地球がキャンパス)マニラ在住の女性が「慰安婦」にされた経験を教室で聞きました #confort_women_#Philippines
2015/06/07
6/8 シェアしてくださる方が多いので、少し文章を手直ししました。
大学の2年生の授業で、60人以上の学ぶ教室をマニラとインターネットでつなぎました。ロラ(おばあちゃん)に、日本軍の兵士に拉致され、レイプされ、その後「慰安婦」とされたというつらい経験を語ってもらいました。フィリピノ語(タガログ語)→英語通訳でおくられてくるメッセージと画像を私が逐次日本語にしながら、それを今回のインタビューのアレンジの世話をしてくださった現地のFさんに聞いてもらい、足りない、あるいは間違って訳したところを補ってもらうという進め方をしました。
会場に来てくださったロラはお二人ですが、今回証言してくださったのは、今年89歳になるロラ・ヒラリア・ブスタマンテさん。72年前の経験を語ってくださいました。(教室の写真は、スクリーン部分のみコントラストを上げる加工をしています。)
マニラに住んでいた17歳の時、3人の日本兵につかまってトラックに投げ入れられ、部隊に連れて行かれ、そこでレイプされました。そこには既に3人の女性がつかまっていましたから、日本軍による組織的な犯行だとしか考えられません。それからほぼ1年の間、昼は洗濯や料理をさせられ、夜は5人ほどの兵士にレイプされる日々が続きました(証言の内容を詳しくここに書く許可をいただいていませんので、文末のJapan
Timesの記事からの要約です)。
証言のあとタガログ語から英語への通訳してくださったレチルダさんは、このようなメッセージを付け加えられました。
ロラたちは、個人への謝罪と、歴史の教科書にきちんと書くこと、経済的な補償の3つを要求しています。日本の教科書から「慰安婦」が削除されていることをご存じですか。この5月には、韓国も訪れて国際的に共に手を携えています。
いま、アキノ大統領とアベ首相は、アジア太平洋において中国と戦争をするために手を携えています。しかし、それはアジア太平洋の国ではないアメリカの言うなりになっているだけです。ある日目覚めたら、足もとで戦争が始まっている。そんな事態が急速に近づいています。その時に、ロラの経験が遠い国の遠い昔のできごとでなく、必ず未来の女性たちに同じことが起こるのだ、ということを実感としてわかってください。
お話が終わって、
学生たちがブスタマンテさんへの質問を準備するグループ・ディスカッションの時間に、私は、1)バスク語の懐メロ Bentara
noa(教科書に載せたけれど、読んだだけではわからない部分はどこ? という宿題の答えのつもり) と 2)メキシコの第二の国歌といわれる「小さい空
Cielito
lindo」(フィリピンはもとスペインの支配を受けた)を歌い、 3)オカリナで日本の国民歌「ふるさと」(日本の支配も受けた) 4)鼻笛で「煙が目にしみる
Smoke gets in your
eyes」(亡くなったロラのひとりがいつもカラオケで歌っていたからというリクエストがあったアメリカのジャズのスタンダードナンバー)を演奏しました。
教科書である『キャンパスを飛び出そう』の私の担当章のタイトルは「自分から解放されて、地域の物語の一部になる」でした。人とのご縁のつむぎ方が、私からの中核メッセージであり、音楽はその重要な手段であり楽しみでもあります。PTSDのつらい体験を話すことはいまでも、いつまでも大変なこと。それを、ベトナム帰還兵だったアレン・ネルソンさんの山口での講演を聞いて、お話の始めと終わりに必ず歌とギターの演奏を入れることとその意味の説明で教えられたのでした。だからロラが笑顔の日常生活にもどっていただくことを願って心をこめて演奏しました。終わりのへんでロラの笑顔がスカイプの画面で見えました!
大声で歌っていたこちらからは聞こえませんでしたが、ご一緒していたFさんによれば、スペイン語の歌と英語の歌は、ロラさんたちもいっしょに口ずさんでおられたそうです。タガログ語から英語への通訳してくれたレチルダさんが、訳をするため珍しくテンションがあがって大きな声で真剣に話していた安渓のことを「とてもハッピーな人ですね」とニコニコしておられたそうです。
話してくださった、ロラ・ヒラリア・ブスタマンテさんが2014年のジャパンタイムスに取り上げれられていることを。Fさんが教えてくださいました。
http://www.japantimes.co.jp/news/2014/10/11/national/comfort-women-recount-wartime-ordeals/#.VW2uDCSQsU1
ブスタマンテさんの証言の部分を以下に引用しておきます。
Hilaria Bustamante, an 88-year-old former comfort woman in the Philippines
went public about her ordeal in 1995. In an interview, she said she stands by
her testimony.
Bustamante said she was abducted in 1943 at age 17 in Hermosa, northwest of
Manila.
She said a truckload of Japanese soldiers stopped and forced her aboard. They
took her to a garrison and three soldiers raped her.
“How can I believe that the Japanese military’s wartime sexual slavery was
not organized when there were three other women already there when I
arrived?” she said.
She said her ordeal included having to do the soldiers’ laundry and cooking,
and being raped at night.
At times “more than five men would rape me in one night,” she said. She and
the other women were kept there for almost a year.
Bustamante later received a letter of apology from the then prime minister
and “atonement money” from the private Asian Women’s Fund, set up at the
government’s initiative in 1995 to collect private donations to finance
humanitarian measures for former comfort women. The fund ran through 2007.
“Until we make the Japanese government accountable, and until it admits the
existence of the comfort women, we will not stop,” Bustamante said.
授業担当者のひとりとして・安渓遊地