短編小説)『ベリーベリーナイス』 #天地成行 #みんつど編集部 #電子書籍_RT_@tiniasobu
2021/10/28
空を見上げると星がある
見えない時にもきっとある
つれだって見える星もある
オリオンの三ツ星
実際には遠く離れていても
いまこの星からはやっぱり三ツ星
生まれて輝いてやがて光を失って
ときには超新星になって飛び散って
それでもなくなることはない星たち
いろいろな奇跡が重なって
この星の今に生まれともに暮らし
響きあって別れていく私たち
この『みんつど』連載の小説は
宇宙の運行の名をもつ
天地成行さんが
ずっこけ三人組の那須正幹さんの
最後の指導を受けた書き手のひとりとして
書いたものがたりです
三人の若者のさまざまな人生が
めぐりめぐって
小さな島でふたたび出会うようです
このものがたりの続きはみんなで耕していきましょう
あんけい・ゆうじ@天地成行ファンクラブ
(装丁・なんちゃって電子書籍化担当)
以下からepub方式の電子書籍としてもお読みいただけます。初めて作ってみたのでどうだかわかりませんが。
文字化けして表紙しか見えないときは、パソコンでいったんダウンロードして読んでみてください。
https://www.dropbox.com/s/h5qu2czxcykk6wu/Veryverynice.epub?dl=0
装丁は、https://www.canva.com/ の無料サービスを利用
電子書籍化は、MacBookProに入っている pages の機能のひとつです。
小説・ベリーベリーナイス 天地成行
「タリラリライラーン、タタンタンタンタンタター おいらのムラには~嫁が来ねえ~」
瀬戸内海に面した山口県立周防高校。英会話クラブの放課後の部室。三人しかいない視聴覚室で身長が180センチで髪を七三分けにしたトオルのギターに合わせて、中肉中背で、小さいがしかし芯があるような声のタカシと160センチの小柄ながら黒く日焼けした大声を出すアユムが歌いだす。「来ねえ~」と二人の歌った後にフォローするように、トオルは二人のハモリの後に気を利かせて歌う。最後は盛り上がって、
「俺らのムラはあ~、末永くぅ~、安泰なのじゃあ~!」ユニゾンで締める。
三人は同級生。決して平成初期の年代の流行歌ではなかったが、ファンのみぞ知る過疎に悩むムラの話をつづったその歌を歌い続ける。
英会話クラブと言っても顧問のマサキ先生もやる気はないらしく、部員もこのメンバーがそろうだけましといった案配。ほぼ毎日自主練状態だった。そんな感じであるため、この三人組はいつも謎の活動をしていた。今は、歌を通して過疎を救いたいという「研究」であった。
「無人市ってなしだよな。人を信頼しすぎよ。金入れなかったり箱とられたらどうすんのよ。活性化には、農家が集まって簡易なスーパーやるべきよ」
「まずは土地の集積で大規模化しての農業の活性化が先決さ。欧米に負けすぎ。これじゃあ若い人は農業しない」
「外国から花嫁もらっていたら日本人はいなくなるよ」
……言いっぱなしの発表会がひとしきり続く。思い思いの意見である。
研究とはいっても、三人でああだこうだ言うだけの机上の空論ばかりで、なかなか解決策には至らない。何となくそんな訳でトオルのギターが始まって歌を三人で歌って締めるという毎度の案配だ。
「ところでトオルはいいよな。ギターがうまくて。俺にも教えてくれよ」アユムがニヤニヤしながら両手をあわせてトオルにお願いポーズをとる。
「これは、アユムのような手先がぶきっちょな奴には難しいと思うよ。見てみろ。この人差し指をこうやってからのエフコードなんてできるかい? 繊細なタカシには似合うかもだけどね」トオルはタカシを見やる。
「そんなことより僕らもう三年生だろ? それぞれ進路があるだろうけど、いつか過疎のムラにみんなで集まって日本でも珍しい事例を作ってみないか?」タカシが考えついた途方もないことを口にした。
「そうだな。俺は家が医者だから医学部志望で将来は家の形成外科継がなきゃけどやってみたい。アユムは数学と物理が得意で空間把握能力があるから設計とかかな工学部か。そんで、タカシは何だ?」トオルが言い、「そうよ。んでタカシは?」とアユムもオウム返しで聞きたがっている。
「僕はずっと子どもの頃から静かな環境が好きだから都会は好きじゃあない。だから過疎問題には興味あるし、農学部かな?」
「よっしゃ~。みんな四〇歳か五〇歳くらいで独身ならという前提でここに誓おうぜ!」アユムが弾んで叫び、エアギターで「ジャーン」と指で空気をかきならす。
三人は少し広い部屋の小さな一角で約束して帰宅することにした。その前にトオルが、
「俺たちこれからしばらくそれぞれの道だ。だけど辛くなったり寂しかったら空をみようよ。そうしたら俺たちつながっているからさ」
「なに言っちょるん? あほか」アユムが揶揄する。
そうかもな、トオルの言う事にタカシは感じた。三人は別れた。
ジェットコースターのように待ち構える人生が三人を待ち構えていた平成五年の春のことだった。
翌年春の卒業式の後。
「タカシ先輩はなんでそんな山の中の大学に行くの?」タカシのガールフレンドの二年生のなおみが、瀬戸内海が一望できる丘の公園のベンチで夕焼けを見ながら不満そうにつぶやく。タカシは、山口県と島根県の県境の中国山地の山の中にある「過疎研究大学地域振興学部」に進学が決まっていた。なおみは、それをとことん不思議に思っていた。なぜなら、この高校、いや地域自体の高校がみんな東京や大阪などの都会を目指し勉強しているからだ。なおみも自分は京都の外国語大学を狙っていた。それだけにタカシの考えが理解不能というわけである。
「まあ、人それぞれだから。僕が決めた道はこれなんだよ」
「なんか先輩ダッサー。関係続けようかと思ったけど……無理ね。じゃあそのド田舎で頑張ってください。サヨナラ」
ダッサー。ダッサー。ダッサー……リフレインがする。なおみはベンチを立って、階段を走って下りて行った。タカシは、それを見送るしかなかった。なおみとタカシは一度だけ、キスをしそうな雰囲気になった。なおみが人がいないことを見てからタカシの方に目を閉じて近づいてきたことがある。しかし、タカシはなおみの額の大きさに一言、「なおみちゃん、額大きいね」と言ってしまい「何よもうプンプン」とつむじをまげられパーになる。プラトニックな関係だった。恋愛奥手なタカシはこれ以上複雑な気持ちになりたくなくて、これでケリがついた、と大学へ入学するため故郷を離れることにした。
平成六年四月。タカシは念願の過疎研究大学に入学する。中国山地の山あいの拾捨村にある大学は、標高もありこの時期まだ寒く感じた。瀬戸内側とは体感温度がかなり違う。そういうことも住んでみて一週間で体に染みた。四月半ばもコタツは必要だ。
最初の老いた乗川教授の過疎概論講座で度肝を抜かれた。
「猿が集落で、野良に出た農家の家に上がり込んで、こたつに入ったり、冷蔵庫を開けて食料を漁り、めちゃめちゃにして集落が消滅したところも県内ではあります」
しかしこんな授業をタカシは欲していた。リアルな農村の話。
サークル活動は、農村福祉研究会に所属した。部長の生瀬さんがおもしろい人で即決した。
「例えばね、山口や島根のこの地域の山あいだけでも、寝転がって痛そうなふりをして救急車を呼んでみて何分かかるか調べてデータを取って、都市部との違いを測る。そこにおよそ数十分も差があると思うんだよ。そういうことを調べるとか、消防の人には悪いけれど興味あると思わない? そのまま卒論にも使えるかもよ。アッハッハ」
しかし、入部してみると案外真面目なサークルで、福祉を必要としている高齢者に元気で暮らしているか見回り活動をしたり、代わりに買い物代行をしたり地道な活動をしていて感心した。
「農村に福祉か。ピッタリくるなあ。僕のイメージと違った」タカシが独り言を言うと、同級生の野沢多喜子さんが話しかけてきた。
「タカシ君って呼んでいい? 私固いのだめだで、たきって呼んで。よろしくね」
素朴な「たきちゃん」は、なおみと違い麦わら帽子が似合うカントリーガールだった。
「雪が降るとこの辺すごいから、冬は雪かき手伝ったりもするのよ」たきちゃんは、その地域のことをよく知っている地元の娘である。一回生とは言え既に先輩チックである。
平成十二年春。東京・銀座のとある雑居ビル。
「おーい坊や。この記事スクラップお願い」
「わかりましたあ!」
タカシは、山の青年ではなく小さなPR会社でアルバイトとして採用された。
東京駅に初めて降り立って、歩き出すと、香水の匂いがした。東京は洗練された匂いに包まれていた都会だった。
タカシは、過疎研究大学を卒業後にさらに研究を進めようと大学院に合格していた。しかし、サークルのたきちゃんに同じ集落で滞在していた時に軒先で二人きりになり良い雰囲気だと思い込んでつい告白してしまい、「何いうん? 私好きな人おるのよ」とこっぴどく恥ずかしい思いをして、四年の片思いの代償も大きく、居られなくなってしまい、思い切り遠くに逃げようと高速バスを乗って東京にたどり着いた。人生で一番衝動的に行動したタカシだった。まだ親にも知らせていない。それほど恋していた。しかも、たきちゃんの好きだった男性は、タカシが最も苦手とする若手助手の高木先生だった。
タカシは、浅草の築三十五年の1Kのアパートに身を寄せた。保証人には親戚の五男おじさんにこっそり頼んだ。とにかく稼がねばならないと財布を睨んでからコンビニへ行き、アルバイト求人雑誌を買う。時給が高くて拘束時間長めの求人を探って、銀座のPR会社「Kプラン」に応募した。一日八時間で時給千円の休憩一時間で日給七千円だから一カ月二十日も出れば交通費込みで十五万円ほど。バブルは崩壊したが、東京はすごいと思った。田舎の公務員の初任給くらいだろうなあと思った。
しかし、労働は農業と違う意味できつい。まず通勤電車の人混み。そして、会社に着くと朝から企業から委託されたPRしたいイチ押し新商品の新聞や雑誌の切り抜き作業。記者が教えてくれれば助かるがそういう訳でもなく、こちらから記事配信しているのを使う新聞もあるので数々の媒体に目を通さねばならない時がある。そして午後は、先輩に付いてプレス向けリリース記事の作成をする。テレビ。ラジオ・新聞などのメディア向けに新商品の記事をPRする文章を書く。企業から委託されるのだ。
こんなことをバイトにさせるか? と疑心暗鬼になったが、弱小たる故のこき使いである。企業から社員がどんどん案件をとってくるので、なかなか終わらない作業で、先輩も「もうすぐしたら俺やめっから、すぐ覚えて」とせっつく。
「これから毎日こんな環境で僕はやっていけるだろうか?」煮込み屋でハイボールを飲みながら疲れた体を癒す。浅草は唯一東京で安心できるマチだ。
タカシは、春のぬるい朝の空気を体に沁み込ませながら、隅田川を言問橋から吾妻橋の方向に向かって、墨田区側を歩く。ホームレスが川に向かって電動髭剃器で気持ちよさそうに顎や顔の毛を剃っている。今朝は出勤までにどこまで散歩できるだろうかと思案しながら、とりあえず元気よく歩く。結局、新大橋まで下ってきた。都営新宿線・森下駅から馬喰横山駅で下車。都営浅草線・東日本橋駅へと歩き、東銀座駅へ。それから東銀座にある会社に出勤した。
「しぶせん芸能」。芸能や文化のB級雑誌である。渋谷センター街の略のようだなと笑ったタカシだが、食うために正社員の道にたどり着いた。売れていない、これからという若い・中堅の俳優やタレントの取材を主に行うしぶい会社だ。
タイムカードを押す。ちーす、とすれ違う先輩や後輩に声をかけられたりかけたりし、自販機でブラックコーヒーを二本買い文化部のデスクに向かう。昨日のインタビュー記事の小ゲラや、アイドルや役者の宣材写真とプロフィルが閉じてあるファイルや他誌の気になる記事が無造作にある。相変わらず汚いデスクだな、と早速に元口次長にチクリと言われる。てへへ、すいません、とタカシは作り笑いでごまかす。これが最近の出勤の日課である。
タカシは、デスクに置いてあった三枚の葉書に目をやり、手に取って、そこに書いてある映画の試写案内に応じる事にして会社から早速取材を兼ねて出かけることにした。
「今日は映画をはしごしてきます」
「おう。いい役者見つけろよな」元口次長とのやり取りはあまり好まないタカシだ。缶コーヒーを人質にし、さっさとその場を去る。B級ホラー映画とアイドル主演の学園もの、時代劇と一日かけて三本を京橋と有楽町の試写室で立て続けに観た。それぞれの映画をまず二十行くらいにまとめるようメモを取っておいたタカシは、ついでに学園ものの売り出し中の十七歳のアイドルを今度アポをとって取材でもしようと決めて、「直帰します」と社に電話して、そそくさと新宿へ向かった。
「タカシー、遅いよ~。飲んでるぞー」
新宿の指定された居酒屋で「姫」が待っていた。あらかたビールで出来上がっていた。姫とは地元の高校でそう呼ばれていた同級生の純子である。あまり口を聞かず距離を取っていたが、彼女は誰にもなれなれしい。そしてマウントを取る上から目線。同窓会名簿で勤務先を見つけ職場に電話してくる強者だ。県庁で広報をしている彼女は、研修で東京にやってきていた。久し振りの再会だ。
話は懐かしい話から始まり、現在の状況などについてしばし盛り上がった。純子姫は酔ってから、大学時代のロンドンへの留学時代の話を引き合いにタカシたち三人グループの話を切り出した。
「まあ、高校の文化系クラブの中では英会話クラブはなかなかイケメンたちだったって噂あったのよ。タカシはさ、無難だけど、昔から女にはだめよね。遊ぶならアユムで、結婚するならトオル。あんたはなんにも引っかからんね、って女子は言ってた。せめて『GSOH』くらいないと彼女できんよ」と酔った純子。
「何だよ『GSOH』って」タカシは訳がわからない。
「グッドセンスオブユーモアの略。大学三年の夏休みにロンドンの語学学校で学んだわ。タブロイド紙の恋人募集欄に女の子が男の子の条件としてよく書いてあるのよ。相手の好みを短く三行広告で伝える時に使う言葉よ」
「へえ、おもしろいね」
「感心してる場合じゃあないの! まったくもう〇△◇」
「だいぶ酔ってるな。もうこんな時間だ。ホテルはモアステイ赤坂だっけ。送るよ」
「◇△×…そういうところはなかなか紳士でよろしい。タクシー呼びなさーい」純子はタクシーでぐっすり寝てしまった。
「あんたはもう〇×△◇……」寝るまでそんな感じで責められてやれやれ疲れた、と思ったタカシは、おんぶして部屋まで送って浅草に帰った。
昔の夢を見た。「タカシちゃんはもううちの子じゃあなくなるのよ。山口県のおうちに行くのよ」実母の声を思い出す。
タカシがおとなしいのは養子というところも関係しているのかもな、と二十代も後半になって感じ始めていた。五歳の時に三人兄弟の末っ子として神戸の高倉家に生まれた。一月二十九日のことだった。狭い団地住まいに五人は多く、ちょうと子どもに恵まれなかった山口県の親戚の今の家に養子として出されることが決まった。そしてそれ以降、なんとなくおとなしく育つことになる。高校でアユムとトオルに出会うまでは特に活発ではなかった。
タカシは翌日、映画のゼロ号試写を都内某所の撮影所内で観ていた。芸能プロダクションの社長に気に入られていて、所属のベテラン演技派女優が主演したことで特別に招待された。いつもは人気があまりない俳優を取材することが多いが、そういう事を積み重ねていると関係者も、ともにタレントを育てる同志のような感覚を持ってもらえることを、タカシはなんとなく社長の言葉から感じていた。
そういえば以前の取材でもタカシはいろいろ気遣いしたかなと思いだした。
「左からのアングルはまずいっす!」アイドルの富沢泰樹は取材中、声を荒げて主張した。どうやら、カメラで撮ると本人のコンプレックスのほくろがあり、右側から撮影するようにしてほしいということだった。それほど売れている役者ではないが、そういう時は誌面のレイアウトが決まっていても本人の主張を通してあげるのがタカシ流で、次長からは甘いとよく罵声を浴びせられていた。
毎日が慌ただしい。隅田川の散歩も最近はできなく体がなまってきていた。
「これ特別に取材しといて。ぜひ頼むよ」高中部長がなんだか申し訳なさそうに資料を手渡してきた。シャンソン歌手の「水沢トキコ」。知らない名前だった。
「シャンソン? うちの媒体に合いますかねえ? 少し高尚なイメージありますが。うちは庶民派雑誌ですよ」タカシは珍しく意見をした。部長は「いやそれはね。ああ」とあたふたとしたが、なんとか引き受ける事にした。
「そんでさあ、キミ聞いてる? A夫ってレコ大歌手はオレが発掘したわけ。あいつのビブラートに目をつけたわけよ……そんで、紅白に出たB子は……。キミ、聞いてんの?」
べらべらうるさいやつだ。トキコの所属事務所の白井社長は以前、独立する前に大手のレコード会社で敏腕プロデューサーとして活躍していて、多くの歌謡曲のヒットを飛ばしていたことを喫茶店のBGMをかき消すように喋り倒した。横で水沢トキコが赤面していた。
仕事は何となく過ぎ、一年もあっという間に年末だ。女性関係も適度にいろいろあるものだ。手痛いこの年のクリスマスがやってきた。最近英会話教室で知り合って、少し良い仲になった繊維会社の役員秘書のゆうさんだ。渋谷で二十四日の会社帰りに食事を、という事でイタリアンレストランを予約した。
「私、今年で三十なの。タカシくんは二十八よね。私そろそろ結婚したいのよ」どきっとするようなことを二次会のスタンディングバーでスコッチを飲みながら髪をかきあげた。なんだかタカシは今、試されているのではないかとためらった。そういうしているうちに山手線の終電は過ぎてしまった。タカシは意気地がなかった。
「今日は帰ろう」タカシは、いい加減で酔ったゆうさんをタクシーに乗せて「練馬までこれで」と運転手に一万円を渡した。ゆうさんは何か言いたげな顔をしていた。そして別のタクシーでタカシも浅草まで帰ることにした。
「お客さん、イブですねえ。おひとりでこんな時間まで飲んでたんですか?」運転手が聞いてきた。
「いえ、ちょっと妙齢の女性と飲んでいましたが」
「えー、でもおひとりですね」
「はい、練馬までタクシーで帰しました。終電終わっていたんで」
運転手がえーっと驚いて車体がズッコケた。
「こっちはイブの深夜にしけた面して小銭稼いでる身分ですが、一言叱ってもよござんすか?」
「えっ、なんですか?」
「いけねえ。それは、いけねえよ旦那。どんな気持ちで終電終わるまで彼女さんは飲んでいたと思いますか? タクシー呼べばいいんですか? 家に帰ればいいんですか? いい歳した女性が。それなりの覚悟で数日前から準備していたわけですよ。彼女に恥かかせたなあ」運転手に道中説教された。据え膳食わぬは男の恥らしい。今日はイブだった。運転手の言う通り、ゆうさんとはそれっきりになった。
年明け出社して二週間経った。イブの出来事を少し引きずっていたタカシに一本電話がかかってきた。
「ああ、タカシちゃん。お世話になってまーす。成増です。ちょっと相談あるんだけど時間とれるかな?」映画助監督兼プロデューサーの成増さんだった。
東銀座の喫茶店「プロンタール」で成増さんはコーヒーに砂糖をダボダボ入れながら苦境を切り出した。
「この映画の売り込み方間違えてるかな? 回収できないんだよ」制作費が大幅にかさんだ作品のことでの相談であった。彼はもともと制作畑で来たが、監督から今後の事も睨んでプロデューサーも兼務するというハードすぎる役を担っててんてこ舞いの様子だった。自然を舞台に巻き起こるヒューマンストーリーを描いた作品づくりは、想定外の二年の月日を費やして当初予算の倍になってしまったという。それで通常上映分では賄えなくなった。シネコンでは相手にしてもらえないため苦悩に落ちていた。
「そうすね。ビデオ販売とか、グッズ制作とか、地方の公民館でやるとか、長い目で見たらどうでしょうか?」適当に知ったふうなことを言ってみる。タカシはその道のプロという訳ではないが、相談されやすいタイプである。どれほど効果があったが、肩を落としとぼとぼ歩いて去っていく成増さんを見て、心配になりながら、タカシは社に戻る。
会社の経理の恵子先輩から誘われてお見合いパーティーというものに参加したのは春のことだった。
「ねっ、タカシ君。先輩の私のいう事をききなさい」
「まあまあ次回にでも気が向いたらよろしくです」
「次回までに地球が滅亡したらどうすんのよ。今行かなきゃダメなの。行くわよ。ゲットすんのよ、お互い」
「いやっす」
「じゃあ、今月の都内交通費精算しないので、じゃあ」
「わ、わかりました。ヒドイ先輩だな」
「あっはは。わかればよろしい」
銀座のホテルで行うというから、慌ててブランドのジャケットとシャツを十万円かけて買い込む。当日会場に着くと、男女四十人ほど集まっていた。第三希望まで書くように最終的にはなるから、と説明を受けていたのでじっくりいこう、と思って臨んだ。
タレントのような司会者が説明をあらためてしてから、工場の作業のように男がぐるぐると女性の周りを周り一人一分自己紹介して第一印象、そしてフリータイムを挟んで二時間ほどがあっという間に終わって結果発表となる。
「はーい。今回は三組成立。拍手~。次回は六本木でやります。みなさんよろしく」司会者は無性に弾んでいた。
タカシも、恵子先輩もカップル成立にならずに終わった。反省会でもしようかと恵子先輩を見てみたら、成立したカップルに話しかけていて、なんだかよくわからないがそのカップルを強引に連れてきて、一緒に飲もうということになった。有楽町の個室居酒屋に入り飲み会をスタートさせた。しかし変なことにこの成立したカップルがよそよそしい。恵子先輩は「あんたたち、本当に成立したカップルなのお?」と追及する。
「あはは、そう見えますかねえ」男性は引っ込み思案であった。女性もなんとなく居心地が悪そうだった。変な飲み会はほどなく終わった。十万円のジャケットとシャツは着る事なくサイズが翌年には小さくなっていった。
二十一世紀に入った。ノストラダムスの大予言なんやねん! 毎日変わらんやんけ!??。アユムは、阪神巨人戦のラジオ中継を聴きながら独りごちた。阪神の不振に苛立つアユム。
大阪。西中島南方の屋台。地下鉄御堂筋線のこの駅の出口に場違いにある屋台だ。この辺は車の往来が激しくてなんだか環境が悪い。そこにこの一軒の屋台がなぜかある。
「アユムくん、焼酎おかわりね~。それとしめの『しそわかめおむすび』」常連の一人がご機嫌にオーダーする。
「あいよ~焼酎にしそわかめ。まいど~」それに陽気にこたえるアユム。手際よく焼酎をコップに入れる。そして、山口県では有名な海産加工品「しそわかめ」をまぶしたおむすびがこの店では人気だ。おむすびはテイクアウトして行く客も多い。
「悪いねえ。若いのに感心や」
「何言うとんの。商売商売やで」
アユムは、高校卒業後に一浪して、西の名門・浪速大学へ進学し、「ロボコップ」を作ると息まき工学部の機械工学科に入学した。しかし、天性の陽気さが大阪に合っており、夜の大阪の魅力に特にはまり込み遊びほうけ、わずか二年で中退。今はこうして、屋台「大ちゃん」にて毎夜絶賛営業中だ。料理もめきめき覚えて、大将からも一目置かれている。
「アユム。これからどうすんねん? ずっとうちにおるつもりなんか?」
「あまり考えてないで大将。大将にはお世話になってんなあ。もう五年はお世話なってんなぁ~。まあええやないですか。閉店したし飲もうよ」
「まったくしゃーない奴やなー。ほないこか?」
閉店後に大将と安い深夜居酒屋に行く二人。もともと体は小さくて体質が弱いアユムに酒は毒となって体を蝕み始めていた。
トオルは、広島県の中四国医科大学を卒業して、地元・山口県に帰っていた。実家の整形外科とは違う精神科の道を選ぶことにした。
家業を継ぐのが普通とは思ってたトオルであるが、研修医時代にある精神科病院に二か月研修中に精神科に興味を持った。
医院長から、「高木元春さんに週に一回一時間ついてください」と言われて、高木さんがいる大部屋に毎週通ったのがきっかけだった。高木さんは五十代後半の白髪の女翌ケ細った患者さんだった。彼の大部屋に入り名前を呼んで挨拶した。すると高木さんは、自分のコップを二つ用意してあり、麦茶を用意して待っていてくれた。
「あんた研修医さんじゃな。それじゃあ、そこの袋から一枚ほど紙を取り出してください」
とにっこりして微笑む。
「これですかね」トオルが手元で数枚ある中で一枚取り出して見てみると、『ワシのクイズ』と書いてあった。
「それを引いたか。お目が高い」と勢いが俄然良くなった高木さんは、一冊ノートを取り出した。
「ここに五十問ほどクイズが書いてある。一番から五十番まであーけん。時間ある中でこれを三択クイズで答えてごしない」出雲弁で彼はそう言い、「何番からでもいいよ。順にやっていくかい? それともランダムでいくかい?」なんだかギャンブルでもするかのように高木さんは楽しんでいる。
「じゃあ、ランダムで」
「やるねえ、気に入った先生」
と言った具合で、高木さんとの交流は始まった。クイズが終わったら身の上話や、昭和から平成の漫才の歴史などの興味深い話で盛り上がった。そんな強烈な体験が、トオルには新鮮であった。高木さんはやはりギャンブルや酒の依存症であった。
トオルに結論は出たが、一時は両親との距離感は微妙であったが、弟が後を継ぐことになり、現在は実家近くの精神科クリニックへ通いで勤めている。極めて真面目にまっとうに生きていた。トオルは、たまにタカシやアユムのことを気にかけていた。連絡がなくなっちゃうもんなのだなあと空を見上げた。
大阪。梅田。
屋台の大将の大ちゃんといつものように寝酒をひっかけに閉店後に地下鉄御堂筋線が終了して一時間後に店をたたんで飲みに行く。
「アユム。浪速大学の機械学科やったよな。ワイは富田林の南谷工業の社長と同級生や。南谷は配管工からのし上がったやつでな。最初は配管工見習いからやけど、話つけといた。面接行ってきいや」
アユムは面倒そうだった。
「そんなん、ええねん。まじめに昼に働く気持ちないんよ」
「そんなこといわんで行き。アユムのためや」
翌日の面接にしぶしぶ行ったアユムはいきなりの社長面談を迎えた。ニコニコ顔の、でも怒らせると怖そうな南谷社長が素っ頓狂な質問をしてきた。
「君は酒がだいぶ飲めるか?」
「一日一升ならなんとか」切り返すアユム。
たったそれだけでの合格だった。
翌日。「ほな、アユムくんには源さんの手元してもらおか」
「テモト? ああ、オテモトですか? 箸でも作るんでんな」
「あっはっは、おもろいな。手元は、職人の手伝いや。要る物を作業中に手渡したり補助するんや。ウチは配管中心じゃから後は源さんに聞いてんか」社長は広島弁混じりで言い、後は源さんにアユムを一任することにした。源さんは身長が百八十センチを超えたマッチョで日焼けしており、小柄なアユムを圧倒する。
「おい、新入り。ワシのやってることをよく見ておけ。ほいでいろいろ指示するから従うんや」威圧する。
「スパナ」
「片口スパナ」
よくわからないまま言われるがままに源さんの作業に必要なものを手渡すアユム。しかし、その日もやはり酒臭い。
「へい、スパナ」ぷーんと漂う息に源さんも苛立つ。
「ここんとこ三山やな。おい二山になるようにボルト持ってこい」訳の分からないことをいう源さん。
「ミヤマ? ミヤマクワガタでっか? ここにはいまへんけど」
「ふざけるのもいい加減にせえ。ミヤマやのうて、フタヤマになるようにもっと小さなボルト持ってこいってことや」
天然でボケてはいたが、しょっちゅう怒鳴られるアユムは、最初は我慢していた。日中だけだが。夜は大酒を飲むことになり始める。
そして、毎晩飲み明かすアユムにとって会社は日に日に居心地が悪くなる。会社の誰かとつるむ訳ではない。すぐに会社で浮いた存在になる。
現場監督に「君はいつも酒臭いな。朝からなんや、きちんとせえ。返事もできんか!」散々な壊滅的なシチュエーションが続き、毎晩荒れた酒を繰り返すアユム。
そして仕事もろくに覚えないアユムは一か月も経たぬうちに社長から早くも三下り半が下る。
「大ちゃんから言われて甘めにみとったけど、ウチではよう扱えんわ。悪いがもう来んといて」
こうしてクビになってしまう、アユムは南谷社長の言うことより、体がアルコールに向いていた。そういうことを言われてもその晩も飲んだ。飲みまくった。より加速した。そして屋台をぼろぼろの体で訪れようと西中島南方の屋台へと近づいた。その時、
「しそわかめ二人前でーす。まいどー」若い女性がバイトとして入っており、大ちゃんも満足げそうに営業していた。逃げるようにその場を離れて居場所がなくなったアユムは大阪を離れることを決心する。
平成十六年。
タカシの東銀座の会社が倒産した。部数減による経営不振だった。入社三年目に入っていて、来月には昇進試験を控えていた。このころになると手際よく働いていた。いきなりの倒産。息をつく暇もないほど熱中していた仕事だった。彼は半年、浅草のボロアパートでぼーっと暮らした。次の仕事も探す気持ちになれなかった。何か焦燥感に襲われて、燃え尽きた感じだった。もしくは都会生活に疲れたことにようやく気がついたのかもしれなかった。家に引きこもっていたタカシを心配して父親が急ぎ上京してきて帰郷の説得をした。タカシは受け入れた。
タカシは久しぶりの帰郷でゆっくり静養した。定年退職した父親に連れられ、釣りや田舎の直売所めぐりのドライブをした。そしてたまに散歩に出かけるようになった。昔の彼女と話した公園にも行った。夏は、小川沿いを歩いていると、ランニングで短パン姿の五歳くらいの男の子が小さい虫かごを肩にかけて浅い小川を我が物顔でど真ん中を石をよけながらバシャバシャと闊歩する。それを道の脇でみている三歳くらいの弟らしき子が「僕も僕も」と母の服の袖をつまんでせがむ。母親は額の汗を拭い、もう少し大きくなったらねと諭していた。
家に帰ると、水沢トキコから手紙が来ていた。トキコとは公私とも仲が良い関係で、タカシが帰郷してからも連絡をしていた。トキコは乳がんを患ったということが手紙で書かれてあり、余命宣告を受けているという。もう歌えないのは諦めても死にたくないな、と書かれてあった。タカシは生きられるだけましだと、最後に記されていた。返事は書けなかった。
ある日、実家の近くを散歩していると、トオルの勤めているであろうクリニックを発見した。表の看板の医師一覧にトオルの名前をみつけたからだ。実家の外科とは違うが、精神科であった。「あいつ今頃……」タカシの足は自然にクリニックに近づいた。濁った空模様の中歩を進める。
ピンポーン。センサーが足もとを感知した。
「こんにちは~。初診の方ですか?」若い受付事務員に声をかけられ逃げられなくなったタカシだった。
「そうか。都会にいて疲れたんだよ。自律神経の乱れかな。繊細だからなタカシは。眠れているかい? 自然の多い所で静養したらそのうち治るさ」トオルはタカシにアドバイスした。立派な医者姿が今の自分と比較させた。タカシが自分がダメ人間だと感じる。
「そういえば、英会話クラブの顧問のマサキ先生と今度一杯飲むことにしているから来ないか?」トオルはにこやかに言った。ほかにすることもない、タカシは「うん」と応じた。
居酒屋「呑みねえ」。それがその場所だった。
「トオル君は立派な医者になったねえ。実家を継がなかったのは意外だったけど」上機嫌のマサキ先生はしわの目立つ手で枝豆をつまみながらほめたたえた。
「えっと、タカシ君は今何をしているの?」と言うと、タカシは無言でグラスのビールに手をやった。
「何もやってないっす」レモンサワーのレモンの搾りかすが少し出るようにフェードアウトしながら言うのが精いっぱいだった。
トオルが、「タカシは東京で働いていたけど、いま疲れて地元で静養中なんです。ここよりもっと田舎の方が療養にはよりいいと思うんですけど……」と助け舟を出す。
「それより先生は、なんであまり活動を指導してくれなかったんですか?」長年の疑問をトオルが聞いた。
「まあ、周防高校は進学校じゃから」
「それだけですか?」突っ込むトオル。
「……実はな、あの頃はな、ワシは血圧が二百くらいあって体の調子が悪かったんじゃ。職場の雰囲気も悪くて、雑用をボランティアでいろいろ良心でやっていたんじゃが……。ある日、職員室の外で作業しちょったら、ある先輩の先生に、マサキ先生は何でもやってくれるからみんな、なんかあったら押し付けちょきゃあええ、みたいなことを若い教員にいいよるんじゃ。わしゃあ、そんなことがあってから体と心の具合のバランスが崩れていた時期だったんじゃ。君らには迷惑かけた。すまん」
「辛かったですね。今は血圧はいかがですか?」トオルが診察を始めた。
「今は、上が百七十で下が百二十じゃ」
「早く言って欲しかったですよ。内科の友人に話つけますけえ、明日からでも通ってください」
「すまんのお、ありがとうありがとう」マサキ先生は、何度もトオル先生に頭を下げた。
「ところで、タカシ君の件じゃが、ワシは平木島に所有地があって、雑草だらけの荒廃地になっちょるんじゃが、実は長年困っちょるんじゃ。タダで貸すから何かやってみるかいね?」
「平木島ですか。あの人口も少ない……おー、そういえば昔、アユムと三人で過疎問題に取り組みたいね、と話していたよね。俺も手伝える日があれば行くからやってみないか?」トオルがはしゃいで言う。
いきなりの展開にタカシは驚くも気が乗らない。そんなに面倒なことをする気にはならなかった。「まあ少し考えてみます」とこたえ散会になった。タカシは「アユムはいま何をしているんだろうか」と感じた。トオルが空を見上げていたのでタカシもつられて夜空を見上げる。曇り空かから少し星が見える。
「久しぶりやのお~変わらんな、この町は」アユムは戻ってきた。南谷工業をクビになってからは大阪を離れて、全国津々浦々の日雇い職場を転々としサウナで泊まる、その日暮らしで働き、毎晩酒を飲んで暮らしていた。
それから数年経って、地元近くに来たので寄ったというわけだ。この日も朝からカップ酒を飲んでいた。山口県に戻ったので「山頭火」をぐびりとあおった。この感じで母親に会おうという。母には顔を見せておきたいという気持ちと、今の堕落した姿のアンバランスさに笑えたアユムだった。
バスに乗り、ふと通り道の高校に寄りたくなって、周防高校前で下車した。校門を見て、塀沿いに歩く。この向こうが英会話クラブの部室があった3号館。
「タリラリラーン」トオルのギターのイントロ音が脳裏に聞こえた。懐かしい。タカシ、トオル、あいつら何をしてるのかなあ? アユムは踵を返して家路に着いた。
「ただいま母ちゃん、おるんか? アユムが戻ったでえ~」チャイムも鳴らさず玄関を開ける。
「ん? あれアユム? アユムかい? 連絡せんと何しちょったん? ん? あんた昼間から酒臭いな。あの人に似てきた」アユムの母は呆れていた。
「……昔は父ちゃんみたいなアル中には絶対ならん、って言いよったのに。なんちゅうざまじゃ!」きつく畳みかける。アユムはしばし押し黙る。アユムの中に過去にアル中で家を飛び出し行方不明になった父親の事が脳裏に浮かんだ。今の自分は正にそのまんまだ、とアユムは拳を緩めて、お土産の母の好物のいなり寿司を床に落とした。
「ごめん、母ちゃん」アユムは母が座るソファを見られずにじんわり涙を滲ませた。「こんな人生になるはずやなかったんや。かんにんや……かんにんやで」
逃げるように部屋に入ったアユムは大の字になって寝転び、すーっとそのまま睡魔に襲われた。
夢の中で、高校の時の三人組で毎日「研究」した日々の事が思い出された。アユムが寝入り、いびきをかき始めてそーっと部屋を開けたアユムの母は、ニヤニヤしながら眠る息子をいなり寿司をほおばりながら見届けた後で、いつ起きるかわからないアユムのために「しそわかめ」おむすびを握りに台所へ向かった。
翌朝早く、アユムはおにぎりを口に入れて、部屋の中で高校時代の電話帳を血眼になって探した。あっちの本棚、こっちの引き出し、一時間調べて、やっとこさ見つけてすぐさまケータイでトオルの実家に電話した。
「もしもしおばちゃん? アユムですが、トオル君は今は……?」
卒業して何年が経っただろう。三人は再集結する。三人ともドキドキした。「三羽ガラスが復活だ!」それぞれが思っていた。まず、久しぶりに飯でも食おうという事になり、山あいの有名な食事処「山の神」に行くことにした。夕方に高校前で落ち合い、トオルのオンボロ軽自動車で出かける事にした。
「トオル、医者やろがい? なんでこんなボロ乗るんかいな……次にな、大阪の街中にミヤマクワガタを欲しがる職人がおってやあ……なあそんで次に……」アユムが勢いよく場を盛り上げる。
「あれから僕は……」
「ふーん、そうかあ」
「ワイは……」
「あっはは、お前馬鹿だね」
三人のそれぞれの生きざまを話し合い、また出会えた喜びを分かち合った。語りあうほどに昔に戻れる。タカシも不思議と笑顔が浮かんだ。
帰り道にとっぷりと夜になり、トンネルも暗い県道を町まで戻る最中に三人で尿意を催し、県道から農道に入るため、トオルが、左ウインカーを出した。ウインカーの「チャッカタッカチャッカタッカ」という音をBGMに三人で連れションをした。三人で「ふー」と身震いした。近くで一匹の蛍が宙を舞った。
「トオルは源氏で、残りは平家か」アユムがぼそっとつぶやいた。二人は聞かぬふりをした。
それから一週間後のトオルの休みの日にトオルの号令で三人で無医村島の平木島へ向かった。島東部のマサキ先生の所有する3ヘクタールの広大な荒地に車を走らせた。三人はその荒れ姿にあぜんとした。見渡す限りのセイタカアワダチソウ。
「これはすごいな」アユムが放つ酒臭い息がぷーんとその辺を漂う。
「面白いじゃないか。俺たちで開拓しようぜ!」トオルが元気よくいう。
タカシは黙ったままだった。ただ、タカシには潮風に運ばれる新鮮な空気が少し気分をやわらげた。
三人は通いで二年をかけて何とか土地を作り直し、作物が栽培できる環境を整えた。
「さて何をつくるか」アユムの息は少し酒臭さが抜けていた。
「まず米だろ。それと果物がいいかな」トオルは自信満々だ。この間に着々と準備をしてきたリーダー役だ。コツコツ貯めてきた金が初期投資にも生きた。
「ミカンは需要が落ちてるから別がいいな。ブルーベリーなんてどうだい? 目にいい成分があるからこれからだと思う」タカシは土地になじみはじめ少しずつ元気な感じになった。タカシとアユムは先んじて島の古民家に二人で住んでいた。
「じゃあブルーベリー」二人が声をそろえた。
米はあぜにハーブを植えて、害虫の侵入とハーブ自体の収穫とで一石二鳥の栽培をはじめることになった。ブルーベリーも島人が珍しがり、米と併せて農業改良普及員にいろいろ教わった。これは大助かりの三人だった。ただブルーベリーはあまりなじみがなく、栽培に苦労して初年度は散々な結果になった。タカシも夢中に汗を流した。そして少しずつ体調もよくなっていった。トオルはそれをみて、うれしそうだった。
ブルーベリーがうまく軌道に乗った二年目から新たな悩みができた。販路だ。生果では需要が少ないために加工をしたかったが、加工場を作るには資金が足りない。
思わぬ助け舟がきた。マサキ先生の友人で名古屋で通信販売をしている社長が、健康食品に進出したいという。ただいきなり経営的に大冒険はできない。テスト的に生果を調達してみたいと申し出てきた。ジュースにして、健康成分のアントシアニンを売りにしたカプセルサプリで販売したいとのことだった。これが一つの突破口になった。無農薬ハーブ米「でかしたブランド」もトオルの作ったホームページで直接販売で予約がぽつぽつきている。
いろんな事がうまくまわりはじめた。ブルーベリー栽培では、摘み取り時期に社会福祉協議会から話を経由して、B型作業所から、障がい者が大勢で安価な労働力で摘み取りに参加してくれることになった。彼ら彼女らにとっても、家にずっといるより、作業している方が体にも心にもいいということでこれも一石二鳥だった。さながら観光農園のようなにぎわいの収穫時期となっていった。そして、そのブルーベリーを「でかしたブルーベリー」として、良品は直販することにした。
「すごーい。ブルーベリー。食べてみたいですう。いいですかあ?」
「そこの摘んでつまんでみいや。ぶちうまいでえ。目にいいんじゃよー」
「何これ? すごーい、いや、ぶちおいしー」
アハハ、キャハハ……。
「はしゃぐなああいつら」
「そうだね」トオルとタカシは談笑しながらアユムと女性を見ていた。
この日、地元の「FMすおう」というコミュニティFMが取材に訪れた。
「団塊ジュニア三人組の島活性化」というタイトルで現場にレポーターとカメラマンとディレクターが来た。
リポーターの「モリアーティー助手ちゃん」こと「守屋チャコ」が、対応上手なアユムを相手に取材攻勢した。アユムもリップサービス満点にPRした。実は守屋チャコは、タカシが東京の雑誌編集者時代に東京でアイドルをしていて、あまり芽が出ずに困っていると所属事務所から一年前に相談を受けて、古い付き合いだからということで、FMすおうを紹介していた。チャコも瀬戸内の海や島々に魅了されて、初見で定住を決めた。今では、FMすおうの看板リポーターでひっぱりだこだ。いずれ、取材もよろしくとタカシが裏で手配をしていた。
その頃、トキコから連絡が来た。右の乳房を全摘出してから数年放射線治療などに取り組んできて、現状維持だという。今は生きることが楽しくてまた歌う、というので今度は山口で講演会とミニコンサートのアレンジをしてほしいと売り込んできたのであった。
平成が令和になった夏。潮風を浴びながら3人で海岸の砂浜に寝転んだ。
「チャコちゃんと今付き合ってるんよ」アユムが言うと、トオルとタカシがぷっと飲んでいたサイダーを吐いた。
「手が早いな。取材の時からか?」トオルは聞く。
「ああ、そうよ。意気投合でメアドゲットじゃ。まあトオルは医者だから嫁になりたい子いっぱいいるじゃろうが、問題は引っ込み思案で人に引き回されるタイプのタカシよ。タカシも元気になったし、次は彼女探しやな。がっはは」アユムはニカニカだ。
「まあ、ぼちぼち。しかし、昔の部室の話が現実になるもんなんだね。僕たち相当いろいろあったよね?」タカシはトオルに振る。
少し間が空いて、
トオルが「俺、この島で医者やるわ」吹っ切れたように大声を出した。
二人は驚く。
「いまのところはどうするんだ?」すっかり酒の抜けたアユム。
「ここが気に入ったんだ、なあタカシ?」
「ああ、トオル。いいねそれ」二人は笑う。つられてアユムも。
「なんか俺たちナイスだな」
「ベリーナイスだろ」
「米もあるからベリーライス?」
「ベリーも作っているからベリーベリーナイスだな」
あっはっは。そうだな。
3人で優しい島風を浴びながら、夕暮れの空に向かっていつまでも笑いあった。
完