わが師わが友)2000年10月上関町室津にて 藤田祐幸さん・河本広正さん・竹弘盛三さん・亀田トリさん
2016/07/19
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2016/07/18 (月)21時45分、藤田祐幸さんが永眠されました。
この週末、広瀬さんの講演会が大分と水俣で開催されました。
大分の小坂さんが、「広瀬さんが来るよ」と藤田さんに電話をしたところ、
「体調が悪くなり、今から久留米の病院に入院する」というのが小坂さんとの最後の会話だったそうです。
水俣の講演会も終わり、「お見舞いがてら、ちょっと顔を見ていこう」と、今朝、広瀬さんと小坂さんは久留米に向かったそうです。
しかし、その時すでにこん睡状態に陥り、自宅のある西海町の病院に移ったとのことでした。
私が、藤田さんと出会ったのは、いつの事だったでしょうか。
当時まだ九大にいた平井さんが、藤田さんと一緒に、小倉北中央公民館にやってきました。
当時からすでに顔いっぱいに立派なひげを蓄え、平井さんの先輩だろうと思っていたら、同じ歳と聞いて驚いたのを覚えています。
それ以来、ずーっと困ったときは藤田さんと、ずいぶん無理なお願いをし続けてきました。
胃がんの手術を受けるときには、「ほんのちょっと、内視鏡で採るだけの簡単な手術。すぐ終わる」と言っていましたが、
ほとんど全摘に近い手術で、本人も「想定外だった」と驚くという、楽天的な性格でした。
葬儀の日程等不明ですが、「しのぶ会」が執り行われると思います。
その折は、また連絡を流します。
以上引用でした。
「あきみず通信」というミニコミに載った記事です。私(安渓遊地)もあの現場にいました。こんなに詳しく記録しておいてくださったのをありがたく思います。エンジェル・トランペットは、チョウセンアサガオの別名ですね。
<海のエンジェル・トランペット>
不況風が吹く北九州黒崎の町に、1,000人をはるかに超える若者たちが集まって頭の上で激しく手をたたき、足を踏みならして歌っている。
「平和が戦車でやってくる。ウオー、ウオー、ウオー」
確かにそうだ。 この曲が出来た昨年の冬、東海村では何も知らないまま、バケツで原子爆弾を作っていた労働者が殺された。
こうして人々が確実に戦争に狩り出されて行く。
「平和が戦車でやってきた」
顔がはれてだんだん死が迫ってくる労働者の写真を見ていると、人間がお化けになって行っている。
とうとう平和が戦車でやってきた。
2000年10月31日、朝五時に起きて小倉から山口県下松まで来て、そこから上関まではバスに乗った。
海のほとりの室津では、特産だったびわも少なくなりラッキョウとてなく、廃れて町の活気がない。すさまじい農業破壊の上に、金で頬を張るようにして原発をつくろうとしている。
家々の庭にエンジェル・トランペットが咲いている。
大きい百合の花に似たこの木は九州には比較的多い。しかしどうしてそれがこの辺にもあるのだろうか。
そうか上関は四国や北九州が目の先、鼻の先なのだ。同じ潮が流れている。
交通の要所であり漁業の要所であった上関に原発ができる。
ただごとではない。自分の庭先に原子力発電所ができようとしている。
今日のヒヤリングの会場になる室津体育館に着いたときは、もうたくさんの人が集まっていた。
坂道には山口県警の機動隊員が車止めの柵を置いていた。通産省の役人もたくさんきている。
各地から抗議の人が続々と集まってきた。
坂の上の河本先生に下からあいさつした。だがその顔の上にはいつものあのにこやかさはない。口をしっかり閉めて目を光らせて全体を見ている。
自治労の労働者たちがたくさん上がってきた。
祝島を中心とする漁民たちも既に労働者たちと道路を占拠している。漁協組合長の島戸さんもいる。
ややあって、通産省の役人の車が上がってきた。
「おまえたちは何をしに来たのか」
「道を開けて下さい」
「だめだ。原発は絶対作らせない。できないのになぜ無理をしてくるのか」激しい抗議が続く。
それでも出ようとすると漁民のかあちゃんたちがばたばたと寝転がって車を止めた。
自治労の労働者が押し返す。
どうしようもない。激しい抗議に機動隊員も手が出せない。
通産省とたくさんの漁民が、そして労働者が対峙する。絶対に作らせない。
出来るものか。必ず潰す。人々はそう言った。
通産省の役人は仲間同士で私語をしている。
「全国どこでも、こういう状況を強行突破してきた。しかしここでは出来ない」年配の役人が若い役人に説明している。
そうだろう。この上関原発に反対する戦いは、昨日今日始まったことではない。
以前、豊浦郡豊北町や阿武郡の田万川町に原発を作る計画を潰したことから考えればもう30年近くも続いている。
この力はいずれも建設予定地の地元住民が断固として作らせないと言っている事である。
つまり漁民とその地区の町民や労働者が、絶対作らせないと言っている。これではできるはずがない。
つい先ほど前まで山口県にはたくさんの炭鉱があった。
今からは石炭ではなく石油だと言って、たくさんの炭鉱労働者をクビにして潰した。その後は石油から原子力だと言ったのに、今またそのアメリカが宇部の炭坑跡で石炭や天然ガスで安い電力を作って売ろうとしている。
なんだい一体、この何十年間の山口県の歴史は一体何であったのか。
彼らの言うことがでたらめであったことは皆よく知っている。その時だけの言い抜けとデタラメである通産省の道理は通らない。
ごり押ししようとしても、その前にガンとして立ちはだかっている漁民がおり労働者がいる。
資本の論理から見てもこのようなコスト高の電力が成り立つ訳がない。アメリカの安い電力を売る事業の食い物にされるだけだ。
今からの日本経済がIT中心になるのなら、なおさら大量の電力はいらないはずだ。
なんとか機動隊に守られて主催者だけが会場に入った。
警察の広報車がやってきた。
「道を開けて下さい、道路交通法違反です。交通の邪魔になります」
この山のなかでだれが邪魔するものか。通る者はいないじゃないか」
「でも交通の妨害になります、道を開けて下さい」
「お前はシートベルトをしてないじゃないか、交通法違反だ」
「いいえ。警官は特別な時にはシートベルトをしなくてもいい法律があります」ばかげた言い訳をする。皆大笑いだ。
「よし道を開けてやろう。前に進め」
さて困ったもので機動隊はそのまま、ずーと坂道を下って行ってしまって引き返す事が出来なくなった。こうして警察官がいなくなったのでまた入り口を封鎖していた。
何時間もこんな状態が続いている。
抗議のつもりが阻止になってしまった。
お昼になった。会場のすぐ上の山で集会が始まった。
主催者の河本先生が
「ここは私の土地だ。今通産省がヒヤリングをやっているあの会場も3分の1が私の土地だった。私はこの土地を売らずに持っていてよかった。昨日みんなが来て、この山の竹やぶを切って、これだけ広い場所を作った。土地を持った者が反対すれば絶対原発はできない。原発ができる炉心部の中心にあるお宮の神主さんも反対で、私は寄ってたかって総代を引き下ろされたが、今でも神主さんは反対を貫いている、神社庁も反対だ。原発はできない」
道路が開いたというのでヒヤリングに参加する人々がバスでやってきた。
原発は必要だからというからヒヤリングに参加してみたが、こんなにもたくさんの人が反対しているじゃないか!
なんだか私たちはだまされているのだろうか、そういうことを話し合いながら配られた立派な弁当を食べていた。
通産省も自信がない、自信がないから反対派を説得できない。
反対派の方に東海村の事故の説明がつかない。
こういう状況で抗議集会が取り巻く中でやっとヒヤリングが始まった。
石油がなくなると言って原子力になったが、考えても、あれからもう何十年もなるのに石油はなくならない。それどころかますますたくさん発見され掘り出されている。石油がなくなるというのは幻想だった。
今ではもっと安い便利な天然ガスもやたらと取れている。
風力発電も発展しているし太陽光発電も発展している。
石油がなくなるから原発だという議論は成り立たなくなっている。
環境問題を考えてもスナメリがいなくなり大切な巻貝もいなくなると環境を検査している科学者も反対している。
第一、原子力発電所の建設に金を使って、その後何百年も後始末に金を使うような事が企業家として成り立つだろうか。
たとえばヒューストンのガス会社エンロンが山口県宇部の宇部興産遊休地に50万キロワット、大牟田の三井鉱山敷地内に10万キロワット、そして北九州新日鉄敷地の隣接地、青森県むつ市、四国電力管内高知にも新しい発電所を造り、今の日本より10%安い電力を売る計画だ。アメリカとの電力戦争に勝てるわけがない。
企業能力からいっても中国電力は破産に追い込まれる。
やがて今の銀行と同じように、その赤字を国が保証しろというような、原子力産業の全面的破産状況が起きるのは目に見えている。
こんなことが分かっているから山口県としても建設の勢いがでない。
なんとかして日を伸ばしていまや政府の答申要請にこたえることもできなくなっている。
12月中に回答できなければ、国の電力審議会にかけられない。もう不可能な段階にまで迫ってきた。
これまで推進派とよばれている人はいくらか金をもらった。これからももらおうとしている。
しかしこれは見せ金のようなもので、本当のお金は原発が出来てからもらえるのであるから、もし出来なかったら、これらのお金はもらえない。また貰った金は返してくれと言われる。つまり今流行の空手形のようなものである。だから金をもらう人たちも本当にもらえるのかどうか動揺している。人の心は金では買えない。時間と事実がそのインチキを暴露していく。
原発の建設予定地四代地区のお年寄りが
「私たちは絶対土地を渡さない。いつもは反対がきついが今日こうして皆さんに逢って本当に心強い」とあいさつした。
私の隣にいる夫婦も
「河本さんの近くに住んでいるが私はあの人を信じているとから」と話し出した。
その回りに原子物理学者の藤田祐幸さんたちもやってきて、車座になって話が始まった。
主催者が、
「今日は広島からもたくさんやってきてくれた。とりわけ九州からの人たちがやってきたことで本当に励まされた」と挨拶をした。
小倉のグループも大分からのグループもやってきた。労働者や主婦やたくさんの人が九州から来た。
九州で頑張ったら上関の原発をつぶせる。みんなの力を合わせてやりましょう、そうあいさつをした。
今日は報道部という青い腕章をつけた人がやたらと多い。
各新聞社やテレビ各社も全員、通産報道部という腕章を付けさせられた。
こんなばかなことはない。
各新聞にしても放送各社にしても全部自社の責任で報道している。
それがあたかも通産省の報道のように管理されている。完全な言論統制である。
マスコミの人たちが口々にそのことを非難した。
こんな扱いは初めてです、私は広島の出身ですが広島からマスコミの世界に入ってこんな報道管制は初めてです。本当に通産省は何を考えているのでしょうか。若い女性が言っていた。
私達の仲間が挨拶した。
「小倉で私たちはやっています。東海村の事故が起きたとき私たちは原子力発電に反対して主婦がなにか出来る事をしようと立ち上がりました。広瀬さんの講演会をやってその速記録を作ってもう2,000部も売れました。たくさんの人が今原子力発電に反対して行動を再び始めています。子供達に譲り渡す未来のために活動しています」
「見ろ!海上デモが始まった」
上関祝島70隻の漁船が一斉に岬を回って広い湾内に入ってきた。
ウオー、ウオー。ウオー、大きく輪を描いて進む船団に山の上からシュプレヒ・コールが響く。
「おれたちはここで戦っているぞ!」
平和が戦車でやってきた。私たちは今ここでその戦車に立ちはだかっている。
寒風が吹くというのに海も山も人間も本当に美しい。
三重県や東海村からやってきた人たちがいった。
「私たちは選挙や署名運動で反対してきた。でもここでは実際の行動で建設に反対している。これはいい勉強になった。帰ったら今日の事を皆に話します」と挨拶した。
みんなが力を合わせれば確実に原発はつぶせる。海からも山からも戦い続ける。
以上、引用終わり
写真に写っている人たちを懐かしく思い起こします。
河本広正氏(かわもと・ひろまさ=原発に反対し上関町の安全と発展を考える会会長)入浴中に倒れ、2003年9月19日午後8時10分、山口県柳井市の病院で死去、81歳。山口県出身。自宅は同県上関町室津670の4。葬儀・告別式は22日午前10時から自宅で。喪主は長男勝文(かつふみ)氏。
http://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20030920000153
竹弘盛三さんと亀田トリさん http://ankei.jp/yuji/?n=2053
安渓遊地