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わが師)#西表島 の自然の語り部・黒島寛松さんを悼む #干立
2026/02/13
2005年5月27日初出ですが、2026年1月13日西表島の干立村にいたので、アップしなおしました。その1ヶ月後、黒島さんの原稿が1990年に出版されていたことを知りましたので、添付しておきます。
西表島出身の黒島寛松さんが二〇〇三十月二十七日に亡くなられた。数えで九十歳のご高齢であった。初めてお会いしたのは一九七四年だったが、西表島の人と自然の関係についての研究にとりくむ中で、たえずかゆいところに手の届くような懇切な指導をいただくことができた。学恩に感謝するとともに、心からご冥福をお祈りしたい。
今から三十年前、大学院に入りたてだった私は、伊谷純一郎先生の指導で、初めてのフィールドワークのために西表島を訪れる途中、那覇に降りたった。そこで、当時那覇市立図書館の館長であった外間政彰さんを訪ねた。外間さんは私の中学校の恩師の親戚で、私が大学生のときに京大図書館所蔵の伊波普猷関係資料の複写をさせていただいたというご縁であった。外間さんの紹介でその日のうちに三人の在野の学者にお会いして教えを請うことができた。その方々とは、多和田真淳、天野鉄夫、黒島寛松の各氏であった。野にあって、生き生きとした学問世界を展開しておられるさまざまな分野の先達に教えを受けることができたことは、私にとってまことに新鮮な驚きであり、また喜びであった。興奮した私は、その日のフィールドノートに「沖縄はいまルネサンス時代。多能の知の巨人たちが健在である」と書き付けたものだ。研究活動の出発点でこうしたご縁をいただけたことは、その後の私の人生にとって得難い贈り物であった。
西表島の植物知識や民俗について、どうしても判らないで困った時には、黒島寛松さんに尋ねると疑問が氷解することが多かった。例えば、従来の研究では、西表島西部の人々は、植物をキー(木)フサ(草)カッツァ(かずら)バラピ(シダ植物)の四つに分類する土着の体系をもっているとされていた。しかし、これらのどれにも入りそうもないたくさんの植物があることも事実で、例えばヤシの仲間、竹の仲間、さらにはバナナやパパイアなどは何に入るのだろう。そんな時、島ではどのように見なしているかのつっこんだ議論をしていただいたことで、外部の者による短期間の調査ではつい単純化されがちな民俗知識の複雑な実態について学ぶことができた。
黒島寛松さんは、西表島西部の干立村に生まれ育った。新しくオープンしたペンション村「いるんてぃふたで村」の中の「カネー」と表示された所がその生家である。営林署や緑化センターに長くつとめた経験を生かし、沖縄エッセイストクラブの会員としても多くの著述を残しておられる。植物についてとくに詳しいのは当然で、西表島西部の島ことばと標準和名を対照した詳しいリストを編集して印刷させていただいたこともある。動物名のリストや、在来米の名前など、おあずかりしたままになっている資料もある。お元気なころに、一冊にまとめておかれてはいかがでしょうか、と何度かお勧めしたが、「まだまだ調べておきたいことが多いから……」というお返事だった。黒島寛松さんの残された業績が散逸しないように、なんらかの形にまとめておくことも今後の西表島研究にとっての大切なとりくみのひとつだと思っている。
この文章は、石垣島の新聞に投稿しましたが、掲載されなかったものです。でも、ご遺族には差し上げました。
2026/2/13 追記 島根県日原町(現津和野町の一部)の図書館から廃棄された本を、山口県立大学と山口大学を結んだリサイクルのサークル「くるくるリング」が回収しておいた『森の生活ドラマ100』という本の中に「第三十九話 沖縄の新築祝」という記事があることを安渓貴子が見つけましたので、干立村の伝統をきちんと学びたいという干立公民館からのリクエストに答えて、ここにはりつけておきます。






