよう、という計画が、あっという間にまとまりました。
主催団体としては、環境に関心がある人々の、ゆるいつながりの一つの網目にでもなれば、という願いを込め、妻と二人で「山口環境ネットワーク」というものを新たに作ることにしました。
瀬戸内海のど真ん中の上関町に、中国電力の原発の計画がもたらされて1年。計画は、平和な地域の住民を二分する、鋭い対立を生み出してしまいました。
そんな中で、鯛の一本釣りと有機農業で島興しをはかってき祝島では、住民の中に、原発労働者として出稼ぎに行った経験がある人たちがいたことから、「地域の未来に、原発はいらない」ということを、島をあげて訴え続けることができたのです。
6月24日に初めて祝島に渡り、「原発に反対し上関町の安全と発展を考える会」と、「上関原発を建てさせない祝島島民の会」の二つの会の総会と懇親会に、「原発いらん! 山口ネットワーク」の方々と共に加わらせて頂きました。
島の方々のたいへんな熱気と、盛り上がりを感じて帰ってきました。
7月上旬、大学生4人と共に1回目の下見。
48㎞を九つの区間に分けて走ることになりました。
その足で「原発いらん! 山口ネットワーク」の例会に合流して、このランニングに主催者として加わってほしいと呼びかけ、了解されました。
8月2日、山口市内で、 大学生たちと共に鉢巻きや横断幕の準備をし、ランナーの割り振りを決めました。 4日は徳山市内で最終打ち合わせをして、いよいよ6日の本番を迎えます。高校生、大学生、 一般の合わせて4人ほどのランナーと応援が、上関の港に集いました。
エメット・イーストマンさんたちを広島からお迎えした、 10時半ころには、上関港の近くや祝島から駆けつけた方々と共に、約100人の輪ができました。
上関の人々を代表して、河本広正さんが歓迎の挨拶を述べます。 「・・・・・・はるばる遠い道程を辿って、ここに集われた皆さん、ありがとう。このような美しく豊かな海に原発を造ろうとすることは、この海と大地を守ってきた我々への差別であると考えます。そんなに造りたければ、都会に造ればいいんですよ…」セレモニーが始まる時、私は以前にユミさんから贈られた、アメリカ先住民族の聖なる植物であるセージの束を、エメットさんに手渡しました。
マスコミ関係者も含めて、ひとつの祈りの輪が作られます。「原発いらん!山口ネットワーク」の言い出しっぺの一人である三浦翠さんは、セレモニーの間、こんなふうに感じていました。
「エメットさんによるセレモニーの間、上関の漁港の広場が、確かに、アメリカの先住民族の暮らしてきた大平原や森につながる大地の一部だ、ということが実感されました。 そして、 ケルトの笛の響きを聞いているうちに、人間が素手で一生懸命に生きていたころのことが思い起こされて、涙が出ました」
あれは何という方法なのでしょうか。 その場に参加したすべての人々と順番にしっかり握手し合って、ヨーロッパランで使われた、ランニングスタッフを受け取った大学生のS君を先頭に、地元の方々と共に走り始めました。
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伴走は自転車4台とし、うち2台には祝島から預かった「原絶対反対! 祝島島民の会」というのぼりを、自転車に縛りつけて走ります。
原発のおそるべき現場を体で知っている、 祝島の人々の心からの願いを背負って前コースを走った、 大学生の一人のHさんは、「始めは熱烈に手を振ってくれる人がいたけれど、 しばらく行くと無関心な人ばかりという感じでした。でも、徳山市に近づくにつれて、励ましてくれる人がまた増えてくるのが印象に残りました」と語っています。
暑い日差しの中、若者たちは平均時速13㎞というハイペースで、その元気なパワーを見せてくれました。
大学生のSさんの言葉です。 「3時間ほども本流の到着を待ったんですけれど、一人ひとり、目をのぞき込み合って、手を握り合うことは、本当に心が通い合うというか、 素晴らしい知恵だなと思いました」
広島から駆けつけて下さった、有機やおよろず屋 「ひょうたん島」(『人間家族』も店頭に並んでます!)の堀尾美江さんは、三浦翠さんにこんなハガキを下さいました。私たちの気持ちがそのまんま表現されているので、一部を引用させて頂きます。
「セイクレッドランも、上関のことも、これでオワリではなく、ずっと続くことなのだけれど、昨日のブランチランのために、世代も住む場所も違う、たくさんの人たちが協力し合って、一時を生きたいという事実は、これからの一歩一歩のスタミナ源になること間違いなし。
私も、炎天下、走れなかった自分をまるごとひっくるめて、すごく大きな体験をさせてもらいました。自然の偉大さとキビシサ、人の情のありがたさ、大地の上で生きるってどういうことか・・・・・・etc。
毎年、8・6には、祈りの心でのぞむようにしてきましたが、今年は上関の地で、しかも自分の生身を使って、 思いを共にする人々と共に過ごすことで、文字通りLIVE(ライブ)な8・6にすることができました。 これからの私の糧になると思います」
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その後、ランを共に走ったTさん(男性)から、「山口環境ネットワーク」に対して、「これに手ぇつけてみません?」というご提案を頂きました。
「『環境』と言ってしまうと、その範囲はエネルギー、生産、消費、廃棄という経済活動全体にかかわってくることで、すべてに手をつけるのは大変、というよりムリに近いでしょう。 そこで、その中の一つを紹介します」
とあって、熱帯雨林の保護のための、 「サラワクキャンペーン委員会」の活動のパンフを送って下さいました。
実は、熱帯雨林とそこに住む人々のいのちの糧を、日本人が激しく奪い続けていることへの反省から、「山口環境ネットワーク」の計画を暖め続けてきていたのでした。
今度のランのような機会を通して、仲間が広がっていくことをうれしく、ありがたく思っています。
また、お会いしましょう。
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●上関へのカンパを! (いくらでも結構です)
郵便振替:0151016!28193 「原発に反対し上関町の安全と発展を考える会」
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申し込み先:山口県鹿野町金峰 三浦泰生方 「原発いらん!山口ネットワーク」
2024年現在、「原発いらん! 山口ネットワーク」は、小中進さんが代表を受け継いで、毎月の会合やニュースレターの発行が続いています。
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