公民権運動)Little Rock 高校事件 を知りませんでした。
2024/11/16
リトルロック高校事件を、清水展さんの最新作『アエタ:灰の中の未来』(京都大学出版会 https://www.kyoto-up.or.jp/books/9784814005130.html)で知って、wikipediaを読んでみました。
ネット上から消えてしまった記事を、保管しておく「ウェイバックマシン」という無料サービスがあります。wikipediaに引用されている以下の記事は、とても印象的なエッセイなので、ここに載せておきます。あわせて、1957年の日本語の論説(https://digital-archives.sophia.ac.jp/repository/view/repository/00000000461)のpdfも添付しておきます。
写真は、wikipediaからの引用で、「混合教育は共産主義だ」と書いたプラカードをもって集まった白人たちです。
https://web.archive.org/web/20060504024440/http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/littlerock.htm
- 無名の9人の高校生たちに捧ぐ -
<人種共学への取り組み>
1955年モントゴメリー市でのバス・ボイコット運動は、黒人側の見事な勝利で終わりました。そして、この運動を展開する際の重要なきっかけともなったブラウン判決に基づく人種共学への取り組みも、こうした流れを受けアメリカ各地で計画が立てられるようになりました。ところが、それらの動きは実際には計画だけで、そこから先に進まずにいました。それはどの州の知事も、それぞれの州の大物経済人たちから人種共学への動きを進めないよう圧力をかけられていたからでした。(南部は特にその傾向が強かった)しかし、アメリカの憲法によって支持されたその方向性は国家の方針であり、地方の反発は認められませんでした。そのため、いつかどこかで国家と州の方針がぶつかり合い事件に発展する可能性があると予想されていました。1957年、その予想が現実となります。そして、その舞台となったのがアメリカ南部アーカンソー州のリトルロックという街だったのです。
もともとアーカンソー州の知事オーヴァル・フォーバスという人物は穏健派で、人種差別主義者とは思われていませんでした。しかし、面子よりも再選されることを望んだ彼は、ここで自分が人種差別主義者であることを証明することこそが再選への近道だと考えたのです。実際、彼はこの事件の後、見事に再選を果たしました。それどころか、彼はその後6期(12年)にもわたり知事の座にとどまり続けたのです!アメリカ民主主義ばんざい!
<リトルロック・セントラル高校>
アーカンソー州における人種共学への取り組みは、先ずリトルロック・セントラル高校というごく普通の子供たちが通う学校から始まることになっていました。この選択で、もし富裕層の通う学校を選んでいたら、問題はそう大きくならなかったかもしれません。しかし、白人支配層が共学を嫌がったため、そうはなりませんでした。そのことが、白人貧困層の反発を買う原因になったとも言われています。
そうした状況の中、黒人専門で伝統のあるホラス・マン・スクールという高校から9人の生徒たちが選ばれ、セントラル高校へ転入することになりました。もちろん彼らは自らの意志で転校を望み、危険は覚悟のうえでした。どんなに厳しい状況におかれても自分たちが入学、卒業することで、後に続く黒人たちにチャンスが広がることを彼らは自覚していたのです。
ところが、彼らの入学を阻止しようと考えたフォーバス知事は、9人が入学する日に人種差別主義者による暴動が起きるというニセ情報を流し、その鎮圧のためと称して州兵を出動させ、学校を封鎖してしまったのです。おまけに州兵たちは白人学生は中へ通すものの、黒人の入学生が中に入ることを許さず、なおかつその場に集まってきた人種差別主義者による騒ぎを見過ごしていました。
そのことを知らずに現れた一人の黒人少女は州兵によって学校から追い返され、行き場を失った彼女は群衆によってリンチされそうになってしまいました。幸いにして、彼女は危ういところを取材に来ていたニューヨーク・タイムズの記者によって救い出されました。その記者は彼女を混乱の中から救い出す時、こう言って励ましたそうです。
「連中に泣き顔を見せてはだめだ!」
<「神の目」は見逃さず>
結局この日、黒人の転入生たちは学校に入ることができませんでした。そんな状況の中、彼らはあまりに無力でした。このままでは到底入学は不可能と誰もが思ったようです。しかし、神はそんな白人差別主義者たちの非道をしっかりと見ておられました。それどころか「神の目」はその非道をあまねく世の総ての人々に知らしめたのです。
それは当時やっと全国ネットが完成しようとしていた新たなマス・メディア、テレビの全国版ニュース番組のカメラでした。このニュース番組のカメラと電波によって、アメリカの田舎町で起きている非道は全米へ、さらには全世界へと伝えられることになったのです。か弱い黒人少女が白人の醜い暴徒たちに取り囲まれ、罵倒されているシーンが全国に流されたのです。
こうして、フォーバス知事はたった一晩で全米の大衆を敵に回すことになったのです。しかし、それだけでは現状は変わりませんでした。もともとアーカンソーに住む選挙民の支持を得られれば良いと考えていた彼にとって、よそ者たちの批判など痛くもかゆくもなかったのです。
<神に次ぐ支配者の怒り>
とはいえ、そうはいかない人物もいました。フォーバス知事と同じように心の中では人種差別を容認していながら、憲法を守る立場上、彼の行為を止めさせる立場にあった人物。アメリカ合衆国において神に次ぐ支配者である大統領アイゼンハワーです。彼は事態があまりに悪化したことを受け、フォーバス知事をホワイトハウスに呼び寄せました。大統領は知事に対し事態の改善を求め、さすがの知事も大統領の命令には逆らえず、事態の収拾に向けた対応を約束しました。
ところがリトルロックに戻ると、彼はそんな大統領との約束などなかったかのように事態を放置します。状況はまったく変わりませんでした。そのことがわかると、軍人あがりで厳格な大統領は、裏切られ無視されたことに対し激怒します。自らも人種差別主義者であり、経済界の多くもフォーバス支持であることも、もう関係ありませんでした。大統領に対する反抗は、国家への反逆に匹敵するのです。こうして、アメリカ合衆国で最も強い力をもつ男が9人の黒人生徒たちの味方に回ったのです。
アメリカ民主主義ばんざい!
<最強軍隊の出動>
アイゼンハワー大統領は自らの権限でアメリカ最強の精鋭部隊、第101空挺師団をリトルロックに出動させ、再びセントラル高校の周りを封鎖させました。しかし、今度の軍隊は学校周辺で黒人生徒たちを待ち受ける白人暴徒をあっという間に追い散らし、さらには9人の生徒たちを自宅まで行き、彼らを送迎してくれたのです。その軍隊はまさにアメリカ民主主義の代行者でした。こうして、9人の生徒たちは無事学校へたどり着くことができました。これで映画なら大団円となるところです。しかし、現実はそう甘くはありません。本当の闘いは実はそれからだったのです。
<最後の長く苦しい闘い>
学校に通い始めた9人の生徒たちは再び人種差別の厚い壁に阻まれます。クラス中の白人生徒たちが彼らの敵に回っていたのです。日々繰り返される嫌がらせや暴力に対して、彼らを守ってくれるのは教師たちの一部にすぎませんでした。校内には「神の目」として彼らを救ってくれたテレビ・カメラはなく、新聞記者も第101空挺師団も大統領も助けに来てはくれませんでした。
そんな状況の中、どんどん精神的に追い込まれていった9人の生徒たち。ついにはその中の一人の女の子がいじめに絶えきれず、逆にいじめた側の生徒に暴力をふるってしまいます。彼女は結局退学させられることになりました。その後、学内で「一丁上がり、あと残るは8人!」というビラが配られたといいます。
しかし、残る8人はその後度重なるいじめに耐え続け、見事卒業までこぎ着けました。それは自分のためというよりは、自分の後に続く者たちのためだったと言った方がよいでしょう。確かに彼らの後には毎年黒人の新入生が続くことになり、彼らほどの虐待を受けることもなくなって行きます。
<九人の若者たち>
9人の生徒たちの名前を僕は知りません。彼らはけっして英雄的な行為を行ったのではなく、ただ毎日学校に通い、卒業までの日々を耐え続けただけかもしれません。しかし、それだけの行為がどれだけの勇気と忍耐を必要としたことでしょう。
毎日朝起きて学校へ行く準備をしながら、彼らは何を思っていたのでしょう。その気持ちに思い至る心を持つことができれば、・・・それだけで世の中から人種差別など消えてしまうのではないか。僕はそう思います。そして、学校に行けるということは、なんと素晴らしいことなのか!そのことにも、思い至るのではないかと思います。
今も同じような思いをしながら学校へ通っている子供たちがいるかもしれません。彼らにも、神のご加護があらんことを!