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地域課題解決型の学び)エッセーを書きました #宮本常一 #PBL
2026/05/16
PBLってご存知ですか?
Problem-based Learning または、 Project-based Learning の略だそうです。
日本でも、内閣府の旗振りで、文部科学省がアクティブ・ラーニングの一環として推奨して、大学でもさまざまな取組がされています。https://frankel.co.jp/tsushin/articles/814#index_id6 (記事のpdfを添付しておきます)
2019年の3月だったと思いますが、山口県立大学が『PBLハンドブック』という冊子を創ったことがあり、その中にコラムを3つ書きました。
PBLの実践者としての宮本常一 安渓遊地
周防大島出身の民俗学者として知られた宮本常一(1907-1981)は、その代表作『忘れられた日本人』(岩波文庫)からも読み取れるように、行く先々で出会った人たちが、心を開いてさまざまな話をしたくなる人であった。私も、学生時代に鳥取県の大山山麓で開かれた移動大学で、宮本先生に出会った。彼は、私が1人用のテントを張るのを見に来て、いきなりテントのまわりにスコップで溝を掘ってくださったのである。そして、溝を掘りながら「テント生活で一番大事なのは水はけだ。縄文人も君のようにこんな舌状台地に集落を作ったんだ。ゴミはそこから下に投げ捨てたから、住居址と遺物集積場所が離れてでてくる……」といったマニアックな話をされた。まるで、ちょうどその時、私が西表島でエスノアーケオロジー(民族考古学)の研究をはじめたばかりの大学院生ということを御存じであったかのような出会いで、私はいっぺんに宮本先生の大ファンになってしまった。いきなり初対面の相手のふところに飛び込み、黙って手伝う。これが宮本流のフィールドワークの極意だった。
テントの溝を掘りおえた宮本先生から、私は、明治19年に西表島を探検した博物学者・田代安定の史料の探し方などの専門的な助言を受けた。それとともに「地域が良くなるには、地元のアイデアにお金がつくようでなければならない」といった地域振興の実践哲学を、そうした課題にまだまったく興味をもっていなかった私に熱く語られたのが印象に残っている。
宮本先生は、1953年に離島振興法が成立すると、日本離島振興協議会のボランティア事務局長として獅子奮迅の働きをしたことでも知られている。その源流は、戦中戦後の壮絶な経験に端を発している。
1945年7月10日、堺市の空襲で、宮本先生はフィールドノート100冊、未刊行の原稿1万2000枚、写真フィルムのすべてを失う。蔵書は3日間燃え続けた。普通の学者なら再起不能だろうが、宮本先生は、その直後から約半年間、大阪府の嘱託として、野菜の配給の確保のために奔走する。敗戦後の10月には、大阪の焼け跡に暮らす人びとを、北海道の原野に送るプロジェクトの付添として問寒別まで行った。電気もなく、農具や食糧さえも手当されない移住が、国家による棄民であることを現地で知ったことが、もっとも光のあたらない人びとへの熱い共感となって、その後の宮本学の通奏低音となった(宮本常一・安渓遊地、2020『調査という迷惑を越えて』みずのわ出版参照)。
単なる学問ではない、地域の課題解決へ向けた具体的実践と、若者たちをそうした道に向かわせようとした努力は、宮本常一生涯の師であった渋沢敬三の教えそのものだった。日本の村々のおよそ4分の1にあたる場所に足を止めて話を聞いたと言われる宮本先生は、問題発見・問題解決型の学び手として日本列島を歩き回ったのだった。また、彼の発想と助言を地域のプロジェクトとして取り組んだ、佐渡島などの人びとには、その後も息の長い支援を惜しまなかった。その意味で、宮本常一先生こそは、地域振興につながるPBL実践の先駆であった。
注『調査されるという迷惑を超えて』という本は、コロナのためもあって、まだ出ていません。
学生の目が輝く時・地域が輝く時 安渓遊地
地域に出かける授業が必修だと、あまりやる気のない学生も受講することになります。「学生をやる気にさせるコツ」といった簡単なものはありませんが、まずは出かける前のオリエンテーションがとても大切になります。
機械的に進めるとモチベーションが下がります。例えば、班分けや班ごとの学生リーダーの決定は、くじ引きやじゃんけんではなく、学生が自分から責任をもって引き受けるように工夫します。例えばこんな風に。「リーダーは単なる連絡係ではありません。キャンパスを飛び出したら危険もあります。急に雷雨になったとか、熊が出るとか。そんな時、教職員もいないし、民主的に相談している時間はありませんから、リーダーの決断に従います。例えば『あの大きな木の下に避難!』とか(笑)。そして、万一リーダーが雷に打たれて倒れたら、すかさずサブリーダーが指揮をとります。また、アイスクリームの種類を何にするか、といった些細なこともリーダーは相談なしに決めます。ですから、いざという時に命をあずけられる判断力と決断力のある人がリーダー、サブリーダーを引き受けるようにしてください。」
教員にとっては、毎年のことで、場合によってはたいへん苦労させられた受け入れ先もあるかもしれません。でも、学生にとっては、初めての経験なのですから、「教室では得られないホンモノを現場で経験できる」というPBLの魅力と可能性を、教員が熱く語ることが大切です。実際に地域に出たら、教員自身が楽しそうにやっているということが伝わるように気を配ります。それでこそ学生たちも安心して地域とつきあえるようになるからです。
経験のないことには、学生の側に戸惑いもあります。そんな時には、「やってみると面白いよ、やってみない?」と声をかけ、時には率先してやってみせることも必要です。ただし、あくまで主導権は受け入れ側にあるので、学生が動き始めたら、危険がないかの見守りに徹するぐらいの気持ちでいた方がいいでしょう。
地域が教室であり、地域の人たちが先生であるPBLでは、教職員も学ぶことが多いのですが、学生から教えられることもたくさんあります。研究者としての自分の狭い専門や知識を伝えるのではなく、お互いにひとりの人として学び合い、育ち合っていく機会をいただくという気持ちで臨むようにすれば、学生もそして地域も輝いてくるでしょう。
写真は、山口県北部で合併しない道を選んだ阿武町の有限会社・あったか村での活動の様子です。村人が住まなくなった8ヘクタールもの土地に、CS(化学物質過敏症)の人でも暮らせる交流拠点を「田舎暮らしへの乗り換え駅」として提案している場所です(https://ankei.jp/attakamura/)。ここの建物の多くは、山口県立大学の学生たちが「地域共生演習」の授業で建てさせてもらったものです。そこでは一人の学生が「大工の棟梁」として屋根の上に登るのですが、「地元の常識」に反してある年には女性が棟梁となって腕をふるいました。
連携先との適正な距離の保ち方 安渓遊地
PBLの事前学習で必ず伝えることがあります。「若い人が少ない地域に出かけるとね、訪ねていくだけでとても歓迎されて喜ばれることが多いですよ。でも、帰るときにまた喜ばれることがあります。『やっと帰ってくれたか』ってね。何も涙ながらに抱き合って別れを惜しまなくてもいいので、二度喜ばれることがないように気をつけましょう」(宮本常一・安渓遊地、2008『調査されるという迷惑──フィールドに出かける前に読んでおく本』みずのわ出版などを参照してください)。
地域に出かけたのに遠慮ばかりしていてはいけません。でも、図々しいのはもっといけません。その間合いは、地域により、また受け入れ先により色々です。親しき仲にも礼儀ありですから、まずは、ご挨拶が大事です。学生リーダーが始めの挨拶。帰りのお礼の言葉はサブリーダーと決めておきます。全員がきちんと自己紹介をすること。出身地などは地域の人にとっては重要な情報とされることが多いでしょう。受け入れていただくのだから敬意をこめて、必ずお礼状を書いて出すようにします。手紙を書かない若者たちですから、その内容・形式のチェックを怠ると大学の評判を落とすことになりかねないので、事後指導の中で絶対に手抜きができない部分です。
ホームステイさせてもらえる場合は、学生たちには「何かお手伝いすることはありませんか? とこちらから尋ねなさい。おじいちゃん、おばあちゃんの家に行った時のように」と言い、地域の方には「お客様扱いせず、孫が帰ってきたと思われて、ご遠慮なく学生を使って下さい」とお願いします。
教員は、必要に応じて学生と地域との間をつなぐ役割です。PBLの先生である地域の方の、方言や独特の言い回しを学生にわかるように「翻訳」することも時には必要です。「わぁ、おいしそう!」と積極的に言ってみせるとか。「わかりませんが」と尋ねることです。そうやって、「適正な距離」の保ち方が分かってくれば、教員は、やや離れて眺めているだけでよくなります。もちろん、人間同士のつきあいですから、時には行き違いや言い争いのようなことも起こります。そういう時には、じっくり腰をすえて、しっかり対応するしかありません。その過程もまた、学生と教員にとってのより深い学びとなります。
最後に、好例です。山口市徳地の串という地域には、山口県立大学の学生たちは、10年以上にわたって、ホームステイその他でずいぶんお世話になってきました。大学生のホームステイを「ふるさと発見in串」という、地域あげての行事と位置づけて下さり、全戸にチラシを配付して予告して下さっていますから、村の中を歩いていてもあちこちから声がかかります。地域リーダーの世代交替など、お訪ねするたびに学びがあり、朝日新聞の「にほんの里100選」に選ばれたのも、大学との持続的な提携のおかげだと言っていただくと、お世辞でも嬉しくなります。
2026年5月16日追記
某大学での連続講義のバトンを受けて次の講師をされるM先生にお会いして話したこと。社会人とわいわいできることが、学生と社会人の両方にとって得難い機会になるように授業を設計することの大切さについて。
Mさん、次からよろしくね。実は、たったいま、授業の受講生のうちの二人に呼び止められたんですが、とてもうれしそうに、最後の回でのグループワークの経験を語ってくれました。
AB「楽しかったです」
安渓「ありがとう。どこが良かったですか?」
A「わたしが注目したのと同じ団体の取材が発表者に選ばれました」
B「わたしは、発表者に選ばれて発表しました」
安渓「そう! どのテーマでしたか?」
(Aさん Bさん それぞれの応え)
安渓「すばらしかったね。社会人の方も、学生たちとわいわい話しているとき、とってもうれしそうな笑顔でした」
A「わたしも、社会人の方といっしょの班に入りたかった」
安渓「そうよね、社会人が入っている班から学生代表の発表者を出してもらったしね。いまの教室なら、部屋のキャパは十分あるんだから、どの班も、学生3人、社会人1人で席について、わいわいやれるときっと楽しいよねぇ。受け入れ窓口はてんてこ舞いになるだろうけど、先着◯人というので、早くから並んでくださった方もあったそうで、選にもれた方々も多かったらしいよ」
AB「ええ、そうなんですか!?」
安渓「せっかくきてくださっている社会人の受講者と、いろいろ交流できた方が面白いにきまってるから、大学ももうひと工夫するようになるといいね。機会があったうちの農園にも遊びにおいで。」
AB「はーい。ありがとうございます。」
安渓「こちらこそ、ありがとうございました。」





