西本願寺) 原発事故への対応 の意思表示が ひっそり おこなわれていました RT@tiniasobu
2013/12/06
http://kimbara.hatenablog.com/entry/2012/11/28/232640
(浄土真宗本願寺派・教学伝道研究センターから西郷章氏宛の返書)
謹啓
慈光照護のもと、貴台におかれましては、益々ご健勝のこと慶賀に存じ上げます。
平素より、宗門の活動にご高配賜り、厚くお礼申しあげます。
さて、ご質問されました内容は
① 原発事故を受けての見解
② 今後どのように対応すべきか
という二項目でしたが、内容として重なるところも多いので、まとめての回答とさせ
ていただきます。
この度の原発事故は、高度な科学技術に対して宗教者がどのような態度をとるべき
であるかという問いを、我々念仏者に改めて突きつけました。
大谷光真門主は、『本願寺新報』大遠忌法要11月特集号等において、文明のあり
かたそのものを問うなかで、現状における原発との共存について、深い憂慮を示して
います。
震災以来現在に至るまで、原発を利用し続けることの困難さを思い知らされるよう
な情報が、毎日のように聞こえてきます。原発に関する情報の多くは、高度に専門的
なものであり、専門家の間ですら意見の対立があることは確かですが、専門外の我々
が原発問題を考えるときには、何らかの情報源に拠らざるを得ない面もあるかと思い
ます。
その一方で、念仏者として、原発の問題を考えることは可能であり、重要なことで
す。ここでは、念仏者としての立場から、二つのことを申し上げたいと思います。
まず一つは、人間の能力には限りがあると言うことです。原子力のエネルギーは極
めて巨大であり、それゆえに制御が困難であることを、今回の事故によって我々は思
い知らされました。私という人間は、過ちを犯すことから逃れられない存在であると
いう仏教の価値観が、改めて見直されなければならないと考えます。
二つには、人間の欲望には限りがないということです。人間の欲望を野放しに肯定
してゆくことの危うさも、今回の事故を通じて思い知らされたことの一つです。快適
さや利便性を得るためならば手段を選ばないような、私自身の欲望こそがまず問題と
されなければ、原発のみならず、エネルギー問題の根本的な解決の道は見えてこない
でしょう。また、原発に関する議論や対話を行う上でも、ただ自己を肯定し、正当性
を主張するばかりでは、生産的な結論を得ることは難しいように思われます。
今後も否応なく、科学技術は一層の進歩を遂げてゆくことでありましょう。そうし
た中、粘り強く人間の在り方、すなわち欲望によって無明の闇を作り出す我々の在り
方について、警鐘を鳴らし続けてゆくことこそが、現代社会に存在する我々宗教者の
役目であると考えます。また、原発問題に対する具体的な見解の表明に向けては、専
門家を招いて学習の場を設けるなど、実態についての正確な理解を深めて、取り組ん
でゆきたいと考えております。
合掌
2011(平成23)年11月14日
浄土真宗本願寺派
教学伝道研究センター
西郷 章 様
謹白