連載)阿東つばめ農園おひさま便り 安渓貴子+遊地 #ロシナンテ社 #月刊むすぶ RT_@tiniasobu
2020/06/18
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阿東つばめ農園での日常をお届けする連載記事です。全文は、添付のpdfで印刷していただけます。新型コロナ肺炎で、ロシナンテ社とその雑誌『むすぶ』は存続の危機に瀕しています。お力添えをお願い申し上げます。 添付の3ページ目とこのページの末尾に呼びかけ文があります。
ロシナンテ社 http://www9.big.or.jp/~musub/index2.html
阿東つばめ農園おひさま便り 2020年1月号から6月号まで 本文のみ
安渓貴子・安渓遊地
二〇一二年、山口市最北部の阿東(あとう)に引っ越しました。田んぼつきの古民家を買って……。西表島やアフリカ、フランス、スペインなどを巡り歩いてきた私たちの、日々の暮らしと思いをお届けします。
つばめ農園のはじまりと福島の事故
「確かな人に渡してほしいという家と田畑があるんだ。来てくれたらうれしい、いっしょに農業をしよう」─知人の言葉です。でも、そこから五〇キロ離れた山村に家を建てて住んでいましたから迷っていました。田舎に住んでまわりの自然や人びとから学びながら農的暮らしをしたい、そう思って入った山村だったのですが、そこでは十数年借りてきた小さな田んぼを返せと言われていたのです。
そこに福島の原発震災が起きました。農業ができなくなった被災者の方々が農業で暮らせる場所が要るに違いない。そんな方々とともに農業ができる場所があれば、と思ったのです。当時遊地が勤めていた山口県立大学の研究室に訪ねてくる学生のなかにも福島県の有機農家の人がいました。
こうして震災に背中を押されて農地を買う決断をしました。いろいろな農家を手伝ったことがある息子が「有機農業をやってもいい」と言ったのも確かな一歩になりました。
四月、農作業を始めるのに合わせて阿東の家に暮らし始めるとツバメがやってきました。目の前の田んぼの藁と泥をすくって家の軒下に巣造りを始めたのです。私たちが家に出入りしても恐れません。「ツバメって、田んぼから巣の材料をとっているんだ。人が確かに住んでいるとわかったから来たんだね」。ツバメたちの求愛のにぎやかな鳴き声を聞きながら、ツバメと稲作との二〇〇〇年以上に及ぶ深い関係にあらためて気づかされたのでした。
農薬や化学肥料を使わない、環境に配慮した農業をする。できるだけ地域での循環を大事にした持続可能な暮らしも視野に入れたい。そんな目標をもって、少しずつ教わりながら、ここで自給できる物は自分でつくってみたい。これが当面の目標になりました。
わが家の稲作の歴史は、一九九三年に始まりました。当時鳥取大学の農学部長だった津野幸人(ゆきんど)先生のところに山口大学から内地留学をさせていただいて、大山の麓の村に住みました。そこで、先生と大学院生のみなさんの手ほどきで初めて田んぼを作ったのです。おりしも日本の稲が不作でタイ米の輸入を余儀なくされた年でした。山口に戻ってからも、家族で食べる程度のお米がいただける田んぼを作り続けました。農薬も除草剤も化学肥料も使わず、津野先生考案の「再生紙マルチ」を敷いて田の草を押さえる農法が出発点でした。山口でも田んぼのある暮らしに切り替えようと、田舎に移住しました。籾を蒔いて苗を作ることをご近所に教わり、稲刈りも稲束を竹に掛ける「はぜ掛け」でした。ですから、
農薬や化学肥料を使う慣行稲作をやったことがないことをここで白状しておきます。
家族で食べるだけの田を毎年作りながら、津野先生に教えられて「山口県環境保全型農業推進研究会(通称山口かんぽ研)」に入りました。この集りで、主に山口県内の環境保全型の農業をする方々と出会うことができ、教わりながら二〇数年、今日に至っています。
アフリカで聞いた原発の闇
話は飛ぶのですが、大山の麓の村で暮らしていた時、私たちのはじめての稲作への挑戦をわざわざ東京から見に来た人がありました。当時、通産省の外郭団体に勤めていたAさんです。彼とは、アフリカでたまたま出会って以来、手紙のやり取りをしていました。「これからの時代の最先端は何でしょう?」と問われたので、津野幸人『小農本論─誰が地球を守ったか』(農文協、一九九一年一月)を踏まえて「持続可能な小さな農業では」と答えたのでした。以下は、一九九〇年にアフリカで初めて会った時、食事に誘われて聞いたAさんの話です。日本の老朽原発は、津波以前に、そもそも上下に揺れる地震に耐える基本設計ではなかったのです。
─(遊地)アフリカで仕事をされる以前は何をしておられたんですか?
実は、私は、原子力産業で働いていました。炉心部分の基本設計をしていたんです。でも、私が設計にたずさわった一九七〇年代には、耐震設計は、水平方向のX軸とY軸だけを考慮していて、上下方向のZ軸については、そもそも考慮していませんでした。
─ということは、もしも直下型の地震があって上下方向に動くことがあったら?
やばいですね。
─ええ!? やばいんですか? それが今も稼働している!?
はい。それから、立場上いろんなファイルを見ることがありましたが、その中に福島の原子力発電所に納める圧力容器、原子炉を格納する一番大切な鋼鉄の巨大な容器、これを船から海に落としてしまった、ということが書かれていました。何百トンもあるものを引き上げてみたら、まん丸でなくて歪んでしまっていたんです。でも、作り直していたのでは納期に間に合わないし、会社に莫大な損失が出ます。仕方なく、中に大型ジャッキを入れて歪みをなおしたという内容でした。
─そ、それって、やばくないですか? 設計の強度がたもてますか?(バブコック日立の社員として福島第一原発四号炉用の圧力容器の?修正?作業にたずさわった田中三彦さんが『原発はなぜ危険か─元設計技師の証言』(岩波新書、一九九〇年一月)に書いておられる内容と符合するお話でしたが、私たちはまだ読んでいませんでした)。
うーん、やばいですね。
─それを政府は見過ごしてしまったんですか?
そのあとしばらく、この圧力容器を納入した業者には、通産省は原発関係の入札をさせませんでした。
─それだけですか?
それだけです。
─なんか納得がいきませんね。
はい。いろいろ納得のいかないことがあるなかで、ある日のこと、私はまだ稼働していない原子炉の中に入って、暗い迷路のような原子炉の中で迷って出られなくなってしまったんです。手探りで出口を探しながら、
「出口がない、
出 口 が な い、
出 口 が な い !!」
私は原子炉の中でパニックを起こしてしまいました。それがきっかけであの仕事をやめたんです。
─あなたが設計された原子炉たちは、大丈夫なんでしょうか。
さっきも申し上げたように、やばいんです。出口がないんです。だからぼくはこうしてアフリカに来てるんじゃないですか。 (つづく)
注記。これについては、読者の方から、日本の原発の設計の基準は、アメリカよりはゆるかったものの、上下動についても規程はあった、というご指摘とその報告書が送られてきました。ありがたいことです。ただ、御本人の語りにそって、ここでは聞いたままを書いています。
田畑の準備
暖かい冬ですね。山口市最北端、津和野に近い阿東高原に住み始めてから8年、これまでは、ひと冬に二回くらい、三〇センチからときには一メートル近い雪が積もりました。家から出られず、お隣りが助け出しに来てくださったことや、雪の中のお正月で、野菜を畑から掘り出せなかったこともあります。しかしこの冬は雪が二度ほどちらついただけ、家の庭から望む中国山地も雪化粧をしないままの暖かい冬です。期間は短くても積雪に慣れた山の木々や田畑の作物が心配です。朝鮮半島から毎冬にやってくるミヤマガラスの群れも今年はほとんど見ません。それでも水路の掃除をしていたら、体長8センチのお腹が大きいアカガエルが産卵のためでしょうか、水辺でじっとしているのに出会いました。太陽が雲に隠れて気温が急に下が
ったので動けないのでしょう。カラスに見つからないよう枯れ草をかけました。軒下に溝を掘っていてマムシの冬眠に出会ったこともあります。家の側で冬眠しているので驚きました。
そんな冬空のもとで、春に始まる稲や大豆の田畑の準備をしています。畦草刈りや水路の点検、農用機械の整備、種まきの準備です。畑ではライ麦が芽を出していて「麦踏み」をしました。畑に残っているハクサイ・ダイコン・ニンジン・カブ・タカナ・ミズナ・サトイモなどを収穫します。陽ざしが長くなるとこれらの野菜に花が咲きはじめるので、その前に収穫を急ぎます。ニンニクやタマネギの苗をポリマルチをして植えたのですが、マルチの隙間から芽を出したコハコベやアオミミナグサ、トゲミノキツネノボタン、ヒメオドリコソウがいつのまにか大きくなっているので、寒風のなか草取りをしました。そういえばどれもヨーロッパから来た外来種です。引き抜くと茎や葉よりも根っこがひろがっているのに驚きます。
間もなくもこもこしたフキノトウが見つかるかも。
つばめ農園おひさま発電所
話は飛ぶのですが、つばめ農園では昨年の八月から「ソーラーシェアリング」を始めました。営農型太陽光発電とも言い、田んぼや畑にソーラーパネルをおいて、地上からの高さ二メートル以上を確保して、その下で農業をするという、二階建てで農地を利用する新しい方法です。
でも、
Q1・なんでわざわざ農地に?
Q2・パネルの陰で作物が育つの? Q3・台風に弱くない?
Q4・買い取り価格がどんどん下がってダメじゃない?
Q5・最後はリサイクルできないゴミになる?
Q6・原発もいやだけど再エネ賦課金が増えて納得いかない、
など色々な疑問が浮かびます。
百聞は一見にしかず。山口県にはないというので、先進地の千葉県に家族三人で見学に行きました。二〇一七年十二月のことです。三ヘクタールの荒廃農地に導入した匝瑳(そうさ)市の事例や、一〇アール程度のブルーベリー畑で農家民宿と合わせて経営しておられる例など、いろいろなタイプの取り組みを見せてもらいました。規模は様々でしたがいずれの方も、導入して地域の未来についての展望が開けてきたという意見が共通していました。「若い世代が田舎で有機農家になるという高いハードルも、ソーラーシェアリングの助けがあれば、案外楽に越えられて、結婚したり子どもを育てたりということも、視野に入ってくるのでは?」という言葉をもらって帰りました。それから実際に阿東つばめ農園に、
山口県では初となるソーラーシェアリングを導入するまでとしてからの二年ほどで経験したことを踏まえて、さきほどの疑問にお答えしてみましょう。
A1・ソーラーシェアリングは、その下で農業を続けることが許可の条件。だから野立てのメガソーラーなどが直面している山の乱開発や、雑草に負けるという問題がありません。うちは機械にあわせて高さを三メートルにしました。
A2・パネルをスダレのように隙間を空けて並べます。遮光率は三分の一程度で、普通の作物なら何でも育ちます。植物が光合成には必要とする光は、強すぎても使いこなせず、稲の場合は約半分程度しか使っていません。
A3・一本が一トン以上の引き抜きに耐える巨大ねじ釘のような土台に設置した丈夫なもので、万一に備えて保険も掛けています。
A4・買い取り価格は設置の単価がどんどん下がるのに合わせて下げています。うちは、二〇年間の固定価格買い取りで、一〇年ちょっとで元がとれる予定です。
A5・古くなったパネルをリユースおよび九五%以上リサイクルできる工場が、各地で稼働をはじめています。
A6・電気料金のお知らせには、再エネ賦課金だけが特出しで書いてあって、原子力関連の膨大な国民負担や送電線使用料が書いてありません。なぜでしょう。
さて、ソーラーシェアリングの導入のために様々な申請書類の準備が必要です。これは経験のない農家にはなかなか越えられない高い壁です。さいわい非営利でその手続きの一切を応援してくださる「市民エネルギーやまぐち株式会社」https://www.yace.co.jp/の支援を受けることができました。
実際に導入してみると、不安定な農作物の収穫以外に年間を通じた収入が生まれることで、将来の計画へ向けた大きな安心感が生まれました。
資源や食べ物を確保しようと派兵したりミサイル基地を作ったり、テロにおびえたりするのではなく、地域で食べ物とエネルギーを生み出してその恵みをわかちあっていける。原油やウランの輸入のために流出していくお金が地域でまわるようにする。その仕組みづくりこそ、足もとから平和を生きる道につながるものだと感じています。
(つづく)
沈黙の春
つばめ農園で稲作を始めた二〇一二年には、たくさんのヤゴが田んぼに育ちました。初夏には赤いウスバキトンボ、七月末にはギンヤンマやアオイトトンボ、キイトトンボ、夏の終りには赤トンボのいろいろな仲間が水田の上を群れていました。ツバメが子育てに取ってきたトンボが大きすぎて雛の口に入らず巣の下におちていたこともあります。
ところが、二〇一九年には、ヤゴの数が少なく、夏も秋も、トンボの数が極端に少なかったのです。九月にはいって田の上に目をこらして、ウスバキトンボが二〇匹くらい群れているのを見てややほっとしたのですが、毎年東南アジアから渡ってきて九州で繁殖するトンボが、こんなにも少ないとは……。
二〇一六年八月下旬、家の上の棚田に蕎麦を播きまいた。一ヵ月もすると白い花が咲き、モンシロチョウ、ツマグロヒョウモン、キアゲハ……、たくさんのチョウがやってきました。スズメバチもアシナガバチもセイヨウミツバチもハナムグリの仲間もやってきて虫たちの饗宴の場になりました。二年後、こんどは、家の前の苗代のあとを蕎麦畑にしました。種まきが少し上手になり、一面に花が咲きました。けれど少数のマルハナバチが花をめぐっただけで、他の虫たちはほとんど現われませんでした。
「夜になれば、家の灯りを求めて蛾なんか集まってきて窓に重なり合うように貼り付いとったが、今では蚊帳も網戸もいらんくらい。以前は二〇群も飼っていたニホンミツバチがいまではゼロ」。ご近所の農家の言葉です。
これらの変化は、水田の苗箱に振りかけて穂が出たあとまで効力を保ち、秋のカメムシ防除にも広く使われる、新しい農薬の登場がきっかけのようです。今ではEUで禁止となったフィプロニルやネオニコチノイド系の農薬、発がん性を隠していたとして、アメリカ合州国で四万件もの訴訟が起きている除草剤グリホサート(ラウンドアップ)。日本の農水省も、農薬取締法を改正して、今年の四月からは、従来下流の川の生き物への影響しか見ていなかった環境影響を、動植物全体に拡げて毎年評価しなおすことになりました。間に合えばいいのですが。
ポストハーベスト農薬汚染
話は飛びますが、つばめ農園から一〇キロしか離れていない、津和野の旧藩主別邸が、亀井温故館として公開されています。そこに、孫文が筆をふるった「知難行易」という額がかかっていました。「知るは難く行うは易し」。逆説のようですが、気付くことが行動への近道、頭の中が変われば体はついてくるという意味でしょうか。
日本の輸入農産物がどんなに念入りに収穫後の農薬処理をされているかを、私たちが「知る」機会がありました。一九九〇年に、大学の授業で見せようかと『ポストハーベスト農薬汚染』(学陽書房)というビデオを購入したのがきっかけです。合州国を中心に三年間の取材を経て、二〇分にまとめたビデオですが、日本に輸入される農産物が収穫のあとどのように様々な農薬まみれにされているかをかんきつ類・小麦・トウモロコシ・大豆などの現場をまわって取材したものでした。それを見たショックは大変なものでした。貴子は、いつも買い物をするスーパーに行って、オレンジやレモンの売り場からこわくて二メートル以上も離れて歩きながら、結局何も買えないで、途方に暮れて戻ってきました。
大学の近くに借りていた一軒家の目の前の使われていない小さな田んぼを借りることができたのは幸いでした。ほんの三〇坪ほどの土地をくわで耕すところから近所の方が教えてくださいました。安心安全な食べ物に格別の注意を払っているグリーンコープ生協に入ることもできました。
このようにして始まったわが家の「着土」への動きは(祖田修『着土の世界』家の光協会)、一九九三年の鳥取県東伯町(現琴浦町)で初の稲作体験をへて、山口市仁保で自給的な稲作を二〇年続け、二〇一二年の「阿東つばめ農園」の開園につながり、現在の一ヘクタールの家族農業にいたったわけです。その間、農薬も除草剤も化学肥料も使わない農業の取り組みの力強い仲間になってくださったのが、山口県環境保全型農業推進研究会(愛称・山口かんぽ研)でした。山口かんぽ研は、発足当初は合鴨水稲同時作が柱でしたが、どのような農法でも排除しあわないという原則によってゆるやかなつながりを保つ会として現在も続いています。
二〇二〇年三月一日には、わが家の暮らしを根本から変えた、あの『ポストハーベスト農薬汚染』のビデオを作った、食品と暮らしの安全基金代表・国際チェルノブイリ福島連盟副会長の小若順一さんを山口市に迎えて、第二九回環境保全型農業フォーラムを実施しました(写真)。山口かんぽ研の多彩な取り組みについては、またお話する機会があると思います。
(つづく)
(あんけいたかこ、山口かんぽ研副会長
・あんけいゆうじ、同理事)
いま種子が危ない
新型コロナ肺炎が思いがけぬ展開をしています。大都会の方々は家にこもらざるを得なくてさぞかし大変なことと思います。ニュースを聞きながら、花冷えの寒さの中、春の農作業がたいへん忙しいつばめ農園ですが、こぶしの花や山桜の花、つばめの到来に心を動かされている今日がたいへんありがたいことだと感じています。
「食の主権(food
sovereignty)」という言葉をご存じでしょうか。グローバル企業によって支配される農業ではなく、政府主導の食糧安全保障ともちがって、何を育て、何を食べるかを決めるのはそれを育てる農民自身だという考え方です。そのために決定的に大切なのは、種子(たね)を守ることです。
種子は、生命の根源そのものであり、栽培植物の品種は、生物と文化の多様性の精華というべき大切なものです。私たちの食の基本である米・麦・大豆のすぐれた品種を安定して供給するために、優良な種子の生産・普及を都道府県が責任をもっておこなうことを支えてきた法律である種子法(主要農産物種子法)が十分な審議や農業関係者への説明もなく、二〇一八年三月に廃止になりました。前年八月には、早手回しに「農業競争力強化支援法」が施行されていて、その第八条には、民間業者による種子の生産への参入が進むまでの間は、公的機関は、原種等を維持して、そのデータをそっくり民間業者に提供する役割を担うことが明記されています。
日本の野菜の種子は種子法で守られていなかったのですが、どうなったでしょう。近くのホームセンターでご覧になれば、日本で作られている種子が現在ほとんどないことに驚かれるでしょう。そして、野菜の七倍の規模の日本の稲や麦や大豆が、グローバル企業の新たな金儲けの目当てとなったのです。野菜で起きたのと同じように多様な固定品種が失われ、その種子の価格もはねあがり、しかも毎年買わなければならないという事態が近づいています。
民間企業が開発した稲である日本モンサントのとねのめぐみ、三井化学のみつひかり等を栽培している農家に聞くと、これらの稲を作る時は、使う肥料や農薬もすべて指定されており、収穫した全量を企業に渡す義務がある契約を結ぶのです。それは、食の主権を放棄して企業の奴隷になることと同じです。
さらに、二〇二〇年には「種苗法」を改悪して、登録品種における農家の自家増殖を、一律禁止することを閣議決定し、四月以降に審議入りする予定です。このことは「日本の種子を守る会」の活動の紹介とあわせ、今後の連載で随時とりあげたいと思います。
奇跡のお米・イセヒカリ
日本の種子を守り、食の主権を大切にする実践のひとつとして、阿東つばめ農園で育てているお米の品種があります。それはイセヒカリというお米です。
伊勢神宮の神田で栽培されていたコシヒカリが二度の台風で全滅した一九八九年、二株だけ倒れなかった奇跡の稲がありました。その種子を収穫し、品種として安定するまで民間育種したのが今も神前に供えられるイセヒカリです。現在その種子を保存し、種もみのもととなる原種とその親である原々種を育てておられるのが、阿東での私たちの化学物質を使わない稲作の師匠である吉松敬祐(けいすけ)さんです。
去年は原種を分けていただいて、田の隅に一本ずつ苗を手植えしました。ていねいに手取り除草して、手刈り、ハゼ掛け乾燥、脱穀して、自家用の種もみづくりに挑戦しました。種もみの芒を取り、唐箕で選別し(写真)、塩水選で重い籾を選び、温湯殺菌して、芽だしし、ポットに撒いて苗代に降ろします。
つばめ農園では、除草剤や農薬、化学肥料を一切使わないので、いかにして草を抑えるかが農法のポイントになります。乳熟期の稲をカメムシが吸うと黒い斑点のある米粒が混じって見た目が悪くなり、等級検査でも低くなるのが悩みでした。ここ数年は、ご近所の色彩選粒機を使わせていただけるようになって、斑点米や未熟米などをコンピュータが一粒ずつ判断して飛ばしてくれるので、毎年きれいに粒の揃った一等米が出荷できるようになりました。
阿東つばめ農園のイセヒカリは、農園主の安渓大慧(だいえ)が、昨年、国のエコファーマーの認定を取得した「特別栽培農産物」として全国にお届けしています(文末のアドレスで「イセヒカリ」を検索)。
肝心のお味は、かみしめると甘みがあってたいへんおいしいお米で、玄米も人気です。お寿司にも向き、酒米でもあります。リピートして下さる方々が「冷めてもおいしい」「おじやにも最高」とおっしゃいます。炊き方のコツは、前の晩に研いで翌朝炊くこと。いきなり炊くときは、いつもより一五%ほど水を多めにするとうまく炊けます。
家にこもらなければならなくなった都会の人たちには、カップラーメンやレトルト食品の備蓄よりは、安心できるお米の年間契約をお勧めします。 (つづく)
空き家を「おひさま交流館」に
眠っていた木々の芽ばえ、そして若葉から青葉へ。この季節の山々は赤や黄色そして緑と、華やかに衣替えをします。四月一五日に溜池からの給水がはじまると盆地の高台にある我が家からは、眼下の平原に、次々と水が溜められ、水の国が誕生するのが見えます。連休は町から戻って田植えを手助けする人々が見られますが、今年はどうなるでしょうか。うちのツバメは雛が孵りそうです。でも、村に何軒かある空き家にはツバメはけっして巣をかけません。
村の中に空き家ができると、そのまわりの草を刈る人がいなくなり、景色からいとおしさが消え始めます。藪が広がるとイノシシが安心して田畑を荒らすようにもなります。空き家率が山口市では一七%に達していて、放置して廃屋になると崩れる危険もあって手が付けられなくなります。
そんな空き家のひとつを、地域が元気になるような多世代交流の場にできないか、と考えて、つばめ農園では、昨年九月から、近くの空き家を改修して、交流拠点にすることに力を注いできました。山口市定住促進課が進める「空き家×交流」というプロジェクトに応募して、選定されたのです。
公開プレゼンによる審査には「電気も自給できる阿東つばめ農園・おひさま交流館」というタイトルで臨みました。災害などがあってもライフラインが途切れない、持続可能な暮らしのたしかさを実感できる交流拠点として空き家を改装する計画は、幸い審査員のみなさんに合格点をつけていただきました。
廃屋になっている部分の取り壊しと、大学生に不評のくみ取り便所の改修、バッテリーを備えた自立電源の設置などが主な取り組みです。太陽熱温水器・薪風呂・薪ストーブなども欠かせないものです。山口県立大学大学院の安渓ゼミで学ばれた社会人の中で、もと土建屋さんでりんご園の農家民宿とイタリアレストランのオーナーだった下瀬さんと、「村のトイレ屋」で原発いらない活動に忙しい安藤さんに声を掛けました。車椅子の林業家兼大工で陸上イージス・ミサイル基地建設に反対の白松さん、広島県府中市で自然エネルギー導入のノウハウを持つ石岡さんの協力もいただいて、この三月で一応事業は完了しました。
「適密適疎の未来」への道のり
地球規模でのウィルスの拡散の速度を遅くするために、密閉・密集・密接の三つの「密」を避けようと政府が呼びかけています。これは、通勤ひとつとってみても過密都市では大変に実現が難しい目標です。自然環境に与える負荷が大きすぎる大都市の多くが、大きさだけでなく密度の面でも「限界都市」となっていることに改めて気付かされます。それに引き替え、これまで過疎による「限界集落」などと呼ばれてきた日本の田舎こそが、実は「適疎」でありえます。
二〇二〇年一月一二日、島根県の邑南町で「中国山地未来会議」が開かれ、「過疎は終わった!」を旗印に、百人もの人が集まって、新しい時代のための狼煙(のろし)をあげました。ここに家族三人で参加したつばめ農園では、若者と地元の人たちが、自由にかつ具体的に意見交換できる場として「未来会議やまぐち」をスタートさせました。毎月の交流会では、山口県立大学の学生たちが、積極的に参加してくれています(現在は月例会を休止中)。
都市での生活を経験したうえで、若者が田舎での暮らしの実際を味わい、やがては定住も考える。そうした可能性を胸に、エネルギーまで自給できる「なつかしい未来」の田舎暮らしを実地に体験できる場のひとつが、「阿東つばめ農園おひさま交流館」です。都会で転んで一人では起き上がれなくなった時、雇われていることに息がつまった時に、ふと思い出して下さい。田の草を取ったり、薪割りをしたりして、いのちの洗濯ができる場所、そして、使うお金は少なくても、自然の循環にそった暮らしのゆたかさを実感できる、ライフスタイルの乗り換え駅のひとつがここにあることを。 (つづく)
甘みのある白大豆・タマホマレ
六月に入り、つばめ農園の眼下は、稲が植えられた田んぼの緑の中に、収穫期を迎えた金色の小麦畑が点在しています。うちもポット田植え機でのイセヒカリの田植えを終えて補植と除草が始まります。畑ではタマネギ、ニンニクの収穫が近づいています。トマトやキュウリもポットに種をまいて育てて、畑に移しました。津和野の自然農法の方からいただいたライ麦が2年目の花を咲かせ、草丈が2mにもなっています。畑や道端の雑草が、コハコベやオオイヌノフグリなど地中海原産の草から、ハルジオン・ヒメジョオンやアメリカフウロなど北アメリカからやってきた草にバトンタッチしています。これからは、早朝と夕方が農作業に向いた時間になります。
阿東つばめ農園では、全部で六枚ある田んぼのうち一枚を順番に休ませて、そこに大豆を育てています。これには、除草剤を使わない農法で増えやすい水田雑草を減らすという効果もあります。品種はタマホマレという白大豆です。ほんのりと甘みがあって、豆乳や味噌や煮豆に向いています。収穫後一年たっても味が落ちないどころかますます良くなるという性質があるそうです。
土が乾いていないと種まきの機械がうまく働きません。まいたあとは、お湿りが欲しいのですが、大雨が降って水に浸かるようだと豆が発芽できません。今年は、田植えと重なって忙しいのですが、晩には雨が降るというぎりぎりのタイミングで五月三〇日に種子を播くことができました。
数日で緑の双葉が出てくるはずですが、初めての年は三分の一ほどが途中でなくなりました。ちょうどキジバトが子育てをする時季に重なって、食べられてしまったのです。ご近所の大豆農家は、忌避剤であり防かび剤でもあるチウラム等をまぶした種子を播いているようですが、一切の人工化学物質を使わないつばめ農園では、畑全体を鳥除け網で覆います。一枚二〇〇坪ある網をひろげて二枚かけます。
遺伝子組換え大豆とグリホサート系除草剤
さて、日本国内で生産されている大豆は、毎年輸入される大豆約三〇〇万トンの一〇分の一に満たないものです。輸入量の約七割を占めるアメリカ産の大豆は、その九割までが遺伝子組換え作物なのです。遺伝子を操作する目的は、大豆畑にすべての植物を枯らすグリホサート系(商品名ラウンドアップ等)の除草剤を撒いて、大豆にそれでも枯れない耐性を持たせることです。遺伝子操作食品そのものの安全性は、ただいま大規模人体実験中という段階だと思いますが、問題は、輸入食品が一定量のグリホサートを含むことです。二〇一七年一二月を期して、禁止に動く世界の潮流に反して日本政府は輸入食品に対する基準を大幅に緩和しました。小麦で六倍、ソバとライ麦では一五〇倍の三〇PPMになりました。
ゴマではなんと二〇〇倍の四〇PPMです。
もともと二〇PPMまで許容と高かった大豆は据え置きでしたが、日本人が日常的に食べる食材がたくさんのグリホサートを含んでもよいことになったのです。
グリホサート系の除草剤は二〇〇二年にモンサント社の特許が切れて、今では量販店や百円ショップなどで安く売られるようになっています。その宣伝によると、毒物でも劇物でもなく、安全な「普通物」に該当し、しかも土壌中では速やかにアミノ酸等に分解して残らないと謳われています。
ところが近年、グリホサートによって健康障害が起こるという多数の論文が発表されています。それを踏まえてわかりやすくまとめた木村―黒田純子さんの報告は企業の宣伝とはまったく異なるものです(岩波の『科学』二〇一九年一〇月号と一一月号、環境脳神経情報センターのサイトで読めます)。それによるとヒトの健康障害としては、発がん性、自閉症など発達障害、生殖系への影響、パーキンソン病、急性毒性としては皮膚炎、肺炎、血管炎などが挙げられています。また動物実験では、発がん性、DNAの損傷、腸内細菌層の異常、脳で重要なグルタミン酸受容体への影響、発達神経毒性、暴露した個体に影響がなくても二代目三代目に障害を起こすエピジェネティックな変異、などが報告されています。
IARC
(国際がん研究機関)は、二〇一五年三月、除草剤のグリホサートとその製剤について、ヒトに対して「おそらく発ガン性がある」とするランク付けを発表しました。この後、日本政府を含めてこの見解を否定する意見がたくさん提出されました。しかし、農薬の安全審査はその原体(この場合はグリホサート)だけの影響を検討するのですが、前記の報告では様々な添加物を含む製剤として市販されているものを調べたところ、なんと、原体の一〇〇倍もの毒性があることがわかったのです。原体を使った動物実験で毒性が出ないぎりぎりの値の一〇〇分の一をヒトへの安全基準値としている現在のやり方そのものが崩壊するデータです。
(つづく)
(あんけいたかこ・あんけいゆうじ)
以下は、ロシナンテ社の四方さんからのメールです
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ロシナンテ社
2020年5月25日(月) 12:07
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槌田劭さんの「傲慢な文明生活の反省を~新型コロナウイルスの啓示を受けて」を所収。
福島から飯舘村の伊藤延由さん。伊藤さんは高濃度に汚染されたままの飯舘村で日々、測定しながら生活しています。そして放射線医療の専門家・西尾正道さん「被曝影響をフェイクサイエンスで対応する国家的犯罪(1)」 大沼淳一さんの「環境汚染を測る」は最終回です。三春町のえすぺりの大河原伸さんの描く「原発事故 切なかったこと」 好評連載中です。
月刊むすぶ 一部=880円+送料(80円) 年間購読代 9000円
月刊地域闘争は、1970年創刊です。そんな70年代の記録「月刊地域闘争」70年10月号(創刊号)~79年12月号をDVDにまとめました。経済成長の弊害が公害被害となって、住民を苦しめます。そんな中。各地の住民が立ち上がります。私たちのもう一つの記録です。研究者向の貴重な資料です。5万円+税
制作は、ワークス共同作業所。京都の障害者の皆さんが生き合う場です。売り上げの一部がワークス共同作業所へ入ります。
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●2020年5月号 No.592
☆☆特集 この国は真実を隠すんです 原発事故そしてコロナ禍☆☆
◆伊藤延由の測定日誌(その1)
◆被爆影響をフェイクサイエンスで 西尾 正道
対応する国家的犯罪?
―核開連施設立地地域と東京をつなぐ― 西島 香織
◆核燃料サイクル計画映画製作プロジェクト
◆環境汚染を測る (その14 最終回) 大沼 淳一
東電は汚染水を流してはいけない
◆原発事故後 切なかったこと 大河原 伸
◆原発事故日誌
◇ ◇ ◇
玉城デニー知事トークキャラバン つながり津々浦々(その四)
勉強会「同性愛・LGBT・セクシュアリティを考える」 ささき こじろう
ハルモニたちの歩みを継いで? 西尾 慧吾
―学生団体STANDの挑戦と今後
野菜のむこうに顔が見える 蒔田 直子
―追悼― 石井紀子さん
コロナ禍この先に何があるんでしょうか?
互いを必要とし、自分たちで考え続けよう 上島 一高
傲慢な文明生活の反省を―新型コロナウイルスの啓示を受けて 槌田 劭
◇ ◇ ◇
◆時代を駆ける 第330回 舘崎 正二
◆馬ずらペンギンの「要介護日記」(21) 春本 幸子
◆此岸にとどまる― 藤田三奈子
震災&癌サバイバーとして生きる(22)
◆人生論もどきのガチンコエッセー 水脈よ溢れ 青野 禮
(一〇)幸徳秋水の『基督抹殺論』から
◆これで事件の本質が分からなくなった その2 まゆずみただし
◆水俣病六〇年のQアンドA(連載37) 久保田 好生
◆藤田恵の環境問題にもの申す
第65回 「水問題原論」を読む (番外) 藤田 恵
凡夫の雑記帳(27)
◆つばめ農園おひさま便り 5 安渓貴子
安渓遊地
◆憲法から考える憲法を考える 第185回 中北 龍太郎
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