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論文)明治期真宗僧への辞令・免許状―本願寺派長州僧香川葆晃の場合
2026/03/30
山口県立大学学術情報 第 19 号 〔大学院論集 通巻第 27 号〕 2026年 3 月
に掲載された論文をシェアします。
近世真宗の歴史的な研究をライフワークとした児玉識は、長州の真宗僧につ
いて、次のように書いた(児玉、2005、100ページ)。
幕末から明治初期にかけ、島地黙雷、大洲鉄然、赤松連城、香川葆
晃らの真宗僧が目覚ましい政治的活躍を遂げた。彼らは月性の没後、
その遺志を継いで倒幕運動に直接、間接参加し、維新後はいち早く上
京して本願寺の宗政改革に着手し、さらに廃仏毀釈、神道国教化政策
を強行しようとする明治新政府の宗教政策に対し、仏教界を代表して
抗したのであったが、彼らはその過程において常に真宗を例にとりな
がら仏教が国家のために有用の宗教であることを木戸孝允ら長州出身
の新政府高官相手に説き続けた。
このように四人の長州僧が並列される中で、香川葆晃(ほうこう)について
は、著作集も評伝もなく、まとまった研究というものが見当たらなかった。地
域を教室にみたてて大学生とともに学ぶという授業を展開する中で、防府市富
海の浄土真宗本願寺派の寺院の僧侶でもあった児玉師の知遇を得て、私が香川
葆晃の研究を思い立ったのは、2006年頃であった。その成果は、右記のよ
うな歴史の英語による発信をめざしたAnkei et al. (2012)や、越後に生
まれ京都で修行した葆晃が、長州藩の密偵となって活動していた時代に焦点を
あてた安渓(2025)などとして発表してきたところである。
残された課題として、葆晃が本願寺から受け取った辞令や免許状の紹介をこ
の報告では目指したい。40通を超えるそれらの書類は、葆晃の本山での活動を
支えた側室のヨネ(1857〜1927)が保管していたもので、時代的には
明治2年から葆晃が病死する明治31年にわたっている。これらの辞令類は、ヨ
ネの次女であったヒデ(西田秀子)からその長女の高嶋晃子を経て次女の安渓
芙美子に引き継がれ、芙美子の次男である著者の安渓遊地が現在は保管してい
るものである。
辞令や免許状に登場する仏教や浄土真宗の独特の単語については、香川葆晃
が本山で活動した時代は、本願寺の門主として明如上人(大谷光尊)が在世の
時代でもあったため、その事績を編輯した『明如上人日記抄』(前編後編)、『明
如上人略年表』を主に参照した。辞令発給の背景となる職制などについては、
明治33年の『本派法規類纂』が有用で、いずれも、国会図書館のデジタルコレ
クションで本文を利用することができた。
免許状や辞令そのものの紹介と解説を試みる今回の報告に続いては、時代的
にとびとびに残っている書類の間を埋めるべく、香川葆晃という人物とその時
代を、トピック的に点綴する記事を予定している。
筆者が専門とする人類学をやまぐちの地に根ざした地域学に、さらに血の
通った自分学へと深めていくきっかけを与えて励ましてくださった元龍谷大学
教授の故・児玉識博士、文書の解読で懇切な指導をたまわった元山口県文書
館副館長の金谷匡人氏に心から感謝する次第である。また、2012年度から
2016年度にかけて科研費基盤研究(C)「幕末維新期の長州真宗僧に関す
る史料と口承による総合的研究」の支援を受けた。
Appointment Letters and Licenses for Shin Buddhism Priests in the Meiji Period: The Case of Kagawa Hōkō, a
Chōshū Priest of the Hongwanji School
Ankei Yuji
From the late Edo period to the early Meiji era, Shin Buddhist monks such as Shimaji Mokurai (島地黙雷), Ōzu Tetsunen
(大洲鉄然), Akamatsu Renjō (赤松連城), and Kagawa Hōkō (香川葆晃) achieved remarkable political prominence.
After Gesshō’s (月性) death, they carried on his legacy by participating directly and indirectly in the anti-shogunate
movement. After the Meiji Restoration, they promptly moved to Kyoto to initiate reforms in Hongwanji’s (本願寺) religious
administration. Furthermore, they opposed the Buddhism abolition movement (廃仏毀釈) and the new Meiji government’s
policy of establishing Shinto as the state religion. Throughout this process, they consistently used Shin Buddhism as an
example, arguing to new government officials from Chōshū/Yamaguchi like Kido Takayoshi that Buddhism was a religion
essential to the new state. The author introduces over forty newly discovered official appointments and certificates received by
Hōkō, the least researched of these four Chōshū-affiliated Shin Buddhist priests who played such active roles, and explains the
historical context of each document.
Keywords: Hongwanji Temple, Shin Buddhism, Chōshū-Yamaguchi, Kagawa Hōkō, Meiji era



