講義録)#白松博之さん 山の木が魚のすみかに #間伐材漁礁 RT_@tiniasobu
2023/04/07
阿武町の白松博之さんには、安渓遊地が山口県立大学の教員であった間は、ずっと非常勤講師にお願いして、最低でも毎年2回は授業に来ていただいていました。
以下は、安渓遊地編(2004)『やまぐちは日本一 ―― 山・川・海のことづて』(弦書房)に収録させていただいた講義録です。添付は、間伐材漁礁の様子がわかるプレゼンファイルです。
山口県の林業の現場から??白松博之さんのお話
1998年12月16日、山口県立大学での「環境問題」の講義から。
??今日は白松博之さんに来ていただきました。白松さんは、阿武町福賀地区に住んでおられます。ここから車で日本海へ向けて走って1時間くらいの所です。ではよろしくお願いします。
白松です。今日は、「林業の現場から見た環境問題」というテーマで、お話をします。昨年までは「立って」話をしておったんですが、今は、ごらんのように車椅子で、初心者マークが貼ってありますね。車の免許を持っておられる方は私のようになる可能性がありますから、いつでも車椅子の乗り方をお教えしますので、ぜひ私の所に来て下さい。と言いますのは、4月27日に、8メートルほどの高さの木の上から転落しまして、脊髄損傷になりました。脊髄の12番目の骨が砕けて、腰の骨の1番上が外にはみ出るという、怪我をしました。それから半年ちょっと経って、ようやく皆さんの前に来れるようになりました。
脊髄損傷ということになると、お医者さんは生涯車椅子という事をおっしゃるのですが、私の場合、ほんのわずか神経が繋がっておって、「3年後には必ず歩くぞ」という気持ちで、一生懸命リハビリを頑張っております。私がこういう車椅子という低い目線から町の様子を見るようになり、「ああ世界がずいぶん違って見えるようになってきたなあ」という実感を持ちます。その中で気づいたお話もしてみたいと思いますが、
森の役割
森林は公益的機能を持っています。木は酸素を作っていますが、どのくらいの酸素を作っているかというのは、実感としてはなかなか分かりにくい。たとえば東京23区の人達が、森林から出る酸素を吸って生きて行こうとするならば、その20倍の面積の森林がないと、生きていけないんです。ですから、「神宮外苑の森があるだろう」とか何とか言ったって、微々たるモノです。東京の人はほとんどよそで作られた酸素を吸って生活をしているわけです。
私の山から出る酸素は「白松」という名前がついているわけではないですから(笑い)、私は酸素を独占することは出来ませんけど、実際には街の人達は、森林というか山で作られた酸素を吸って生きておられるわけです。乾燥した1kgの木材ができるときに、1・6kgの炭酸ガスを吸って、1・2kgの酸素を空気中に放出しているそうです。
ですから、いま化石燃料の燃やしすぎで問題になっている、皆さんが出した炭酸ガスを、森林は一時的に「木材」という形で貯蔵してくれておる訳です。ですから、山の木をうまく管理してできるだけその量??材積といいますが??を大きくすることができれば、固定される二酸化炭素も増えるわけです。
そういうふうな公益的機能としては他に、みなさんの上流で、みなさんが使えるように水を蓄えている緑のダムという機能も森林にはあります。
世界の森を食い尽くす日本人
その次にお話しようと思うのは、世界の木材輸出量の4割が、日本に入ってきているということです。山口県の素材生産量の推移を平成8年度の資料で見ると、外国からの木材が8980万2千立米、国産材が2248万3千立米、合わせて1億立米くらいになります。外材の輸入の割合が80%なんですね。日本の山の木はどんどん捨てられているけれど、一方で輸入しておる木がある。今、皆さんが使っておられる木の80%が、外国産材なんですね。平成元年の頃には、七三・一%でした。木の用途は、製材用に44%、チップが39%。後は合板などに加工されています。日本で、どんどん木を捨てておりながら、80%も外国に依存し、しかも世界の輸出量の4割も日本が使う。こんなワガママがこれから先、許されるのでしょうか?金にあかして
買えるのは、いつまででしょうか?今、世界の森は1分間に32ヘクタールといいますから、幅一〇〇メートル長さ三二〇〇メートルずつ消えていきます。これは、新幹線20台ぐらいが並んで時速二〇〇キロで昼夜かまわずぶっ飛ばして通っていくくらいの速さです。こんなことを続けていけるはずがありません。ですから、もっともっと日本の山の木を、有効利用する必要があることを、分かっていただきたいと思います。
もう1つ考えてください。今まで、世界的な古代文明(いわゆる四大文明)と言われていた所があります。しかし、この文明が滅亡していった大きな理由の1つに、薪あるいは建材として、森を食いつぶしていったことがあげられます。
私たちは今何でもかんでも便利なモノを追求して、進んできています。それが「地球を食いつぶす」という、大きな時期に来ているのではないかと思います。そのためにも、街に住んでいる人達がきれいな水と空気を吸うために何をしなきゃいけないかを考えていただく時代じゃないかなと思います。
捨てられている日本の木材
世界中の木をこんなに日本人が使うのは、日本に木がないからでしょうか。そうではないんですね。
この11月27日に市場で売られた木材の値段の表がここにあります。この単位は、1立米(立方メートル)あたりの単価です。安いものでは、五〇〇〇円。1本の値段ではありません。木の大きさを表すには、丸太の先の「末口」というところを計ります。末口が直径8cmから10cmの木で、長さ4mのものについて書いてあります。根元が太くても関係ないんです。これで「円柱」の体積から計算すると、5000円ということは、1本になおすと「約100円ちょっと」なんです。20年もかかって育った木が、末口が10cm程度であれば、皆さんが飲まれるコーヒー一缶の方が高いわけです。これが今、市場で流通しておる木材の値段です。
柱の大きさに直すと、3mの柱を取るためには18cm~22cmの大きさのところで取るので、杉の場合で18300円となっております。これだと一立方メートル約11、2本に相当しますから、1本1000円から1500円の値段ということになります。これが、今市場に持っていって、木材につく価格なんです。この価格はどこで決まってくるかというと、生産者が「この値段で売ってください」というふうに決まるんじゃなくて、世界的な木材の流れ、為替レートなどの中で、木材の価格は決まってきます。私が植えて「この木をここまで育てるのにいくらかかったから、この生産経費を見てください」と言っても、全く話が通ることではありません。
ところで、今年の白菜の値段は、いくらかご存じですか?白菜の値段は150円、200円。いやもっと高いかも知れません。私の家では白菜をたくさん作っていますが、今年は1箱5000円で出しました。5000円といったら、先ほどお話しした1立米の1番安い木と同じですね。白菜は種を蒔いた後で、植え変えてから45日で出来ます。けれども、20年経った木よりも1箱の白菜の方が、遙かに高く売れている。我々が出荷している白菜1箱は、中に白菜が6個入っております。ですから、1個が833円ということになります。このように、今の木材の値段は、他の物価に比べて非常に安いです。
日本では木材は自由化のために関税がほとんどかかっておりません。製品についてはかかっておりますけれども。ですから輸入木材がきわめて安い値段で販売されていて、それが市場価格を低く抑えているという事実をまず、頭に入れておいていただきたい。その上で話を進めていきたいと思います。
「5000円」という値段の木は、ほとんど市場には出てきません。なぜなら山から伐って出す場合「市場」まで持っていく経費が、10000~13000円かかるからです。だから、安くしか売れないサイズの木は、山に捨てられています。それらは、どんなサイズでも今の技術ではパルプ材として役だつわけですが、ほとんどの場合に山に捨てております。都会に住む皆さんが一所懸命「牛乳パックを再利用しましょう」などとやっているけども、現実には日本産のパルプ材は山に捨てられております。何故かと言いますと、パルプ材の1トンあたり工場渡しの価格が6000円なんです。世界中から日本に木材が輸入されて、大量に持ち込まれているために、日本では木材を山に捨てておるわけなんです。
切るのも必要な管理のうち
ここにいる皆さんは、「そんなことをするなら、木を伐らん方が良いじゃないか」と言われるかも知れません。さらに、「木を伐ることは環境破壊だ」と、この中のほとんどの方が思っておられるかも知れません。
4~5年前のことですが、山口大学で「人間環境論」というゼミがありました。このゼミで私は非常勤講師として皆さん達に来ていただいて、2泊3日の研修をしていただいたんです。はじめ「おじさんたちは木を伐るんじゃろう。あれを止めさせるために今日は来た」そんなことを言った学生がいました。それが帰る頃には「あっ。木は伐らなきゃいけないんだな」「木を伐るためにはどういうふうに伐ればいいのかな」というようになりました。ほとんどの方がおそらく「マスコミ」の影響によって、「木を伐ることは環境破壊だ」というふうなことを頭から信じ込んでおられるんです。しかし、実際に見に来ていただけばすぐにわかります。日本の山の中では、人間が植えた山の木を伐らないために、今どんどん山が崩壊して
います。
人間が山に植えた木が全部育っていくかというと、そうではありません。100年経つと、10アール(1000平方メートル)の中に健全な森ならせいぜい15本か20本程度です。40年で150本から180本。災害などを考えるとこれ以上は難しいんです。じゃぁ、「最初から10アールに180本程植えたら」という事になりますがそれは「経済ベース」から考えると不可能です。その木を育てるために周りの草を、何十年と刈り続けなければならないし、うまく育った木を残すという方式に比べて木の質にも問題がでます。だから最初に植えるのは10アールあたり300本なんです。
木は、300本植えたものが、40年経ったときに180本に減っていなくてはなりません。自然の中では淘汰もされていきますが、人工造林の場合には、自然淘汰は非常に難しいんです。だから、人為的に、木の本数を減らしてやらなきゃならないんです。しかし木の管理をしていく人間が今、非常に少なくなったんです。そうなると山は間伐されないで育っている。すると、カイワレ大根のパックを見られたら分かると思いますけど、全部同じ長さのものがヒョロヒョロになって入っています。木もちょうどそういうふうな状態になっていっておるわけです。そうなると、台風や雪などに非常に弱くなります。
10年近く経った山が、カイワレ大根のように、ヒョロヒョロの木になるわけです。それが雪の重みでいっせいに折れて全部捨てざるをえないということがおこります。本数を減らしてやらなきゃならない。その目安となるのが、胸高直径なんですね。これに100をかけた数字よりも高くなると、「木は災害に遭う」と言われています。目の高さのところの太さが10cmだったら、高さが10mを越したらその林は危ないということです。間伐をしていけば、上に伸びるよりも横に太る方が大きくなりますから、災害に強くなります。
1989年に西日本をおそった台風19号では私の山も被害をうけました。40年生の杉の林が物の見事にやられて全滅でした。「40年間、私は一体何をしてきたんじゃ!」と思いました。ゼロですね。確かに自然災害であり、どうにもならない面もあったとは思うんですが、管理のやり方次第で、全滅は防げた。50%は残せたと思うんです。
一斉林の危うさを乗り越える知恵
造林面積の推移を見ると、昭和50年頃はどんどん広葉樹林を伐採して植林していました。その中でヒノキの造林が非常に増えてきています。これはヒノキに一番適した土地が増えたのではなくて、植えた当時のヒノキの市場価格が1番上がっていたから、皆さんがヒノキを植えたわけなんです。ところが今は、ほとんどの造林地がヒノキ林になって、ヒノキの価格が大暴落してきました。それで最近は植えている面積が、非常に減ってきております。近視眼的に物を見ては造林ということはとうていできないのに、経済変動や行政のあり方に長期的見通しが欠けているのはこまったことです。
今、日本の山の多くは1つの山に全部同じ種類の木が植わっております。車から見ていると分かりますがヒノキの林は全部ヒノキ。杉の林は全部杉です。中に広葉樹が1本も残ってないんです。その理由は、かつて「造林補助金」というものが出ました。しかし、中に原生樹(元から生えている木)が残っていると、造林補助金は頂けなかったんです。だから、「この木を残しておけば、災害に強いだろうな」と考えて残したくても、残せなかったのです。この現在の人工林の造林技術が災害に弱い山を造ってる原因の1つではないでしょうか。もちろん、生態系にも大きな影響を与えています。広葉樹がないという事が、土地の流亡を起こしたり、獣や小鳥たちの住処を奪うことにもなっています。
私が、皆さんくらいの年頃から始めたやり方があります。植林の時に広葉樹を等高線上に残すというやり方です。家の山はこれを実行していたので、19号台風の時に被害が少なかったのです。私の山は約20ヘクタール(1ヘクタール=100m×100m)の山で、被害にあったのは37本しかなかったのです。それは、等高線上にケヤキあるいはマツ、カシ、そういった木を、残しておったので林を守れたのではないかなと、思っております。だから、木を育て山を管理していく中で、経済性を追求するとともに、植林する際にその木を守っていくための、木も植えて残していかなければいけません。「災害に強い森造り」という事です。
では誰がこの森を守るのか? 実際に森の手入れをしているのは先程お見せした「森林組合」の方なんですね。私もそのメンバーです。5月までは「立って」おりましたから。林業者は、森林組合のノウハウを守ってくれております。
山の木を海へ
今から皆さんにお話したいのは、私どもがこのような事を、何とか改善していこうという試みです。山の木を「間伐」するという形で進めてきています。
一本100円とか300円とかいう木を、港まで持っていって、魚の家つまり魚礁を作ります。魚礁はコンクリートで作られることが多いですが、「魚も木造住宅の方が良かろう」という事でやってみたところ、木の魚礁が非常に魚が集まってきて育つ、という事がわかりました。これは今非常に注目されつつあります。このアイデアを私が出したのは、実は15、6年前です。この設計図を持っていきましたら、物の見事に断られました。「木は浮いて流れるから危ない。もしそれで事故があったら、あんた責任取るか?」と、いうようなことを言われたんです。けれども、いっぽうでこの漁協のある人達が「いや、昔は木造船を海に沈めておった。そして魚が良く集まりよった」ということを思い出して、漁協の人達が水産庁とか海洋保安庁など
に掛け合って、許可を取ってもらったわけです。
木をまず石を重りにして入れてやって沈めます。しかし木は、1回70mくらいの底に沈むと、2度と浮いてこないんです。木材が浮くのは、木の中に空気があって初めて浮くんです。皆さんお風呂に入って、タオルで風船みたいに膨らまして遊んだことがあるでしょう。あれはポコンと浮いてますね。タオルそのものは風呂の中で浮きますか?沈みますか?沈みますね。木というのは、あのタオルと全く同じと見なせます。浮いてきません。けれども水産庁とか海洋保安庁のお役人は、「いいや、木は浮く!」と信じ込んでいて、ずっと日の目を見なかったんです。
今、この方式は全国に広まりつつあります。これを真っ先に始めたのは、山口県阿武町の私のところで、「海と山がもっともっと手を結ぼうじゃないか」「山は海の恋人である」といって、同じ町内で海と山があるのなら、海と山がつながるように取り組もう、とやり始めたのがこの「間伐材魚礁」だったんです。
この魚礁を沈めてみると大きな問題が持ち上がりました。農民は、自分の畑を持っています。でも海の場合は、漁民は「魚を捕る畑」つまり漁場は共有物です。先に行って取った方が「勝ち」なんです。それでなかなかチームワークが取れない。魚礁を一緒に守っていくことが出来ない。漁協の組合員同士で作った魚礁の魚を、「夜中に行って取ってくる」そういう問題まで起こっています。これは、漁民のモラルの問題であると思いますが、今なかなか進んでいないんです。
この間伐材の魚礁を、他の土地にも広めようと思ったら、瀬戸内では全く受け入れてもらえませんでした。瀬戸内では漁業で本当に生計を立てていこうという人々よりも、工場の排水が流れてくる、採掘の砂が流れてくるなど、色々な形で補償が出て、それをもらって生活をしている人が多い事も、理由として挙げられます。
町との交流
次に、山を管理している人間が減ってきたために、災害をもたらし始めたという話をします。木材が非常に安いことから、林業従事者が減るともに新規に林業をする人がいません。60歳以上の方が占める割合が平成9年で70%を占めております。老齢化や、人数の減少が起こっておるということで、実は大変な災害をもたらし始めています。山を管理していく人達が、「山のもりが難しくなった」と言っておられます。
だから、町の人にも森を守って欲しい。それにはどうすればいいか、というのを考えているところであります。街の人達が守るといっても、なかなかできない。アイデアを出してくれるのか、お金を出してくれるのか、その色々な方法を、皆さんの方からメッセージとして欲しい。
「森をどういうふうに守っていったら良いのか」について皆さんの声を聞くために、私たちは春に「山菜刈り」、秋に「茸狩り」を実施しております。素晴らしい林を管理していくために、街の人達の意見を取り入れようということで、毎年10月の最後の日曜日に、「自然探訪とキノコ狩り」というテーマで、街の人を対象にもう十何年かやってきました。一緒に自然の中を散策しながら、自然の大事さを認識して欲しいんです。そして一緒に考えて欲しい。非常に好評でこの行事を続けております。イベントをやるとしても、お客様としてお迎えするんじゃなくて、一緒に考えていこうという事で、取り組んでおります。
県立大学の学生さんも私たちの阿武町福賀にやってきます。最近では「祭り」と言えばやってきて、「山菜刈り」に「キノコ狩り」にと、全てのイベントに顔を出してくれております。皆さんも私のところに来てやってみて欲しいと思います。皆さんのメッセージをどうやって、この「森造り」に活かしていくかという事に、取り組んでいきたいと思っております。
一度こられるとリピーターになります。今、私の所にしょっちゅう出入りしておる県立大学の学生さんがいます。5、6回目からは「ただいま」といって福賀に来られます。最近では、福賀の農業祭りで、「お蕎麦を8時間捏ねた」県立大の学生さんたちがいました。美味しい蕎麦になっていたそうです。私はその頃はまだ入院中だったので蕎麦捏ねを見ませんでしたが、さぞかし手がきれいになったと思います(笑い)。
ともに夢を育てましょう
それで今、山口県は「里山文化構想」というものがあります。この基本的な考えの中に、「里山」には独特の文化があり、山口県の中でも1つの歴史・文化として、育ててきたということ、「里山」を街の人達にも、もっと近い森にしようという事、身近な場で環境の浄化とか、森と一緒に共生していくという事を考える機会を皆さんにもっと与える、こういった事が大事じゃないかなということです。それから、もっと里山を活用していただきたい。今過疎化で「里山」が非常に荒れてきております。街の人達は、「何をここですればこの森が守れ、里山が守れるのか」という事を、一緒に考えて欲しいなと思います。
それから、もっともっと里山を知り、里山を守っている人達を知っていただこう。という事で、今この「里山マイスター」という研修を、県の事業で行っております。全国でも初めての試みで、今私どもは非常に注目しています。じつはこの里山マイスターは研修を受けてマイスターになる制度で私もこの三月に最後の研修を受けることになっています。
みなさんも私どもの所にいらっしゃって「森の大切さ」を、自分達が汗を流しながら、考えて欲しいと思っております。
三年くらい前に県立大学の学生で環境問題を一生懸命に考えている「クルクル」というクラブの、部長をしていたFさんたちが私の山に来て、「木1本より、ジュースの方が高い」と聞いて、それこそ目をクルクルさせていました。牛乳パックの回収も、それこそ一生懸命彼女たちはやっていました。牛乳パックの回収などしながら、一方で間伐材が安いということを知ったわけです。「この木を何とか使え」と私は言いました。以来、彼女たちはずっと卒業するまで、私の所に通い続けておりました。
私の所に通って来ている学生と私は「夢契約」というのを結んでいます。「自分の木を1本持とうじゃないか」という事で、8本ほど私の木がスクスクと育って来ております。 「自分が吸う空気くらいは、自分で作ろう」なんていう話を人前でして良いのじゃろうか?という事で、自分の木を1本。その代わり契約の内容が、1年に1回必ず私の家に来て呑んで、呑み分ほど次の日に仕事をして帰る事。というのが条件になっています。まぁ卒業していった彼女も、自分の木を撫でて奉仕をしていきます。そして自分が欲しいと思ったときに、山口県内であれば、「どこまででも木を持っていってあげるよ」というのが契約内容です。契約は私と疎遠になったら終わりなんです。だから、そうなったら契約は自動消滅です。今8人
ほど頑張って私の所に来ています。これが、「夢契約」なんです。ご希望の方は、と言っても札を付けに行くのは、私がもう少し歩けるようになってからにして欲しいんですがね。名札を木に付けてその木が太っております。
??(学生)質問ですが、海に入れる木を伐られたときに、必要な経費はどうするんですか?コンクリートの魚礁とかの場合とは違いがありますか。
コンクリート魚礁は漁協の負担と国の補助金でやっています。間伐材の魚礁は、3分の1が地元負担で、受益者の負担です。残り3分の2が県の負担です。国の負担はこの中に入っておりません。けれども今、これが非常に良いという事で、林野庁でも注目されてます。従って、これもまた、国の方で取り上げられ、水産庁あるいは林野庁の事業の中に入ってくるだろうと思います。大体3分の1が地元負担という事ですね。
おまけ、
なんだか熱い応援風の文書がでてきました。以下にはりつけておきますね。
人間力を応援
小さくてもみんなが生き生きと暮らせる明日の阿武町をつくるために、情報力・行動力・人間力の三拍子そろった白松ひろゆきさんを応援しています。(65字)
安渓遊地(山口県立大学教授)
激動の時代に生き残る地域 安渓遊地(山口県立大学教授・地域学)
財産を守っているだけでは生き残れない激動の時代。的確な情報収集と、果敢な行動力、誰とも人間的信頼関係を築ける腰の低さ。これらを兼ね備えたリーダーを得たとき、はじめて阿武町のような小規模自治体は、「攻め」に転じて生き残ることができます。私は20年を超えるおつきあいの中で、白松ひろゆきさんこそがその人材であると信じて、阿武町応援団をさせていただいています。(180字)
激動の時代にほろびる地域と生き残る地域
安渓遊地(山口県立大学教授・京都大学理学博士)
従来の行政手法と財産を守っているだけでは、過疎高齢化する地域が生き残れない激動の時代がやってきました。世界を見すえた的確な情報収集と、全国に出かける果敢な行動力、もっとも弱いものの立場を理解して、誰とも人間的信頼関係を築ける腰の低さ。白松ひろゆきさんは、これらを兼ね備えたリーダーです。
「誰も知らないところには誰も来ない」のです。積極的に阿武町からの情報発信をし、都会に住む人たち・大学生・阿武が大好きで移住したい人たちを「阿武町応援団」に。この目標のために白松ひろゆきさんは、さまざまな仕掛けをしてきました。
「阿武町ふるさとあったか便」は、福岡市の箱崎から始めて東京にも阿武町のおいしい農産物をとどけて好評です。福賀地区の「あったか村」では、林業の再生へ向けて、地域の中高生や山口県立大学の学生が炭焼きや家造りを体験できるユニークな場所です。「農家民宿樵屋(きこりや)」は、他の農家民宿・漁家民宿とも連携しながら、阿武町の魅力を伝え、定住したい人たちを最初に受け入れる場として機能しています。
このような「攻め」の仕掛けを通して、さまざまな人たちが阿武町を最終目的地としてくださると、はじめて阿武町のような小規模自治体は、生き残ることができます。私は20年を超えるおつきあいの中で、白松ひろゆきさんこそがその人材であると信じています。(567字)
ややマニアック歴史バージョン
いまこそ攻めの町づくりを??白松ひろゆきさんに期待する
安渓遊地(山口県立大学教授・京都大学理学博士)
今から150年ほど前、長州は15万の幕府軍に四方から包囲され、これに対する長州軍はわずか4000という絶体絶命の危機にありました。人口が減り続ける今の阿武町は、あのときに匹敵するほどのピンチです。
白松ひろゆきさんは、四境戦争で長州を勝利に導いた、大村益次郎の情報収集と作戦能力、高杉晋作の神出鬼没の行動力、そして住民すべてを立ち上がらせるだけのネットワーク力を兼ね備えています。白松さんの情報収集能力は、脊椎損傷で身動きがとれない苦しみのなかで、インターネットでの情報発信をすることで培われたものです。そして彼は、効率と経済成長だけを信じてきた官僚の想像を超えて、直接人と人がつながることによる実践的行動力に磨きをかけました。そのネットワークは、山口県全域の農家民宿・漁家民宿をまとめたり、箱崎や東京への「あったか便」の産直で都市と交流したり、アフリカの若きリーダーたちを受け入れるジャイカ研修などで、日本中だけでなく世界にまで広がっています。
私も、阿武町の材木で家を建てて以来、白松ひろゆきさんの構想力・実行力・人脈力のおかげで、毎年大学に講義に来ていただき、あったか村・福賀や奈古の魅力発見の町歩きなど、学生の受け入れで阿武町応援団を育てています。白松ひろゆきさんとならきっと、多くの町民の知恵と力が活かせると信じるしだいです。(568字)