ある日の授業)わがフィールドワークと人生の挫折の体験を語る
2024/10/05
大学での私の授業は、
毎回の講義の内容は、授業をつまらないとおもって、暗くひとりぼっちの不登校だったわが大学1年生の時代への復讐としてやっているものです。復讐とは、「こんな授業があったら、大学での文化人類学の授業を1回目だけでもう受講しないなんてことはしなかったはずなのに」という意味です。
課題での問いかけは「寝るな、起きよ、立ちあえ!」という、受講生に対する励ましをこめた切りかかりでもあります。
そんな私の、ある日の授業の記録です。オンデマンドの遠隔ばかりだと、グループでのアクティブ・ラーニングがしにくいので、全体のはじめのへんに教室での対面での授業を入れてみました。
以下は、授業の説明とオンデマンド視聴用の動画(51分)です。ライブとちがって、やばいネタや画像はおおむね消してありますが、それでも雰囲気は伝わるはず。
心身の不調に悩む人たちがケアを求めるとき、もうぎりぎりまで頑張っているのに、ケアの「専門家」から上から目線で対応されたら、もうそれだけで心折れますよね。ケアを学ぶ、あなたにとって将来もっとも役にたつのは、患者さんの苦しみをわがこととしてとらえられる、ご自分自身の挫折体験ではないでしょうか。
理学部で学んだわたしが、文化人類学を教えるようになった歩みとその後を、わたしの挫折体験紹介という語り口で話します。
大学に入って、半年(あるいは1年半)がたって、なぜいまこうして学んでいるのか、迷っているかもしれないあなたへの励ましのつもりの自己紹介です。いつでも、手をあげて質問やコメントしてください。
あこがれの大学の1年生は、5月からの不登校。2年生は、卒業単位にならないラテン語に熱中して週2日徹夜。3年生で目標の生物学を学ぼうとするも授業についていけず、同級生に「一番前に座って毎回居眠りは先生に失礼やろ、授業に出てくるな!」と言われ ・・・・・・(ToT)
3年生から4年生には、移動大学というキャンプにのめり込んで、フィールドワークにあこがれ、果ては大学をやめそうになり、大学院に進んで、はじめてのフィールドは、ヤマネコで有名な西表(いりおもて)島。23歳の私は、誰も住んでいない村のあとに送り込まれました。
人の住んでいる村に帰ってきたら、酒席で地元の人に「おまえは墓泥棒」と言われて・・・・・・(💢)
移動大学で出会った彼女と学生結婚し、そのあとアフリカのコンゴ民主の森の村に通い、村で養子にされ・・・・・・(*_*)
就職して大学教員になったら給料が遅配で、ボーナスも研究費もなく、家はくずれそうな廃屋・・・・・・(ToT)
というように、いつのまにか文化人類学を教えるようになった、わたしと妻(看護学校で文化人類学を教えています、今年の春までは大学で生物学も教えていました)の人生の涙・怒・哀を楽しそうに語ります。
フィールドワーク入門と挫折の意味
https://youtu.be/SWOwZ7K08jw
生物文化多様性研究所 安渓遊地