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追悼)岡部伊都子さんと竹富島
2008/05/02
岡部伊都子さんがなくなられた(2008年4月29日)。合掌。
京都大学の大学院生になったばかりのころ、石垣島の画家で民俗研究家の石垣博孝さんが京都の家を訪ねてくれた。石垣さんにさそわれて、岡部さんのお宅を訪ねたことがある。1975年ごろだった。
ちりひとつなく清められたおうちで、正座してお茶をいただくのは、どろどろのジーンズをはいた僕には、かなり苦しいものだった。正座用の座椅子をお尻の下に押し込んでくださった時、僕の居心地の悪さは頂点に達していた。それでも、「もらい物なんですよ」といって、取り分けてくださった精進の昆布の押し寿司の味はまだ覚えている。
それから、年賀状をお送りするようになった。
次にお会いしたのは、竹富島でだった。岡部さんは、子どもたちのために家を一軒かりて「こぼし文庫」をおいておられる。その時は、筆のたつ伝承者として著名な上勢頭亨(うえせど・とおる)さんがなくなられて一周忌だったと思う。
39度とかの熱があるのを押して、墓参りに行かれる岡部さんに僕は同行していた。墓前にうずくまって手をあわせると、岡部伊都子さんは、お経を唱え始めた。
般若心経だ。いっしょに口をもごもごしているうちに、足がしびれてきた。ところが、岡部さんはこれを3回となえられたのだった。
「ありがとう、ブッチ、ありがとう、ブッチ」というのが、手を合わせる岡部さんの唇から繰り返し漏れ聞こえた言葉だった。ブッチというのは、方言で、「おじさん」にあたることばだが、年長者への親しみを込めた呼びかけである。
熱のために、車でぐったりしておられた岡部さんは、島の人が挨拶すると、とたんに身を起こして丁重に挨拶を返そうとされるのだった。
沖縄や八重山の人たちに対して、大きな負債感を抱えておられるのだろうなと思った。
岡部さんの地域の人たちとの関わりにこめられた「志」をひきついで行きたいものだと思う。
安渓遊地


