海と陸のつながりを考える――在来知の地図作りのために
2023/12/14
海と陸のつながりを考える――在来知の地図作りのために
安渓遊地・安渓貴子 Brain Storming 2023年12月14日
東アジアから東南アジアにかけての島々の在来知を聞き取りによって勉強し、その成果を統合して、陸と海のつながり、そして高い島と低い島の個別性や共通性をあきらかにしたい、という地図作りのアンケートをいただきました。おためしで3つの生物を撰べというアンケートでしたが、とうていそれではすまないほど、さまざまな事例が思い浮かびましたので、ここにメモを残しておきます。
そういう事実があるということを知っていなければ、質問はできないので、ここに示した一例だけの民俗例のようなものも、例えば漂着する材木は、海岸線に並行ならひろって使い、海岸につきささるような向きで流れ着くものは、そこに霊が載っているとして、おそれて使わないという事例のように、奄美大島の宇検村で報告された事例でしたが、その気で尋ねて回ってみれば、粟国島や八重山の小浜島・西表島にいたるまで、「そんなことは常識」レベルのことだったのでした。
ですから、地図づくりについても、存在しないということは断言できず、世間話をしながら、「あっちの島ではこんなことがあるんだといってましたが」というようにして、聞いてまわれば、より説得力のある地図ができる可能性が高まると思います。
「ソーメンを投げて奪い合うというような行事はありませんでしたか?」 という質問を与那国島のN子さんにして、「あったわよー」という返事をもらった驚きについては、以下をご参照あれ。https://ankei.jp/yuji/?n=2788
ブレーンストーミングなので、とりあえず、引用文献なしで掲載します。
はじめに
0.聖書の創世記では、1日めに闇と光が、2日めに天と水が、そして3日目に海と陸の区別ができたといいます。さて、アジアの東の方にある島世界では、海と陸はどのように区分され、またどのように繋がっているのでしょうか。
1.いのちあるものが、海と陸とをつないでいるという事例を探してみましょう。
2. たとえ1例しか知られていなくても、別の場所で尋ねてみれば案外、誰も尋ねなかっただけで、よく知られているということはあります。なるべく文化の違いを越えた質問を考えてみましょう。
3.同じように質問して回れば、その結果を地図にしてみることで、例えばサンゴ礁の平たい島と、山や川のある高い島の違いや、ヤポネシア・ミクロネシア・メラネシア・インドネシアなどの地域ごとの特徴も目に見えるものになるかもしれません。
順不同ですが、思いつくものを並べてみましょう。
A. 津波
・津波石: 例:八重山の石垣島東南部部には、大きな岩が津波石だと伝承され、ガーランジなどの固有名詞を持っている。岩の上には、岩が海にあったときに生育していたと思われる、サンゴやシャコガイなどの遺骸が残っていて、C14によってその年代を明らかにすることができる。1771年に、八重山・宮古に甚大が被害をもたらした大津波以前にも、この2000年の間に、何回もの大津波があったことがわかってきている。
質問例「海の生き物の遺骸が陸に見つかることはありませんか? それはいつどうやって上がったといわれていますか?」
・伝承:西表島鹿川(かのかわ)村
潮時でもないのに、潮ががらっと引いたので、魚を拾いに行こうとした若者たちを、年寄が止めて、「こんな時はナンヌリ(津波)が来る。すぐに高台に避難を」といって、村人たちは命拾いをした。洗い流された村のさらに上手の斜面を切り開いて、村は再建された。湾入のある地形のためか、およそ海抜30メートル付近までは洗い流された形跡がある。
質問例「潮時でもないのに、大きく潮が引いたらどうしますか? 過去にそういう経験はありますか?」
・地名に残る:
西表島網取(あみとり)村のエハダダァ ehadã(津波でエハ=イカが入っていた小さな田)、
西表島網取村のフクリピャーマシ(津波でフクリピャー=モンガラカワハギが入っていた田んぼ)
西表島浦内村のアマダウチカーラ(津波で、アマダ=魚の燻製棚が押し流された川)
質問例「海水が陸に押し寄せてきたことを示す地名はありますか?」
・伝承に残る大津波の前兆:
西表島干立村の北のウファ〜ピダufã:pidaという海岸で、獲った魚をアマダで燻製にしていた三人の村人のうち一人が火の番をしていたところ、海から海藻を頭にかぶったような姿の者(インカプラ〜=海被り者)がやってきて、大きな魚に声をかける。「おい、お前は、半月ほどの潮をあげてやったら海に帰れるか?」すると、燻製棚の上の魚が口をきいて、「そんなにあげられたら、陸のものが生き残れないから、三日月ぐらい上げてもらったら、自分はゆっくり海に降りられる」と返事をした。それを聞いた男は、残りの二人を叩き起こして、大急ぎで、高台に逃れて命拾いをした。
質問例「津波の前兆を生き物が教えるということはありますか?」「言葉を話す魚はいますか?」「海から陸にやってくる怪物・神様・精霊などはいますか? 逆に陸から海に移動する怪物・神様・精霊などありますか?」
B. 高潮
与那国島で、気象台に勤務していた正木譲さんのお話。 ある時、海辺にいたら、急に高潮がやってきて、もう一人の職員とともに公衆電話のボックスの上に避難して助かった。ところが、公衆電話ボックスの上には小さいヤドカリがびっしり集合していた。「誰がヤドカリに高潮警報を出したか?」と不思議だった。
質問例「高潮の前兆を生き物が教えるということはありますか?」
C. 噴火による軽石の漂着
・大正時代に鳩間島沖の噴火で軽石が吹き出したことがあった。定期船の運行にも差し支えるほど海面を埋めた。いまでも、西表島などの海岸に軽石が見つかる。
・2021年8月、小笠原諸島の付近の海底にある火山「福徳岡ノ場」が噴火した。噴火で生まれた大量の軽石が千数百キロ離れた沖縄・奄美地方に漂着して深刻な被害が出た。
質問例「水に浮かぶ石が海から陸に流れ着くことやそうした伝承はありましたか?」
D. 浮かぶ石を海から拾ってきた:
八重山では、海に浮いていた石、流れてきた石を拾って、霊石として家に祀る例がある。
質問例「海に浮いている石の話がありますか? もし見つけたらどうしますか?」
E. 島や岩が岸により着く
西表島崎山のピサトゥ村で大雨が続いた時、村人の一人がふと沖を見ると、島がぷかぷか浮いてこちらに流れてくるのが見えた。驚いて、大声をあげて指さしたところ、ぴたりと止まった。もう少し黙ってみていればよかったのに、とみんなが残念がった。これが、現在のナリワン(流れ神、祖納ではナニワン、仲之御嶽島)である。与那国島では、この島の鳥の卵は、ひとり1個のみ取ってよい、というきびしい制限があった。
質問例「島が流れてくるということがありますか?」
F. 海の生き物と陸の生き物の関連
・西表島西部の伝承では、イノシシはもともと海に、ジュゴンは陸にいた。イノシシの気性が荒くて、海の生き物が迷惑するし、動きが鈍いジュゴンは、陸では不便そうだった。そこで、神様がジュゴンとイノシシのすみかを交代させた。だからいまでもイノシシの肉はかすかな塩気があるし、ジュゴンは塩気がなくて甘い。
質問例「海の生き物と陸の生き物がすみかを交代したという話はありますか?」
・魚のヒメジ(オジサン)と陸のキシノウエトカゲは、姿かたちが似ている。同じ宮古の島々でも、だからヒメジを食べないという島もあり、だからキシノウエトカゲはおいしい、という島もある。
質問例「陸と海の生きもので、姿かたちが似たものがありますか?」
G. 海の生き物の名前と陸の岩や山との関連
・西表島西部では、メガネモチノウエをウビライユという。この魚の大きな鱗と同じような節理をもつ岩が崎山村の海岸にあって、ウビラ石という。これは、国土地理院地図の図幅の名前にもなっている。
・西表島西部では、ナンヨウブダイをグザイユという。頭が2段になったこの魚と、山頂が同じ形をした山が西表島の内部にありグザ岳という。崎山村の海中には、グザ石という巨岩もある。これらは、陸の大きな地形が先で、それと同じ形状だから、海の生物が同じ名前をつけられたのだろう、と島人はいう。
質問例「陸の地形と関連する名前をもつ海の生き物はいますか?」
H. 海を渡る陸の生き物
・トカラ列島中之島では、集落のない東側の海岸にネズミの大群が上陸したことがあって、島はたいへんな飢饉に見舞われたことがある。
・以下は、ネット記事の引用。1949年、宇和海に浮かぶ愛媛県戸島(写真)が、ドブネズミの大群に襲われ、しかも戸島に定着したネズミは、島民の食物となるトウモロコシ、サツマイモを根こそぎ食い尽くす大騒動が起こった。繁殖条件に恵まれた戸島では一時期、面積2平方キロちょっとの狭い島に100万匹を越えるネズミが繁殖した。ちなみに島民は、当時、2000人くらい。悲惨を極めたのは、島民たちだった。ラジオとなどもかじられ、壁に穴を開けられ、天井はネズミの大運動場になり、安眠すらできなかった。食物のすべてがネズミに食われ、一時は全村離村の危機を迎えた。むろん県も、駆除剤をまき、あるいはヘビ、イタチ、猫などを放したりと、あらゆる対策を講じたが、すべての対策は失敗に帰した。人は、ネズミとの戦いに敗れたのだ。その10数年後、力尽きた島民たちは、若者を中心に島を捨てた。段々畑は、耕作されることもなくうち捨てられ、かつては活況だったイリコ製造も、不漁もあり、廃業に追い込まれた。ここでさしものネズミも餌がなくなり、個体数を激減させた。そしてその一部は、またしても大挙して海を渡って四国本島の方に去ったのである。(https://ameblo.jp/kawai-n1/entry-12504891557.html)
・猪は泳ぎがうまいので、海を泳ぐ。もともとイノシシがいなかった加計呂麻島にも奄美大島から渡ってきて、現在畑の被害が大変なことになっている。海を泳ぐイノシシはしばしば目撃されている。
質問例「陸の生き物が海を越えて別の島に渡るという例はありますか?」
I. 海から陸にやってくる生き物・陸から降りて海辺に来る生き物
・ウミガメの産卵。特定の浜にやってくる。西表島網取村では、産卵に出くわしたら畏敬の念をこめて、これを迎えた。神聖で、一切の殺生が禁止されたプーラの浜は、ウミガメの産卵する浜で、西表島西部のサバ崎の付け根にある。網取村では、子亀が海に戻っていくときは、全裸になるだけでなく、ふんどしを子亀たちの道に敷いて、送った。
質問例「ウミガメの産卵や、子亀の孵化をめぐって、禁忌やなんらかの儀式がありますか?」
質問例「ウミガメの卵を食べますか? 食べるなら、採る時になんらかの禁忌や制限がありますか?」
質問例「アカテガニのように、陸から海に降りて産卵する生き物がありますか?
J.海草や海藻を肥料にする
・八重山の小浜島では、ピセーミツという水田地帯がある。ここは、大潮の時に意図的に海水を田に引き入れて海草類が流れ込んむようにする。それが腐り、有機肥料となる。塩分はその後流し去るようにすれば問題はない。
・ 奄美大島では、ホンダワラを田んぼに入れることで有機肥料にしていた。近年は海辺のホンダワラが減ってできなくなっている。
・西表島網取村では、海岸の砂を粘土質の畑に運んで地質の改良をすることがあった。
質問例「海草や海藻を肥料にすることが有りましたか?」
K.海から寄り付く材木とそれに付く霊
・ 寄木(よりき)。 海を漂流してくる材木。
西表島では1本の流木で一軒の家を建てるというプロセスを歌った家造りを奉祝する歌「ヤータカビ」がある。
与論島では、霊が載っているとして、使わない。ヤンバルから取り寄せた材を使った家は、「この家にはグージャーワンサバ(クジラやワニサバ)が暴れ回っているから」といって、木についてきた霊を払う。
・ 奄美から八重山まで、海岸に平行に上ってくる材木は、使うが、海岸に向かってまっすぐに上がってくる木は、目には見えなくても何かが載っているとして使うのを避ける。
奄美大島の枝手久島に漂着した対馬丸の遭難者が、浜にまっすぐ流れ着いたのを見て、「生きているかも!」と叫んで救助した例が、宇検村史に載っている。
質問例「海から流れ着く材木を使いますか使いませんか? 使うときに気をつけることはありますか?」
・関連して、沖縄のキジムナーやブナガヤ、奄美のケンムンなど、水と木に親しい魔物が、海にも出て、人間の漁を助けることがある。与論島の海の魔物イシャトゥは、これらよりは恐ろしい。
質問例「木の精はいますか? それが、海に行くことがありますか?」
L. 陸から海への働きかけ
・西表西部のムヌン。人間に害をなす鳥獣や虫を海の彼方に送る儀式。 バナナの茎でいかだを作り、その上に虫や、ネズミを載せ、イノシシは足跡を掘りとってきて乗せ、いかだを祈願とともに、海の遠方のより広い場所へ送り出す。旅の間の食料も積み込む。
質問例「陸の田畑の害虫害獣などを、海の向こうへ送り出すことはしますか?」
・ 与那国のクルンダブ(灯籠送り)海の上に灯籠を流して、死者の霊を送る。
・ 与論島 祈願のおりに魔除けに使ったダンチクの杖を最後に海に向かって投げる。
・ 宮古島の南岸でナーパイという津波避けの神事。海と陸の境界にダンチクを差して、海が陸に乗り越えてこないように、ダンチクの霊力で陸上の世界を守る。
質問例「海と陸の境界をはっきりさせるという考え方はありますか?」
質問例「海と陸の境界をはっきりさせるために、なにかしますか?」
M.塩作り
・塩作りに必要なバイオマスの有無と必要な場合はその由来を考えると塩作りに3種ある。
1)海水を木(種子島南部)や石炭(長州)で炊いて濃縮して製塩する。
2) 藻塩を作り、これを焼く(瀬戸内海)。
3)チーマース(与那国島の干し塩)、マスソーヤー(西表島西部の塩ができる海中の岩)。燃料なしに、自然に塩ができる場所がある。
質問例「塩を作りましたか? その方法はどのようなものでしたか?」
N.漆喰づくり
・瓦葺の家に必要なしっくいの材料としての石灰は、浜でサンゴを焼いて作る(西表島ほか)。
O.「海と陸をつなぐ神」
・ 屋久島では、岳(ダケ)参りの際に、潮水を竹筒につめてお岳の神様に届ける。潮水を運ぶのが難しい時は、潮水が染み込んだ砂でもよい。
・ 種子島南端の宝満神社で石の鉢にたまっている水をなめてみたら、潮水だった。
質問例「陸上の神や霊が、海のものを喜ぶという例はありますか?」
P.鳥の恩返し
西表島の西部の現在の白浜村の近くに、イユファイダという田がある。この地名の意味は、「魚食べる田」である。
昔、ダンチコ(ミサゴ)と魚が争っていたのをみた男が、 鳥を助け、その魚を炙って裂いて食べさせてやった。その鳥がその後、この人が田んぼに行くと必ず魚を落としてくれた。これが子や孫の代まで続いた。
質問例「鳥が魚を人間に届けた例がありますか?」
(未完)