わが師わが友)島袋伸三先生をしのぶ RT_@tiniasobu
2023/06/17
ShimabukuroShinzoOkinawaTimes
琉球大学の名誉教授・島袋伸三(しまぶくろ・しんぞう、地理学)先生が、2022年12月22日に長逝された。
京都大学理学研究科大学院の自然人類学研究室で学生をしている時、たぶん、1975年か76年ころ、琉球大学からの内地留学で京大に長期滞在されたのが、伸三先生との初めての出会いだった。
ゼミに一緒に出て、飲みに行くのも一緒だった。ハワイの大学で火山と人間の関係について勉強したことを熱く話された。ハワイ島のKonaという町でフィールドワーク中に、ある農園を訪ねようとしたら、”Freeze!” と銃を突きつけられた経験を語っておられた。学問をへだてる壁が低い京都大学で、他の学部や研究室にも顔を出されていたのかもしれない。中尾佐助著『栽培植物と農耕の起源』(岩波新書)を激賞して「こんなすごい本が英語になっていないなんて! ぜひ英語版を出すべきですよ」という彼の口調が思い出される。
大学院に入って4年目の1977年に、西表島で明治時代に廃村になった村のあとで、そこにかつてあった生活を考えるという、私の修士論文が単行本『人類の自然誌』(雄山閣)に収録された時、伸三先生に無理なおねだりをしたことがある。論文の抜き刷りのようなものを作りたいけれど、お金がなかったのである。お世話になった八重山の方々に、報告をお届けしたいという、私の気持ちを汲んで、伸三先生は、地理学教室で印刷機を回して、抜き刷りの海賊版50部を作るようにはからってくださった。助手の上原冨二男さんという方が動員されて、製本までもやってくださっていたのを、ありがたく受け取りにうかがった。その時、もう定年されていた仲松弥秀先生がたまたまゼミ室におられた。ちょうど出来上がった、私の修士論文の冊子を手に「これは、とてもいい研究だなぁ」と話しておられるところだった。ご挨拶をしたところ「しまった! 本人のいるところで褒めるんじゃなかった」とお茶目に笑われたので、先生をとりまく地理学教室の仲間たちの温かい雰囲気が伝わってきた。
伸三先生の車に乗せていただいて、沖縄島北部のドライブに繰り出したこともある。安波・安田のあたりから辺戸岬をまわって、ずっとりっぱな舗装道路が出来ているのを、いろいろ赤土流出などの問題点はすでに指摘されていたにしても「いいことです! いいことです!」と言いながら、案内してくださったのが、昨日のことのように思い出される。
それ以来、西表島への往復の途中で、琉球大学の地理学教室をお訪ねするのが、私にとっての心おどる習慣のひとつになっていた。石川友紀先生から、南米への移民研究の論文をいただいたり、仲松先生・久手堅憲夫さんの首里城地名フィールドワークに飛び入りで参加させていただいたりした。渡久地健さんといっしょに与那国島の本を作ったり、地名の大切さについて考えたりしているのも、そうしたありがたいご縁の延長なのかもしれない。
安渓遊地 写真は、琉球タイムスからお借りしました。