天地成行)暁の超特急と言われた吉岡隆徳を知ってますか、ありかた委員会推進本部
2024/10/22
陸上選手としてWikipedia にも紹介されている、暁の超特急こと吉岡隆徳(たかよし)さん。
ゆかりの神社に出向いて、足と心で稼いだ取材を、天地成行さんが記事にまとめました。
一人弥次喜多道中という趣向で、記録者もいる。あたらしい紀行文の文体の開拓です。
唐突に話は変わりますが、幕末に浄土真宗本願寺派(西本願寺)には、本山の運営を牛耳っていた下間(しもつま)氏など、蓮如上人以来の、一向一揆を戦った武闘集団にルーツをもつ、400人もの武士団がいました。幕末維新のころには、袈裟の色の許可や、学僧の位の授与など、大きな利権をほぼ一手ににぎる勢力になっていました。その武士団の専横をやめさせ、権力を宗主にとりもどし、やがては、末寺にいたるまで運営に参加できるように、寺法を定めて、代議員を選び、議会を設けるという、立憲民主の明治の統治システムのひな型となる一大宗教改革をなしとげ、廃仏毀釈の嵐を止め、ヨーロッパ型の政教分離を樹立するために奔走したのが、島地黙雷、大洲鉄然、赤松連城、香川葆晃などの長州真宗僧たちでした。
島地黙雷のひ孫の代にあたる島地黙霖さんに、盛岡のお寺で伺ったところでは、黙雷は、宗主にいらぬ進言をくりかえす邪魔者をなきものにしようと、いつも刺客に命を狙われていました。だから、常にボディーガードをつけていたということです。
そして、周防大島久賀の大洲鉄然のお寺でまとめた評伝を読んでみると、付け人は2人だったそうです。ひとりは屈強なボディーガード。もうひとりは目立たぬよう離れてついて歩く小柄な人物。この人の役割は、守るべき人とボディーガードの双方が、防戦もむなしく、暗殺されてしまうようなとき、その様子をよく見てから現場を離れ、その最後がどのようであったかを後世の記録に留めるための人であったとか。
まさに、天地成行さんの三位一体珍道中の、本人Aさん、ふんがー! のCさん、そして目立たぬBさんの取り合わせと同じです。
現代も息づく神話的世界へのアドベンチャーや、その途上での不思議な人たちや精霊たちとの出会いの、心あたたまる、ときには背筋がぞっとする点綴に、これからも期待が高まるところです。
天地成行式ありかた委員会(™申請中)実践推進本部 安渓遊地