記憶する)フランシーヌ・ルコント 1969年3月30日(日)
2023/10/28
「フランシーヌの場合」を歌いたいという友人のためのメモ
ビアフラという国をご存知ですか?
西アフリカにわずか3年だけあった共和国。
独立戦争にやぶれて
食べものを絶たれ
幼い子どもたちを含む200万人もの人々が
飢えて死にました。
世界が見放したビアフラの悲劇に抗議して
1969年3月30日、日曜日の朝
パリの町で、ひとりの女性が焼身自殺しました。
彼女の名前は
フランシーヌ・ルコント
まだ30歳でした。
朝日新聞
女性が焼身自殺 パリ会談場近く
【パリ三十日発=AFP】
三十日朝、拡大パリ会談の会場から二百メートルほど離れた路上で、三十歳の女性がシンナーをかぶって焼身自殺した。フランシーヌ・ルコントさんというこの女性はベトナム戦争やナイジェリア内戦に心をいため、自殺したときもビアフラの飢餓の切抜きを持っていた。ウ・タント国連事務総長などに訴えの手紙を書いたこともあるといわれるが、家族の話では精神科にかかっていたこともあるという。
(引用終わり)
拡大パリ会談 というのは、アメリカ・南ベトナムと北ベトナム・南ベトナム民族解放戦線の会談で、結果的に1973年のパリ和平協定の成立に結びつきます。
Francine Lecomte BiafraでDuckduckgo検索すると、学生らしい写真(1965−69の間に撮られた)がヒットします。焼身自殺した本人かどうかの説明はないのですが、掲載しておきます。
出典は以下です。 https://www.nostalgie.vinalmont.be/nostalgie/francine-lecomte
朝日新聞で、この小さい記事を見た いまいずみあきらが作詞し、夫の郷伍郎が作曲して、新谷のり子が歌って、1969年6月にレコードがリリースされ、80万枚が売れた。
フランシーヌの場合」全歌詞
1番 フランシーヌの場合は
あまりにもおばかさん
フランシーヌの場合は
あまりにもさびしい
三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ
フランシーヌ
2番 ホントのことを言ったら
オリコウになれない
ホントのことを言ったら
あまりにも悲しい
三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ
フランシーヌ
(セリフと安渓遊地の和訳)
Francine ne nous reviens plus.
フランシーヌは もう私達のところにもどってこない
Pauvre carrière l'enfant perdu.
かわいそうな人生、迷い子
Francine s'est abandonnée
フランシーヌは 身を捨てて
À la couleur de fraternité
兄弟姉妹への愛の色にささげた
Au petit matin du 30 mars.
3月30日の朝はやく
C'est dimanche.
日曜日のこと
Une vie s'enflamme pour son éternité
ひとつのいのちが永遠のために燃える
À Paris, Francine
パリで フランシーヌよ
3番 ひとりぼっちの世界に
残された言葉が
ひとりぼっちの世界に
いつまでもささやく
三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ
フランシーヌ
4番 フランシーヌの場合は
私にもわかるわ
フランシーヌの場合は
あまりにもさびしい
三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ
フランシーヌ
フランシーヌ
フランシーヌ