フィールドノート)西表島で田んぼ掘りの日々 1977年7月
2023/10/23
泥パックの日々「結局泥の中では、素手裸足が一番有効のようだ」アッタググ(荒れ田の鶏=安渓遊地のあだ名)の西表島日記 1977年7月11日
稲作の勉強のために、田んぼの土壌断面を観察しようと、深さ1メートルまで掘り下げることを目標にしました。耕している持ち主の許可をもらって、収穫の終わった田んぼにでかける日々。(今のうちの田に穴を開けたいという人がきても、水持ちが悪くなるのでうちは許さないが、当時の西表の方々は寛大に許してくれました)
干立から浦内川に向かう道の右側のミナピシ水田地帯の一部のク’モッタは、「ク’モリ(池)の田」という名前の通り、水が引かないので、泥田に穴を開けるというのは難行でした。水牛のように体を半分泥中に埋めて、ジャムパンをかじって昼寝。
この日、天候は曇。毎晩、石垣金星さんとのユンタク(世間話)。この日は午前3時ころ寝て、8時15分に起きています。1983年に子どもができて、いっしょに行くようになると、起床が7時ころとなり、毎日の睡眠時間がが3〜4時間となって、我山荘での居候も、がぜんつらくなります。
お勉強の結果は、以下に載ってます。『西表島の農耕文化』(2007,法政大学出版局)。手のひらほどの図1枚のために延べ7日ほど奮闘。ク’モッタは、分解してない樹皮がたまった層があり、おそらくマングローブを拓いて水田を造った歴史を語っているのだろうと考えました。
次のページ、人名をカタカナにして引用。()は補足。
1977/7/12 (干立の我山荘にて)
今日も土掘りに行くとするか、これで終わりにしよう、と思っていると、10°すぎ セージローさん来る。「(祖納の)ヨーホーさんのところへ乗せていけ」と口をもぐもぐさせている。
(金星さんのバイクで)ソナイへ行く。ヨーホーさん、家にいない。ソンユーさんのところに行く。2人で浜であみを上げている。不漁のようだ。
ソンユーさん「レイゾーコのボラ、さしみ切れ」
セージローさんが切ることになって、遊地は、魚の図鑑(東海大学出版会)とりに(干立へバイクで)走る。
1.ついでに(我山荘のレイゾーコから)ビール3本持ってくる。
2.(干立の売店の)イラベーに泡盛かいにくる。
疲れ直しに一杯やる会に参加。
ソンユー → ゼンセー → ヨーホー セイジロー → これは、(魚捕りの網組の)クロシマグミの歩みらしい。
遊地、ソンユーさんとセイジローさんから 図鑑をみながら魚の名前の聞き取りをする。
(祖納と干立でかなり魚の名前が違う)
(昼頃には解散で、干立に戻る)
アルネーをのぞく、めしどき。
(昼飯のあと)
マシケの苗代を見に行く。苗が3センチぐらいのびてる。水いれてある。苗のサンプルとる。