榕樹文化)金関丈夫先生の常識講座:台湾留用日本人の足跡を追って(5)
2023/11/16
『榕樹文化』連載の記事です。もともとは、1947年、台湾で一部だけ作られた、『回覧雑誌』に載ったものです。
以下は、その中の 林馬生 のペンネームで書かれた文章を抜粋します。
Mac のpagesからの貼付けです。引用される場合は、添付のpdfファイルからお願いいたします。
常識講座 鼻と男根 林馬生
『山口源五左[右]衛門がこと。 さる家中に山口源五左衛門と申す、ならびない弓の名人があった。 或る時、朋輩の者共集り、豫て聞き及ぶ貴殿が手並の程を、今日こそは我等が前にて示されよ、と申し入れた。源五左衛門、心得たりと、早速に弓を執って庭に立ち、雁股の矢をつがへて、天上を指してひようと射た。矢は忽ち雲上に騰つて姿を消した。源五左衛門の狙ひに狂ひがなくば、やがてその矢は元のところに下りて来ようず。されど、待てども矢は下りては来なんだ。人々は、さては源五左、仕損じたりなと、はやひそめいてゐた。然るところ、源五左衛門は覚えあり氣に天上を仰いで、元の足場を変へようとはせなんだ。さる程に、やがて件の雁股は雲中より流星の如く現れて、元のところに下りて来た。人々はやんやと騒ぎ立てた。それはよけれども、その勢ひにて、地に落つるとき、雁股は源五左衛門が鼻の先と、勢の頭とを削いで落した。源五左、これはとうろたへ、落ちたるものを拾うて顔と勢にくっつけた。されど、あまりのことに流石の源五左衛門も取り乱したりと見え、鼻の先と勢の頭とをとり違へてくつつけた。爾来、源五左衛門が美女を見れば、鼻先がうごめき出すのは、まだしも我慢もなったが、なにかの折に奥方のかくしどころの、怪しからず匂ふには、神明、我慢がならなんだと申すことでござる。』
右は延寳八年の「咄物語」の上巻に収められた話である。尤もこの本はいま手許にないので、文章は原本通りではない。「咄物語」は博文館の帝國文庫の落語全集に収録されてゐるから、帝國主義時代の良家に育つた方々は大てい御承知のことゝ思ふ。
それに依ると、鼻と男根との間に、形の上の相似のあることを、江戸時代の人々は強く感じてゐたに違ひない。尤もこの程度の知識が、江戸中期の文運を俟つて、甫めて發生したと考へる必要はない。現に台湾の原始民族の中にも、そんな思想の痕跡が見られる。これに就いては、台湾大学のK教授の報告(Dentes vaginae 説話に就いて、台湾医學會雜誌第三十九巻第十一号、昭和十五年十一月)がある。それによると、パイワン族やルカイ族の彫刻には、男の顔面で鼻のあるべきところに、陰茎を刻んだものがあるさうである。
白人種の間にもそんな考へがあると見え、淑女の前で鼻を弄ぶことは、よほどの失禮にあたると云ふのは、やはりそこから来てゐるのであらう。
元来、鼻と男根とは、外形が似てゐるばかりではない。解剖学的に見ると、陰茎には陰茎海綿体と云ふ組織があつて、急激に大量の血液を血管内に充たし得るやうになつてゐる。陰茎の膨張は、これによつて可能になるのである。
ところが、鼻腔壁にもこれと同様の組織をもつた、甲介海綿体と云ふのがある。容易に充血して膨大するところから、鼻腔内の氣道を狹くする。狹いところを一定量の空氣が通過するから、從つて鼻息が荒くなり、或は管楽器の原理に從ひ、鼻を鳴らす、という仕末になる。――これは楽音よりは魅力があると云ふことだ。――フリース(W. Fliess, Die Beziehung[en] zwischen Nase und weiblichen Geschlechtsorgane[n]. Leipzig - Wien, 1897. 3. 3.)は、この鼻甲介海綿体を、鼻の「性的部位(Geschlechtsstellen.)」だと云つてゐる。
ところが、世間では別の観点から、却つて鼻と女性々器との間の関聯を説くものがある。鼻腔の粘膜は口腔粘膜などとは違つて、上皮組織が弱く出来てゐる。そのために出血しやすい。外部から損傷を加へなくても、血壓の上昇によつて自然的に出血することがあり、婦人の中には往々にして毎月規則正しく鼻出血をするものがある。これを「鼻の月經」などゝ云ふところから、鼻の生殖器の一部なりと考へるのである。しかし、それは偶然の一致であって、構造上の根據はない。但し、女性にも陰提[堤]や小陰唇には、陰茎と同様の海綿体があり、膨張もすれば勃起もする。これと鼻の海綿体との一致は、男性の場合と同様である。鼻と女陰との間の関聯を説くならば、寧ろこの点を挙ぐべきであつて、陰提が勃起する時に、女性は鼻を鳴らすのである。
念のために断つておくが、鼻を鳴らしてゐるからと云つて、必ずしも常に下の方が膨らんでゐると考へてはいけない。風邪をひけば、やはり鼻の海綿体は膨らむ。同時に陰部が風邪をひくということは、先ずないとしたものである。
さて、鼻と陰茎との間に、かうした構造上、外形上の類似のあることが判つたとすると、その次に問題になるのは、両者の間の相関々係である。例へば、鼻甲介海綿体のよく發達したものは、陰茎海綿体もまた強く發達してゐるであらうか。これを結果の方から云ひ換へると、鼻息の荒いものは、下部の膨張率もそれに相應して大きいだらうか、と云ふ問題になる。残念ながら、この相関々係に着目したのは、世界の学者の中でも、さきのK教授くらゐのものださうだが、そのK教授もまだ實證的にこれを確かめてゐないと云ふから、今のところは何とも申されない。
それならば、両者の間の外形上の相関はどうだらう。
これを説く前に少し前置きをする必要がある。一たい人間の顔と云ふものは、右の半分と左の半分とでは、かなり形が違つてゐる。正中で顔を縱割りにして、右半分にそれと少しも違はぬ左半分をくつつけて一つの顔を作る。また同様にして左半分だけの顔を作ると、この二つの顔は別人の顔のやうに違ふものである。この事は誰でも知つてゐる。だから寫眞顔を氣にする人は、いつでも自分の氣に入つた方の半面を撮らせようとするものである。
つまり、顔の右半分と左半分とは、生れつき發達が違つてゐるのである。そして、そのことは、右半分と左半分とが、境を接して並んでゐる鼻の形に最もよく現はれる。どちらかの半分が、他の半分よりより強く發達してをれば、鼻は曲る。丁度、二頭立ての馬車の、一方の馬が他方の馬より勢ひが強ければ、馬車の軌道は弱い方へ曲るのと同じである。誰れの鼻も生れつき曲つてゐる。眞っすぐな鼻はない。
しかし、これは鼻だけ、顔だけのの問題ではない。鏡に向かって大口をあいて見給へ。口の奥に上から口蓋帆懸垂と云ふ。赤い こんな形をしたものがぶら下がつてゐる。これが眞つすぐに垂れてゐるものは殆どない。曲つてゐるのが普通だ。博多人形は前半と後ろ半分とがくつついて出来てゐるが、人間は右半分と左半分がくつついて出来てゐる。右と左の両半の發達が異つてをれば、全身、ことに正中部には、至るところ同様の歪曲の現れるのが当然である。世には臍まがりと云ふ人間もあるが、これはどちらへ曲つてゐるか、自分は知らない。しかし、その下の男根を見ると、たしかに曲つてゐる。そして、大ていは、左にまがつてゐるのである。
男根が左にまがつてゐるのは、男根の右半分が左半分よりも強く發達してゐるためであることは、云ふまでもない。二頭立ての馬車の右側の馬が勢いがいゝのである。そしてこのことは、大たいに於いて全身にあて嵌る。鼻も、口蓋帆懸垂も、大ていは左に曲つてゐる。これは、大ていの人間が、生まれつき右利きであることゝ関聯するのであつて、人間のからだは、大たいに右の方が左よりも發育が強いのだ。小さい足袋を穿いたことのある人は、誰もが右足の方で、よけい難澁した経験があるであらう。
ところで一つの例外がある。きんたまは左の方が大きいぞ、と論君は抗議したいだらう。しかし、睾丸そのものは、決して左が大きくはないのだ。それを容れてゐる左の陰嚢が、右に比してよけいに垂れている。それで左の方が大きく見えるのである。左がよけいに垂れてゐると云ふことは、左の陰嚢筋――我々の意志を無視して、昼夜間断なく勝手に行動してゐる――が、右のそれよりも弱いことを表はす。つまり、こゝでも、やはり右の方が發育がいゝのである。
さて、臍やきんたまの問題はぬきにして、鼻と男根の問題に立ち戻ることにしよう。
以上の所説によると、大たいに於いて、鼻が左に曲つてをれば、陰茎も左に曲つてゐる。云ひかへると、鼻の右半分が左半分より大きい場合には、陰茎の右半分も左半分より大きいのが普通である。即ちこれを両者の間の、一つの相関だと云へば云へる。
それならば、いま一歩を進めて、左右の不揃いはあるまゝに、鼻の發達のいゝものは、陰茎の発達もいゝだらうか。手つとり早く云へば、鼻の大きいものは、男根もまた大きいかどうか、という云ふ問題が起るわけである。
さて、こゝに、アクロメガリー(末端肥大症)と云ふ病氣がある。病氣と云ふよりも症狀と云つた方がいゝ。脳下垂体の病氣の結果起る症狀である。脳下垂体に炎症があり、その前葉ホルモンの分泌が異常に盛んになると、この症狀が起るのである。
その症狀を一口に云へば、身体のあらゆる末端が強く發育するのである。例へば、成長期のものにこれが起ると、上下肢は強く發育して身長が高くなり、往々にして巨人を作る――これをマクロゾミーと云ふ――成長期のものでなくとも、手足の指先が強く肥大する。鼻が太くなり、口脣が肥厚する。甚しい場合には、舌が肥大して口中いつぱいになる。同様の変化は勿論男根にも来るのである。
病的でなくて、生まれつき脳下垂体前葉ホルモンの分泌の盛んな者もある。やはり長身、大鼻、厚脣、巨根の人物を作るのである。また、さうした生まれつきは、集團的には、人種性としても現はれる。黒人はその例である。彼らは世界最大の平均身長を有してゐる。鼻は高いとは申されないが、横に廣く、鼻翼の肥厚してゐることは、これも世界随一である。口脣の肥厚してゐることも同様であり、そして男根もまた世界第一に大きいのである。
して見ると、理論上か云つて、大きい鼻と大きい男根との間には、やはり相関が成り立つ。だから、大きい用具を擇ぶ場合には、鼻の大きい――必ずしも高い必要はない――を擇ぶのが賢明である。それに脣厚く、指さきの太いところに眼をつけると間違ひはない、という云ふことになるであらう。
理論的にはさうなるとして、實際的にはどうか。またしてもK教授を煩はすわけだが、教授によると、上下の寸法を計り較べて、個人的の相関を求めた報告は、まだ現れてゐないさうである。しかし、一種の實験から、この相関を確認した人々のあつたことは確かである。一五五〇年に出版されたロディギヌスと云ふ人の書物(Ludovicus Caelius Rhodiginus; Lectiones antiquae, Basel, 1550. Lib 27. Cap. 27. Col. 1058.)に「古人は、立派な鼻は立派なお道具を意味するものと考へてゐた。」とあるから、古くからさう信じられてゐたということが判る。また、一六六九年の「Geneanthropeia」なる書物(J. Benedicti Sinibaldi; Geneanthropeia, Frankfurt, 1669. S. 172)にも、「かく、あらゆる点から見て鼻と外陰部との間に、調和と交感のあることが證せられる。巨大なる鼻は常に陰茎の太さと長さに相應するものである。」と教へてゐる。この書物にはまた、第三世紀の初葉に羅馬に君臨したヘリオガバラルス皇帝が、その左右に鼻の大きい人間ばかりを集めたのは、恐らく催淫作用による一種の回春法のつもりだつたのだらうと云つてゐる(S. 168.)。
しかし、この學説乃至俗信を、最も有名にしたのは、かの悪名高きナポリの女王ヨハンナであらう。この女王は、一三七一年に、ドゥラッツォ家の息女として生れた。父は「小男のカルロ」である。彼女はこのドゥラッツォ家とアンヂュウ家との間の執拗な私闘のため、不幸な一生を送るべき運命を擔つて生れたのであるが、十九歳のときオーストリヤのヰルヘルム土地侯に嫁ぎ、七年目には未亡人となつてナポリに帰つた。兄のラディスラウスの死後、家を襲つてナポリの女王となる。彼女の乱行はこの時から益々激しくなるのである。彼女はヘリオガバラス帝の例に倣つてその左右に鼻の大きい男を蒐めるのであつたが、この蒐集は勿論単なる回春術のためではない。「鼻奴、よくも朕を欺きをつたな。」
と云ふ罵りの言葉が時々不満の一夜を明かした翌朝、それにふさはしい刑罰の宣告に先立つて發せられたと云ふ。解剖學的例外の存在を、彼女は容赦できなかつたのである(Henrici Salmuthi[Salmuth]; Commentarius in Panciroll. “Res memorabiles”. Frankfurt, 1660, S. 177)。して見ると、シラノ[ド・ベルジュラック]以前にも、鼻の悲劇はあつたのだ。
日本にもこの種のトラブルを取扱つた話がある。寛永のころ印行された「昨日は今日の物語」の中の、次の一節は知る人も多いであらう。
『或る人俄に医師を心がけ、医書を集めそろそろ讀みて、合点の行かぬところに、付紙を付ける。女房これを見て、「其の紙はなぜに付けさせらるゝ。」と問へば、男聞きて、「是れは不審紙とて、合点の行かぬ所に付けて、後に師匠に問ふためにつける。それに由りて不審紙と云ふ。」女房聞きて、「中々の事ぢや、おれも不審がある。」とて、紙を少し引き裂きて、唾を付けて男の鼻の先にひたと付くる。「これは何事の不審ぞ。我等が鼻に不審は有るまい。」と云ふ。女房聞きて、其の事ぢや。世上に申ならはし候。男の鼻の大きなるは、必ず彼の物が大きなると云ふが、其方の鼻は大きなれども、彼の奴は小さい。それが不審ぢや。」・・・・・・・・・・・・』
丁一大[大一]の「續志諧(昭和七年)」に収められた「鼻の高い男」と云ふ朝鮮の話は、もつと猛烈だ。
『鼻の高い男。 巨物を好む女があつてね。鼻の高い男を探してゐた。鼻が高いと、あれもでかいと云ふんでね。或る市の日に、大道で往来の男達を見てると、来た来た、滅法に高いやつが。行色は草々としてゐるが、でつぷり肥つた堂々とした男でね。この男をのがしてはてんで、甘い言葉で言寄つた。そして彼氏を見事陥落させ、その晩は山海の珍味を供へて歓待した。ところがさ、夜が更けて、さて○○○[よなべ]を始めて見ると、まるつきり見当がはづれてしまつた。その小さいことつたら、まるで子供のそれのやうでね。馬鹿馬鹿しくて、くやしくつて。足でぽーんと胸倉を蹴とばした。が、あの鼻が恨めしいやね。で、彼女は仰向けに倒れた奴の顔に跨り、己が○○[赤貝]を奴の鼻にぶつ被せて、めちゃめちゃにこすりつけちやつたね。その方が寧ろ優秀で、それで結構放射しちやつたんだね。
彼氏、息がならず、暫く昏倒してゐたが、氣がついて見ると、東の空が白けて来た。大急ぎで衣物をなほし、蒼黄として外へ出た。いまだ人通りはない。そこへ丁度女中風情の娘に出会った。するとその娘が
「もし、重湯はどこで賣つてましたか?」
ときくんだ。彼女は母乳のない赤ん坊に飲ませるため、重湯を買いにでたところだったんだね。彼れ氏
「わしはそんなところ知らんよ。」
と答へた。けれど女中承知せず、彼れ氏の顔を指しながら
「嘘をおつしやつたつて駄目ですよ。重湯を飲んだ跡が、鼻や鬚のあたりにいつぱいついてるぢやありませんか。」』
中国にも恐らくこの種の話があらうと思ふが、自分はまだ見出し得ない。しかし、とにかくこれで見ると、東西軌を一にして、大鼻即巨根の信仰はあつたのである。たゞ、その信仰は如何なる観察から生れ、その観察は如何なる経験の集積によつて成立したのであらうか。自分はそれを考へると、ひとつの教訓に到達せざるを得ない。
「婦人は元来科学的な思考者ではない。しかし、身に切実な問題に関しては、徐々にして科學者と同様の結論に達することもあるのである。」
自分は決して女性を軽蔑しないつもりだ。これに就いて、何処かで見た言葉を思い出した。それは、
「原始氏族に於ける、彼等の獲物の習性に関する知識は、屢々現代に於ける科學的観察を凌駕するものがある。」
と云ふのである。その本には獲物のことをゲームと書いてあつた。
Sinibardi, J. B. “Geneanthropeae” http://name.umdl.umich.edu/A93284.0001.001
丁大一『續志諧』https://dl.ndl.go.jp/pid/1138482/1/62
落語全集 4版 (続帝国文庫 ; 第18編) https://dl.ndl.go.jp/pid/1882669/1/486
榕樹文化79・80 表紙.pdf (7,792KB)