アフリカで病気になる)ニジェール川の水で洗った新鮮なサラダ_RT_@tiniasobu
2022/11/10
写真を付け加えました。ガボンのホテルですが、これは2013年です。
一九八六年、西アフリカの内陸国マリ共和国。 私は、首都から一〇〇○キロ離れたガオの街にいた。
ニジェール川の漁民のフィールドワークをするつもりだったのだ。ところが、ホテルの食事がどれもまずいのである。
街をうろついているうちに、小さなフランス料理店を見つけた。おいしそうなメニューがかかげてある。ドアを叩いてみると、実直そうな老人が現れた。
「パリのお屋敷でコックを三七年つとめたから、できない料理はないんですが、 お客がいないのです」という。
よろこびいさんで食事を予約して翌日訪ねた。
ホテルの食事とは大違いで、アントレにサラダ、スープにメインディッシュと、どれもすばらしくおいしかった。最後に出てきたデザートは、電気がない家なのに、つめたく冷やしたプリンであった。大変に満足した私は、お金を払ってその家を出る時に、台所のドアが開いているところからのぞき込んで、ぎょっとした。
茶色く濁った水が入ったバケツに、野菜のくずが浮いていたのだ。すると、さっきのサラダは?
それから一〇日ほどして、私は高熱と全身のだるさで起き上がれなくなった。
マラリアを疑ったが、たまたま同宿だった日本人Nさんの配慮で、「国境なき医師団」のスタッフがホテルに来てくれて、「A型肝炎。ありふれた病気です。
薬はないからビタミンCでも飲んでください」という診断だった。
ようやく起きられるようになったが、体力的にバスや船の旅には耐えられそうもないから、軍用機に便乗させてもらえるように役場に頼みにいった。
ロシア人のパイロットのツポレフに乗って首都のバマコについた。
フランス大使館づけの医師であるフランス人の友人に会いにいったら、「まあ、あなたの病気より、あの飛行機の方がよっぽど死亡率は高いのよ。パイロットが酔っ払って操縦しているから」と言われた。
こうして私は、「現地では、みんなの食べるものを食べ、 みんなの乗るものに乗ろう」という貴重な教訓を得たのだった。
これに、「みんなのかかる現地のお医者さんに診てもらおう」を付け加えてもよい。
「流行性清潔病」のはびこる日本では、熱帯地域ではありふれた――例えばマラリアのような――病気を医者が知らず、薬も手に入らないことが多いために落とさなくてもいい命をなくすことがあるからである(安渓・澤田、一九九五)。感染症の基礎知識を身につけ、潜伏期間を頭に入れて時間的にゆとりのある旅を心がけよう。
(安渓遊地)
大学生向けのフィールドワーク入門の教科書『キャンパスを飛び出そう――フィールドワークの海へ漕ぎ出すあなたへ』(2012年 みずのわ出版)48-49頁の「コラム
03」として執筆したものです。
引用文献は、http://ankei.jp/yuji/?n=2621を参照してください。
おまけ
Q:これまで経験したもっとも変な仕事は何?
A:知らない言語で書かれた神の救いの本を、マラリア脳症から自殺しようとする若者に読み聞かせ。(息子が入院したガボンの病院の病室でタガログ語の聖書物語を朗読)
2000年に、ガボン共和国を訪ねたとき、ケニアの大使館付きの医者の勧めを思い出して、繊維に殺虫剤の練り込んである蚊帳というのをひとつ持っていって、村に住みました。
息子の体を心配して、その蚊帳を息子用にしたのですが、殺虫剤のために、目が充血し、睡眠不足になり、下痢と熱の症状が出てきました。
あわてて40キロほど離れた町にもどり、病院に行ってみたら、建物はりっぱでしたが、網戸がやぶれ、トイレがつまったような状態で、とても入院させられる場所ではないと思い、首都へもどることにしました。その田舎町の病院では、国際援助で、薬はたくさん届いていました。ところが、検査できる体制がないのです。その結果、細菌用の抗生物質、寄生虫用の駆虫剤、アメーバ赤痢の薬、マラリア原虫を殺す薬などをくれるのです。一度に呑んだら、副作用でどうにかなってしまいそうです。
幸い同じホテルの隣の部屋が、その病院のエジプト人のお医者様の部屋で、注射(吐き気止め)をしてもらうことができました。
首都の市立病院に入院をさせてもらったのですが、病室がなくて、アジア人どうしということで、フィリピンの若い船員さんと同室になりました。
ところが、翌日訪ねてみたら、息子は調子がよくなるどころか、どっと疲れたようで、驚いてどうしたのかと尋ねたら、
「フィリピンの若者が、ベルトで自分の首を締めたりして、自殺しようとするんで、一晩中寝ないで見張ってた」というのです。
これは大変。
手術室でもいいので、別の部屋にしてください、とお願いしました。「アジア人ならがまんできるかとおもったけど、やっぱりだめですか」という返事。
転室を準備してもらう間に、その若者が持っていた小さな本を見ると、挿絵から、どうも聖書物語のようでした。
おそらくタガログ語で、まったくわからない言語ですけれど、心を落ち着けるにはいいかもしれない、とおもって、適当に開いた章を、読み聞かせました。
意味のわからない、文章をあんなに一生懸命朗読したのは、はじめての経験でした。