映画「ダーウィンの悪夢」の悪夢
2007/06/26
2007年7月3日改訂
山口県教育会館で、映画「ダーウィンの悪夢」を見ました。一生懸命上映のために
努力したみなさまには申し訳ないのですが、以下のような感想をもちました。
コンゴの森の中の小さな村や、ケニアの大都市ナイロビなどで合計3年ほど暮らし
た立場から見ると、逆境にめげないアフリカの人々のポジティブなパワーがまったく
といっていいほど描かれていない、暗い場面だけを集中してみせようという奇異な映
画としかいいようがありません。
しかも、やらせっぽい場面が多い。
ポスターにも使われている口を大きくあけた少年は、ストリートチルドレンの一人。
ある日、鍋一杯に炊きあがったご飯が、少年達に与えられました。その取り合いになっ
た時の表情です。
しかし、米が庶民の主食となっているセネガルならいざしらず、ビクトリア湖畔で
は、米はもっとも高い食材のひとつ。家をもたない少年達が鍋をもっているとも思わ
れません。あのような場面になれば、取り合いになるのは目に見えています(日本の
町で歩行者天国に突然一万円札がたくさん降ってきた場面を想像してください)。あ
のような衝突がおこることを半ば期待して、監督が炊かせたご飯だったのではないの
かと疑いたくなります。その直前に、拾った空き缶に孔がないか少年達が調べている
場面も、「ご飯を配るから待って」と少年達が言われていたとすれば納得のいく光景
です。
ペットボトルいっぱいのシンナーのようなものを幸せそうに吸い込む少年二人が最
後のあたりに出てきます。彼らが紙巻きタバコを吸っていることは珍しくもありませ
んが、人が捨てた短いタバコのはずです。ひとり一本ずつ、しかも新品とおもえる長
いタバコを吸っているのは、違和感がありました。ほぼ通常はあり得ない光景。輸入
にたよるタバコは貴重品で、田舎では一本売りが常識。あのタバコは、少年達に監督
が与えたものだと思います。そうすると、普段は、発泡スチロールを燃やしたガスし
か吸えない少年達に、びんいっぱいのシンナー(?)を入手できるようにはからった
のも、あるいはザウバー監督その人かもしれません。
以下、現場を深く知る人からのコメントが2つあったので引用しておきます。
日本アフリカ学会の重鎮である吉田昌夫さんの「フーベルト・ザウパー監督による
映画『ダーウィンの悪夢』について」(2006年10月6日)からの引用
http://www.arsvi.com/2000/0610fm.htm
この映画について、何しろ舞台が私の農村調査地の基地として使っているタンザニアのムワンザ市なので、私はダーウィンならぬ「ザウパーの悪夢」にずっと悩まされています。どうみてもこの映画は、現地事情を良く知らないザウパーが、コンゴについて作成した映画が当たったことに気をよくして、何かセンセーショナルな映画でもう1度当てたい、とビクトリア湖に70年前に入れた外来魚「ナイルパーチ」がシクリッド種の小魚を食べたため、その種が減ってしまっているという科学者の報告と、最近のナイルパーチ輸出が空輸で行なわれ、ムワンザ空港が東ヨーロッパからアンゴラに武器を空輸していた時の給油地であったことと、アフリカ人の貧困の状態とを結びつけ、ストーリーを作ったとしか思えません。ドキュメンタリー映画とはいえ、シナリオにあった場面のみ現地で隠し撮りしたものとなっています。タンザニアでは、この映画の内容を聞いた人々は怒っており、私がムワンザでこの8月に使っていた運転手も、住民によるこの映画に抗議するデモがあったといっていました。住民はとくにナイルパーチの肉は欧米やアジアに輸出されるが、住民には頭の部分と骨についた肉の部分しか与えられていない、と描かれていることに、また腐った部分しか食べられないとされていることに、特に誇りを傷つけられ、腐った部分を食べたら病気になることぐらい我々は知っている、と怒っていました。また映画で出てきたタンザニア人とされている者にケニア人やウガンダ人が使われており、「やらせ」ではないか、という疑惑も出ています。(私がタンザニア訪問中に見たDaily News紙, 8月24日付け)
映画では、はっきりいわないまでも、「みせかけ」で想像させてしまう手法が多く使われています。ナイルパーチ加工工場は多国籍企業であるような「思わせぶり」が出ますが、多国籍企業はこの分野にはかかわりなく、加工工場はみな現地資本(アジア人系がほとんど)なのです(解説チラシに書いている環境学者はこの点を完全にまちがえてしまっています)。ナイルパーチのおかげで住民が食べる魚がみな食われてしまったような感じを与えていますが、住民が好きなティラピアはどんどん漁獲されており、農村の食べ物屋でも必ず食べられます。またウクライナの飛行機から戦車が下ろされるシーンがありますが、これは明らかにアンゴラのシーンです。タンザニアが大湖地域の武器配布拠点になっているという事実はなく、この点がタンザニア政府がもっとも神経を尖らしている点です。
映画に出てくる売春婦、子供がプラスチックを燃やして麻薬のように吸っているシーン、非衛生的な環境などは、タンザニアが貧しい国であることを象徴するような事柄ですが、ナイルパーチがその元凶であるように描かれると、「ちょっとまてよ、これはアフリカの一般的な現実なのではないのか」、と感じてしまいます。ナイルパーチ産業が雇用を促進していることも確かで、直接的な雇用として4000人、間接的な雇用として50,000人(ムワンザ市の人口は50万人、上述のDaily News紙による)をつくり出しています。映画のチラシには 「ナイルパーチを悪者にするだけでは解決しない」と書いてありますが、ナイルパーチがいまやタンザニアでは金に次ぎ、価格の下がったコーヒーよりも多い第2の輸出額があること(2002年の額。ウガンダでもコーヒーとほぼ同額の第2位)から見ても、貧困を除去することは簡単ではなく、これを何とか除去しようとしているアフリカ政府と住民の努力を、この映画のような形で問題視するのは残念です。
表現の自由を尊重したい立場から、今まであまり発言しませんでしたが、日本上映をひかえて、以上の点に十分注意をしていただきたいと思い、寄稿いたしました。
*アフリカ日本協議会のメーリングリスト掲載
UP:20061006
タンザニアのツアー会社で長い経験をもち、「宇宙船地球号」の取材で、ムアンザ
市をなんども訪ねた根本利通(ねもととしみち)さんの「ダレサラーム通信」(2006
年5月1日)からの引用。
http://jatatours.intafrica.com/habari49.html
私は昨年12月から今年2月まで続いた取材で、関係各省庁を回り、撮影許可の手続
きを繰り返した。政府の撮影許可は簡単に取れたが、現場、特に「ダーウィンの悪夢」
で描かれた加工工場や水産研究所の許可は難航を極めた。皆担当者は会うと、「ダー
ウィンの悪夢」とは違う視点で事実を伝えたいという私の申請に理解を示し、にこや
かに対応してくれたが、回答は何度もNoで返って来た。担当者に問い詰めると、「上
司が」と言う。上司に会うと、その人も理解を示してくれるが、「もっと上が」と言
う。どうも担当大臣、大統領レベルの政治問題化しているようだ。現にムワンザの水
産研究所の夜警は解雇されていたし、その夜警を撮影クルーに紹介したスタッフも解
雇されたと聞いた。皆責任を追求されることを恐れ、関わりを避ける雰囲気が感じら
れた。
それを「責任逃れの官僚主義」としたり、「表現・報道の自由のない後進国の問題」
と解しては誤る。タンザニアに官僚主義ははびこっているし、報道の自由があると強
弁はしないが、独裁国家であったことは一度もないし、外国人からの批判には寛容な
国だ。また、「タンザニアの恥部を暴いた」と狭量でもない。やはり、「ダーウィン
の悪夢」の事実の描き方が、余りにも不当、不公平とタンザニア人の目に見えたのだ
ろうと思う。
(引用終わり)
タンザニアの現地からの抗議や批判も以下でよめます。
http://eritokyo.jp/independent/abeken-col1040.html
蛇足
映画「マサイ」のように美しくけだかい一方に描かれるアフリカにもなかなかつい
ていけないのですが、私や妻がまるごと大好き(で、大嫌いなところももちろんたく
さん)なアフリカを、そこに生きる人々
の暮らしとともに等身大に描いてくれる映像はそれほど多くはありません。
安渓遊地担当の「アフリカ文化特講」という授業を受けている学生には、次の3つ
を薦めています。
・ボンゲニ・ンゲマ監督の「サラフィナ!」(と「サラフィナの声」)
http://www.amazon.co.jp/ で500円から
・リー・ハーシュ監督の「アマンドラ!希望の歌」
ちょっと古いのですが
・NHKスペシャルが放映した「密林を行く大交易船――ザイール川1700キロ」
(安渓遊地)
おまけ
阿部 賢一さんという方が、映画『ダーウィンの悪夢』について考えるという記事を
2007年3月〜4月に、約7万7000字も書いておられます。
https://eritokyo.jp/independent/abeken-col1030.html から始まる10回連載記事です。
映画『ダーウィンの悪夢』について考える(1)
阿部 賢一
2007年3月17日
1.フリー・ジャーナリスト綿井健陽氏のサイト
筆者は2005年2月からの第48回ピースボート世界一周航海に参加した。
その折、水先案内人として二週間ほど乗り込んできたフリー・ジャーナリストの綿井健陽氏のトークと彼の第1回監督作品であるドキュメンタリー映画『Little Birds----イラク 戦火の家族達』を観た。
筆者は仕事の関係でイラクに十数年間にわたり、出張したり、イラン・イラク戦争中には三年間(1984-1987)もの間、バグダッドに駐在した体験もあるので、このドキュメンタリーを身近に感じることができた。
イラン・イラク戦争中に駐在した三年間、バグダッドには毎月イランのミサイルが数発から十数発打ち込まれ被害が出た。宿舎から数百米地点にミサイルが着弾し轟音に飛び起きたこともある。
最前線のバスラにも毎月一回のペースで税関に出張していた。国道越しにイラン側に砲撃を加える砲兵隊を横に見ながら国道1号線を南下・通過した経験もある。シャット・アル・アラブ(チグリス・ユーフラティス両河の合流部分)のイラク側には数百米間隔で戦車が放列を敷き、イラン側に向けていた。その戦車の兵隊達と会話を交わしたこともある。
国道では、戦死者の棺に国旗を巻いて屋根に載せてすれ違うタクシーを見かけることも多かった。戦争は現地の住民を巻き込んだ身近なものだった。
しかし、その後の湾岸戦争、イラク戦争におけるイラクへの米国軍の攻撃とその後の治安の乱れは悲惨な状況はそれを上回り、なおかつを未だに続いており、その終息が見えない。
綿井氏のドキュメンタリー『Little Birds----イラク 戦火の家族達』は200年3月に、現地で撮影に入った作品である。米軍の爆撃を受けて被害を受けているバグダッドの人々をカメラは追う。
米軍の非人道兵器「クラスター爆弾」で右目を負傷し満足な治療も受けられないでいる笑顔の美しい12歳の少女・ハディール、右手を失った15歳の少年・アフマド、爆撃で負傷し病院に担ぎ込まれる者、そして死んでいく者を追うシーン、爆撃で息子を失った父親が墓場で慟哭するシーンなどをつなげて戦争の悲惨さを訴える素晴らしいドキュメンタリーである。
このドキュメンタリー映画は、日本国内では、2005年に公開された。ブッシュのイラク戦争に反対が高まる米国で、今年、2007年1月から2月にかけてニューヨークの国連チャーチセンターを始め、サンフランシスコ、シカゴ、オースティン(テキサス)の4大都市、8箇所で上映された。そして、そのすべてに綿井氏自身が立会い、観客とのQ&Aセッションを行った。その報告は彼のブログ*の1月~2月に掲載されている。
* http://blog.so-net.ne.jp/watai/
2.綿井氏の『ダーウィンの悪夢』の紹介
その綿井氏が自身のブログ*でフーバート・ザウアー監督のドキュメンタリー映画『ダーウィンの悪夢』を紹介している*。
彼のドキュメンタリー『Little Birds----イラク 戦火の家族達』を現地で撮影していた2003年、フーバート・ザウアーもドキュメンタリー『ダーウィンの悪魔-----Darwin’s Nightmare』を撮影していた。
そして、ヨーロッパでは2004年に公開された。
綿井氏の紹介が簡潔なので以下に引用する。
『Darwin's Nightmare』概要紹介生態系の宝庫で「ダーウィンの箱庭」と呼ばれたビクトリア湖*、そこに巨大な肉食魚が放たれたことから状況は一変、この魚を加工輸出する工場ができ、あたりの住民の生活は崩壊する。アルコールに浸る男たち、広がる売春とエイズ、粗悪なドラッグによって道に眠る子どもたち。魚を運ぶロシアの輸送機、往路には武器を運んでくるのか…。工場の国際競争力を称賛するEUのミッション。なすすべもないタンザニア政府…グローバリゼーションの奈落を深海の悪夢のように描くドキュメンタリー。
*Lake Victoriaを以下「ヴィクトリア湖」と書く。
綿井氏は「(2006年10月の)山形国際ドキュメンタリー映画祭で大賞だろうと僕も思っていたが、予想とはちょっと違う結果だった」とコメントしている。実際には審査員特別賞・コミュニティシネマ賞を受賞している。
綿井氏のザウパーに相当肩入れしたようなコメントは筆者にとって以外である。
我が国の新聞その他におけるドキュメンタリー映画『ダーウィンの悪夢』の紹介は、綿井氏の概略紹介も含めて、ザウパーのホームページの『Darwin’s Nightmare』*の内容を要約して紹介しているものがほとんどである。
そして、その大半は好意的である。しかしながら、タンザニア在住、あるいはタンザニアをよく知る日本人には頗る評判が悪い。
筆者はタンザニアに行ったことはないが、仕事の関係で海外経験南米に始まり、最期はパキスタンに一年半仕事で滞在するまで、ほとんど海外関係の仕事をしてきたが、この映画には納得のいかないひとりである。そのため、映画を観た後でいろいろ調べてみた。それを以下に論及する。
*1 Hubert Sauper HP
http://www.hubertsauper.com/
*2 Darwin’s Nightmare
http://www.darwinsnightmare.com/index.htm
上記の日本語版が下記のサイト*である。ザウパーの英文サイトを邦訳したものである。
* 映画『ダーウィンの悪夢』公式サイト
http://www.darwin-movie.jp/
3.ザウパーはなぜこのドキュメンタリーをつくったか
ザウパーは自身の英語HPでなぜこの映画をつくったかを述べている。
Origins of NightmareThe idea of this film was born during my research on another documentary, KISANGANI DIARY that follows Rwandese refugees in the midst of the Congolese rebellion. In 1997, I witnessed for the first time the bizarre juxtaposition of two gigantic airplanes, both burstingwith food. The first cargo jet brought 45 tons of yellow peas from America to feed the refugees in the nearby UN camps. The second plane took off for the European Union, weight with 50 tons of fresh fish. Imet the Russian pilots and we became "kamarads". But soon it turned out that the rescue planes with yellow peas also carried arms to the same destinations, so that the same refugees that were benefiting from theyellow peas could be shot at later during the nights. In the mornings, my trembling camera saw in this stinking jungle destroyed camps and bodies. First hand knowledge of the story of such a cynical reality became the trigger for DARWIN’S NIGHTMARE, my longest ever cinematographic commitment.----- [Origins of Nightmare]
http://www.darwinsnightmare.com/darwin/html/startset.htm
筆者自身の邦訳:「この映画のアイディアは、コンゴ暴動の渦中のルワンダ難民を追った別のドキュメンタリー映画「KISANGANI DIARY」のリサーチ中に生まれた。1997年に、私は巨大な飛行機が二機並ぶ奇妙な(光景)を初めて見た。2機とも食料ではちきれんばかりだった。最初の貨物機は、近くにあった国連キャンプの難民たちのために、アメリカから45トンの黄色いえんどう豆(yellow peas)を運んできた。そしてもう1機は、50トンの新鮮な魚を積んでEUへと飛び立っていった。私はロシア人パイロットたちと会い、親友"kamarads"となった。
そして、えんどう豆を運んでくるこの救援機が同じこの空港に武器を運んでくる飛行機にもたちまちのうちに変身するということだった。えんどう豆を恵んでもらった難民たちが、その夜中に撃たれるかもしれないのだ。朝には、私の身震いしたカメラが悪臭を放つジャングルの破壊されたキャンプ群と多くの死体を捉えることにもなるだろう。こんな皮肉な現実のストーリーが元になって『ダーウィンの悪夢』を作るきっかけになったが、私は今までにない長期間をこのために費やした。」
綿井氏の紹介文の中にも、----魚を運ぶロシアの輸送機、往路には武器を運んでくるのか…。-----とあるように、いかにもムワンザに往路で武器を運んでくる貨物機が復路でナイル・パーチを運んで飛び立つことをこの映画の背後に匂わせているドキュメンタリーである。
しかし、ザウパーのHPにも、その空港が『ダーウィンの悪夢』の舞台であるムワンザ空港だとはどこにも書いていない。
しかし、『ダーウィンの悪夢』では、そう思わせるような構成となっている。これがタンザニア政府を不快にさせた大きな原因のひとつであろう。そのほかにも、明確に指摘もしないし、確証も提示しないが、そうおもわせるような意図を持ったシーンが続々とでてきて、観客をザウパーの意図する方向に導いていく。
『ダーウィンの悪夢』のムワンザを農村調査の基地として使っている吉田昌夫氏は、「ザウパーの悪夢」に悩ませ続けられていて次のようにコメントしている。
どうみてもこの映画は、現地事情を良く知らないザウパーが、コンゴについて作成した映画が当たったことに気をよくして、何かセンセーショナルな映画でもう1度当てたい、とビクトリア湖に70年前に入れた外来魚「ナイルパーチ」がシクリッド種の小魚を食べたため、その種が減ってしまっているという科学者の報告と、最近のナイルパーチ輸出が空輸で行なわれ、ムワンザ空港が東ヨーロッパからアンゴラに武器を空輸していた時の給油地であったことと、アフリカ人の貧困の状態とを結びつけ、ストーリーを作ったとしか思えません。ドキュメンタリー映画とはいえ、シナリオにあった場面のみ現地で隠し撮りしたものとなっています。タンザニアでは、この映画の内容を聞いた人々は怒っており、私がムワンザでこの8月に使っていた運転手も、住民によるこの映画に抗議するデモがあったといっていました。住民はとくにナイルパーチの肉は欧米やアジアに輸出されるが、住民には頭の部分と骨についた肉の部分しか与えられていない、と描かれていることに、また腐った部分しか食べられないとされていることに、特に誇りを傷つけられ、腐った部分を食べたら病気になることぐらい我々は知っている、と怒っていました。また映画で出てきたタンザニア人とされている者にケニア人やウガンダ人が使われており、「やらせ」ではないか、という疑惑も出ています。(私がタンザニア訪問中に見たDaily News紙*、(2006年)8月24日付け)映画では、はっきりいわないまでも、「みせかけ」で想像させてしまう手法が多く使われています。-----------
出典:フーベルト・ザウパー監督による
映画『ダーウィンの悪夢』について 吉田 昌夫 2006年10月6日
http://www.arsvi.com/2000/0610fm.htm
* Daily News紙はタンザニア・ダルエスサラームの英字日刊紙である。今回本論を書くにあたって、下記のサイトのアーカイブその他からも情報を収集した。
HP: http://www.dailynews-tsn.com/index.php
日本の映画『ダーウィンの悪夢』公式サイトには次のようになっている。
前述の筆者の訳よりだいぶスマートだが、どうも、この映画の意図するところをさらに強調しており、オリジナルの英文を相当に意訳した、英文にない文章が挿入されている(下線部分 3ヵ所)ことに気がつく。
Director’s Note
悪魔の起源この映画のアイディアは、コンゴ暴動の渦中のルワンダ難民を追った「KISANGANI DIARY」というドキュメンタリーのリサーチ中に生まれた。1997年、私は2機の巨大な飛行機が並ぶ奇妙な光景を目撃した。2機はともに食料ではちきれんばかりだった。1機のカーゴ機は、近くにあった国連キャンプの難民たちのために、アメリカから45トンの豆を運んできた。そしてもう1機は、50トンの新鮮な魚を積んで、EUへと飛び立っていった。私はロシア人パイロットたちと親しくなった。そしてこのような飛行機に隠された信じがたい事実を知ることになった。「コンゴに運んでいるのは人道物資だけだなんて思っちゃいけないよ。戦争に必要なものなら何でも運ぶんだ」豆を運ぶ救助機は、武器も同じ場所に運んでいる……つまり、豆を恵まれている難民たちは、その夜中に撃たれるかもしれない。そして朝には、私のカメラが破壊されたキャンプと死体を捉えるのだ。こんなシニカルな現実を自分の体験を通して知ったことが、『ダーウィンの悪夢』を制作するきっかけとなった。私は、かつてこれほど長い時間を映画に費やしたことはなかった。
ザウパーの訪日記者会見では、「四年間、タンザニアに住んでいたこと、その間、ずーと住んでいたのではなく、映画にもでてくるロシアの貨物機イリューシンに乗って、ヨーロッパとアフリカを往き来していたこと、撮影期間は全部あわせて6ヶ月、予算は金持ちが一回のバカンスで使う程度の非常に少ない金額だ」**と語っている。そして、「(タンザニアには)合計で4年間住んでいました。その間に色々な出会いや、色々なことがありました。とても複雑なものが凝縮されてこの映画が出来ました。」と語っている。
ザウパーのHPでは、「わが親愛なる相棒サンドールSandor、そして私の小型カメラ、そして私というミニマムのクルーでこのドキュメンタリーを撮った***」といっている。
* http://blog.so-net.ne.jp/watai/2005-10-14
** http://www.darwin-movie.jp/
*** http://www.darwinsnightmare.com/darwin/html/startset.htm
(つづく)
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映画『ダーウィンの悪夢』
について考える(2)
阿部 賢一
2007年3月17日
4.映画『ダーウィンの悪夢』についてタンザニアに関わる邦人のコメント
前回紹介したタンザニアのムワンザ市を農村調査地の基地として使っている吉田昌夫氏は、「映画『ダーウィンの悪夢』を監督した「ザウパーの悪夢」に悩まされている。ザウパーの映画が現地の実態を伝えるものでない」と、痛烈な批判をしている*。
* フーベルト・ザウパー監督による映画『ダーウィンの悪夢』について
2006/10/06 http://www.arsvi.com/2000/0610fm.htm
タンザニア在住23年、現地で観光ビジネス等を行っている根本利通氏は「ダルエスサラーム便り」*で三回にわたりヴィクトリア湖とムワンザの現状を紹介しながら、映画『ダーウィンの悪夢』についての現地発の貴重なコメントを出している。
*『ダルエスサラーム便り』No.47 「ヴィクトリア湖の環境問題」(2006年3月)
http://jatatours.intafrica.com/habari47.html
『ダルエスサラーム便り』No.49「ダーウィンの悪夢」(2006年5月)
http://jatatours.intafrica.com/habari49.html
『ダルエスサラーム便り』No.53『ダーウィンの悪夢』後日談(2006年9月)
『今日のコラム』でも島津英世氏が特別寄稿していくつか疑問を呈している。
長編ドキュメント映画批評
ダーウィンの悪夢~東アフリカ直送メッセージ~
http://eritokyo.jp/independent/hshimadu-col0003.html
5.この映画についての誤解
この映画を紹介する枕詞として使われている『生態系の宝庫で「ダーウィンの箱庭」』(後述)という用語から連想して、ヴィクトリア湖の環境問題を追及し、それに伴うグローバリゼーションの暗部を追求するドキュメンタリーと思ってこの映画を観たが、全然違った。
映画『ダーウィンの悪夢』公式サイト(日本)は、「一匹の魚から始まる悪夢のグローバリゼーション」ではじまる。外来魚ナイル・パーチ(Nile perch)*が、この巨大な淡水湖に1960年代はじめ、たった一杯のバケツで投げ込まれ、それが、「ダーウィンの箱庭」の象徴であるシクリッド類(Cichlid---- haplochromis species)をどのように駆逐して行ったのか、その結果、水辺(ヴィクトリア湖の面積68,800 km2、その周囲総延長は3,440 km)とその背後地の人々の生活にどのような影響を与えたのかを告発するドキュメンタリーを期待したのだが、それが全くの誤解であり、まったく違う内容であることに、その期待を裏切られた。
ヴィクトリア湖のムワンザ周辺と思われる場所のシーンだけである。
* 日本には「スズキ」として年間約3,000トン輸入されている。この魚が、日本のファミリーレストランフライをにぎわし、学校給食や弁当の材料に使われている。
-------ヴィクトリア湖の悲劇 ナイルパーチ
http://www.asahi-net.or.jp/~jf3t-sgwr/inyushu/nairuparthi.htm
消費地は日欧で、日本でもかつて白スズキの名で売られ、西京漬けや味噌漬けとして大量消費されている。
-------『ダーウィンの悪夢』を巡って 2006/12/21
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20061221
ザウパーのルワンダ難民取材からイメージされた飢餓と食糧とアフリカへの武器輸出の闇という「悪夢」をリンクさせたドキュメンタリーである。
ザウパーが来日して2006年11月8日の記者会見で次のように答えている。
この映画は魚についての映画ではなく、人間についての映画だということです。例えば、東京でスーパーマーケットにおいてある、どんな製品を見ても、バナナでも魚でも肉でもみな同じような物語があり、破壊的な出来事がその裏にはあると思います。それを見る目を持っているかどうかが問題なのです。
出典:http://www.darwin-movie.jp/
わが国でも、すでに多くの書物*が出版されているわが国へ輸入される食品の原産地にある環境破壊とそれに伴う発展途上国の諸問題と同列のテーマであったのだ。
* 鶴見良行『バナナと日本人 フィリピン農園と食卓のあいだ』岩波新書 1982年8月発行
村井吉敬『エビと日本人』岩波新書、1988年4月発行
石弘之『地球環境報告』岩波新書、1988年8月発行
石弘之『地球環境報告Ⅱ』岩波新書、1998年12月発行
さらに、ザウパーは、「この映画を観たヨーロッパでは、ナイル・パーチを食べないという誤解、タンザニアでは、この映画自体をボイコットするという誤解が生じた」という。
そして、日本でもつぎの二つの質問をどこでも受けた、と。
ひとつは「この映画では“飢餓”を描いているが死に掛けている人はいない。武器の話はしているが武器自体は映画に出てこない。カラシニコフの映像は出てこない。証拠があるのかどうか見せてほしい」
これに対する彼の答えは、「みんなが知っている情報・知識を違う形で表現することだ」と素っ気ない。
アフリカにおける武器の闇取引の実態は、果たして「みんなが知っている情報・知識」だろうか。そうゆうものがあるだろうと想像はできるが、実態を明らかにした「みんなが知っている情報」を筆者は残念ながら観たことも、読んだこともない。
もうひとつの「(アフリカに)色々な問題があることは映画を観てわかりました。ではどうしたらいいか教えてください」に対する彼の答えは、「私は解決法を皆さんに教えるためにこの映画を作ったのではありません。ひとりひとりが未知のジレンマの前にいて、それぞれに考えてほしいと思います。問題の本質を見せて、その本質を観客に感じ取るようにしているのです。この映画を観た人は心が急くでしょう。その後、もっと理解したいと思い、何をしたらいいのか答えを見つけたいと思い、誰かに伝えたいと感じると思います。」
出典:http://www.darwin-movie.jp/
自分で考えてアクションを起こせという、ザウパーの答えは当然だ。しかしながら、ザウパーのいう「問題の本質を見せて、その本質を観客に感じ取るようにしている」について、この映画を観た直後の筆者の感想は、彼の言う『問題の本質』は、実に不親切で、説明不足で誤解が生じる危険性がおおいにあること、断面的なシーンというみせかけで、観客の想像を誘い出すことを意図していること、監督の事前のシナリオに合致したシーンを撮り、それも、どうやら、やらせが多そうだ、ということである。
これを指摘したサイトは、現地をよく知る日本人、現地英字新聞、米国のアフリカ文化研究者など多数ある。
もうひとつ、最初のシーンから最期まで、画面にはナレーションもなく、解説もない。ザウパーの好みで選んだのではないかと思われる現地の人?と、一対一のインタビュー(one-on-one conversation)で、ザウパーが英語で問いかけ、ジーっと待って彼が望む答えを引出している、という感じだ。ストリートチルドレンや「骨場」(後述)で魚のアラ(頭部や身を削いだ骨部など)を雑木の粗末な棚に乾す老婦人に対しては、英語の分からない彼らに、ザウパーが英語で話しかけ、それを現地語であるスワヒリ語?に翻訳する声が聞こえ(相棒のサンドール?、顔は映らない)、多分スワヒリ語で答えているのを、その声が、今度は英語に翻訳するというシーンがある。
この映画のシーンは、一対一のインタビューが特色である。
ムワンザに到着し、ナイル・パーチを積んでヨーロッパに向かう貨物機のロシア人、ウクライナ人のクルーとザウパーと会話するシーンが多く、クルーと娼婦達との会話、クルーの宿舎での応答など、クルーを中心とするシーンが多く映し出される。その意図が何であったかは最後に分かる。ザウパーが引き出したかった、会話はこれであったのだ、と。
5.貨物機は何を積んでくるのか?
映画のはじめの方のシーンから、武器類の持ち込みについて、ザウパーは関係者にしつこく聞く。貨物機がここに来るとき何を積んでくるのか?と。
水産加工会社のマネジャー?は、「空っぽでくるんだよ」あるいは「おれには答えられない」と答えをはぐらかし、地元ジャーナリスト・チャチャは「武器を積んでいるのさ。アフリカの紛争で使われる武器が」と答えている。
ロシア人クルーのひとり、航空エンジニア?の告白でこの問答を締めくくる。これをザウパーはラストシーン入れる。このシーンでザウパーはこの映画の「主張」としたのであろう。
ロシア人は、自分は英語が下手で思うように話せないが、と自嘲気味に、とぎれとぎれ、ゆっくり話し出すシーンだ。
その会話は、
“Africa brings life to Europe. It’s a source of life, like food or young people, black people. Y’know, I have two flights from Europe to Angola with big machines, like tanks. I bring this to Angola. My company I think took the money, and after that I went to Johannesburg to take grapes and cigarettes back to Europe. So my friend told me, ‘Children of Angola received guns for Christmas day; European children received grapes.This is business. It’s a little story from me.I want all the children of the world to be happy. But I don’t know how to do it. . . .So many mothers….”
筆者邦訳:
「アフリカはヨーロッパに命を運んでいるんだよ。それは、食べ物であり、若者であり、黒人であり、それらはみんな命の源だよ。おれは大型貨物機でヨーロッパからアンゴラに、戦車のような大型機械を二回運んだことがある。アンゴラに持っていったんだよ。おれの会社はこれで金を儲けたんだとおもう。そのあと、ぶどうと煙草を運ぶためにヨハネスブルグに飛んだ。そしてヨーロッパに戻った。仲間がこういったんだ。「アンゴラの子供達はクリスマスに銃を受け取り、ヨーロッパの子供達はぶどうを受け取ったんだよ」と。これはビジネスだよ。おれにとっては取るに足らないこと(little story)なんだ。世界中の子供達には幸せになってもらいたいよ。だけど、おれは、そうするにはどうしたらいいのかわからない。多くのお母さん達が-----」
出典:“The Little Story”: Darwin’s Nightmare, Hubert Sauper; Les Saignantes0, Jean-Pierre Bekolo By Kenneth W. Harrow publie le 28/12/2006“Africultures”---- http://www.africultures.com/index.asp?menu=affiche_article&no=4686
しかし、ムワンザ空港に「武器が運び込まれて紛争地に運ばれる」という証拠はどこにも出てこない。
これに関してタンザニア外務大臣が反論したと現地紙が報じている*。
* http://www.darwinsnightmare.net/Foreign_affairs_hits_at_Darwins_nightmare.html
その要旨は以下の通り。
2006年8月13日、タンザニアの外務大臣は映画『ダーウィンの悪夢』を非難して次のように述べた。
「この映画はタンザニアの海外に対する良好なそして実際のイメージを傷つけている。この映画には、タンザニア政府が合法的にせよ非合法的にせよ武器の輸送に積極的に関わったり、それらの動きを黙殺しているというような、ムワンザにおける武器の持込などについてのシーンはどこにも見当たらない。タンザニアはこれまで様々な局面で近隣諸国との和平対話を主宰してきた。その努力については関係諸国から称賛を得ている。タンザニアは調停者と(その反対の)妨害者の役割を同時に行うなどということは思いもよらないことである。」
また資源・観光大臣も「世界中の多数の大学がタンザニアの真実を描くことに関心を示している。別のフランスのプロデューサーが「Other Side of Darwin’s Nightmare」と題する映画を撮るために6月に来訪した」とも語った。
タンザニアの歴史を振り返ると、
大陸部は、1881年から第一次世界大戦まではドイツの殖民地の主要部分でタンガニーカ。ドイツが第一次世界大戦に負けて、英国の保護領となり、1961年独立。インド洋沖合い約30キロの英国保護領ザンジバルは、1963年独立。翌1964年、両国が合併してタンザニア連合共和国となった。その経緯から旧ザンジバル地区には強力な自治政府がある。合併後、1995年と2000年の選挙でザンジバルにおいて政治的対立が生じ、2000年には死傷者、タンザニア初の難民が発生する事態が生じたものの、2005年の選挙は、全体として民主的、平穏裡かつ透明性を確保して実施された。タンザニアは非同盟政策を基調としつつ、アフリカの統一と植民地の解放、独立等を強く唱え、アフリカ統一機構(OAU)、アフリカ連合(AU)、国連等の国際場裡においてリーダーシップを発揮してきている。
出典:外務省HP &Wikipedia
独立したアフリカ諸国の歴史は、悲惨な内部衝突や、外部からの介入による混乱の多さとその長期化である。独立後のタンザニアにはそれがほとんどない。唯一、隣国ウガンダのアミン政権末期の1978年8月、アドリシ前副大統領によるアミン暗殺計画が発覚し、国民の支持率低下を自覚したアミンは、政治の常套手段、国民の目を外に向けるべく、隣国タンザニアへの侵攻を計画した。ウガンダ軍が同年10月31日、国境を越えてタンザニアに侵入、タンザニア軍が反撃に転じた。ウガンダ国内では、反アミン組織「ウガンダ民族解放戦線」が立ち上がり、翌1979年4月11日、ウガンダの首都カンパラ陥落、アミンがリビアへ逃亡したという、ウガンダとの戦争があった。この戦争では双方兵士による目に余る略奪行為があったようだ。
石油危機、対ウガンダ戦争、旱魃などにより80年代、タンザニアは経済が疲弊した。その後は世銀・IMFの支援を得て、回復・安定に向かっている国である。
非同盟政策を基調にアフリカ諸国の平和と統一に向けてのリーダーシップを発揮してきたと自負する国が、武器の闇取引の玄関口になっているかのように示唆されれば、国の誇りをかけて疑いを晴らすべく努力し、上述のような反論するのは当然だろう。近隣諸国との外交紛争に発展しかねない危険性がある、きわめて政治性の高い問題であるから、「みせかけ」で想像させてしまう手法などという手法は、幾重にも慎重さが要求される。
ザウパーのいう「問題の本質」を「みんなが知っている情報・知識を違う形で表現する」手法によるシーンが、観客に誤解を生じさせる。この映画全体を通して、ザウパーの現地の人々に対する「愛」を感じることはできない。EUにおいては、ナイル・パーチ不買行動なども発生し、貧しいタンザニアの経済は打撃を受けた。貧しい最貧国の人々を傷つけていることに、思いを致すべきである。
キクウェテ・タンザニア大統領は、2006年7月31日、ムワンザの会議で演説して、ザウパーの映画『ダーウィンの悪夢』を非難した、と現地英字紙が報じている。ちなみに同大統領は昨年10月31日から11月3日まで、我が国の招待(実務訪問賓客)により来日した*。
* キクウェテ・タンザニア連合共和国大統領の来日(概要と評価)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/tanzania/visit/0611_gh.html
あの映画はタンザニアについての素晴らしい国際的なイメージとヨーロッパへの魚の輸出を傷つけるものであった。真実と現実について全くのでっち上げ(complete fabrication)であり、それらを裏付けるものはなんにもない。この国に対して好意的でない映画だ。あの映画は噴飯ものであり、事実を裏付けるものは少しも(a inch of)ない。ムワンザを魚の輸出で希望のない場所であるとして描いている。タンザニアのイメージを傷つけることを意図したストーリーを誤り伝えていることに憂慮している、と。
さらに、大統領は、タンザニア政府は、報道の自由を大切にしてきたが、その自由は、中傷したり、損害を与えたり、傷つけたりするために誤って使われるべきではない。メディアは、徹底的に調査して、報道する前に十分な事実(facts)を収集すべきだ。それがプロフェッショナルの仕事であり、人々はそうであることに価値を見出すだろう、と強調した。
大統領はタンザニアの海外公館に対して、ザウパーのドキュメンタリー映画によって与えられた悪い印象を払拭するように指示した。タンザニア国内は今まで近隣諸国の戦争に使われる武器などの輸送に関わったことはない。我々は地域の平和維持に努めている。なぜそれに逆行するようなことをする必要があるのか、と述べた。(概略)
出典:JK blasts 'Darwin's Nightmare'http://www.dailynews-tsn.com/page.php?id=2530
わが国でもタンザニア大使館が大統領の意を受けてアクションを取ったとの報道があった。
ナイルパーチは欧州でも人気で、日本にも切り身が年間約3000トン輸入されている白身魚。欧州では、映画の影響でナイルパーチのボイコット運動が起こり、タンザニア大統領が映画に批判声明も出している。関係者によれば、E・E・E・ムタンゴ大使は先月28日、配給会社のビターズ・エンドを訪れ、同社の定井勇二社長と面談。大使は「公開を差し止めることができないのは分かるが、見解を理解してほしい」と主張。「映画はうわさを事実に見せかけたもの。魚貿易は重要で成功しているビジネス。それがなければ、医薬品などが買えなくなってしまう。欧州では収益が減り、非常に困っている。日本の映画会社にはアフリカのよい面をもっと見せてほしい」などと訴えた。定井社長は「この映画はアフリカの悪いイメージを流布するための作品ではなく、グローバリゼーション(地球規模化)の問題点を描いたもの」と説明した。世界を動かしたドキュメンタリーは日本で、さらなる論議を呼びそうだ。-------スポーツ報知 2006/12/06
タンザニアの大統領の冷静で格調の高い演説、その意を受けた在日タンザニア大使の穏やかなアクションである。
(つづく)
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映画『ダーウィンの悪夢』
について考える(3)
阿部 賢一
2007年3月29日
6.夜警ラファエル
タンザニア水産研究所支所の夜警ラファエル・ルチコ(Raphael Luchiko)とザウパーとのやりとりは、ドキュメンタリーというよりも、普通の映画場面そのものであり、老けた元兵士ラファエルはバックライトに照らされて、充血した眼でぎょろりと凄みをきかす立派な俳優を演じている。ドキュメンタリーとしては違和感がある。
この水産研究所の入口付近での会話では、ラファエルは夜警の仕事をするために、数本の弓を持ち、その鏃には毒を塗ってあるという。一日1ドルの給料をもらっており、彼がその仕事にありついたのも前任者が殺されたからだ、という。泥棒が侵入してきたら、「ジーと見守る。そして、ものを盗み出す瞬間に毒矢を射る。泥棒は、この毒矢で死ぬんだ」と赤く充血した眼で凄むシーンがある。
ムワンザ飛行場付近の丘で貨物機が滑走路に降りてくるシーンではラファエルと息子も出演する。
そのシーンでは多くの人々が穏やかな表情で夕日に照らされて滑走路を見ている。夕涼みをしているのだろうか? しかし、その背景には急斜面に掘立小屋がへばりつき、まるで南米リオデジャネイロの貧民屈ファベーラかと見間違う。
そして、ザウパーが、その息子に将来なにになりたいか、と問うと、彼は滑走路に着陸する貨物機を見ながらパイロットになりたい、と答える。
最後に近いシーンで、ラファエルはザウパーに答える。
Raphael tells the camera that war is good for the people around here. The army pays a good salary, he says, and takes good care of soldiers. “Many people hope for war here,” he adds. “Are you fearing war?” he asks Sauper. “I’m not fearing war,” Raphael adds reassuringly.
筆者訳:
ラファエルはカメラに向かってつぶやく。「戦争はここらあたりの住民にとってはいいことだよ。軍隊はお金をたんまり払ってくれる。兵隊達を大切に扱ってくれる。」
「ここでは多くの人が戦争を望んでいるよ。」と付け加えた。ザウパーが彼に問うた「戦争は怖いか?」「戦争なんか怖くないよ」とラファエルは安心させるようにつぶやいた。
------ http://rwor.org/a/048/darwins-nightmare-review.html
これも、一対一の会話でザウパーが引出したかった答えだろう。
しかし、これは、ラファエルの本音であるかどうか?。どうもザウパーがこうゆう答えをして欲しいのだろうということで、ラファエルがザウパーの意を汲んでしゃべったのではないかと推察されるシーンだ。
このラファエルについては、その後現地英字紙で次のように報じられている。
これは、ドキュメンタリーにも登場した地元ムワンザのジャーナリスト、エマヌエル・チャチャのリポートである。
タイトルは「Participant disowns ’Darwin’s Nightmare’ film maker」。
それを要約すると、
現地を訪れてラファエルを尋問した国会の資源・環境委員会メンバーに対して、ラファエルは、映画製作者の尻馬に乗ったんだといって、「あれは本当のおれではない。監督がドキュメンタリーに住民を使ってのトリックだなんて知らないで出演したんだ」と吐露した。
委員長は、現地に到着する前に、ラファエルを首にしたのかどうかとタンザニア漁業研究所(TAFIRI)ムワンザ支所に着く前に(幹部達に)訊ねて、まだ首にしていないといわれて、不快の表情を示した。
委員長は、どうして何の気もなしに映画に出たのかと穏やかにラファエルに尋問した。元タンザニア人民軍の男(ラファエル)は、ボスがザウパーを助けてやれと、自分に指示したんだ、と答えた。お前は英語ができるからザウパーを助けてやれ、といわれたんだ。いままでも訪問者が来たときにはいつもそうゆう応対していたんだ。
俺たちは、湖の周りをあちこち行った。おれはうまくやってやろうとした。ザウパーの目的なんか分からなかったよ。ここをたびたび訪れる他のヨーロッパ人同様、調査しに来た者だと思っていた。
委員会のメンバー達はこれを聞いて怒り出し、誰がザウパーのドキュメンタリーを助けたのかと矛先をTAFIRIの幹部達に向けた。
タンザニア水産研究所(TAFIRI)ムワンザ支所長は、ザウパーは、資源・環境省とタンザニア水産試験場を訪問する科学者としての許可を取っていたので、断れなかった、といった。
委員のひとりが、その言をさえぎり、「ラファエルもTAFIRIの幹部達も、自分達が関係ないスキームにお前達は利用されたんだよ」といった。
出典:Participant disowns ’Darwin’s Nightmare’ film maker
By Emmanuel Chacha, Mwanza
http://www.darwinsnightmare.net/Participant_disowns_
Darwins_Nightmare_film_maker.html
ラファエルの国会議員向けの応答も、本心かどうかはわからない。しかし、彼が英語を話せるので、軍の元幹部から外国人のザウパーに英語の出来るお前が協力しろよといわれて、出演したということだろう。
ザウパーに対して、誰が取材許可を与えたのか、役人の間で責任逃れの発言もみられる。
ラファエルは、その後、生活の糧であった夜警の仕事を首になってしまったようだ。
7.ヴィクトリア湖
映画『ダーウィンの悪夢』ではヴィクトリア湖はタンザニアのシーンしかない。しかし、ヴィクトリア湖は水面がタンザニア、ウガンダ、ケニアに分割*されている。国際湖沼である。
ヴィクトリア湖は、タンザニアが51%、ウガンダが43%、ケニアが6%、その湖面を領有する世界第二位の大きさの淡水湖、面積68,800km2 (琵琶湖の約103倍)である。水面の標高1,134 m、周囲長3,440km、平均水深40m、最大水深84m、透明度は0~2mである。
出典:http://www.lib.utexas.edu/maps/africa/tanzania_pol_2003.jpg
しかし、映画『ダーウィンの悪夢』では、タンザニアだけが『ダーウィンの悪夢』であるナイル・パーチの水産加工・輸出ビジネスを行っているかのように、タンザニアのムワンザに的を絞ったシーンの断片を編集したシーンで示している、と地元ムワンザ・コミュニティ・サイト*では抗議している。
* Karibu Muwanza
http://www.mwanzacommunity.org/fishing.html
8.東アフリカ共同体(East Africa Community:EAC)
ケニアとタンザニアの方針の食い違い、タンザニアとウガンダの紛争などで解体していた、ヴィクトリア湖岸三カ国のケニア、タンザニア、ウガンダによる東アフリカ共同体が2001年に再結成された。
東アフリカ共同体の経緯については、根本利通氏のダルエスサラーム便り『東アフリカ共同体』に詳しくレポートされている*。
* ダルエスサラーム便り 根本利通 東アフリカ共同体(2004年6月1日)
http://jatatours.intafrica.com/habari26.html
昨年(2006年11月)開催された第8回EACサミットで、ようやく政情が安定してきたブルンジとルワンダ両国のEACへの2007年7月1日からの加盟が認められた*。
* Joint Communique of the 8th Summit of EAC
http://www.eac.int/news_2006_8th_summit_communique.pdf
ブルンジとルワンダ両国はヴィクトリア湖の集水流域に含まれる。
この二カ国を含めた地域を、大湖地域(Great Lakes Region)という。スワヒリ語圏で地理的にも近く、人的交流も深い。ヴィクトリア湖全体の水系と環境を考える上でも、これら二カ国を加えて考える必要がある。
Map of the Great Lakes Region.
http://www.eia.doe.gov/emeu/cabs/eafrica.html
ヴィクトリア湖流域についてEACホームページに紹介されている*。
Lake Basin ----Importance of Lake...
http://www.eac.int/lvdp/basin.htm
その概略は:
ヴィクトリア湖流域(Lake Victoria Basin)は、漁業及び観光、輸送と通信、水とエネルギー、農業、商業及び工業関係への投資のポテンシャルがある。流域全体を見れば、野生生物、森林、鉱物、肥沃な土壌など天然資源が豊富にある。
水産資源は、ヴィクトリア湖の最も重要な資源であり、アフリカにおける内陸水産資源として最も豊かである。一時期、500種を超える固有の魚種が住んでいた。最近のヴィクトリア湖からの漁獲量は、年間50万トン、一日当たり1,500トン。金額にして年4億米ドル、一日あたり百万米ドルを僅かに超える程度である。
ヴィクトリア湖の(水系)流域は193,000km2であり、タンザニアが44%、ケニア22%、ウガンダ16%、ブルンジ7%、ルワンダ11%を占める。
この湖の形状が周辺地域の天候や気象に大きく影響を及ぼす。ヴィクトリア湖流域の人口は約3千万、湖岸を領有する三カ国では約2,500万の人々が居住しており、三カ国(ケニア、タンザニア、ウガンダ)の全人口の約30%となる。
ヴィクトリア湖流域住民の80%以上が農業を営んでおり、その大多数は小規模農家で家畜を保有している。とうもろこし、換金作物としての、砂糖、茶、コーヒー、綿、小麦などを耕作している。
湖の魚類資源で約300万の人々が、直接・間接に、水産業関連で生計を立てている。水産業は外貨獲得源として極めて重要であり、年間3~4億米ドルの水揚げを上げている。
その一方で、湖は周辺に住む住民や工場からの廃水の最終受入池となっており、流域から自然に浸食され流出した土壌や新たに流入する人々と土地開発などで流出させた土壌の最終受入池ともなっている。
ヴィクトリア湖流域におけるさまざまな活動により、環境の劣化・悪化の傾向やその勢いが増している。
ヴィクトリア湖を取り囲む地域は現在様々な脅威にさらされている。
● 環境劣化(汚染、汚濁、土地/森林の荒廃、生物多様性の劣化、外来種の導入など)
●ヴィクトリア湖流域への人口増加圧力
●ヴィクトリア湖流域全域わたる貧困の拡大化
●死亡率の上昇(結核とマラリア)
●HIV/AIDSの急増
などである。
ヴィクトリア湖流域は東アフリカ地域統合と開発に向けて多くの利点や展望が開けている一方で、地域の経済開発計画担当者の挑戦をひるませている。ヴィクトリア湖は矛盾を抱えている。
問題だらけの海(a sea of problems)であると同時に、好機の大洋(an ocean of opportunities)でもある。潜在力はあるのだが、ヴィクトリア湖及び流域に対する現地及び海外の起業家の投資の動きは鈍い。ヴィクトリア湖流域に住む3千万の人々はいまだ大きく貧困に苦しめられており、地域住民の半分は貧困ライン以下のぎりぎりの生活を強いられている。
学者達は環境劣化と貧困の相互関係を論証してきた。「ヴィクトリア湖流域の場合、悪循環(vicious cycle)が地域への投資と経済成長の機会を削いでいる」と。
東アフリカ諸国間では、悪循環から脱却するために、この流域は論理的な手法で管理され、持続可能な基盤のもとに開発されるべき資源としての湖及び流域の重要性に対する認識が高まっている。
これまで四十年以上にわたり、ヴィクトリア湖は地域住民の諸活動及び人類起源論の両面で劇的な環境上の変化を体験してきたが、その主なものは次の通り。
酸素欠乏期間の長期化、藻類集団の増殖と豊富な種の変化、魚種多様性の減少、湖における最近のホテイアオイ(浮き草の一種)の出現。
集水地域においては、さまざまな環境上及び自然保護上の大問題が発生している。山林伐採面積の増大、農地放棄、湿地帯からの排水が危機的な状況にあることなど。
「ヴィクトリア湖に堆積する沈泥物(silt)が倍増している」という論文がヴィクトリア湖環境管理プロジェクト会議に提出されている。これらのさまざまな要因により、ヴィクトリア湖のエコシステムは極めて由々しき状態に陥っている。
ヴィクトリア湖のさまざまな問題は、決して「バケツ一杯のナイル・パーチが投げ込まれた」ことによって発生したわけではない。ヴィクトリア湖流域全体にわたるさまざまな問題がすべてヴィクトリア湖に注がれ、自然環境を悪化させてきたのであり、人々の生活を貧困に追い込んでいる。
(つづく)
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映画『ダーウィンの悪夢』
について考える(4)
阿部 賢一
2007年4月2日
9. ナイル・パーチの輸出
ユーロフィッシュ(EUROFISH)*という国際機構がある。EUROFISHは2002年に活動を開始したが、1996年に設立されたFAO EASTFISHプロジェクトを引き継いだ組織である。
EUROFISHの任務は、貿易、マーケティング、加工、養殖に的を絞って中央及び東ヨーロッパの水産業の発展を支援することである。加盟国は現在12カ国(アルバニア、ブルガリア、クロアチア、デンマーク、エストニア、イタリア、ラトビア、リトアニア、ノルウェー、ルーマニア、スペイン、トルコ)、これにハンガリーが協定に署名しているが、批准に至っていない。
* http://www.eurofish.dk/
ユーロフィッシュが2006年8月に公表した『FISH INFOnetwork Market Report*』は、最近のヴィクトリア湖のナイル・パーチの諸問題、漁獲量、ヨーロッパへの輸出量、価格などについての報告である。
* FISH INFOnetwork Market Report , Published in August 2006
http://www.eurofish.dk/indexSub.php?id=3276
&easysitestatid=-1519734230
この報告書の抄訳は以下の通り。
**************
(1) ナイル・パーチの諸問題
ナイル・パーチ資源が減少し、その加工生産量も減少傾向にある。ナイル・パーチの価格は、工場出荷段階では、1キロ2米ドルの高値を保っている。他の淡水魚種(オオナマズPangasiusとティラピアtilapia)とは異なり、ナイル・パーチ加工産業はEU市場で厳しい競争にさらされており、値上げできるような状況にないので、生き残りをかけて厳しい対応を迫られている。
1キロ7米ドルでのナイル・パーチの切り身の輸入価格では、輸送コストの上昇もあり、利益はほとんどでない状況である。現地加工水産業は、切り身加工段階で発生する廃棄物を利用して収入を増やそうと躍起になっている。脂肪酸抽出プラントを導入した会社もあり、切り身に付加価値を付ける方法を模索している会社もある。
ナイル・パーチ資源の減少は現地の漁民や水産加工会社に大きな影響を与えている。その一方で、環境の多様性という面ではむしろ好転している。ヴィクトリア湖を囲む現地関係機関では、ヴィクトリア湖へ1960年代初頭にナイル・パーチが放流されたために、減少もしくは消滅したナマズ、ドジョウ、肺魚など、原産魚類が再び出現してきたことに沸き立っている。ハプロクロミス属種(haplochromis species)(シクリッド・ハプロクロミス属の種類----カワスズメ科)は、いったんは絶滅したと考えられていたが、ヴィクトリア湖に再び現れている。この魚がヴィクトリア湖に再出現した原因は、「ヴィクトリア湖の総生物量(total biomass)にしめるナイル・パーチの生息数の減少----1980年の90%から2005年の50%----に因るところが大きい。エル・ニーニョ効果、ホテイアオイ(water hyacinth weed)の繁茂がヴィクトリア湖の稀少魚種の復活に重要な役割を果たしている、と研究者達がコメントしている。
(2) ケニアの問題
ケニアについては、EUミッションが魚類の陸揚場の衛生状態の検査を行い、2006年4月、ヨーロッパ市場への輸出認証の更新を行って一段落した。今後、施設改善が進まなければ輸入禁止措置が取られる可能性もある。ケニアからEU市場への水産輸出高は年間1.4億米ドルである。そのなかでもナイル・パーチは主要輸出品目であるので輸入禁止となれば、その影響は大きい。
(3) ナイル・パーチ価格の急騰
ナイル・パーチの価格が2006年初頭に60%も跳ね上がり、ナイル・パーチ加工場の出荷価格が1キロ2米ドルに達した。これはヴィクトリア湖の水面低下が原因で漁獲量が少なかったからである。漁獲量減少で数千人もの漁民や取引業者の仕事がなくなる一方で、漁獲コストが上昇、漁業関係者は利益をほとんど上げることができない状況に追い込まれた。ナイル・パーチのヨーロッパ市場における輸入価格は1キロ7米ドル台であるが、一年前に比べて1キロ約1.5米ドルも高くなっている。
タンザニアのヴィクトリア湖からの切り身の輸出は、ヴィクトリア湖における魚類資源の急激な減少に伴うリスクに遭遇している。タンザニアの輸出高は2004年から2005年の間に7,000トンも減少した。それにも拘らず、タンザニアはまだ、EU向けナイル・パーチ切り身の主要輸出国に留まっている。ケニアからの輸出は幾分減少したが、ウガンダからの輸出は5,000トン増加した。ケニア、ウガンダ両国からのナイル・パーチのEU市場への輸出量はタンザニアからの輸出量に迫ってきている。資源が減少傾向にあるにも拘らず、タンザニアのナイル・パーチ加工産業は最近施設を増強している。
(4) ナイル・パーチのEUへの輸出量
全体として、ヴィクトリア湖三カ国からEU市場に輸出されるナイル・パーチは、2004年の56,000トンから2005年の52,800トンへと減少した。しかしながら同時期、その輸出金額は1.92億ユーロから2.10億ユーロに増えている。これは供給事情を反映して2005年には価格が上昇し続けたからだ。
2004年には1キロ3.43ユーロであったが、2005年には1キロ4.00ユーロに上昇。それでも、EUが輸入禁止解除直後の2002年の1キロ5.00ユーロの水準に比べればまだまだ安い。
ナイル・パーチの切り身を最も多く輸入しているのはスペイン、フランスとイタリアがそれに続く。EU輸入統計は実態を表してはいない。その理由は、すべての輸入品目はEUに最初に陸揚げされた場所で報告されるからであり、ナイル・パーチの取引が行われているのは、ベルギーとオランダであるからである。フランスとイタリアは、ベルギーあるいはオランダ経由よりも、ここ数年前から直接取引を始めた。
同じ統計上の問題は、2003年と2004年にナイル・パーチを輸入したオーストリアについてもいえる。オーストリア経由の輸入量の大半は、その後イタリアとドイツに出荷されたからである。
EU諸国へのナイル・パーチ輸出量と金額
出典:FISH INFOnetwork Market Report, August 2006
EUにおけるナイル・パーチ価格の推移
出典:FISH INFOnetwork Market Report, August 2006
**********
10. ヴィクトリア湖の魚類のEU輸入禁止措置
EU等にヴィクトリア湖の魚が輸出されるようになってから、これまで二回、EUの輸入禁止措置が取られた。
第一回目は、1997年初頭、特にスペインとイタリアが、ヴィクトリア湖の魚にサルモネラを含む細菌の汚染レベルが高いことに気付いた。二カ国はEUに対してヴィクトリア湖岸国からの魚の輸入禁止を要求した。その後、東アフリカにコレラが発生、EUは鮮魚と冷凍魚の輸入禁止措置を取り、東アフリカ諸国からの冷凍魚、果実、野菜についての強制検査を義務付けた。この輸入禁止措置は1999年の3月から7月まで続いた。
第二回目は、農薬残留問題で、1999年3月にから2000年8月まで続いた。
EUは、ヴィクトリア湖の魚、水および堆積物の有機塩素残留物、有機リン残留物、PCBs、および微量元素等の水準を決める総合的監視プログラムを湖岸参加国に要求した。三カ国は国際機関等と協議して農薬関係法規や罰則を定め、国民を啓発し衛生環境の改善に努めた。
この二回の輸入禁止措置により、湖岸三カ国は貴重な外貨獲得の機会を逃した。三カ国は国際関係機関およびEU関係機関との協議に基づく改善措置等を講じることにより、EUの信頼を受ける衛生水準の確保に努めて輸出が再開され、現在に至っている。
出典:FISH SAFETY AND QUALITY ASSURANCE ? UGANDA’S EXPERIENCE
http://www.iso.org/iso/en/commcentre/presentations/
wkshps-seminars/casco/casdev2003/casdev2003SamuelBalagadde.pdf
タンザニアとウガンダからのナイル・パーチの輸出量・金額ともほぼ同量に近い。ケニアが少ないのは、領有湖岸が少ないことによることは、領有湖面を見れば一目瞭然である。
ナイル・パーチ漁獲量が減少、ナイル・パーチの生息数も少なくなることで、これまで絶滅が懸念されていた原産魚類が、しぶとく生き延びて再出現していることも報告されている。
ヴィクトリア湖の環境汚染・水質汚染が進まなければ、原産魚類の復元・繁殖も期待できる。
ザウパーのドキュメンタリーは『タンザニアのムワンザと武器取引の闇』に的を絞ったものであり、極めて局所的な視点であり観客に誤解を招く。そのために、タンザニア政府や現地ムワンザの人々の抗議を受けている。ヴィクトリア湖全体を見渡して、その状況を説明して、ムワンザに焦点を絞り込めば、観客のイメージも全然違ったものになるはずだ。
ザウパーは、魚のアラに蛆が湧くシーンを挿入した。これには意図的なものを感じた。魚が不衛生に取り扱われていることを示唆するものである。
EUはヴィクトリア湖からの魚の輸入に関して、厳しい衛生状態の維持を求めている。農産物や水産物の輸入禁止で打撃を受けた輸出三カ国は、それを厳しい衛生基準を遵守していなければ、貴重な外貨を獲得できない。
(つづく)
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映画『ダーウィンの悪夢』
について考える(5)
阿部 賢一
2007年4月2日
11. ヴィクトリア湖の水位低下
英国植民地時代の1954年、ヴィクトリア湖の出口ジンジャ(Jinja)付近に、最初の水力発電ダム、オーウェンズ・フォール・ダム(Owens Fall Dam)が完成した。現在はナルバーレ・ダム(Nalubaale Dam)と改名され、ヴィクトリア湖を巨大な貯水池化した。
Photograph of Nalubaale Dam, Uganda
出典:ttp://eobglossary.gsfc.nasa.gov/Study/
オーウェンズ・フォール・ダムの完成に際し、ナイル河下流の最大の利用者であるエジプトとウガンダ(独立以前の英国植民地-----1962年独立)の間に水利用についての協定書が結ばれ、ヴィクトリア湖の水位に応じて、ダムの最大取水量を、毎秒300m3~1,700m3とするという、いわゆる「合意曲線(Agreed Curve)」発電取水量が定められた。この水量は1949年、1953年、そして1991年に、三回、合意・確認されている。
ダムは、ヴィクトリア湖からの唯一の出口であるJinja付近の自然の岩堰を爆破して建設されたが、その自然の岩堰から流れ下っていた水量と、発電用タービンを通過する水量をほぼ同じにするということで、両国間で合意された。ダムの完成によって、ヴィクトリア湖の唯一の出口であった岩堰リポン瀧( Ripon Falls)が埋没した。
水位低下問題は、ウガンダがヴィクトリア湖直下に二番目の発電所を完成させた2002年に始まった。直後から、地元住民からヴィクトリア湖の水位が低下しているとの通報があった。
これがナルバーレ・ダムの1キロ下流に建設されたキイラ・ダム(Kiira Dam)、200MW である。オーウェンズ・フォール・ダム・コンプレックスの拡張を目指したものである。ナルバーレ・ダム発電に利用されなかった水量を発電用に活用しようというものであった。すなわち、ナルバーレ・ダムの水門から放流される水でさらに発電をしようという計画であった。
1993年、キイラ・ダム・プロジェクト*が着工、1999年には主要分が完成した。二つのダムは連携してヴィクトリア湖の水位と流出量をコントロールすることになった。
* このダムは世界銀行の融資で建設された。
1960年から1964にかけて、ヴィクトリア湖の水位がそれまでに比べて2.5mも上昇した(下図参照)。
多くの専門家が、降雨量が多い期間であるとしたが、降雨量が多い原因が何であったのかについては議論が様々だった。キイラ・ダムの計画にあたってはヴィクトリア湖からの平均流出量の計算には、この多雨期間の記録にもとづいて行われた。
*********
それまで長年にわたってヴィクトリア湖の水位観測がなされてきたが、1960~1964年の異常とも思える降雨量と水位のデータを意図的に利用したとしか思われない。これはよくある「はじめに建設ありき」のための統計資料の活用ではなかったのかという疑問を感じる。
下図の1900年から1960年までの水位の上下に比べて、それ以後の1960~1964年の水位上昇は異常である。
********
赤線部分は2005年12月27日のヴィクトリア湖の水位が10.69mを記録、1951年以来最低になった、と説明している。
出典:Recent Lake Victoria Water Level Drop from USDA2005
当初のキイラ・ダムの設計及び費用便益分析は、1961年以後に経験したそれまでよりも高い平均流量にもとづいている。
コンサルタントの投資リスク分析によれば、この高い流出量が続く可能性は99%と推定した。ということは、早期に流出量が下がるという推定は1%ということになる。
(現実は、このコンサルタントのリスク分析と逆の結果になってしまった)
ナルバーレ発電所は発電出力180MW(18MWx10基)であり、これにキイラ発電所(200MW)を加えて全体で380MWに改修・拡張して、適切な管理でオーウェンズ・フォールの水力発電能力の可能性を獲得しようと設計された。キイラ発電所には、40MWx3基(120MW)と最近40MWx2基(80MW) が設置された*。
* Low Water Levels Observed on Lake Victoria September 26, 2005http://www.fas.usda.gov/pecad/highlights/
2005/09/uganda_26sep2005/
オーウェンズ・フォール・コンプレックスのプロジェクト目標発電能力は380MW、キイラ発電所に40MWx2基が据付られる以前の発電能力300MWの発電設備が設置されていた。
しかし、2006年2月、ウガンダ電力当局者によれば、ヴィクトリア湖の水位低下で、この300MWのうち、
170MWしか発電できなかった*。水量不足で発電できず、ウガンダはこのため電力危機に瀕している。
* Decreasing levels of Lake Victoria Worry East African Countries,
February 12, 2006
http://www.ugpulse.com/articles/daily/homepage.asp?ID=306
オーウェンズ・フォール・コンプレックスは、とりわけキイラ・ダムは過剰設計であるという結論になる。
このシナリオはキイラ・ダム計画書類に記されている。
「経済的実現可能性にとって唯一の重要なリスクは、1961年以前の流量データ水準の流量が生ずることである。この場合、発電設備の増強は経済的ではない」と1991年の世界銀行の報告書に書かれている。
出典:
Uganda Accused of 'pulling Plug' on Disappearing Waters of Lake Victoria
Scientist blames secret draining by dam complex ・ Power company says lower rainfall is cause
http://www.buzzle.com/editorials/2-8-2006-88441.asp
Lake Victoria illegally drained for electricity in Uganda
mongabay.com February 8, 2006
http://news.mongabay.com/2006/0208-victoria.html
Low Water Levels Observed on Lake Victoria September 26, 2005
http://www.fas.usda.gov/pecad/highlights/2005/09/uganda_26sep2005/
国連疾病撲滅国際戦略部門の在ナイロビ水利研究者ダニエル・クル(Mr. Daniel Kull)は、過去二年間にウガンダの上記二つのダムが毎秒約1,250m3平均で発電用に利用され、協定書で合意されている水量よりも55%も多く取水していると推定した。
彼の2006年2月8日に発表された論文*の要約は、下記の通り。
*Connections Between Recent Water Level Drops in Lake Victoria, http://www.irn.org/programs/nile/pdf/060208vic.pdf
Dam Operations and Drought
Daniel Kull Hydrologic Engineer Nairobi, Kenya
最近2~3年、ヴィクトリア湖の水位は急激に下がっており、過去10年間の平均水位よりも1.1m以上も下がっているのが現状である。これはオーウェンズ・フォールのダム(NalubaleとKiira)が水位低下を引き起こしていること、そしてもうひとつは旱魃が原因であるといわれている。
2004年~2005年のヴィクトリア湖の激しい水面低下の原因は5項目挙げられる。
(1)旱魃によるもの45%、オウェーンズ・フォール・ダム群(Nalubaale とKiira)による発電用水のために過剰利用したもの55%である。
(2) オウェーンズ・フォール・ダム群が発電用に利用するために協定書で合意された水量を遵守しなかった。
(3) 現在のヴィクトリア湖の水文学資料や過去百年以上にわたる水位観測データにもとづけば、オウェーンズ・フォール・ダム群は設備が過大である。
(4) 現在の水文学、長期にわたる観測、オウェーンズ・フォール・ダム群の発電取水量が合意された取水量を遵守していないことなどを、現在計画中のブジャガリ・ダム(Bujagali Dam)の費用便益分析の際にも考慮されるべきである。
(5) ダム放流量、ダム・オペレーション、河川流量などに関する情報が少ないので、ヴィクトリア湖やナイル河で行われている水力発電及び計画中の水力発電について、外部の者が適切に判断することはきわめて難しい。さらに、旱魃、ヴィクトリア湖水面の低下、ナイル河の流量などを含む気象条件は、上記(3)及び(4)をさらに悪化させることになり、計画発電量を生産することが出来なくなり、ウガンダにとっては、実行可能な代替エネルギー対策が必要になる。
これに対して、ウガンダのプロフェッショナル環境学者協会(National Association of Professional Environmentalists)のフランク・ムラムジ氏が「新科学者雑誌(New Scientist magazine)」に、「ダム群がヴィクトリア湖の栓を引き抜いている」と語った。
一方、ウガンダの発電会社は、ダニエル・クルの論文に対して、「過去二年間、ヴィクトリア湖の集水域の降雨が10~15%減っていることが湖水面低下の原因だと反論している*。
* Uganda Accused of 'pulling Plug' on Disappearing Waters of Lake Victoria
http://www.buzzle.com/editorials/2-8-2006-88441.asp
ダニエル・クルの項目の(4)にあるブジャガリ・ダム(Bujagali Dam)計画地点は、オウェーンズ・フォール・ダム群の数キロ下流、ヴィクトリア湖の北8km地点である。
写真を見ると、ブジャガリ瀧(Bujagali Fall)は階段状の瀧群で景観も素晴らしい。オウェーンズ・フォール・ダム群が建設されて埋没したリポン瀧( Ripon Falls)も多分同様の景観を示していたのではないだろうか。
ブジャガリ瀧はラフティング(筏乗り)の観光客が多く、毎年6,000万米ドルをも稼ぐことが出来る観光地でもあるという*。
出典:Bujagali Falls, The Nile, Uganda
http://www.irn.org/programs/bujagali/
『今日のコラム』に映画「ダーウィンの悪夢」についてのコメントを寄せている島津英世氏が、JICA専門家として、1999年1月から2月に現地を訪問して、ブジャガリ・ダム計画について、当時の現地紙報道を報告している*。
* ウガンダのブジャガリ滝水力発電ダム建設を巡る新聞報道
http://www.seiryo.ac.jp/iaia-japan/news/news3-3/d00002.html
ウガンダ政府と地元関係者、そして融資者を含む建設関係者などの間で、建設の是非、建設コスト、発電コスト、そして契約内容などについての合意に手間取り着工が遅れた。
最貧国にこのような巨大なダム建設を行って果たして電力の販売がうまく行くのかという疑問が大きい。
ウガンダ国内でも95%~97%の人々は電気と無縁の生活をしている。
当初のスポンサーは、AES Corporation (米国) とMadhvani International (南アフリカ)である。
資金手当ては、スポンサーのAES Corporation自身、IFC、世界銀行IDA, AFDB, DEG, ECAs (GIEK, ERG, Finnerva, SACE)など。施工はブジャガリ発電コンソーシアムで、Veidekke, Skanska International Civil Engineering, Alstom Power Limited, GE Energy, ABB Distribusjonなど世界的な大手の連合となっている。
先進諸国の大手業者と国際金融機関、そして現地政府と現地住民など、これまでの発展途上国における大型プロジェクトと同様の典型的な構図である。
建設契約は2000年に締結されたが、遅れて2003年に着工、完成は2005年の予定であった。2005年9月の米国農務省資料によれば、2009年の早い時期にオープンの予定という*。
* Low Water Levels Observed on Lake Victoria September 26, 2005http://www.fas.usda.gov/pecad/highlights/2005/09/uganda_26sep2005/
ブジャガリ・ダムは、ロックフィル・ダムで堤長850m、ダム体積750,000m3の大型ダムである。
このダム造成によって落差30mを利用して、タービンを4基据付け、200MW~290MWの発電を計画している。建設コストは、約5.5億米ドルである。
出典:Bujagali Hydro-Power Dam, Jinja, Ugandahttp://www.power-technology.com/projects/bujagali/
ところが、2002年2月、AESが世界銀行からの融資を獲得した直後、エンロン同様、金融破綻を引き起こし撤退してしまった*。* Washington, Feb. 21, 2002 (Bloomberg)
現在では、新しいスポンサーとしてケニアのIPS社(アガ・カーンの関連会社)がなっている。
世界銀行グループは、今年(2007年)第一四半期には融資再開の決断をすべく検討中であり、欧州投資銀行その他の融資機関についても同様である。ドイツ政府はこのプロジェクトにカーボンクレジット(温暖化の排出権取引)の対象として考えている。そのためには、プロジェクトは、世界ダムコミッションの枠組みを遵守することが求められる。
しかし、今年(2007)2月8日に公表された国際河川ネットワーク(IRN)の報告書では、異常気象によるヴィクトリア湖の水位低下は重大であり、到底、ブジャガリ・ダム計画は世界ダムコミッションの枠組みを満たすものではないと分析、プロジェクトの便益に疑問を呈している*。
* Analyzing Bujagali Dam Against the WCD
http://www.irn.org/programs/bujagali/index.php?id=070212report.html
ヴィクトリア湖の水位低下や異常気象(乾燥化)などの影響を考えると、ブジャガリ・ダム計画に期待する電力が得られるかどうか、見通しは不透明である。
ウガンダは、電力危機に直面している。しかも、オーウェンズ・フォール・ダム群(ナルバーレ・ダムとキイラ・ダム)の水力発電二ヶ所に依存しているのが現状である。
NASAのホーリー・リーベックの2006年3月13日付レポート*がヴィクトリア湖の最近の状況を伝えている。
これを抄訳した。
* Lake Victoria’s Falling waters
by Holli Riebeek・ design by Robert Simmon・ March 13, 2006
http://eobglossary.gsfc.nasa.gov/Study/Victoria/victoria.html
2006年はじめ、地球上の貯水池や湖の水面・水量を定期的にモニターしている米国NASAとフランス宇宙エージェンシーが共同運航させている人工衛星Jason-1によって、ダム建設以前にも見られなかったほどヴィクトリア湖の水面が低下していることが確認された。
この人工衛星は、世界中の湖沼の水位観測、アフリカの穀物生育状況などを分析するのに利用されている。しかし、水位データを収集するのは容易なことではない。それは量水標の精度が悪かったり、現地政府が情報を共有しようとしなかったりするからである。
Jason-1から地上向けにマイクロ波が地上に発射される。人口衛星に帰ってくるマイクロ波のエコーで水面の高さを測定する。ヴィクトリア湖は大きいので、多くのスポットで測定することが出来る。そのため、人工衛星による水位測定の誤差は3~5cmの範囲内である。
人工衛星による測定データは週ベースで地上における測定データと比較分析されている。データ分析にもとづき、湖面水量の管理についての長期予測をすることができる。
ヴィクトリア湖の水位は105年間にわたって量水標(水位を測る設備)による観測がなされており、周期的に水位は上下してきたことが記録されている。1960年代半ばから2005年12月までは湖面の水位が異常に高かった(最高水位13.33m)が、それ以後、約1m下がり、飲水、ビジネス、発電、食糧などの面で湖周辺の人々の生活を脅かしはじめている。
これまでの地上の量水標観測に加えて、最近13年間の人工衛星による観測データが加味され、ヴィクトリア湖の水位変化の激しさがよく分かる。例えば、1961年と1962年には、激しい豪雨で、水位は2mも上昇した。それ以後、2005年12月までウガンダのジンジャの量水標の上の湖面水位は約11.9m(海抜約1,134m)であった。
それを最後に湖面水位は極めて憂慮すべきほどに下がりだし、4月に雨が降るまで水位低下を止めることは期待できなかった。
ヴィクトリア湖の水位の上昇と降下はヴィクトリア湖を囲む水文条件により生ずる。
ヴィクトリア湖は湖自身が降雨の受け皿の大部分を占める。ほとんどの湖では、雨は広い地域に降り、それが、川や小川や地下水などとして湖に流れ込む。しかし、ヴィクトリア湖の水は周辺の陸地からの流入量が少なく、そのほとんどが、広大な湖面に直接降る雨である。このために湖はその年の降雨に極めて敏感に反応し、降雨量の多少によって水位が上下する。
降雨が少なければヴィクトリア湖の水位が下がる。旱魃は東アフリカの幾つかの地域を厳しいものにしている。そして、雨季は短く、10月から12月までであることが、ヴィクトリア湖地域にとっては、より憂鬱なことである。しかし、旱魃だけがヴィクトリア湖の水位の激減の原因ではない。
ケニアのキスム(ヴィクトリア湖岸)の降雨量は2005年後半、平均よりも幾分少ない。しかし、それが湖面の大幅な低下の要因であるとはいえない。
ヴィクトリア湖は貯水池として運用されてきた。白ナイル河はヴィクトリア湖の唯一の出口である。そして、1954年以来、オーウェンズ・フォール・ダム(現在ナルバーレ・ダム)は、ウガンダとエジプトの間の協定書に基づいて、ヴィクトリア湖からの流出水量がコントロールされてきた。
1964年、この協定書は見直された。しかし、ナイル河の自然流量はダムによって影響を受けないようにすることが確認された。それ以来50年間にわたって、ジンジャ(Jinja)量水標地点の上11.9mに近い水位を保つようにナルバーレ・ダムの発電が行われてきており、協定書によりヴィクトリア湖の水位が適切に維持されてきた。
ナルバーレ・ダムはヴィクトリア湖からの流出とナイル河への放流をコントロールしている。発電用水需要が増加したことが多分ヴィクトリア湖の水位低下の原因であろう。
ウガンダ政府は、経済開発を推進するために電力供給を増加すべく、2000年にナルバーレ・ダムを拡張して、ダムにキイラ発電所を併設した。それと時を同じくして旱魃がウガンダに打撃を与えた。ウガンダ政府は発電水力の不足と電力需要の増大に直面することになった。
2005年末にヴィクトリア湖の水位が低下したとき、水関係者と環境保護グループが、協定書に定められた水量以上の水を利用して発電しているとして、電力会社を告発したとの報道がなされた。
2006年1月のニュース・レポートによれば、ウガンダ水資源開発当局者は、電力会社が1954年放流協定書を遵守していないことが水位低下の主要な原因であると報告したが、その後、別の政府関係者が、それを否定し、旱魃だけが唯一水位低下の原因であると表明した。
原因はなんであれ、水位の低下は、ヴィクトリア湖に生活を依存している人々に困難な選択を強いることを意味している。
貯水地は多種多様に利用されている。そして、その経済価値は、その使い方によって異なる。
経済的に水を利用することが、乾季には最優先することを決断しなければならない。
ヴィクトリア湖の場合、この選択は極めて複雑である。ヴィクトリア湖は湖岸に住むウガンダ、タンザニア、ケニアの3千万以上の人々にとって、極めて重要な資源である。三ヵ国間における物資輸送コストは(水上輸送などで)余りかからない。魚類は重要な食糧資源である。ヴィクトリア湖の魅力、ナイル河の景観はヴィクトリア湖岸へ観光客を招く。
ヴィクトリア湖の水位低下は小型ドックなどの海岸インフラを崩壊させている。
******
水位低下で既設のドックや桟橋が機能しなくなっている。もともと水深の浅い湖が水位低下のため、水辺がどんどん沖合に後退している。これは漁民にとっては魚の陸揚げが困難になること、湖面交通手段であるフェリーなどの運航も難しくなっている。
*********
Photograph of water level well below a dock on the shore of Lake Victoria
ヴィクトリア湖のさまざまの恩恵を受けて湖周辺に生活する人々の数は空前のものとなっている。1960年以来、豪雨によって水位が急上昇して、ヴィクトリア湖周辺に住む人々の数が急増した。
ヴィクトリア湖地域は世界で最も人口密度が高い地域になっている。ヴィクトリア湖岸諸国周辺の人口急増はアフリカのほかの地域より著しい。
水産業、輸送網、リゾートなどの経済活動が盛んになり、ナルバーレ・ダム群が開発された。
Map of population density around Lake Victoria
上の図は米国農務省により提供されたデータにもとづきNASAがイメージ化したものである。ベイジュ色の濃淡が人口密度を示している。濃い地域は人口密度が高い。黒線は分水嶺を示している。
(集水地域がヴィクトリア湖の面積に比べて意外に小さいことがよく分かる)
現地の水利研究者は、「1954年協定書を遵守する必要がある。湖面の水位は2000年以前の水位に戻す必要がある。しかし、湖辺の住民、政府、電力会社がもっと電力を必要としているので、そんなことをいえば嫌がられる」という。
オーウェンズ・フォール・ダム群(ナルバーレ発電所とキイラ発電所)はウガンダの貴重な電力源である。ここ2~3年、ヴィクトリア湖の水位低下で発電量は減少。その一方で電力需要が高く、ウガンダは電力危機に陥っている。これを解消するために、ブジャガリ・ダム(Bujagali Dam)開発が計画された。
ブジャガリ・ダム(Bujagali Dam)開発で経済推進と貧困脱却を図ろうとするウガンダ政府に対して、国民の95%はいまだに電力と無縁であり、国内外のNGOその他の機関などが発電コストの高いダム(建設費約5.5億米ドル)は経済的に問題であり建設を止めるべきだと主張する。
ウガンダは、独立以来、度重なるクーデターにより内政、経済は混乱したが、1986年に成立した現ムセべニ政権がほぼ全土を平定した。2006年2月23日の選挙でムセベニ大統領が三選され、一応、政情は安定しているかにみえる。
しかし、北部地域では、20年に及ぶ反政府組織「神の抵抗軍」(LRA)との戦闘が継続している。
さらに、現在も200万人近い国内避難民を抱える人道危機に直面している*。
* 外務省情報
ヴィクトリア湖の自然条件は、ダニエル・クルやホーリー・リーベックの報告にあるように、地形上の集水地域が意外に小さく、ヴィクトリア湖面に降る雨に大きく依存している。そのため、湖面水位がその年度の雨季の降雨量の多寡によって激しく上下する。それに近年の旱魃も加わって、湖面からの蒸発も湖面水位を低くする要因となる。
その一方で、豊かな水を求めて多くの人々が1960年代から湖辺に集まり、世界でも有数の人口過密地帯となっている。人口が増えれば、様々な問題が同時発生的に地域に発生する。ヴィクトリア湖周辺の山林伐採や耕地化・住宅地化が自然環境を破壊する。各種産業のオペレーションによる廃棄物・汚染物の発生、人口過密化による生活インフラの整備不足による人々の生活環境の悪化、それが、ヴィクトリア湖の汚染化・富栄養化に広がる。
ヴィクトリア湖は国際湖沼であり、下流はエジプトという国際河川である。水不足がこれら関係諸国間の紛争の火種になる危険をはらんでいる。二十一世紀は水戦争の時代であるといわれるが、その発火点のひとつがヴィクトリア湖になる可能性がある。
(つづく)
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映画『ダーウィンの悪夢』
について考える(6)
阿部 賢一
2007年4月7日
12. タンザニア ムワンザ
tanzaniamap.bmp - 352214 Bytes
出典:http://www.angelfire.com/bug/fisheries/
上図はタンザニア全図である。右端がインド洋、そこに、商都(旧首都)ダルエスサラーム(人口249万7,940人)、中心部のドドマ(Dodoma) が現在の首都(人口169万8,996人)、そして、図の上部にあるのが、映画『ダーウィンの悪夢』の舞台、ヴィクトリア湖畔のムワンザ(Mwanza)(人口294万2,148人)、タンザニア第二の人口である。図の右上、ケニアとの国境にあるのがアフリカ大陸最高峰キリマンジャロ(5,895m)である。
( )内の人口は駐日タンザニア大使館の数字*である。2002年統計資料で、それぞれのRegion(州)の人口と推察される。現地紙によれば、ムワンザ市の人口は約50万である。
* http://www.tanzaniaembassy.or.jp/
タンザニアの2006年推定総人口は37,445,392人である。この国におけるエイズによる死亡が極めて多いことに留意しなければならない。その結果として、寿命が短く、幼児死亡率および全体の死亡率も高い。そのため、人口増加利率は低く、年齢や性別による人口構成に変化(不均衡)をきたしている。
成人のエイズ罹病率8.8%(2003年推定)、エイズ患者数160万人(2003年推定)、エイズ死亡者数16万人(2003年推定)、と、エイズの影響はきわめて深刻である*。
出典:World Factbook 2007
https://www.cia.gov/cia/publications/factbook/geos/tz.html#People
一人当たりの国民総所得(GNI)は330米ドル(2005年:世銀資料)、一日1ドルにも満たない最貧国のひとつである。周辺諸国も同様な状況におかれている。なぜ最貧国なのかはグローバリゼーションのせいばかりではないだろう。
*******
筆者はタンザニアには行ったことがない。一昨年の世界一周航海の途上、2005年2月27日早朝、隣国ケニアのモンバサ港に到着。上陸して、オプショナル・ツアーに参加、国道1号線をナイロビに向かってドライブ、150km地点でTsavo National Park-Westに入り、ゲームドライブを楽しんで50km奥に入り、夕方近くKilaguni Safari Lodgeに到着、壮麗なキリマンジャロの陰に沈む美しい夕日を眺めることができた。ホテル支配人は「キリマンジャロが眺望できるロッジはここだけで、しかもめったにその全姿を見ることはできないので、幸運に恵まれましたね」と、観光客を喜ばせるのが上手だった。翌朝、キリマンジャロには雲がかかってその雄姿を残念ながら見ることができなかった。
キリマンジャロから想像するのは、山頂付近の氷河の後退と、美味しいコーヒーであるが、ケニアを数百キロドライブした経験からみて、タンザニアもケニア同様の大地溝帯の自然地形・条件であるに違いない。
********
下の図画がムワンザとヴィクトリア湖岸である。
出典:http://encarta.msn.com/map_701514910/Mwanza.html
そして、ムワンザ市中心街のラウンドアバウト(日本ではロータリーという)である。英国植民地はどこへ行ってもこのラウンドアバウトが多い。その名残である。
http://www.darwinsnightmare.net/
(2) ムワンザの水産加工業者
ムワンザの水産加工業の成長に伴う経済の活性化について、現地紙の特集記事*があるので、それを下記に抄訳した。
現在、ムワンザで操業している水産加工会社は4社*(Mwanza Community サイトでは9社となっている。大手輸出関連会社ということであろう)。そのすべてはケニアのビジネスマンの所有であるが、もともとは当地に移住してきたアジア人(インド系、印僑)で現在は三代目である。
* Omega Fish, Mwanza Fish, Nile Perch, Vicky Fish, Tanzania Fish Processing Limited.
ムワンザの水産加工業による魚類の輸出で年間1億ドルの売り上げをあげている。そして、ムワンザ市の人口50万人の中で、直接雇用4,000人、間接雇用10万人の雇用を生み出している。ムワンザには漁業免許を持つ漁民が10万人いる。
ムワンザに水産加工業があるお陰で、建設業、燃料関係ビジネス、不動産業など他の経済活動も発展してきた。
2006年PPF(公的基金)がキセケ(Kiseke)に住宅286戸を建設、さらに1,140戸の住宅建設が計画されている。
PPFが急激に成長するムワンザ市中の事務所スペースの不足を解消すべく9階建のオフィス・ビルを建設中*で、2006年末までには完成するほか数ヶ所でビルが建設中である。ホテルその他観光関連施設も多くなってきており、ムワンザ地域は、ダルエスサラーム、タンガ、アルシャ・キリマンジャロ地域に次ぐ第4番目の納税額で国家財政に貢献している。
* Daily News August 26, 2006
タンザニア人に嫌われている脂っこいアカメ近隣種ナイル・パーチ(現地語でsangara)*は、海外では需要が多く、タンザニア政府はこの魚を海外市場向け、国内市場向けにはティラピアやイワシなど他の魚種を当てる方針を取っている。
* 全長193cm、体重200kgの記録がある大型魚。
アフリカ熱帯域の川、塩湖、汽水域に分布する。
出典:ウィキペディア
水産加工産業者は、ヴィクトリア湖で獲ったナイル・パーチを切り身にする。そして、残ったアラ(頭と骨部“mapanki”)は水産加工業者にとっては、当初、廃棄物でしかなかった。ヨーロッパ市場では切り身は売れるがアラは売れないからである。
マパンキの干し場
http://www.dailynews-tsn.com/page.php?id=3000
水産加工業者がアラをゴミとして、当初、郊外に捨てていたが、腐敗したアラの悪臭がゴミ捨て場の環境破壊をもたらした。魚のエラは現地に生息する鳥ハゲコウの好物である。(ザウパーの映画で、アラ乾し場で狙っていたあの鳥であろう。)
しかしながらニャモンゴロ(Nyamongolo)(骨場)の起業家が、この厄介モノのマパンキの活用法を見出し、アラ(残魚肉)に脂肪質があることに目をつけ、それらを乾物にしてフライにするビジネスを始めた。そして骨部分については魚粉原材料として、養鶏飼料への需要があることが分かり、マパンキの加工場がつくられた。
厄介者の廃棄物は、このようにして、魚の燻製化、ナイル・パーチ脂肪油を材料にした魚のフライ、そして骨部分は魚粉飼料となった。
* Mwanza fish industry creates over 100,000 jobs
http://www.dailynews-tsn.com/page.php?id=3000
Daily News; Thursday,August 24, 2006
(3) アルファ・グループ/アルファ・中東会社*
* http://www.alphamiddleeast.com/index.htm
現在ドバイに本社のあるアルファ・グループは、1906年、印度からケニアに移住してきたクルジ一族(Kurji family)の初代カリム・クルジ(Karim Kurji)がケニアのナイロビに会社をつくって事業を始めた。現在では、その三世代目がオーナーとなりグループを経営しており、水産物の購入と販売で年間9千万米ドルの売上高をあげる。
ナイル・パーチの加工・輸出の他に、インド洋で獲れる海老、ロブスター、イカ、タコその他様々な海産物の加工・輸出も手がけており、スリランカにも進出している総合水産物大手業者である。ナイル・パーチの最大手の加工業者のひとつである。(これらの海産物は日本にも輸出していると同社HPに書かれているので、同社にとって日本はお得意様であるに違いない)
ムワンザのTanzania Fish Processing Limited.はドバイに本社のあるAlpha Groupの水産加工部門系列で、ケニアのキスムにナイル・パーチ統括部門*がある。
* East African Sea Food Ltd (Kisumu, Kenya) ? Nile Perch Division
同社は、ヴィクトリア湖を取り囲む参加国にナイル・パーチ加工その他の水産加工プラントを展開している。
Tanzania Fish Processors Ltd (Mwanza, Tanzania)
Musoma Fish Processors Ltd (Musoma, Tanzania)
Uganda Fish Packers Ltd (Kampala, Uganda)
Masese Fish Packers Ltd (Jinja, Uganda)
同社は、ヴィクトリア湖におけるナイル・パーチ加工・輸出から、世界的な水産業者に規模を拡大して来たようである。
(つづく)
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映画『ダーウィンの悪夢』
について考える(7)
阿部 賢一
2007年4月8日
(4) ムワンザの観光
ムワンザはヴィクトリア湖における主要な港であり、ナイル・パーチの加工・輸出産業を中心に経済成長が著しい。さらに世界から観光客をひきつける魅力を備えている。
ヴィクトリア湖の中にある多数の島々は野生動物の聖域であり、自然公園にもなっている。また地理的には有名なセレンゲティ国立公園にも近い位置にある。
映画『ダーウィンの悪夢』騒ぎの後、現地紙*(2006年7月29日付Daily News---Dar es Salaam)にムワンザの観光記事がある。以下に抄訳した。
これを読むと、『ダーウィンの悪夢』とは違った、いわゆる野生王国アフリカのイメージが湧く。
タンザニア最大の部族スクマ族の中心地(Capital of Sukuma Land)であり、伝統文化も多く博物館もある。しかし、まだまだ観光施設関係の投資が少ないようで、国際級のホテルはないようだ。
http://www.dailynews-tsn.com/page.php?id=2460
http://www.tanemb.se/exploretz.htm
上の二つの図はムワンザのランドマークとなっているヴィクトリア湖のビスマルク・ロックである。
ムワンザ周辺およびヴィクトリア湖内には、このような奇形花崗岩の岩塊が散在している地域でもある。ビスマルクの名前がついたこの岩塊は、ドイツ植民地時代の名残であろう。
ムワンザ 観光客注目で急成長
ヴィクトリア湖の南岸に位置するムワンザはタンザニアの中で最も活発な商業中心地のひとつである。タンガなどの旧都市や新首都ドドマ(Dodoma)をしのいでいる。
ムワンザの繁栄は1928年にさかのぼる。英国統治下にタボラからムワンザ間に、525kmの鉄道が敷設された。鉄道は、タボラ(Tabora----タンザニア全図のほぼ中心点)からナイル源流を探査中の英国人ジョン・スピークの辿った古いキャラバン・ルートに沿って敷設された。
ルートは、シンヤンガ(Shinyanga)あたりでほとんど樹木のない草原の大きなうねりの地形に変わるところまではミオンボ林地帯(miombo woodland)*に覆われていた。
シンヤンガを通り過ぎると、荒涼たる地平線上に特異な円いくっきりとした巨大花崗岩露出地帯が出現する。そして突然、湖が現れる、緑色の水面が陽を受けて燦々と輝いている。それがヴィクトリア湖である。
*
Eastern Miombo woodlands
出典:
http://www.nationalgeographic.com/wildworld/profiles/terrestrial/at/at0706.html
昔はニャンザ(Nyanza)と呼ばれていたが、これは現地語で湖という意味で、この広大な湖面はスピークによって英国ヴィクトリア女王の名に改められた。
ムワンザ市はヴィクトリア湖に突き出した狭い半島部にある。建物群が湖の南岸の背後の岩山の上の方まで続く。燦々たる湖面を見下ろす一帯はタンザニアで最も景色のよい住宅地となっている。
鉄道の終点であり、ヴィクトリア湖の主要港として、ムワンザは活気を呈している。タンザニアの肥沃な西部地域からの綿花、茶、コーヒー等の農産物の集積地である。
ムワンザは、ブコバ、ムソマ、シンヤンガなど国内各地からの農産物の集積地であるとともに、国境を越えたウガンダ、ルワンダ、ブルンジなどからの産物も集まってくる。
ムワンザの魅力は、前面に大きく広がるヴィクトリア湖、世界第二の淡水湖である。その中には沢山の島や小さな群島である。
魚類はティラピアや1960年にウガンダ湖岸で放流されたナイル・ピーチが豊富で、大物の魚釣り(fishing)が楽しめる。地元漁民が漁をしていたが、海外の水産加工会社が進出し、魚類の輸出で成功している。
ナイル・パーチがヴィクトリア湖に放流された当初は、獰猛な捕食性が心配された。漁業関係者は、ヴィクトリア湖固有種のティラピア(ハプロクロミスとシクリッド種)が居なくなってしまうのではないかと心配した。
しかし、ティラピアは漁民たちの心配を乗り越えて生き延び、いまは国内向けや輸出向けの主要な役割を占めている。
アメリカン・ブラックバスもヴィクトリア湖の中に入ってきている。ブラックバスはナイロビの近くのナイバシャ湖などケニアの湖沼やダムなどで養殖された。ブラックバスはこれらの養殖場からヴィクトリア湖に紛れ込み、次第に繁殖していった。
ムワンザ住民はタンザニア最大のスクマ族である。百万を越える人々が、綿花、メイズ、キャッサバなどを栽培して農業を主として生活している。そして、多数の家畜群を所有している。彼らの日常生活は、古くからの相互互助の伝統の中で暮らしている。
綿花畑の栽培はいまだに共同作業で行われている。栽培シーズン中は、全員が各家族の綿花畑での作業を確実にこなすためのプログラムを作成する。伝統は厳かな儀式を伴う。それがパーティとダンスである。
ゴボゴボ(Gobogobo)ダンス、この有名な蛇の踊りは伝統儀式の一部である。
観光客は、市の中心部から20kmのブジョラ・スクマ村博物館(Bujora Sukuma Village Museum)で、ゴボゴボ・ダンス(蛇踊り)を観覧することが出来る。
観光客は、サーナネ島(Saa Nane Island) へ数日間、滞在することも出来る。そこは野生動物の聖域であり、ヌー、シマウマ、ヤマアラシ、カバ、檻に入れられたチンパンジー、ライオン、ヒョウなどを観察できる。
島自体は、なだらかな起伏の草原、そのなかに美しい花崗岩の岩塊があり、冷気を醸し出す樹林の渓谷もある。この島にはムワンザからは船便が往復している。
最も魅力的な野生動物の聖域は、ルボンド島国立公園(Rubondo Island National Park)とその周辺の小島群であり、広さは240km2。1977年、この島に数種の動物達が持ち込まれて、国立公園になった。島そのものはそんなに大きくはないが、ユニークなサファリメニュー、すなわち、歩くサファリ、ボート・サファリ、ゲーム・ドライブなどを楽しむことが出来る。
ルボンド島は、サバンナ、雑木林から密林、パピルス湿原など多様な植物の原生地としても恵まれている。ヴィクトリア湖は年間を通して水があるので地下水位まで樹木の根が張り、ルボンド島は年間を通して緑に覆われる。10月から12月までの短い雨季には、地生え蘭、樹上蘭、グロリオサ・ユリ、スカドクサス(火の玉ユリ)などが咲く。デイゴなどの樹木は年間を通じて花を咲かせてくれて壮観である。
ルボンド(Rubondo)は、島であるので自然保護がしやすい。手がついていない森林が多くの動物たちに平穏な環境を供する。カバ、ワニ、ブッシュバック(大型レイヨウ)、シタツンガ(水陸両用カモシカ)、ベルベット・モンキー、沼地マングース、ジェネット(ジャコウネコ科)などに出会うことが出来る。キリン、ローン・カモシカ、コロンブス・モンキーなども住んでいるが、彼らを見つけるのは難しい。それは、密林が深くて見通しがきかないからであり、そろりそろりと探索するからである。ゾウ、サイ、チンパンジーなど(これらの動物は公園に持ち込まれたのだが)を見つけるのも難しい。
ルボンド島の地形は高低があり、森林はバード・ウォッチャーのパラダイスである。水辺に住む鳥、森に住む鳥などが多く、東アフリカ、中央アフリカに住む鳥たちや欧州や南米からの渡り鳥もある。
ウオクイワシ、ゴリアテサギ、アフリカクロトキ、クラハシコウ、カワセミ、カッコー、ハチクイ、タイヨウチョウ、その他多様多種の水鳥が数多く観察できる。しかし、島にはテント施設があるだけで、観光客は食糧持参でこの島に行かなければならない。
* Mwanza, the fast growing city with tourist attractions
Daily News July 29, 2006
http://www.dailynews-tsn.com/page.php?id=2460
今年3月、タンザニアの資源・観光大臣がアメリカ各地で一週間のタンザニア観光キャンペーンを行った。
そして帰国後、現在米国からの観光客は56,000人だが来年は200,000人にしたいと抱負を語った。
CNNネットワークにキャンペーンを依頼し、大手新聞社、旅行・観光雑誌などにも特集記事を依頼した。
昨年のタンザニアへの海外からの観光客は約65万人、そのほとんどは欧州からであるが、アジアからの観光客にも来てもらおうと努力している*。
『ダーウィンの悪夢』によるタンザニアの海外における悪印象を払拭しようとタンザニア政府や関係者は必死である。
* Daily News March 9, 2007/04/07
13. ムワンザ空港
ムワンザ空港はカテゴリーⅡの空港である。空港はムワンザ市の北北東約10kmにある。
滑走路は一本、長さ3,250m(10,830ft)、空港は海抜1,130m(3,763ft)である。
世界的に有名なセレンゲティ国立公園やゲイタ金鉱山地域に最も近い空港であり、大湖地域のナイル・パーチの切り身の輸送ハブ空港ともなっている。また、ケニア、ウガンダ、ルワンダ、コンゴ、ブルンジ等、近隣の東・中央アフリカ諸国間の重要なハブ空港ともなっている。
ムワンザ地域は、魚の切り身及び(ムワンザから90km~100km地点にあるゲイタ鉱山産出の)金の輸出など、活気のあるビジネス中心地である。空港利用客も1999年の8万2千人から2002年には12万人、年15%の増加となっている。
空港には、これら乗降客の少なくとも10%の人々の宿泊施設が必要であるとタンザニア政府が考えているが、まだ計画段階である。機体メインテナンス・ハンガー(70m x 65mxH15m)(150万米ドル)の建設が計画されている。ザウパーの映画ではこれらの建設状況は確認できなかった。ロシア人クルーが炎天下のエプロン付近で機材を分解してメンテナンス作業を行っているシーンがあった。
2003年の貨物量はダルエスサラーム空港の11,176,446貨物トンよりも多く、タンザニアで航空取扱量が最も多い。
ムワンザ空港の利用状況
年
2000
2001
2002
2003
乗降客数
100,845
112,422
111,282
137,847
貨物トン
19,562,435
21,063,048
17,419,788
12,311,091
出典:MWANZA AIRPORT
http://www.tanzaniairports.com/inv_opportunities_details.htm
http://www.tanzaniairports.com/statistics.htm
映画『ダーウィンの悪夢』では、滑走路周辺に墜落して放置された航空機の残骸のシーンがある。
滑走路先端の湖岸には離陸に失敗して沈んでいる一機を写すシーンがある。
航空機事故が多いことを印象付けるシーンである。確かに事故は多いようだ。
2000年2月3日の夕方、カーツームからナイル・パーチを積むために飛来したボーイング707型貨物機が、着陸態勢に入ったとき空港は停電中、空港は自家発電装置を起動して着陸誘導したが、貨物機は滑走路を2~3回バウンドして、ヴィクトリア湖に墜落、乗員5名が死亡した*。
*Accident description
http://aviation-safety.net/database/record.php?id=20000203-0
ザウパーの映画撮影後の2005年3月23日にも、イリューシン’76TD機が真夜中、クロアチア向けの50トンのナイル・パーチを積んで飛び立ったが、離陸に失敗し、湖中に墜落した。乗員8名が死亡した*。
* Accident
http://aviation-safety.net/database/record.php?id=20050323-0&lang=en
2005年3月23日の事故の一週間前には、隣国ウガンダのエンテベ空港に着陸しようとしたイリューシン76型貨物機が着陸に失敗したが、乗員5名は救助されている。
このムワンザ空港における2005年3月23日事故は、最近4年間で発生した三度目の事故であり、いずれも、ナイル・パーチを積んで飛び立つ際に起きたものだ。幸いに前二回の事故ではクルーの死亡者はなかった。
しかし、この事故の数日前にダルエスサラームからムワンザ空港に着陸した乗客85人ボーイング737型旅客機は着陸時にタイヤ4本がパンクする事故が発生している*。
* Cause of Mwanza plane crash unknown March 28,2005
http://www.nationmedia.com/eastafrican/28032005/
Business/Business3.html
2007年1月24日付のIPPメディアは、タンザニアの地方空港の滑走路の安全性を取り上げた。タンザニア地方空港で滑走路の状態が悪いことで事故が多発していることに、警鐘を鳴らしている*。
* Review runway safety conditions in Tanzania
2007-01-24 09:54:27
http://www.ippmedia.com/ipp/guardian/2007/01/24/82950.html
こんなに航空機事故が頻発すると、東アフリカを航空機で旅行するのも命懸けを覚悟する必要がある。
*******
余談だが、他所の国のことはいえないのが現在の日本の航空界でもある。
ANAボンバルキア機はたびたび異常事態を引き起こしていることで有名である。幸いにして人身事故に至らなかったが、3月13日ANAボンバルキア機が高知空港で胴体着陸したことは記憶に新しい。そして、全日空は同型機13機すべてを総点検した。しかし、直後の4月3日、また同型機(中部国際空港発松山行き全日空1827便)が三重県四日市市の上空約1800mで、異常があり中部国際空港に引き返している。
同じ4月3日、羽田発福岡行きJAL329便ボーイング機の右翼エンジンに異常発生で、左翼エンジンだけで福岡空港に緊急着陸した。
どうやらどこへいっても命懸けの覚悟で航空機に乗らなければならない時代である。
********
14. 「死の影」を強調するシーンの連続
映画『ダーウィンの悪夢』の最初のシーンで、ムワンザ空港管制塔室内で何かに苛立つ航空管制官が、ハエ?を叩き殺すシーンがある。
管制官は空港の無線が故障していること、滑走路の案内照明灯が着かず、着陸態勢に入った航空機の誘導に苦心した話をしながら、もう一匹のハエ?を叩き殺す。このシーンが何を意味するのか最後までわからなかった。それにしても、この管制官はどうして管制室内で撮影することを許したのだろうか。あの管制官も夜警ラファエル同様、後で航空局のお偉方にたっぷり絞り上げられたに違いない。
ある映画評によれば、このハエ?叩きはザウパーの「死」の表現であると評している。このドキュメンタリーの最初から最後まで「死」がテーマになっているという。
なるほど、街中のストリートチルドレンたち、ペットボトルの飲み物を飲んで、だきあって眠りに入るふたりのこども、湖畔で魚を包装するために使われたプラスチック製の容器を溶かして蒸気を嗅ぐこども、「タンザニア」を歌っていた娼婦が殺されたことを話している仲間の娼婦たち、空き缶で炊いた食料を奪いあう子どもたち、その奪い合いの中に、ひとりの大人がその中に入ってこどもたちを引き分ける。その騒ぎのなかで一人のこどもの凄まじい顔*のアップがこの映画公式サイトで掲載され、映画ポスターにもなっている。どうもこのシーンは不自然で「やらせ」の臭いがする。
魚を獲るために湖に潜って網を張って片足をワニに食われた男、墜落した貨物機の残骸、よろよろと道を歩いて働けなくなって村に帰るのであろう男の後姿、村でのエイズに罹っていると思われる痩せこけた無気力な女、そして最も印象に残るのが、裸足の女がアラを乾している「骨場」、至るところに「死」の影を想像させるものだ。
「骨場」のシーンは、エル・グレコやヒエロニムス・ボッシュの絵画のように潜在的な恐怖を起こさせるようなイメージを沸かせるヨーロッパの観客を意識したシーンだという映画批評もある。それから巨大な腐った魚の頭が地面にどさっと落ちる場面、こどもが大きなナイル・パーチのアラ(頭部と骨部)を持つ異常なシーン*、裸足の足元の腐ったアラに蛆が蠢くシーン等々。観客はグロテスクなシーンの連続で強烈に印象付けられるが、いずれも不自然で「やらせ」を感じる。
*『ダーウィンの悪魔』日本語公式サイト
http://www.darwin-movie.jp/introduction.html
(つづく)
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映画『ダーウィンの悪夢』
について考える(8)
阿部 賢一
2007年4月16日
15 シクリッドと「ダーウィンの箱庭」について
(1) 「箱庭」とは?
映画『ダーウィンの悪夢』を紹介するのに、『一匹の魚からはじまる悪魔のグローバリゼーション』*あるいは「『ダーウィンの箱庭』といわれるヴィクトリア湖にバケツ一杯の外来種の魚ナイル・パーチが放流されて------」という枕詞ではじまる文言が多い。
* 映画『ダーウィンの悪夢』公式サイト
http://www.darwin-movie.jp/
『ダーウィンの箱庭』とは草思社から1999年9月に出版された邦訳本の題名である。
出版元の広告コピーは、
「ヴィクトリア湖は、50年に1種以上という驚くべきペースで新種の魚を生み出す進化の実験場だった!」
紀伊国屋の広告コピーは
「目の前で進化が起こる夢のような場所がアフリカにあった!進化の実験ヴィクトリア湖と驚異の魚シクリッドをめぐる物語。」
原著者はティス・ゴールドシュミット(Tijs Goldshmidt)。原題はDarwins hofvijver、1994年に出版。
1996年、英国で出版されたときの題名はDarwin’s Dreampond。このほか、仏・独・伊・中・ポーランドなど各国語に翻訳出版されている。
ゴールドシュミットは1953年、オランダのアムステルダム生まれ、ライデン大学に学び博士号を取得。
1981年からシクリッドの研究を始め、タンザニアのヴィクトリア湖畔で5年間を過ごした。シクリッドの生態を観察し、その進化の速さの秘密を研究した。そして外来種ナイル・パーチの猛威を実感した。その体験にもとづいて執筆した“Darwins hofvijver”の出版により、ヴィクトリア湖のシクリッドについての進化論的生物学及び生態学の専門家として国際的な賞賛を受けている。同書は、優れた文学作品として文学賞候補作品と(AKO Literature Prize)もなり、科学啓蒙書として、オランダ科学研究協会(Dutch Organization for Scientific Research)から優秀科学賞(Prestigious Science Prize)を受賞している*。
* http://www.nlpvf.nl/book/book2.php?show=all&book_vertid=832&Book=65
ゴールドシュミットの有名な言葉は「広大な湖を崩壊させるためには、一個のバケツをもった人間が一人居るだけでいい」であるという。
どうもこの言葉をさらにひねって、本も映画も、キャッチコピーにしたようだ。
同書の第1章は「数百種が消えた?」と衝撃的な項目で始まる。
彼の調査では、シクリッド類(ハプロクロミス属)は500種のうち約200種があっという間に絶滅してしまった。その原因がナイル・パーチであり、ヴィクトリア湖の生態系の破壊を警告した。
以下、次の項目が並ぶ
2. 鱗を食べる魚 眼を食べる魚
3. 分子生物学、分類学、温泉
4. 自然選択で進化は起きるか
5. たった一種から数百種への分化
6. 雌に選ばれる雄
7. 生態的地位をめぐる争い
8. なぜ絶滅したのか
9. 生態系の予期せぬ変化
10. フル*は生き残れるか
* “フル”は現地語であるスクマ語でもスワヒリ語でも、“フル”以外の呼び方のないシクリッド(砂地や泥場にいる底棲のシクリッド)のことである。
http://www.evolution.bio.titech.ac.jp/f_project/
2006/Vol_7/v_report_2006_7.html
ヴィクトリア湖に外来魚『ナイル・パーチ』が放流された経緯やその後の環境の変化については下記のサイト*に詳しい。
* ヴィクトリア湖
http://homepage3.nifty.com/duke-box/gaia_b45.htm
残念ながら筆者はゴールドシュミット著『ダーウィンの箱庭』をまだ読んでいない。
近くの西東京市図書館、武蔵野市中央図書館には在庫があることが確認できたので、できるだけ早い機会に借用して読む予定である。
筆者は、オランダ語はわからない。しかし「箱庭」という邦訳には、ミニチュア(miniature landscape garden)というイメージがあり、どうも違和感があったので、英語題名はどうなっているのだろうと検索してみると『ダーウィンの夢の池(Darwin’s Dreampond) 』。こちらの方がイメージがぴったりする。
(2) シクリッド(Cichlid)
ヴィクトリア湖は、この道の研究者の間では、ダーウィンのいう進化論の基本概念、自然淘汰、生存競争、適者生存を導き出し、その要因によって常に環境に適合する様に進化し、勝ち残った結果として、多様な種が発生する、ということの「進化の実験場」として注目を集めている。その研究対象が、シクリッドという魚である。
シクリッド(Cichlid)とは、和名カワスズメ科、学名スズメダイ亜目シクリ科。
さまざまな環境に適応し、その姿を大きく変化させる能力を持っていて、大きさは3~4cmのものから80cmを越えるものまで、姿・形・色なども様々である。
生息地はアフリカ大陸とアメリカ大陸。このことからアフリカ大陸とアメリカ大陸が一つの大きな大陸として存在していた3億6000万年~2億4000万年前(石炭紀~ペルム紀)にはシクリッドの祖先が生息していて、分離移動する両大陸に乗って広がったと考えられている。
アフリカ大陸のシクリッドは1000種、中南米のシクリッドは約200種。アフリカ大陸では今でも新種が続々と発見されている、という。
このシクリッドは、我が国の熱帯魚店でも、一匹1,000円~10,000円以上で販売されている。
中南米産、マラウィ湖産、タンガニーカ湖産、ヴィクトリア湖産の東アフリカのアフリカン・シクリッドは、色彩が大変魅力的な種類が多く、飼い方によっては自宅での繁殖も簡単に出来る。
インターネット【シクリッド】で検索すると、この魚の多彩な画像にアクセスできる。
(3) 我が国におけるシクリッドの研究
我が国でヴィクトリア湖のシクリッドを研究しているは、東京工業大学や京都大学などの、生命科学研究者たち、そのなかで、DNA研究で業績を上げているのが東京工業大学の岡田教授である。
『ビクトリア湖・岡田プロジェクト』で現地調査も行っている*。
*『ビクトリア湖・岡田プロジェクト』フィールド・レポート
最新版 Vol.7(2006.10.23~10.29)
http://www.evolution.bio.titech.ac.jp/f_project/2006/Vol_7/v_report_2006_7.html
岡田研究室がなぜ、シクリッドを研究しているについては、下記のサイトにわかりやすく解説している*。
* 東京工業大学大学院生命理工学研究科生体システム専攻
進化・統御学講座 岡田研究室 シクリッド班
http://www.evolution.bio.titech.ac.jp/f_research/cichlid/cichlid.html#3
岡田研究室は2003年よりアフリカ・ビクトリア湖のシクリッド遺伝子研究を開始し、2004年、現地調査を行なった。その成果などについて、アットホーム(株)の機関紙「at home time」(2004年12月号)に「進化するDNA」と題する岡田教授の対談記事がある*。
* http://www.athome.co.jp/academy/biology/bio08.html
対談のシクリッド関係部分を引用すると、
ヴィクトリア湖に注目した理由は:
「ビクトリア湖は1万2千年前に一度完全に干上がり、魚がいったん死滅しました。だからビクトリア湖の固有の魚である700種以上のシクリッドはわずか1万2千年の間に、同じ祖先から進化してきたと考えることができる。
シクリッドは体の大きさ、体の表面の色と模様、アゴの形状など、実にさまざまな種類に分れていて、見た目だけでは、ほぼ同一の染色体を持っているとは到底思えないほどです。こういうケースは非常に珍しいので、生物進化の研究に適しているのです。」
「シクリッドが多彩に分化できた原因として、ごくわずかなDNAの変化が、非常に大きな生態の変化を作り出すという可能性が考えられます。
例えば網膜には光を感じる数種類のタンパク質が存在しますが、そのタンパク質の設計図であるDNAがほんの少し変化しただけで、感じる光の波長が変る。そして、より暗い光を感じることができるようになった魚は湖の深いところで生息できるようになり、やがて新しい種に分化する。網膜だけでなく、異性をひきつける役目を果たす体表の色と模様の変化も大きいでしょう。また餌を取ったり、子育てをしたりするためのアゴの形状もさまざまです。DNAのわずかな変化でこのような種の分化が起きていることが解明できれば、非常に大きな成果になると思います。」
そして現地調査での発見として
「 (2004年夏二週間ほど)現地で調査をしてみると、非常に興味深い新事実が判明しました。最近、ビクトリア湖ではナイルパーチという回遊魚が登場し、これがシクリッドを食べるために、シクリッドは絶滅の危機にあるのですが、1種だけ減らない種がいたのです。実はこのシクリッドは夜行性だったんですね。だから、昼間に活動するナイルパーチから逃れることができたというわけです。どうやって夜行性になったのか、DNAの変化を今調べているところです。」
なるほど、遺伝子研究者が、ヴィクトリア湖を「進化の実験場」と考えている理由がよく分かる。
確かに「ダーウィンの夢の池」である。
(4) アフリカ大陸大地溝帯(Great Rift Valley)
アフリカの大地溝帯地域は人類発生の地である。
http://www.pia.co.jp/sp/wwm/1221/1221njamena.htm
ヴィクトリア湖は大地溝帯(Great Rift Valley)の東部地溝帯と西地溝帯に挟まれるような位置にあり、大地溝帯の隆起によって形成されたものと考えられている。
これがニアサ地溝帯(マラウィ湖)につながる。マラウィ湖はモザンビークでは公式にはニアサ湖という。
ヴィクトリア湖、タンガニーカ湖、マラウィ湖の位置関係がこれでわかり、タンガニーカ湖の分水嶺がヴィクトリア湖の近くまで来ている。これら大地溝帯の古代湖は、現在も地殻が少しずつ裂け続けている割れ目である。
三大湖の成立年代はそれぞれタンガニーカ湖が1,200万年、マラウイ湖が200万年、ヴィクトリア湖が1万2,400年前と、放射性炭素による年代測定などでわかっている*。
* http://www.evolution.bio.titech.ac.jp/f_research/cichlid/cichlid.html
これらの湖には極めて多様なシクリッドが生息している。これらは爆発的な適応放散の産物だということ、とりわけ、ヴィクトリア湖とマラウィ湖では,シクリッドの祖先系統はたったひとつと推定されている*。
しかし、周辺の河川の種分化・適応放散はそれほど多くない。湖という「ゆりかご」が種分化・適応放散を可能にする環境なのだろうか。
* http://ecol.zool.kyoto-u.ac.jp/~hoso/topics.html
An extant cichlid fish radiation emerged in an extinct Pleistocene lake.
Joyce, D. A. et al. (2002) NATURE 435: 90-95
最初に形成されたタンガニーカ湖のシクリッドが、大地溝帯の地殻変動や気象条件の変化で、そのうちの一種類が、新しく出来たマラウイ湖に流出し、さらにその後新しく出来たヴィクトリア湖へまた一種が流出し、それぞれ種分化・適応放散を遂げたという。
ヴィクトリア湖では、地球や人類の歴史から見れば極めて短いわずか1万2,400年間に、シクリッドが700種にも分散したのかは、この地球上にかくも多種多様な生物(動植物)が何故存在するのかという大命題を研究する格好なテーマとなっている。
ヴィクトリア湖のシクリッドは、確かに種分化・適応放散を遂げてきたが、だからといって、そのシクリッドを食べ尽くすナイル・パーチは「適者生存」で生き残るわけではないだろう。食べ尽くした後、ナイル・パーチは生き残れないはずだ。現在では餌のシクリッドが少なくなって、ナイル・パーチも小型化、共食いをしているようである。それゆえ、ナイル・パーチを「ダーウィンの悪魔」というのなら、それもそうだと理解も出来るが、そこからなぜ「悪魔のグローバリゼーション」と「ダーウィン」の名前を使って飛躍させられるのだろうか。
現在の東アフリカの貧困や病苦は、ナイル・パーチが引き起こしたと強引にむすびつけるには無理がある。東アフリカの国境線を引いたのは、ヨーロッパ列強による植民地獲得競争の結果であり、植民地支配の後遺症である。ヨーロッパ人による開発という自然破壊と資源の強奪、土着伝統文化の破壊、これらはアフリカにむかしから住む人々にとってはまったくの災難でしかなかった。独立後も、人材(指導者及びスタッフ)不足、統治能力不足、財源不足、気象変動に伴う旱魃化、それに伴う農業生産力の衰退、一方で、人口爆発、内部紛争や近隣諸国間戦争の増加・拡大なによる産業破壊、生活環境破壊、難民流動化等々、さまざまな問題が複雑に絡んでいる。
(5) ヴィクトリア湖の生態環境上の問題点
以下に引用したのは名古屋大学大学院環境学研究科地球環境科学専攻の入学試験問題過去問である。
ヴィクトリア湖の問題点がわかりやすいので紹介する。
問題1:
東アフリカのタンガニーカ湖、マラウィ湖、ビクトリア湖には、極めて多様な形態的あるいは生態的特徴を持った淡水魚(主としてカワスズメ類)が多種類生息している。
彼らは、藻類食、昆虫食、鱗食(他のカワスズメの鱗を食べる)といった多様な食性の違いを示し、湖の数百メートル離れた岩場には別種が生息しているというほどの高度な生息地適応を示す。生殖においては、少数の子どもを口内保育によって育てるほか、色鮮やかな色彩パターンを持つ雄を雌が選ぶという性選択の特徴が顕著にみられる。
問1.地質学的年代スケールにおいて比較的最近に(75-25万年前)誕生したビクトリア湖に、何故かくも多様なカワスズメ類が生息するのかという問題に、長年研究者の興味が注がれてきた。最近カワスズメ類の分子系統解析が行われた結果、ビクトリア湖のカワスズメは、タンガニーカ湖のカワスズメのたった1系統に由来し、非常に短期間にビクトリア湖の中で種分化・適応放散を遂げたらしいことが分かってきた。この爆発的種分化が起きた理由について、湖の環境的要因とカワスズメ類に関する生物学的要因に注目して考察せよ。
問2.湖の生態系は、光合成を行う藻類などの一次生産生物とそれに依存した動物、さらには死骸を分解する生物の微妙なバランスのもとに保たれている。ところが、ナイルパーチという肉食性の外来魚を1950年代にビクトリア湖に導入した結果、同湖の魚類の99%以上を占めていたカワスズメ類が、現在では1%以下にまで低下してしまった。それに伴い、ビクトリア湖の環境破壊(例えば湖の無酸素化)が深刻な問題となっている。
ナイルパーチの導入がどのようなプロセスで湖の無酸素化につながったと考えられるだろうか。
問3.ビクトリア湖のカワスズメ類の多くの種は既に絶滅し、かろうじて生き残っている種も回復の見込みは少ないと言われる。個体数をいったん激減させた種が、仮に生息環境に一時的な改善がなされたとしても、なかなか絶滅の危機を脱せないのは何故か。
考えられる理由をのべよ。
この問題に対する正解は筆者にはわからない。しかし、我が国にもこの問題を研究して、現場に出かけている研究者も多いようなので、そのうち、グーグルで検索すると、これらに対する解答にアクセスできるかもしれない。
(つづく)
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映画『ダーウィンの悪夢』
について考える(9)
阿部 賢一
2007年4月17日
16 テレビ朝日の番組
テレビ朝日の『素敵な宇宙船地球号』第427回放送*(2006年4月30日)で、ヴィクトリア湖が紹介された。
*「外来魚は警告する Vol.1」~巨大魚が食べ尽くした湖~
[第427回] 2006年4月30日 23:00~23:30 放送http://www.tv-asahi.co.jp/earth/index.html
残念ながら、筆者はこの番組を観ていない。
上記サイトの番組紹介を読むと、外来種ナイル・パーチのヴィクトリア湖への放流による湖畔の人々の生活の光と影、湖畔周辺への人口集中による湖畔背後地の自然破壊、下水等の遅れに伴う湖の水質悪化などの環境問題を追った番組のようである。
この撮影クルーを現地でフォローした根本利通氏の報告が下記のサイトにある。
"Darwin's Nightmare" ダルエスサラーム通信第49号(2006年5月1日)
― ダーウィンの悪夢 ―根本 利通(ねもととしみち)http://jatatours.intafrica.com/habari49.html
以前は毎週夕方欠かさず観ていた『素敵な宇宙船地球号』番組もここ数年夜の11時台の番組となってからは全く観ていない。限られた日数と費用で効率化を図るのか、最近の番組にはどうも迫力を感じない。
TV撮影クルーと現地関係者の間を取り持った根本氏も、ザウパーの映画『ダーウィンの悪夢』後遺症で、現地でのクルーとの打ち合わせ、現地側関係者との折衝に相当に苦労したようである。
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まだ海外旅行もあまり一般化していなかった時代に牛山純一の「美しい世界旅行」シリーズというドキュメンタリー番組があった。海外志向だった筆者は毎週楽しみにして観ていた。
その再放送をしばらく前にNHK・BS番組でやっていた。毎回、牛山純一氏の解説・回想があり、撮影エピソードなども紹介されていた。カメラマン等スタッフの地域専任とその長期担当、現地への長期滞在、現地住民との交流の密度を深めてゆく姿勢や意気込みは素晴らしかった。最近はこのような丁寧なドキュメンタリーはすっかりなくなってしまった。
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17 タンザニア政府のザウパーへの公開状
すでに、映画『ダーウィンの悪夢』について考える(2)の中の【5.貨物機は何を積んでくるのか?】の文中に、キクウェテ・タンザニア大統領が、2006年7月31日、ムワンザの会議で演説して、ザウパーの映画『ダーウィンの悪夢』を批判したこと、そして、2006年8月13日に、タンザニアの外務大臣の映画『ダーウィンの悪夢』を批判したこと、などについて現地紙の記事を紹介した。
タンザニア政府は、映画『ダーウィンの悪夢』で示された悪いイメージを払拭するのに懸命である。
タンザニア政府が、映画制作者ザウパーに対して、公開(質問状)を出したことがわかった。
そのタンザニア政府資源観光省の公開(質問)状が2006年8月19日のPREWEB*に掲載された。
* The Truth On Hubert Sauper’s "Darwin’s Nightmare" Filmhttp://www.prweb.com/releases/2006/8/prweb426136.htm
多分これは、現地紙[Citizen]の9頁に掲載されたものと同じものと推察される*。
* The Sea Around Us Project Newsletter, Issue 36 ? July/August 2006
フランス駐在のタンザニア大使館のHPにも同様の内容がアップされている。
これらは、ザウパーがパリ在住のジャーナリストであること、フランスにおいて、2005年に映画『ダーウィンの悪夢』の上映開始後、一時期、ナイル・パーチ不買運動が起こったので、その悪いイメージを払拭するために取った対外公館活動の一端を示すものである。
日本駐在タンザニア大使も上映映画会社に申し入れを行ったことはすでに述べた通りである。
その公開(質問)状を邦訳した。
筆者がこのような政府の公開(質問)状を邦訳するのは初めての経験であり、用語の選び方や訳し方に間違ったところがあるかもしれない。その点は御了承いただきたい。
ザウパー氏への公開(質問)状
ザウパー氏が製作した『ダーウィンの悪夢』は、一見の価値があるとして注目を集めた。
非常に悲しいことだが、この映画の被写体となっている人々およびこの映画によってその生活に計り知れないほどの影響を受けた人々は、自分たちの考えを表明することは出来なかった。
映画は、その題名が示しているように、巷に広く行きわたっているストーリーであり、それも毎日のごとく増幅されているものである。そしてまた、今日も、ソマリア、スーダン、シエラレオネ、ニジェール・デルタ、コンゴ民主共和国(旧ザイール)などについて、同じことを書かれているアフリカについてのお定まりの情報のイメージにぴったりである。
しかし、アフリカには別の顔がある。前進し、自らを信頼し、人々の生活を良くしようと欲しているアフリカ人がいる。「ダーウィンの悪夢」(粗雑にドラマ化された)が語ろうとさえしなかったまったくほんとうのストーリーがある。
そのストーリーとは、ヴィクトリア湖周辺の漁業および水産加工産業である。
タンザニアでも、東アフリカでも、この映画が間違って描いているイメージに憂慮しており、ヴィクトリア湖地域の住民に対して持つであろう、その否定的なイメージを憂慮している。
それゆえ、我々は、ザウパー氏及び世界の人々には以下のような経済的社会的な見方をして頂きたい。
まず、第一に、
タンザニアのヴィクトリア湖畔における漁獲量は、年間、約475,400トン、そのうちナイル・パーチは約125,000トン、水産加工場では、そのうち輸出用に80,000トンを加工する。残りの45,000トンと他の魚類350,400トン、合計395,400トン(総漁獲量の83%)は国内で消費されている。
ナイル・パーチ以外の主要な魚類としては、ナイル・ティラピア、20,500トン、イワシ228,200トン、ハプロクロミス(シクリッド)、100,300トンである。
タンザニア政府は、国内の魚類蛋白源を確保するため、ナイル・パーチ以外の魚類の輸出を許可していない。
輸出向けのナイル・パーチ以外はすべて国内消費用に回されている。したがって、国内消費向けの魚が不足(欠乏)しているとの映画の主張は、まったく真実ではない。
第二に、
ナイル・パーチはナイル河下流から持ち込まれた一つの種であり、1990年代初期にヴィクトリア湖において優勢となった。それ以前、漁民は約30,000人であった。しかし、水産加工が始まって、漁民は約100,000人に増え、それにパートタイムの漁民、300,000人、水産加工業に従事する者が、4,000人となった。
水産加工産業は乗数効果をもたらし、全体で約二百万人の雇用を生み出した。それらは、漁船の建造や修理、魚網巻上げ装置その他機器類の製造や修理、食べ物売り、飲料水、魚類の陸上輸送、鉄道や空港従業員など広い範囲に及ぶさまざまなビジネス活動などをすることによって人々の暮らしが成り立つようになっている。
第三に、
ナイル・パーチ加工工場にナイル・パーチを売る漁民の日常の浜先売渡価格は約1.4米ドル/kg、ティラピアは0.5米ドル/kg、イワシは0.2米ドル/kgである。
漁民は全体としてナイル・パーチを売ることで1億2,764万米ドル、その他の魚類を売ることで1億7,986万米ドルの収入を得ている。
タンザニアは、ナイル・パーチの輸出で年間、1億米ドルの外貨を稼いでおり、政府は、集落レベルから都会にいたるまでさまざまな税収入を得ている。これらの資料を見れば、地元漁民たちの方が輸出業者よりも多くの収入を得ていることは明白である。
第四に、
タンザニアは、ヴィクトリア湖のほかに多くの水資源に豊かさに恵まれている。タンガニーカ湖、ニアサ湖(マラウィ湖)、その他多くの小さな湖沼群、河川、淡水湿地帯、そしてインド洋等。それらの水域からも年間10万トンもの漁獲高がある。
第五に、
タンザニアでは、かなり多くの畜産が営まれており、牛その他の家畜類約1,000万頭、その多くはヴィクトリア湖及びそれを取り囲む盆地で飼育されている。
漁業が行われていて、魚類を食べている湖岸や海岸から離れた地方の町や村では、家畜類は長い間、伝統的な動物蛋白源となってきた。
これまで述べてきたような事実をふまえて、ザウパー氏や世界のメディアには、アフリカに対する肯定的かつ現実的なイメージを持ってもらいたい。
(1) ヴィクトリア湖地域及び我が国全域における食糧として国内で取引されている魚の量は、他の発展途上国の標準よりも多い。それゆえ、ナイル・パーチ貿易が食糧危機をもたらしているという主張は、現実に合ってはいない。
(2) タンザニア経済においては、単独で漁業や水産加工産業があるわけでなく、ナイル・パーチ貿易をみるように、きわめて短期間に、巨大な雇用機会を創造し、社会の最底辺の人々に至るまで所得配分をもたらした。これらの事実は、貿易が貧困をもたらしたという主張を全面的に否定するものである。
(3) 国家として、タンザニアは売春行為を非難する。しかし、売春行為は、タンザニアに限ったことではなく、社会的な悪徳であり、世界中どこでも見られることである。
(4) HIV/AIDSの流行は、ナイル・パーチ貿易がまだ始まる十年以上も前にヴィクトリア湖の西側の地域で当初猛威を振るったが、現在では国全体に広がっている。
そして政府はHIV/AIDSの拡大を食い止めようと懸命に闘っている。それゆえ、HIV/AIDSはナイル・パーチ貿易となんら関係がないことであり、ザウパー氏が個人的な金稼ぎのために、このような切迫した国家的かつ世界的な社会疾病を利用することは、まったく社会的倫理に反することである。
(5) ナイル・パーチの肉身部分を切り取った残りの部分(頭部と骨)を人々が食べるという否定的な見方は、明らかに、アフリカについての否定的なイメージを長く続けさせようとするザウパー氏の意図的な悪意である。
ちっと才覚のある男なら、三十分もすれば、切り身を取ったナイル・パーチの残りの大部分は、燻製などにしないで、近隣諸国への地域間貿易商品となることを学ぶことが出来るだろう。
(6) ナイル・パーチの切り身の空輸と武器の密輸の連鎖もまた、ザウパー氏の悪意のある意図を立証するものである。ザウパー氏は、ナイル・パーチ貿易が始まる前、近隣諸国の政治情勢の不安定が長い間つづいたことを良く知っている。加工された魚の大部分が先進諸国の市場へ速やかに配送するために航空便で輸出されていた。
これらの航空機をチャーターするは、ベルギーのオステンドに本拠のあるチャプマン・フリーボーン社など信望のある会社である。タンザニアの加工業者は、魚を海外に輸送する航空機をどれにするのかの選択権はない。航空機はヨーロッパの会社が契約を結ぶ。魚を空輸するその同じ航空機がアフリカ各国間の一般航空貨物の輸送や、パキスタン、スーダンのダルフールなどのような国々の戦争や災害の犠牲者向けの救援物資の輸送にも使われる。
(7) ザウパー氏は、貧困とホームレスの人々は、漁業資源を輸出した直接の結果生じたものであると、それとなく示している。このような人間的悲劇は、ヨーロッパの都市なども含めて、この地球上のほとんどの場所でみられること、そして、たとえあったとしても、何か特定の産業と関連付けられることは極めてまれであることは多くの人々にとっては明らかなことである。映画は、魚のヨーロッパへの輸出とアフリカへの武器の輸入の間には密接なつながりがある、別の言い方をすれば、ヨーロッパは、戦争をだらだらと続けさせて、アフリカの漁業資源その他の資源を奪っているという、間違った方向に観客を導く。
(8) 最後に、映画には、ヴィクトリア湖を取り囲む多くの漁業を生業としているコミュニティーのシーンもなく、それらにも触れていないが、それらのコミュニティーは、盛んになった漁業や魚の輸出のおかげで人々の生活が改善されていることが見て取れる。漁業を生業としているほとんどの集落は、映画において描かれたシーンよりもはるかによい状況である。しかし、小さなグループに的を絞れば、その彼らの生活環境はひどい状態であり、到底受け入れがたいものであることも我々は認める。
ザウパー氏は、ヴィクトリア湖の漁業や水産加工業が数十万の人々にもたらした多くの利益、地域における貧困との闘いの中でなされた改善への前進、そして、外国からの援助にその一部を依存していた我が国の経済にもたらした大きな利益などについては、意地悪く観客の眼をふさぐ。
最後に、我々はこれまで述べてきた情報は、ザウパー氏が彼自らのストーリーを語る権利を、いずれにしても、決して妨害することを意図するものではない。それよりも、これまで述べてきたことが、ほんとうのストーリーであり、我々の思いを伝えたい人々だれでも、自らの目でそれらを確かめることが出来るものである。
もう一つ、ヴィクトリア湖漁業機構とIUCN連名のザウパーへの公開質問状*にアクセスできた。
タンザニア政府の公開(質問)状とほぼ同じ内容の部分もある。ザウパーの取材の一端も垣間見ることが出来るし、漁業とその輸出、それによるコミュニティーに生じた変化を淡々と述べており、ザウパーのアフリカを見る視点を、ヨーロッパ人がアフリカに対して持つステレオタイプなイメージであると批判している。
Lake Victoria Fisheries Organization, PO Box 1625Jinja, Uganda
IUCN Eastern Africa Regional Office, PO Box 68200 Nairobi 00200, Kenyahttp://www.iucn.org/en/news/archive/2005/12/Sauperletter.pdf
ヴィクトリア湖漁業機構とはLake Victoria Fisheries Organization((LVFO)*のことである。
* http://www.lvfo.org/
LVFOはヴィクトリア湖の漁業資源を共同で管理する必要があるということで、東アフリカ共同体を構成する、ケニア、タンザニア、ウガンダの三国が1994年に署名した国際協定にもとづいて組織された研究機構である。
その目的は、ヴィクトリア湖を取り囲む三カ国の盆地からの社会経済的な利益を最適なものとするために、ヴィクトリア湖の生物資源の持続的利用のための調和、開発、自然保護管理策の導入などを目的としている。
ウガンダのエンテベに漁業訓練研究所、タンザニアのムワンザに漁業研究所、ケニアのキスムに先端技術研究所を設置している。
紹介するのは、Mr. Thomas Maembe (LVFO事務局長)とDr. Alice Kaudia(IUCN東アフリカ地域*)の連名でザウパー宛に出された2005年11月8日付の公開状である。
* IUCN Eastern Africa
http://www.iucn.org/places/earo/
親愛なるザウパー様
昨年16の賞も獲得されたことで示された「ダーウィンの悪夢」の成功を、ヴィクトリア湖地域からおめでとうと申し上げます。
この手紙をさし上げるのが遅れたのは、残念ながらこの映画は東アフリカでは観ることができず、映画フィルムを探し回るのに苦労したからです。
さて、貴方の映画が作り出した幾つかの重大な誤認を指摘したいと思いまず。
第一に、
貴方が『国際自然保護連合環境会議(IUCN Ecological Congress) 』と映画『ダーウィンの悪魔』でタイトルをつけた会議は、事実は、ヴィクトリア湖漁業機構(Lake Victoria Fisheries Organization:LVFO)と国際自然保護連合(The World Conservation Union :IUCN)が共催した「ヴィクトリア湖の漁業管理についての住民参加の国際ワークショップ」でした。
貴方はこのワークショップに15分以上居られましたが、ワークショップが、実際には、地域のコミュニティーに漁業管理の責任のいくつかを委任し、それに対して報酬を与える方法を明らかにしようとしているのだということが理解できたでしょう。コミュニティーに権限を委譲することは、それですぐに貧窮軽減につながるものではないのですけれども、コミュニティーの暮らしを改善するための重要な第一歩です。
会議に出席していた政府閣僚、科学者、産業界、コミュニティー代表者たちは、ワークショップの目的、ヴィクトリア湖の漁業がタンザニアの漁民コミュニティーに与えたインパクトについての見解などを、貴方が求めれば、喜んで答えてくれたでしょう。
第二に、
貴方のドキュメンタリーは、ヨーロッパへの魚の輸出がタンザニアに貧困をもたらしていると、映画を観る人々に信じさせるように導いています。
この見方を裏付けた研究が幾つか以前にはありましたが、経済的社会的な実態ははるかに複雑であり、最近におけるより多くの研究では、この反対で、漁業が食糧の安全確保を高めており、貧困が減少してきたと報告されております。漁業のインパクトについてのヨーロッパの観客に対してもっとバランスの取れたストーリーを貴方が描けるように、専門家達はこの科学的な理解をお伝えすることが出来るでしょう。
事実、1999年から2000年にかけて、EUに対する(魚の)輸出が禁止となりました。貴方のストーリーによれば、そのためにより多くの食糧がゆきわたり、地方のコミュニティーが豊かになった、と。しかしながら、輸出禁止は地方の漁民たち、そして国民全体にも良いことではないと受け止められました。ナイル・パーチは、地方ではそんなに好かれて食べられておりません。そして、地方のコミュニティーは、それ以上に、輸出によって得られる社会的経済的な利益に頼らざるを得なくなっていました。輸出する市場がなくなったことで、多くの失業者がうまれ、収入がなくなり、地方レベルでは悲惨な状態になりました。
第三に、
地球上の人間は誰でも、自らのストーリーを語る権利があります。貴方が、主な情報源とし、それを映画全体にわたる分析に用いるために出演させた漁業調査研究所の夜警が、地域のコミュニティーにおける国際貿易や漁業などのインパクトを評価するのに、はたして、ふさわしい人物であるかどうかについては、我々は疑問を持ちます。
第四に、
貴方のドキュメンタリーは、ヨーロッパへの魚の輸出とアフリカへの武器の輸入との間に密接な関係がある、いいかえれば、ヨーロッパは、戦争をだらだらと続けさせて、アフリカの魚その他の資源を奪っているという、結論に至るように観客を導いています。
第五に、
貴方は、貧困、売春、AIDS、ホームレスなどは魚の輸出の直接の結果であることを暗示させています。そのような悲劇は、ヨーロッパの都市なども含めて、この地球上の多くの場所で見られることは多くの人々の認識となっています。
第六に、
貴方のストーリーにはヴィクトリア湖周辺の漁業を生業としている多くのコミュニティーのシーンがありませんが、それらの漁村では、漁業と輸出によって彼らの生活が改善していることが見られます。より多くのほとんどの漁村では、貴方が描いたところよりもはるかに良い状態にあるます。
ほんの小さな集落に焦点を当てると、彼らが、ひどい、到底受け入れがたい状況の中で生活しているということについては、その通りではありますが、貴方は、ヴィクトリア湖の漁業が数十万の人々に多くの利益をもたらしていること、そして地域における貧困との闘いにもたらされた多くの利益について、ヨーロッパ人の眼を閉じさせています。
第七に、そして最後に
貴方が、ヴィクトリア湖周辺の漁業管理・研究・コミュニティー開発に携わっている政府研究機関やコミュニティーからの参加者数百人のアフリカ人代表たちのだれひとりとも会話せずに、なぜ、研究アドバイザーとして会議に参加していた、たった6人のヨーロッパの研究者たちとだけ会話すことにしたか、そのなぞを解こうとしました。
その結果、我々は、貴方がヴィクトリア湖漁業についての肯定的なインパクトを無視するようなことを言ってくれそうなアドバイザーや話題を特別に選んだという以外の結論には至りませんでした。
漁業について映画で描くときはバランスの取れた公正なマナーで訴え、漁業の肯定的な面と否定的な面の両面を示す責任があることを強く感じます。
これまで指摘してきた誤りを正す意味でも、「ダーウィンの悪夢」は残念ながら良質のジャーナリズムの基準には合わないものであり、映画の売り込みを良くするために、センセーショナルなストーリーとなっているといわざるを得ません。
さらにいえば、貴方は貧困と悲惨に焦点を絞って描いており、アフリカから貧困をなくすために、ヨーロッパの政府や個人などから支援された数百万のアフリカ人の努力や成功を無視しようとしています。
報告されるべき大きな進展があります、しかし、貴方は、さらに、ストーリーのほんの一部だけを描くことにしたのではないでしょうか。貴方は、アフリカについてのヨーロッパのお決まりのイメージを確認しようと意図したのではないでしょうか。
過去数十年間にわたり開発援助投資がなされましたが、アフリカは依然として未開のままであり、白人が奪い、黒人の男や女が苦しんでいるという無法がまかり通っています。
我々は、貴方が「アフリカ市場のグローバリゼーション化」の欠陥を描こうとしたことはよくわかります。しかしながら、貴方の描いた意図に反して、ヴィクトリア湖の漁業は、決して「この大陸の人々に対する致命的な屈辱」の一例ではありません。
『ダーウィンの悪夢』の結論は、貴方がこうあるべきだとヴィクトリア湖の漁業を告発することと同様に映画そのものも正しいものではありません。
肯定的な面と否定的な面を描くバランスの取れた見方を示すことよりも、ヴィクトリア湖の漁業について暗い絵を描くことによって、貴方自身が、貴方のドキュメンタリーのなかでヴィクトリア湖の人々の悲惨さを利用した、そして、アフリカの間違ったイメージを利用した、との結論を出さざるを得ません。
敬具
この他、タンザニア法律家協会等からも同様の批判がなされている。
LVFOの公開(質問)状で述べられているように、東アフリカでは、2005年に至っても映画『ダーウィンの悪夢』が上映されていないことがわかる。それゆえ、ムワンザなど現地の人々は映画を観ていないであろう。
2006年8月、Jennifer Jacquet氏(フリーランスのライターで環境経済専門、ブリティッシュ・コロンビア大学漁業センターのセミナー・コーディネーターを務めている)がタンザニアを訪れて、レポート*している。
* The Sea Around Us Project Newsletter,
Issue 36------July/August 2006
このニュース・レターはカナダのブリティッシュ・コロンビア大学の漁業センターが出している隔月版オンライン・ニュース・レターである。
【Publications: Newsletters and miscellaneous】
Fisheries Centre at the University of British Columbia, ancouver, Canada
カナダの学者が現地訪問してレポートしているのだが、タンザニア政府に対して、チョットシニカルな見方をしている。
タンザニア政府にとって悪夢は映画であり、ナイル・パーチではない
【Darwin’s Nightmare:
to the Tanzania government the nightmare is the film, not the Nile perch】
(一部分の邦訳)
訪問先の漁業機関、NGO、大学などで会った人々から、映画「ダーウィンの悪夢」に対して、タンザニア政府の公開(質問)状とまったく同じ意見を何回も繰り返し聞かされた。
タンザニア大学の教授からは、あの映画は間違っている、と延々20分も講釈を聞かされたが、最後に、彼はその映画をまだ観ていないのだといった。
政府関係者は、「西欧文明は、現地コミュニティーへのナイル・パーチの利益をまだ認めようとはしていないけれども、改善の実例をひとつ示せば、ムワンザの住民の家の屋根は、以前は草葺であったが、いまでは、トタン板葺きとなっている」といった。
ある大学教授は、「漁村地域の住人には、ナイル・パーチの切り身よりもアラ(魚の頭部)の方が好まれている」といっていた。
タンザニアにおける関心は、不思議なほどにナイル・パーチに集中していて、地域コミュニティーはその恩恵を受けていると主張していた。
タンザニア政府の公開状は、武器の輸入については、ただ関係ないと述べているだけだ。
ザウパーは、映画の公開にあたって、「私は同じような映画をつくることが出来た。シエラレオネでは魚の代わりにダイヤモンド、ホンジュラスではバナナ、リビア、ナイジェリア、アンゴラでは原油だ」といった。
監督は武器取引あるいはグローバリゼーションの影響についての問題を最優先に考え、タンザニアの場合は、なんとかして、脚光を浴びているナイル・パーチとむすびつけようとしたのだ。
しかし、『ダーウィンの悪夢』の情報は、新しいものはなにもない。映画がナイル・パーチ漁業について、声を大にして繰り返し指摘した点は、すでにこれまで十五年間、科学文献となっていくつもある。生態環境の破局については、その社会的な重大さがよく知られていることである。
研究者たちは、著名な科学誌等で、ナイル・パーチを通じての外貨獲得が食糧安全確保に優先し、その結果、ヴィクトリア湖盆地コミュニティーの蛋白性栄養不良を引き起こしていると述べている。研究者たちは、さらに、AIDSの蔓延の原因となった漁民の移入についても議論しているが、映画では、科学研究文献にない論争を引き起こした。
タンザニア政府は『ダーウィンの悪夢』を大きな転機ととらえた。
政府は、グローバリゼーションによってもたらされた不平等を強調するためにはこの映画を利用するのが良いと考えて、貿易改革を強調し、西欧世界からの援助を要求するだけでなく補助金を削減しようとしているのだ。
そのかわり、映画の出演者を困らせて、監督をけなした。『ダーウィンの悪夢』はタンザニア政府のものになったのである。
(つづく)
映画『ダーウィンの悪夢』について考える(10)[最終回]
阿部 賢一
2007年5月1日
18.合法・非合法の武器の取引について
ザウパーのこの映画の主題は、ナイル・パーチと武器密輸の連鎖である。それゆえ、タンザニア政府は敏感に反応した。この問題は近隣諸国との関係を緊張させる。タンザニアが絡む武器密輸に関する情報をインターネットでいろいろ検索した。
タンザニアのジャーナリスト・ムワナキジジ氏(M. M. Mwanakijiji)が、19997年から2006年までのヴィクトリア湖周辺の合法・非合法の武器輸送についての、さまざまな文献を調べ上げ、「火のないところに煙は立たない。政府はすべてを明らかにすべきである」と述べている。
ムワナキジジ氏は「平和と民主主義タンザニアセンターの事務局長である。
* WHERE THERE IS SMOKE, THERE IS FIRE!
Tracing reports of Tanzania’s Role in illegal arms trafficking in the Great Lakes Region 1997-2006
The Government should come out clean By. M. M. Mwanakijiji http://www.blog.co.tz/mrocky/friends/page3/
彼がこれらの情報をもとに、タンザニア政府に対し、ヴィクトリア湖周辺の武器輸送についての見解を求めている。
その最後の部分を要約すると:
政府はこれらの報告に書かれているタンザニアが武器輸送に関わった役割は、単なるつくりごとに過ぎない、何の根拠もない陰謀であると我々を説得できるのか?
1994年から現在に至るまで武器輸送に関する報告がいくつもあるのに、政府はなぜ今回ザウパーの映画にそんなに強い反応を示すのか?
ザウパーが(武器密輸で)タンザニアを名指しにした最初の声であるとでもいうのか?
貴方が外務大臣であったとき、タンザニアからヴィクトリア湖周辺国へ武器が輸送されているのを知っていたか?
タンザニア空港に紛争国向けの武器が着陸したことがないと断言できるのか。
政府は武器の非合法輸送を、陸路であれ空路であれ、それらが通過するのを摘発したことがあるのか?
ムワンザ空港で武器を運搬中の貨物機から武器が押収されたことがあったが、政府高官筋から釈放するよう指示が出て放免したと東アフリカ人がいう。
そんなことがあったのか、なぜ放免したのか?
非合法の武器が国内を通過したという動かぬ証拠が出てきたら、キクエテ大統領はどう対応するのか?
大統領/国会はタンザニア国内のすべての空港における(武器密輸を阻止する)体制の査察を国際的な独立した第三者機関に委ねる意志があるか?
現在の政府部内に、いままでいかなる形でも武器輸送あるいは武器取引に関与した者はいないのか?
情報を隠蔽したり、操作するのは古い政治手法だ。キクエテ大統領及び政府はたとえそれによって傷つくことであっても、真実を語ってもらいたい。
タンザニアは南部諸国の解放運動で相当の犠牲を払い、ようやくヴィクトリア湖周辺諸国と平和交渉をまとめてきた。
我々のイメージを汚す人々を非難する前に、我々自らを厳しく見つめなす必要があるのではないか。
ムワナキジジ氏が分析した合法・非合法を問わず、タンザニアに関わる武器取引や輸送に関する英文の論文やニュースは以下に列挙する。
【アフリカに関わる武器商人(ロシア工作員)の死】
Africa’s Merchant of Death
http://www.globalpolicy.org/intljustice/
wanted/2004/1223kgb.htm
2000年12月23日付 英国ガーディアン紙
Global Policy Forum monitors policy making at the United Nations
【アフリカの武器と紛争に関するファクト・シート】
Arms and Conflict in Africa
http://www.state.gov/s/inr/rls/fs/2001/4004.htm
2001年7月1日付、米国国務省情報調査局の基本情報
【アフリカに暗躍する武器フィクサーに関する報告】
The Arms Fixers: controlling the Brokers and Shipping Agents
http://www.nisat.org/publications/armsfixers/default.htm
Brian Wood とJohan Pelemanの報告書
【非合法武器貿易についての分析】
Illegal Arms trade (The Standard)
http://www.eastandard.net/archives/cl/
print/news.php?articleid=24248
2005年7月3日付 [The Standard]on-line article
【残虐行為に武器は要らない-----アムネスティ・インターナショナル・ニュース】
No Arms for Atrocities
http://web.amnesty.org/web/web.nsf/pages/ttt3_index
Amnesty International 2002年6月 [The Terror Trade Times] News第3号
【ザウパー製作「ダーウィンの悪夢」に対する反論】
A response from the Tanzanian Embassy in France
http://www.amb-tanzanie.fr/modules.php?
name=Content&pa=printpage&pid=8
駐仏タンザニア大使館情報
【国連総会報告】
United Nations General Assembly DC/3032
http://www.un.org/News/Press/docs/2006/dc3032.doc.htm
2006年6月26日付国連総会資料
【コンゴ民主共和国の紛争についてのアムネスティ・インターナショナルの報告】
DRC: Arming the East
http://web.amnesty.org/library/index/engafr620062005
Amnesty International 2005年7月5日付On-line document library
【NGO人権ウオッチ(HRW)の世界年鑑1999】
Arms Transfers to Abusive End Users
http://www.hrw.org/worldreport99/arms/arms4.html
Human Right Watch World Report 1999
【ケニア週刊誌の記事】
Dar Officials Accused of Abetting Arms Racket (The East African)
http://www.nationaudio.com/News/EastAfrican/
01072002/Regional/Regional35.html
2002年6月24日付EastAfrican(週刊誌) ケニア ナイロビ [Daily Nation]
【NGO人権ウオッチ(HRW)のアンゴラに関する報告書1999】
Angola Unravels
http://www.hrw.org/reports/1999/angola/
index.htm#TopOfPage
Human Rights Watch Report 1999
ANGOLA UNRAVELS The Rise and Fall of the Lusaka Peace Process
【アムネスティ・インターナショナルの世界安全保障報告書
Amnesty International: Undermining Global Security: the European Union's arms exports
http://www.iansa.org/regions/europe/documents/
undermining_security/components.htm
The International Action Network on Small Arms(INASA)
2004年5月 Amnesty International報告書
ムワナキジジ氏の問題提起にキクエテ大統領および政府関係者がどう反応したのかは残念ながら検索できなかった。
しかし、こうゆう問題提起が堂々とできるということは、強引な言論弾圧はないかもしれないが、さまざまな圧力はあるだろう。ムワナキジジ氏のジャーナリストとしての強い意気が示されている。彼のスワヒリ語のサイトにもいろいろ情報があるようだが、理解できないのが残念である。
ムワナキジジ氏がリストアップした武器取引に関する情報内容は多岐にわたっている。武器が数多くさまざまなルートでアフリカに流れ込んでいることは間違いない。それによる紛争頻発の現実がそれを物語っている。
しかし、武器通行や密輸をどの程度チェックできるか、摘発できるかは、国家の統治体制如何によるところが大きい。政府の外交姿勢や財政基盤にも左右される。国内の武器通行や密輸を完全に阻止することは、アフリカの現状を考えると、容易なことではないというより、不可能であろう。
近隣諸国間の政治・経済・社会・地理的・地政的な力関係などが複雑に絡む。武器の闇取引はけしからんと声を上げることで、ナイル・パーチをボイコットするだけでは問題は何も解決しない。
その地域の人々自らが、相互に信頼を高め合い、戦争や紛争を起こさない努力を地道に積み重ね、外部からのさまざまな圧力に惑わされず、武器商人の暗躍を許さない環境作りをする以外に方法はない。
20 ドキュメンタリーは嘘をつく
ザウパーの映画を観て、最初に疑問に感じたのは、彼が4年もタンザニアに住んでいたという割には、なぜインタビューの相手が、骨場の老女を除いて、英語を話す人々を相手にしたのだろう、ということが発端だった。海外では、まず、英語で近寄ってくる現地人を信用しないことを筆者は原則としてきた。
よそ者に近づいてくる英語使いはその土地のマイノリティーであることが多い。その土地で発言力も影響力もあまりない、そして尊敬もそれほどされていない連中である確率が高い、というのが筆者の体験である。
通訳として使ってみても、込み入った話になると、自信のなさが直ぐ表情に表れて、肝心なときに使いものにならない。しかし、よそ者の好みを瞬時にして読みとり、受け入れられようという態度をとるのは彼らの処世術でもある。
その土地の政治や経済を動かしているマジョリティ集団(部族、宗派、その他のリーダー、そして、小・中学・高校の教師などのその地域の知識階級、地域の世話役など)と、突っ込んだ議論が出来てはじめて同じレベルでのコミュニケーションが可能となる。そのような地道な気の長い努力をよそ者が積み重ねなければ、現地の人々はいつまでも一見の他人に対する対応となり、彼らの本音にはアクセスできない。
最近、佐藤優著『自壊する帝国』を読んだ。佐藤氏自身ロシア語を英国で学び堪能である。しかも、旧ソ連やチェコなどについて詳しく、キリスト教の「教護教学」を詳しく学び、読書量も広範囲で豊富、その冷静さと自らの原理原則を持っている。だから、さまざまな分野のキーパーソンへの人脈を広げて、彼らとの間に生きたインテリジェンスの交換が出来るし、お互いの信頼感を高めていることが『自壊する帝国』を読むとよくわかる。
ザウパーが映画『ダーウィンの悪夢』でインタビューの相手として選んだロシア人クルー、歌手?兼娼婦、夜警、そして画家?は、どうみても、ムワンザの地元の人間ではない。ストリートチルドレン、これも田舎から出てきた子どもたち、エイズで親を亡くし、都会に流れ込んだ子どもたちであろう。彼らはみんなムワンザの人々にとってのよそ者であろう。水産加工場の幹部やその取り巻き連中は、明らかにインド系の移民の子孫であると、風貌や英語の話し方で分かる。漁村のシーンも新宿中央公園のホームレスのテントのような生活感の臭いのないようなところを撮っている。
ザウパーは4年間、タンザニアで生活したというが、彼の生活の臭いを感じさせる場所は、映画のどこにも出てこない。ヨーロッパ人受けのするストーリーをつくり、それにうまく合うシーンをつなぎ合わせたにすぎないのではないか。
4年間、住んでいたがゆえに、あのような断片的なシーンをどこに行けばどう撮れるということも十分わかっていたのだろう。だから、彼が、ストーリーを組み立てるためのシーンを撮ってつなぎ合わせて、自分の主張をしたのだ。彼の撮ったさまざまなシーンによる主張は正しいか、観客は考えながら観る必要がある。
ノン・フィクションとか、ドキュメンタリーという言葉に惑わされてはならない。ノン・フィクションもドキュメンタリーも、その監督やカメラマンがストーリーをまずフィクション化して、それに合ったさまざまなシーンを撮り、つなぎあわせてつくりあげた作品である。
このシリーズの冒頭、ドキュメンタリー作家、綿井氏を紹介したが、最後にもう一人のドキュメンタリー家・森達也*を紹介する。
彼も2005年世界一周航海の折、スペインのカナリア諸島ラスパルマスから乗船して、ジャマイカのモンテゴベイ下船したピースボートが手配した水先案内人で、船内で講演などを行った。その間、一週間程、彼の代表作であるオームを撮った「A」「A2」その他のドキュメンタリーがホールで上映された。船内では彼の著作も販売されていたので、4冊買って読んで、議論もした。
そのなかで一番面白かったのは『ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー』(角川書店 2003年7月刊)だ。ベトナムで王位を継ぐ代わりに、祖国解放の独立を夢見たクォン・テを追ったノンフィクション。革命家ファン・ボイ・チャウと出逢い、1906年日本を訪れる。犬養穀や玄洋社の頭山満、新宿中村屋相馬愛蔵・黒光夫妻ら、満州国建国に奔走したアジア主義者大川周明、陸大時代から日支提携とアジア諸民族の復興・独立の志を持っていた陸軍の松井石根等々などとも交わった。しかし、終戦直前、ベトナムへ帰ろうとして果たせず、戦後は日本でひっそり暮らして死んだ。「僕らの王子は日本に殺されたようなものなのに、どうして日本人は誰もそのことを知らないのですか」というひとりのベトナム人留学生の声をきいて、森達也が当時の資料にあたり、ベトナムまで足を運んで、「その思い」をノン・フィクションにまとめた傑作である。「森さん、これが一番よかったよ」といったら、彼は、「一番思い込みを込めて書いたんだが、さっぱり売れなかった」といった。
帰国してほぼ一年後、2006年3月、千駄ヶ谷駅近くの津田ホールで、若い人たちが企画した「森達也トーク、御臨終、憲法?」という集まりにも参加したが、彼の発言は若い人々の共感を得ていて、人気があるのにびっくりした。
彼は多くの著書も出しており、最近は、むしろこちらの方が本業になっている。その中に『ドキュメンタリーは嘘をつく』(草思社 2005年刊)がある。
ドキュメンタリーは、記録映像、記録映画といわれるもので、テレビ番組でも鳴り物入りでよく放送される。しかし、宣伝の割にはがっかりする確率が高いものが多い。ノン・フィクションのジャンルで「取材対象に演出を加えることなくありのままに記録された素材映像を編集してまとめた映像作品」と定義されている。
しかし、森達也はいう。
【現実をフィクショナライズするのがドキュメンタリー】
撮らないことには作品は成立しない。当たり前だ。そして、この「撮る」という意思と行為が、ドキュメンタリーの本質だ。フィクションかノンフィクションかという明確な区分けは不可能だし、実は意味はない。なぜなら「撮る」という作為は、事実に干渉し変成(フィクション化)させる。言い換えれば、現実をフィクショナライズする作業がドキュメンタリーなのだ。
【ドキュメンタリーとジャーナリズムは別物だ】
自らのパーソナルな主観や世界観を表出することが最優先順位にあるドキュメンタリーと、可能な限りは客観性や中立性をつねに意識に置かなければいけないジャーナリズムとは、本来は水と油の関係のはずだ。表層的に近いからこそ、絶対に混同してはならないジャンルなのだ(もちろん表現である限りは報道も主観からは無縁ではいられない。しかし意識の持ち方は異なるべきだと僕は思う)。
【映像は恣意的に選択した素材、ドキュメンタリーは演出である】
制作プロセスの視点からは、ドラマは台本を決めて絵コンテを作り、クランク・インとなることが普通だ。確かにドキュメンタリーの場合、普通は絵コンテまで作らないが、でも現場で撮ったラッシュを素材に、ここから、いってみればストーリー(台本)を作る。
つまり後半の作業はほとんど同じだ。強いていえば、頭の中のイメージを映像化するのはドラマだが、ドキュメンタリーの場合は、撮影した現実の断片を、映像化の際の素材にする。でもこの現実の素材だって、自分の中のイメージに即した状況を選び、主観的なキャメラワークで切り取り、更にそこから編集作業を通して恣意的に選択した素材なのだ。
何よりもドキュメンタリーの側から言えば、キャメラワークや編集はもとより、その瞬間にキャメラを回しているという行為そのものが、作り手の作為であり現実への干渉であり加工である。ドラマの側から見ても、役者という被写体に状況と台詞を与えたうえでの現実の記録(ドキュメント)と見なすことができる。ドラマの場合は演出という意図が介在するじゃないかと反論されれば、ドキュメンタリーだって演出ですよと僕は言い返している。
森氏がオームのドキュメンタリーを撮った経緯などを含めて航海中の一週間、彼の講演や、ときにはビールを飲みながら、モンテゴベイで別れるまで彼とは話す機会が多く持てた。それができるのが、時間がゆったりとある船旅の良いところである。オームの信者たちを撮ったことについては、荒木広報部長に、撮らしてくれと申し入れたら、いいですよ、ということで、淡々とカメラを回したのだと話してくれた。
* 森達也の公式サイト
http://www.jdox.com/mori_t/index.html
本シリーズの冒頭に紹介した綿井健陽、そして、今回紹介した森達也は、二人とも、彼ら自身のメッセージをドキュメンタリーに託した作品であるが、「誰々好み」を想定してつくった作品ではなかったと思う。
綿井氏の撮影した『Little Birds----イラク 戦火の家族達』は、その数年前まで筆者が駐在したバグダッドのごく普通の家庭を中心にして撮ったシーンであり、バグダッドの人々と綿井氏の間に醸成された信頼感がもたらすシーンに溢れていた。バグダッドの一般家庭の生活の雰囲気が一杯だった。
森氏のオーム関係者とのあいだの関係を見ると、他のジャーナリスト達がなぜオームにアクセスできなかったのか、あるいはしなかったのか、わからない。森氏は当たり前のことをやったのであって、何か特別のことをしようと気負ってやったわけではない。
二人のドキュメンタリーは、水彩画的な淡々としてドキュメンタリーである。
しかし、ザウパーの映画は、ゴテゴテの油絵といった感じである。そして、彼の撮ったシーンで西洋絵画の構図が、西欧の映画批評家には分かるらしい。彼の視点は明らかにヨーロッパ人を意識した、ヨーロッパ人のステレオタイプな視点を意識したドキュメンタリーとの映画評があった。しかし、ムワンザに生活する多くの人々の中に入って撮ったシーンは全然見当たらないし、意図的に撮らなかったのだろう。人々の喧騒とか、家族とか、街並みとか、三十万が住む都会の人々のシーンがさっぱりない。
ザウパーの映画『ダーウィンの悪夢』も森達也のいうことを考えると、ザウパーの意図、とりわけ、彼が考える強烈なメッセージが出ている。アメリカや欧州の映画評を読むと、そのシーンの構成など、ヨーロッパの知性が観れば、すでに紹介したように、エル・グレコやヒエロニムス・ボッシュの絵画、そして、ウイリアム・ブレイクなどの引用が出てくる。筆者には、聞いたことはあるが馴染みのない名前ばかりでてきで理解を超えるが、彼らの映画評は、一様に手厳しい。ヨーロッパ人のアフリカに対するイメージに合わせたドキュメンタリーであると22項目にわたり指摘する比較文学研究者*もいる。
我が国の映画評のように、グローバリゼーションのマイナスを強調するというような単調な映画評ではない。
* “The Little Story”: Darwin’s Nightmare, Hubert Sauper;
Les Saignantes0, Jean-Pierre Bekolo
By Kenneth W. Harrow, Michigan State University
publie le 28/12/2006 Africultures
http://www.africultures.com/index.asp?
menu=affiche_article&no=4686
21 グローバリゼーションとは?
ザウパーの映画『ダーウィンの悪夢』を観て、ナイル・パーチをボイコットしたフランスの観客は、ザウパーの意図と術中に完全にはまってしまった。そして、ザウパーは数々の賞を受ける名誉も得た。しかし、ナイル・パーチをボイコットしてもタンザニアの食糧問題が解決するわけではない。反対に、タンザニアの経済に打撃を与えた。そして、そのしわ寄せは、ムワンザに住む貧しい人々に『ザウパーの悪夢』をプレゼントしたに過ぎないのではないか。
グローバリゼーションは現在の世界では、止まらぬ奔流である。当然ながら、そのプラス面、マイナス面が多くある。現在の我々はそのグローバリゼーションのなかで生きている。それを、無慈悲な外国資本あるいは先進国と貧しい搾取される発展途上国そして貧しい人々という単純な構図で観たり考えたりするのはひとつのわかりやすいストーリーであり、映画制作者がそう考えるのは自由である。その背景や情報を調べると、彼のストーリーはあまりに単純である。しかし、現実は複雑であり、大きな疑問が出てきたというのが、筆者がこのシリーズを書き出したきっかけである。
ザウパーは、タンザニア政府や現地関係者からの公開状や非難に対して、現地ジャーナリズムのインタビューに応じて、「私はタンザニアの人々を愛している。タンザニアには4年間住んでいたのだから。」と述べている。
ナイル河のナイル・パーチがヴィクトリア湖にバケツで放流された理由や説は、いろいろあるようだが、その詮索はやめた。その結果のナイル・パーチの国際商品化、ヴィクトリア湖の環境破壊・汚染その他、必然的に起きたグローバリゼーションの大波、それら、これからの問題の方が重要である。
ナイル・パーチはグローバリゼーションの中で生まれた国際商品である。国際市場への強力な販売力がなければ、価格の主導権は取れない。国際市場からは常に価格引下げの圧力がかけられる。輸送の主導権も取れないことが政府の公開(質問)状を読んでも容易にわかる。どこの市場にどれだけの量をタイミングよく供給するかの主導権が取れなければ、価格を叩かれる。しかも、その生産工程でEUの厳しい衛生基準を適用される。その要求する衛生基準以下であれば即刻輸入禁止が発動される。
その一方で、ヴィクトリア湖の湖水面の低下、漁業資源の減少で、漁獲コストは上昇している。さらに、水産加工場は、ムワンザ環境法の規制で工場廃水処理の管理が年々厳しくなっている。販売価格の下落と環境設備投資等による生産コストの上昇を抑えるかのなかで、すでに経営をやめたギリシャ・オーナー系の工場があると現地英字紙も報じている。
ヴィクトリア湖の汚染は、ムワンザから100kmほど離れたゲイタに、世界資源コングロマリットのアングロ・アメリカンが採掘している金鉱山がある。1999年、タンザニア政府から開発権を取得し、金その他の掘削を開始した。そこには日本の総合商社丸紅がコマツの大型重機械を納入していると、丸紅やコマツのHPに載っている。その周辺には無法な採鉱業者や一匹狼が群がり?