島遺産を掘る)与論島の喜山康三さんの随筆から RT_@tiniasobu
2021/12/06
2021年12月6日 目次にたくさん文字化けがありましたので、修正しました。
山口県立大学で同僚だった岩下明裕さんが引き合わせてくれた、与論島の喜山康三さん。『無学日記』というすばらしい手記を掘り起こして、出版するなど、多方面の活躍をされていて、現在は、与論町の議員をしておられます。
喜山さんから送られてきた随筆がすばらしいので、お許しを得て、シェアさせていただきます。以下は、はじめの挨拶文で、新聞連載の記事の目次をかねています。
以下は引用です。文字化けがあるかもしれません。添付のpdfがオリジナルですので、そちらでご確認くださいませ。
2020年6月
各位
毎日、お疲れ様です。『南海日日新聞』文化欄・リレーエッセー「つむぎ随筆21」
に2018年7月から2020年4月までの20回、下記タイトルで寄稿しました。 読んでいただけたら嬉しいです。
1回・郵便二郎はサバ二とともに
2回・夕映えの特攻花
3回・与論島の古謡 古事記と「ゆんぬ」
4回・「ゆんぬ島」が生まれた話
5回・漢字の「左」と与論方言の「ナー」
6回・この世も、あの世も「極楽」
7回・ことば検定とウンワラビ(海童)
8回・漁師 (ヰンジャン チュ)と赤猫(アーミャー)
9回・トートゥバナ
10回・自然の奇跡、百合ヶ浜
11回・ヨーグルトと米軍機墜落事故
12回・船魂に召されニライカナイへ(葬法と航海)
13回・法の下の不公平・島ちゃび
14回・カタカナの手紙
15回・初恋
16回・ヤー普請で学んだ先人の知恵
17回・徴兵と聾
18回・銃弾に倒れた孫娘
19回・思い出転がる茶花通り
20回・与論島探検の旅はつづく
今まで先輩や友人の方々から収集したいろいろな話やいわれ、地名や姓、土地所有や縁戚関係などを調べていました。すると、一部ですがそこには一つの規則性や
宗教的な結びつきが窺われます。1778 年、アギタの大津波で与論島の90%近くが襲われた後に新たな統治が行われ、その時に現在の 3
校区(与論・那間・茶花)の基礎ができたと思われます。これが事実との確証はありませんが、先に述べた先輩方の話や、言い伝えを一つにまとめると与論島が歩んだ昔がダイナミックに蘇ってくる気がします。先輩方の聞き伝えられた話をできるだけ早く、沢山記録したいのが私の望むことです。突然話を伺いにお邪魔します。その節はよろしくお願いします。
ご意見等お寄せいただけたらなお嬉しいです。ありがとうございます。
与論町茶花(品覇) 2886番地3
喜山康三
メール: iyoron◎yahoo.co.jp (◎を@にして送信)
引用終わり。
引用者は、
生物文化多様性研究所・安渓遊地 でした。