公共民俗学)#他人事 から# 自分事 へ——#地域研究 から商売・#自然保護・#選挙 に深入り
2024/03/20
他人事から自分事へ——地域研究から商売・自然保護・選挙に深入り
という題で2012年9月22日に九州大学でお話したときの、レジュメがでてきました。
テープおこしまでついていますが、あまりにもいいたい放題だったせいか、公開にはいたらなかったものです。ほとぼりもさめたころか、というので pdfで添付しておきますね。
安渓遊地(山口県立大)・安渓貴子(山口大非常勤)
(新潟県小千谷市東山地区の)角突きへの私の参画は、研究者という自己が、向き合う人びとと一緒に共感、共愉、共苦し、自己の行為を見つめ直しながら、ともに文化を継承し創造する再帰的な公共民俗学研究なのである。それは、一生を賭けたかかわりのもと、定型化せず、規範化せず、マニュアル化せず、汎用化せず、手段化せず、さらにその実践自体をアプリオリに目的化しない実践の民俗学なのである。(菅豊、「公共民俗学の創造へ向けて——フィールドにおける実践の「ひとつ」のかたち」2011年11月『SEEDer』5号、むすびの言葉)
1989年、西表島でお米の商売に手を出すまでは、わたしたちもフツーの地域研究者の気分でした。でも、商売の世界は修羅場でした。そして、それをくぐり抜けたら、もうあともどりはできなくなっていました(宮本常一・安渓遊地、2008『調査されるという迷惑』みずのわ出版)。
1.西表安心米の衝撃——商売はガクモンよりきびしい
古代稲作と植物生態学の研究者から、にわか闇米業者に。日本民族学会のシンポでも商売。さらに16年間のお米の自給を経て、3.11を機に、60アールの田んぼを購入。
2.上関原発計画とのかかわり——地球全体が被害をうける地元だった
チェルノブイリ事故直後にフランスに1年半いたことから、瀬戸内海に計画された原発計画にもの申すことに。遊地は、軸足を文科系の学会から日本生態学会に移して、もうひとつの環境影響評価書を編集。「中立」の12年間を経て、事故後も国民に牙をむける原子力ムラの息の根を止めるために、裁判や選挙にも積極的にかかわる。 (以下の3,4は、おはなしの続きですが、9/22にはたぶんお話しません)
(3.)アフリカの村で養子になって神話を生きる http://ankei.jp/yuji/?n=993
ル・クレジオとからめて高校生と語る http://ankei.jp/yuji/?n=1510
姉の村はほとんど廃村で、自分の村も大混乱。このまま放っておいたら、自分の村まで廃村になるかもしれない……。そう案じた私は弟を呼んで話をした。
「なんで父さんは、よりにもよってもと奴隷身分出身の男に村長を継がせるとおっしゃったか、わかるかい」と私は尋ねた。
(4.)維新史と真宗僧(今年からの科研費)——四境戦争で長州側のスパイとなった僧が曾祖父だった
http://ankei.jp/yuji/?n=1668
文化人類学をはじめとするフィールドワークでは、以前は調査者が透明人間のように、観察したことを客観的な記録に残すというタイプの研究が標準とされましたが、最近では、地域研究のあらゆる記録は、調査する人とされる地域の相互作用の結果だと理解されるようになりました。地域研究は、それが「他人事」である段階から「自分事」となったとき、本当の輝きを発揮するとも言えるでしょう。
語りそのものはpdfで添付しますが、短いレジュメもくっつけときます。
地域研究から商売・自然保護・選挙に深入り
西表島の古代的稲作と海上の道の研究をしていた30代前半まで、私はフツーの研究者だった。「本土なみ稲作」のかけ声のもと、水田での農薬散布が始まったのを見かねて、島に通って14年目の1988年、地元を巻き込む産直米「ヤマネコ印西表安心米」の企画・宣伝を担当した。慣れない商売の道は険しく、闇米扱いしてくる役所や、持ち逃げ常習の詐欺師との駆け引きなど、ひとつ間違えば一千万円単位の赤字を出しかねない真剣勝負の連続であった。「地域おこしに失敗したら研究者の責任は?」と日本民族学会で批判も受けた。山口県に住んで、瀬戸内海に計画された上関原子力発電所の予定地が生物多様性の高い「奇跡の海」であることを、10年以上にわたって日本生態学会の仲間と研究し、学会要望書やシンポジウム、本の出版によって立証した。3.11のあと、私は「よそ者のふり」をやめ、2012年の夏からは、山口県知事選挙での飯田哲也候補の応援を通して、エネルギー維新の実現を夢見ている。
いいたいほうだい 安渓遊地