わが師)西表島の自然の語り部・黒島寛松さんを悼む
2005/05/27
西表島出身の黒島寛松さんが二〇〇三十月二十七日に亡くなられた。数えで九十歳
のご高齢であった。初めてお会いしたのは一九七四年だったが、西表島の人と自然の
関係についての研究にとりくむ中で、たえずかゆいところに手の届くような懇切な指
導をいただくことができた。学恩に感謝するとともに、心からご冥福をお祈りしたい。
今から三十年前、大学院に入りたてだった私は、伊谷純一郎先生の指導で、初めて
のフィールドワークのために西表島を訪れる途中、那覇に降りたった。そこで、当時
那覇市立図書館の館長であった外間政彰さんを訪ねた。外間さんは私の中学校の恩師
の親戚で、私が大学生のときに京大図書館所蔵の伊波普猷関係資料の複写をさせてい
ただいたというご縁であった。外間さんの紹介でその日のうちに三人の在野の学者に
お会いして教えを請うことができた。その方々とは、多和田真淳、天野鉄夫、黒島寛
松の各氏であった。野にあって、生き生きとした学問世界を展開しておられるさまざ
まな分野の先達に教えを受けることができたことは、私にとってまことに新鮮な驚き
であり、また喜びであった。興奮した私は、その日のフィールドノートに「沖縄はい
まルネサンス時代。多能の知の巨人たちが健在である」と書き付けたものだ。研究活
動の出発点でこうしたご縁をいただけたことは、その後の私の人生にとって得難い贈
り物であった。
西表島の植物知識や民俗について、どうしても判らないで困った時には、黒島寛松
さんに尋ねると疑問が氷解することが多かった。例えば、従来の研究では、西表島西
部の人々は、植物をキー(木)フサ(草)カッツァ(かずら)バラピ(シダ植物)の
四つに分類する土着の体系をもっているとされていた。しかし、これらのどれにも入
りそうもないたくさんの植物があることも事実で、例えばヤシの仲間、竹の仲間、さ
らにはバナナやパパイアなどは何に入るのだろう。そんな時、島ではどのように見な
しているかのつっこんだ議論をしていただいたことで、外部の者による短期間の調査
ではつい単純化されがちな民俗知識の複雑な実態について学ぶことができた。
黒島寛松さんは、西表島西部の干立村に生まれ育った。新しくオープンしたペンショ
ン村「いるんてぃふたで村」の中の「カネー」と表示された所がその生家である。営
林署や緑化センターに長くつとめた経験を生かし、沖縄エッセイストクラブの会員と
しても多くの著述を残しておられる。植物についてとくに詳しいのは当然で、西表西
部方言と標準和名を対照した詳しいリストを編集して印刷させていただいたこともあ
る。動物名のリストや、在来米の名前など、おあずかりしたままになっている資料も
ある。お元気なころに、一冊にまとめておかれてはいかがでしょうか、と何度かお勧
めしたが、「まだまだ調べておきたいことが多いから……」というお返事だった。黒
島寛松さんの残された業績が散逸しないように、なんらかの形にまとめておくことも
今後の西表島研究にとっての大切なとりくみのひとつだと思っている。
この文章は、石垣島の新聞に投稿しましたが、掲載されなかったものです。でも、
ご遺族には差し上げました。