研究のモラル)される側の声――聞き書き・調査地被害 Are_you_human?_A_narrative_of_a_Japanese_islander_on_field_researchers__#ethics_#fieldwork
2005/05/24
2018年5月18日
修正)末尾 「自然神のやどる」 → 「神のやどる」 に修正。印刷された形にあわせます。
補足)もともとの『民族学研究』の五六巻三号(一九九一年)の記事が無料公開されています。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/minkennewseries/56/3/56_KJ00004913899/_pdf/-char/ja
補足)英語版もあります。
https://ci.nii.ac.jp/els/contents110006203549.pdfid=ART0008223725
これは、安渓遊地が文化人類学の学会誌『民族学研究』の五六巻三号(一九九一年)に発表したものです。
葦書房(福岡市)から刊行した安渓遊地・安渓貴子『島からのことづて』の冒頭に載せましたが、辛口すぎて本の売れ行きに影響するかも、という指摘を受けたことがありました。昔あった駄菓子のニッキ玉の中に、ニッキ(今ふうに言えばシナモン)の固まりがあって、なめていて甘い中に突然辛い部分にあたって、うっとなることがあったのだけれど、そのニッキ玉の辛いところがいきなり出てくるというのは、編集としてはどうか、自分なら、一番最後の方に置くが、という助言でした。
どうも、フィールドで叱られることが多いのですが、その手のお話も、やはり人間研究の大事な一部だと考えています。
◎はじめに
宮本常一先生が「調査地被害」(一九七二)を発表されて以来、長い歳月が流れている。しかし、残念なことに――としかいいようはないが――いまだにその内容は色あせたものにはなっていないようである。
そして、宮本先生の書かれたものを含めて、調査をされる側の生の声が、そのまま紹介されているものとしては、泉(一九六九)などがあるが、それほど多くないようだ。おそらく、筆をとるためには、被害者の生の声を投げかけられたという痛みに直面しなければならないからではあるまいか。
私も、最近、日本のある島で自分の研究のありかた――というより生き方そのもの、といった方が正確だろう――について激しく叱られるという経験をもった。その出あいのもたらした衝撃を「聞き書き」という形でフィールドワークに関心を寄せる皆さんにもお届けしたい。私が聞いたことは、この島だけの特殊事情ではなく、日本の各地のどこでも、昔も今も起こっていることなのではあるまいか。これが、この聞き書きを発表するにあたって島の名前を伏せても充分公表する意義があると判断した理由である。
家族とともに出かけたその短い旅でP夫さんとP子さんに出会った(Pはプライバシーの略である)。P夫さんは、研究や調査に島を訪れる人たちの世話を長年にわたってしてこられた。P夫さんの親戚だというP子さんは、島の民俗などを調べようという意欲をもつ方である。年齢はお二人とも不惑にはまだ間があるとお見受けした。
言うまでもないことであるが、小文の目的は、この島に数々の調査地被害を与えてきた特定の研究者たちを糾弾・追及することにはない。この島に調査地被害を与えたとして登場する研究者はいったい誰であろうかと詮索を試みるような読み方がなされるならば、それは、聞き書きの公表を承諾されたお二人の願いから遠くはずれた読み方となるであろう。お二人は、過去と現在の過ちが今後は繰り返されないことを願って話されたのであるから。
人間が人間を「調査する」ことが産み出す悲しい現実。そのわびしい風景と、そのかなたにあるものについて、これからフィールド・ワークをめざす方々に少しでも認識を深めていただくことを願って、あえて筆をとった。ひとりひとりのフィールド・ワーカーがいかにしてこのような調査地被害という現実を乗り越えられるのかを真剣に自問し、模索することができる否か。そこに目をつむれば、輝かしい成果は、多くの場合、同時にきわめて恥かしい成果とならざるを得ないし、今、大きな危機に直面している、人間を研究の対象とする野外諸科学の再生は不可能であろう。
歯に衣をきせずに率直な意見をお聞かせ下さったお二人を始め、島に滞在中にお世話になった多くの方々に深く感謝するしだいである。
◎とっても非常識な大学の先生がいる
P夫 とっても非常識なことをやる大学の先生がいるんだ。ある日、大学の先生を案内して、あるじいちゃんの家に入った。「今、ご都合よろしいですか?こういう仕事できたんですが、話を聞かせてもらえませんか」とあいさつしたわけよ。そしたらちゃんが、僕に「P夫、おまえ、目が見えないのか!?」って言ったわけさ。その時、じいちゃんは、一生懸竹かごを編んでたわけよ。仕方がないから「はい、見えます」と返事した(笑い)。「それじゃあ、今自分は何をしているか?」と畳みかけられたので「かごを編んでいますね」と言ったよ。そしたら「これを編み終わるまで、あんたたちは、そこに立っておくのか?」というから、「手を休めてちょっと相手してくれませんか?」と聞いてみた。ところが「いや、今日は
これ
間に合わさんといかんから、駄目だ。明日ならいくらでも相手してあげるから、明日いらっしゃい」といわれたわけさ。
僕は、「先生、じいちゃんがそう言ってますから、明日出直しましょう」といって帰ろうとしたんだけどさ、この先生ときたら「はいはい」といいながら、つかつかつかと家の中に入っていって、床の間の額の写真をパチパチ撮り出すんだよ。それを見たじいちゃんは怒りだすし、僕も頭に来た。
それで、「私はあなたとはおつきあいできません。あなたはあなたなりで調査してください。明日からいっさい私と私の勤務先の名前を騙らんでください」といって別れた。それっきりつきあいがないよ、あの人とは。
P子 私も、この時たまたま大学の先生の調査の仕方を勉強しようとついていっていたのよ。それがとんでもない人だったのね。だいたい仕事だったら、何やってもいいというのかしらねえ?
P夫 そうそう、この間、考古学の発掘のアルバイトに来ていた学生が、仕事を終わって、「宿題やらせてください」というんだよ。すごく、あたふたと聞き取りをしていった。きいて見たら、あの非常識な先生の授業のレポートだって。学生にそうやって集めさせた資料をつづり合わせたものを、自分の論文として発表してるらしいね、あの人は。
P子 そんなのが、学者先生の御研究としてまかり通っていくんだからねえ。
◎先生は地元の人間として恥かしくないですか
P夫 それから、あのグループもひどかったな。
P子 何の研究?文化の調査の?
P夫 Q先生。ほら、国の金で調査するってスクラムくんで来てたあれさ。
P子 ウエッ!ヘドが出るう。
P夫 まず、調査の依頼の仕方がおかしいわけ。こんな調査のやり方でやりたいとQ先生が言っているという電話が昔から知り合いの別の若い先生から来た。聞いてみるとお年寄りをひとところに集めて長時間の聞取り調査をしたいという。そんな調査の仕方はひどいんじゃないの、といって僕はお世話をすることは断った。
そしたら、こんどは、町長によばれた。知事部局から電話があって、話をまとめてくれときているという。さっきの若い先生に「私が断ったらあなたは困った立場になるの」と聞いてたら、「いや、あんたのいいようにして下さい」といわれたけれども、断ったら、その先生の立場どころか、町長の立場までおかしくなりそうだった。
それで仕方なくひきうけたんだけど、その調査法ときたら、大勢のお年寄りを朝の八時から夕方の六時まで、体育館に缶詰めにして聞取りをやるわけさ。
P子 もう、気違い沙汰よ。だってね、ばあちゃんが、の単語を聞かれて、緊張もしているし、すぐには出てこないので、「うちの小さい時は」と話しはじめた。年寄りが自分の心の整理をしながら話すわけよ。そしたら「あなたの小さい時の事はいいから、このことはなんていうんですか?」って。私は言ってやったわ。「そういう質問するなんて、本当にバカだなあ、あなたは」もう腹がたって、この日一日協力しただけで、すぐやめたの。
P夫 僕は、仕事だから、がまんして調査につきあった。やっと終わって、僕はQ先生に頼んだよ。「報告書ができたら、どうか地域の学校に一冊ずつ寄贈してください」とね。そしたら、「とても高い本になるから、教育委員会に一冊だけ」という返事だった。まったくあの人は、顔も見たくないな。
調査の終わりごろ、調査隊員のうち、県出身の先生がたは、いい人たちだったんで一緒に飲みに行った。そこで、したたか文句いったよ。「先生なんかは、地元の人間として恥かしくないですか、こういうふうな非人間的な扱いを受けて。それで調査は成功したと思っていますか」といって。
P子 返事はどうだったの?
P夫 「はいはい。わかりました」としかいわんよ。
P子 きのうの晩、せっかくの私の説教を酔っ払って聞いてたアンケイ先生と同じよ。みんな口だけよ。翌日になったら一番肝心のことを忘れたなんていう、うそつきよ。
P夫 アンケイさん、風向きが悪くなってきたみたいよ。そろそろマイクのスイッチ切った方がいいんじゃない。
――私は、言われるままに録音機のスイッチを切り、昨晩のP子さんのお説教を二日酔いの頭のなかから呼び起こそうと努めてみた。
◎もし人が滅びるならば学問で滅びる
あなたは何をやる人?学問する人みたいだけど……。
私は、人としての気持をもっている人間とは、初対面でもえんえんと話をするのよ。
これは、私(P子)のばあちゃんの口癖だったんだけど、「学問というのは尊いもの。これからの世の中は、もし人が救われるなら学問で救われる。滅びるならば、学問で滅びる。だから正しい学問を子供にさせなさい」と、いつも繰りかえし言われたわ。
この島に来る学者、研究者というものは、どうしてこうなのかしら。私が、本格的に自分の島の民俗の勉強をするようになってもう二〇年以上たつわ。学者先生がたの調査というものについては、二〇年来のぐちがたくさんあるのよ。どうお、聞いてみる気はある?……そう、聞く気があるのなら言わせてもらうわね。私の心のあらわれの言葉だから、しっかり聞いてちょうだい。
◎学生や学者が島から物を取って行く
かりに三〇年つきあっても、この人はだめ、という人もいる。学者でも、写真家でも、画家にしたって、記者にしたって、身を取らせて骨を抜いて行くという人がいっぱいいるわけ。そういう類の人いっぱいいるのよ。この島にくるなかで。
もっとはっきりしてるのは、物を取って行くこと。墓荒しが一番ひどかったけれども、学生や学者がきて、墓を荒して中にある物を取って行く。古い墓には、鎧や兜などの武士の装束があったけれども、それも、いつのまにかみんななくなっている。役所につとめている人が、あるグループの大きな手荷物を見て、これはあやしいとにらんだことがあった。職権で開けさせたら、案の定、つぼなんかの盗んだ骨董品がぎっしり入っていた、ということも実際にあったわね。
◎借用・盗用・しらんふり
Lさんという先生がいたわ。あの人、覚えてるかな。私がまとめた、祭のレポートや、島の精神構造なんかについて私が書いたものを、コピーするからちょっと貸してくださいといって、風呂敷包み一杯ほど、もって行ったっきり。もし、まとめられたら島に返してくれるともいっていたなあ。あれから、もう一五年くらいになるかしら。何年か前に遠いところへ転勤したらしいけど、しらせてもよこさないわ。
子供の話を書いたことがあったわ。これをある研究者に見せたら、貸してくれというのよ。そのかわり、私にも勉強させてくださいな、と頼んでみたの。そしたら、文章のくみたて方を教えてあげるというから、原稿を渡した。結局は何も教えてくれないでそのまんまよ。
ある時、友達から、私の書いたレポートがほとんどそのまま、無断で雑誌に載せられていると教えられたこともあったわ。でも、そんなのは見るのもいやだから、忘れることにしているの。
ほとんどそっくり持っていって、こっちに一番帰ってきてほしいな、と思っているのは、Xさんの資料よね。丸一日ホテルでかんづめ状態になって、びっちりしゃべった。主に心のことについて、自分のプライバシーのことまでみんなしゃべったのよ。他人のことは、迷惑がかからないように、名前を伏せてしゃべったわ。
実は、それまで書いたものを、私のミスからすべて失った直後だったので、思い出してしゃべれるだけしゃべり、なんとか記録してもらおうという気になったのよ。家族は、あんなものに協力してなんになるの、と私を非難したわ。
あの人、とても喜んで、文字化したときには私に送ると言ったのよ、このXさんという人は。ところが、その後、この人から来たのは、住所なし、あいさつだけの葉書一枚。卑怯なことに自分の連絡先を一切教えない。私たちはとても悲しくてくやしい気持ですごしているよ。せめて、あのテープだけでもダビングして返してほしい。今の私には、あれだけのことを話す力がないんだから。
写真家でV子さんという人もいたわ。祭の時に、あるばあちゃんの家であった。当時、知らない人には、お膳をつけてくれなかった。私がついていくと、待遇が違う。私は、祭の記録をとるために、写真を撮りながら、集音マイクで音をとろうとしてたの。とてもひとりではできないので、V子さんを連れてきて、長いお祭りの中で意味のある部分を合図して写真とってもらったの。これは、初めての人にはなかなか分からないことなんで、V子さんとても喜んだわ。
当時、カラー写真の保存は大変だったでしょう。私が撮った写真を見て、V子さんが、外に置いておいてはいけない、保管する専用の入れ物があるというのよ。二~三年の猶予をもらえれば、ネガから整理しなおしてあげる、と親切にいわれたので、みかん箱ひとつ分ほどのネガを預けたわ。その後なしのつぶてで、それっきりなんにもない。私もうかつだったわよ。住所も聞いてないし、姓さえ書き留めてない。あのV子さん、そんなに悪い人じゃなかったけどなあ。急病にでもなって亡くなったんじゃないかな。
こんなことを話していると、おかしくなるでしょう。私って資料なくすのが上手だと思うわなあ。今から、あれだけのこと調べろっといっても、もう私は、とてもやり切れないと思うの。どうして次々にこうなるのかしら。念には念を入れて、「じゃあ、あなたの言葉を信じましょう」といって、原稿や資料を渡すけど、誰ひとりやってくれなかった。連絡もくれなかった。
◎いきなり「調査」といわれても困る
物とりや嘘つきでなくて、堂々と胸はって来る先生方も多い。
これこれの調査に来ました、とりっぱな肩書の名刺を出されるわね。自己紹介することも大事でしょうけど、なんとか研究所の調査っていっても、そもそもそのなんとか研究所を知らないし、その調査がいったい何になるのかを島の人間がわかるように前もって言ってもらわないと……。学問的すぎて島の人間には説明しきれないこともあるかもしれない。人間のやってることだから、やむにやまれずやっていることもあるかもしれない。でも、納得いかないのに協力せえ、と言われても、それは無理よ。
島の人間は、特にお年寄りというものは、あらたまって話すことに慣れていないでしょ。標準語で話すことにも慣れていないわね。そして、テープレコーダなんかの機械にも慣れていない。だから、そのへんのことをよく考えてつきあってほしい。少なくとも、前の日から心の準備ができるような形で、ゆとりをもってやってくれないと困る。
それから、だれでもそうでしょうけど、お年寄りというのは、聞かれたときに、聞かれたことだけでなく、自分の感想、気持を付け加えていくというのは、必ずつきものなわけよね。その時に、「ああ、そうですか、ばあちゃん痛かったでしょうね!」とそういうふうに相槌をうって、人としての心をもって聞いてくれるといいんだけれど……。実際には、そうじゃなくで、「いや、それはどうでもいいので、質問に答えなさい」というようなものの言い方をする人がいる。これは大きな問題。話手の心のあらわれの言葉というものをちゃんと聞いてほしい。そしてうまくしゃべれるようにしてほしい。こういう点への配慮がない研究者がいるのは本当に困りもの。
神職の女の方が、こういわれたそうよ。「島の外からいらっしゃる先生方に、問われるままにいろいろお話しをします。学問のために協力すべきだとは思っているんだけれど、話せば話すほど、なんだか自分の『徳』というものが下がっていくような気持がして仕方がないんです。」
これは、神女のばあちゃんの徳が下がっているのではないのよ。私たち島の人間は行事の時に神女が神様の着物を身につけていらしゃるときには、面とむかって顔をまっすぐ見るというようなことはありません。平生の時でもまちがっても暴力を振るうなどということはけっしてしない。どんなときでも、自然に敬いの気持をこめて接しているということなんでしょう。ところが、他所から来た学者先生は、神女といってもただの「情報提供者」としてしか見ないことが多い。それで、こういう先生方と接することが増えるほど、なんだか徳が下がっていくような気持になる、ということだと思うの。結局は、地元の神様に対する敬いの気持のある人とない人の違いということになっていくでしょうけど、お互いに人として敬いあわ
ない
人に出くわしたときには、いつでもどこでも起こることじゃないの。
こんなふうに、調査の弊害というのは、ただ「持ち出された」というだけじゃない。知らないうちに蝕まれたものが、私たちの心の中にできているわけよ。
◎ここに今生きている人の暮しを大切に
まとめ方の問題だけど、話し手が一部についてあてはまる話をしているのに、それを全体に通用することだとして書いてしまう研究者がいるのよね。それと、話し手が話している範囲をちゃんと捉えてほしい。例えばこの種類の特別の織物は、「ずうっと昔から作っていますよ」とお年寄りが言ったとしても、それが六〇〇年も以前からの話であるはずはないので、せいぜい一〇〇年程度のものにすぎない、という当たり前のことがわからない。そういうことがちゃんとしていない調査者がいることは大問題ね。結局は、何度も来て、よく確かめてそれを書くという基本が守られれば、こんな馬鹿なことは起きないはずだと思うわ。
それから、「ここは、とっても大切なことなので、落とさないでくださいよ」とたのんでも、そこを落としてしまう。何回言っても、そこが落ちてしまう。それが不思議なの。ここに今生きている人の暮しを大切にして調査する、という立場にたてば、そんなこと起こりっこないわよ。そういうふうにとりくんでくれる研究者も、少ないけれどいないわけじゃないのにね。
調査隊にお願いしたいことは、人として関わった以上は、人として関わり続けてほしいということ。人としての好意を示してほしい。それがないから、話した人としては何か寂しくなるのよのね。繰返しになるけれど、人としての心がほしい。
調査が終わったら、必ず報告したものを送ってほしい。これは、最低限のことよね。まあ、最近は以前と違ってだいぶよくなってきたわね。でも、とくに、話してる人が高齢者の場合、でき上がった資料を、「はい、できあがりました、お送りします」という、これだけでは、寂しいとおもう。本当は、「あなたにきいた話は、こういうふうにデータとしてまとまりました。これには、こういう大事な意味があるんですよ。ご協力ありがとう」とそういう形でもって来てくれるのでなければ、本をもらってみても値打ちがわからんし、大きな報告書をもらっても、島の人にそれをひとつひとつ全部読む気力は、まずないわよ。だから、そこまでの努力をしてくれないといけないと思う。だけど、そこまでちゃんとやれている例はほと
んど
ない。そこまで言われちゃ、もう手が回らない、というかもしれないけれど、話した側にしてみれば、訳わからんよ。
◎あの人は私たちを実験台にしている
でも、研究の結果が実用に結びつくと、怖いことになることがあるわねえ。今、この町が実現へ向けて取り組んでいるZ先生の青写真には、私は真っ向うから反対。あの膨大な都市計画、膨大な経済計画というのはちゃんとした研究から出てきたのかもしれないけれど、あの人は私たちを実験台にしている。地域を自分の学説を実証する手段に使っていると思う。これは、あくまでも私の見方だけども……。
学者のいうことを鵜のみにして、「ごもっとも」と乗っかっちゃいけないって私は言いたいの。私たち、同じ島にすむ人たちに、「もうちょっと私たち賢くなるべきよ」っていいたいの。失敗したってあの人は責任とらないんだから。研究の費用はどこかから出てくる。国とか県とか。やってる人にとって、あれは学問という名の単なる趣味だと思うの。責任ないもの。でも私たちここに住んでる人には責任を感じてほしい。人生八〇年になったけど、あと八〇年後を考えて進めてほしい。
あなたも、最近、どこかの島で「無農薬米の産直で地域おこし」とか言って旗ふってるらしいけど、島の人間が独力でできるように育てていかなくちゃだめでしょ。今みたいな、船をひっぱって岩ゴロゴロの山道を通すようなやり方が長続きすると思うのは、あなたの思い上がりじゃないかしら。無理に無理を重ねて家族を泣かすような学問が何になるの。
よおく考えてね。よそから持ってきた智恵や文化で、地域が本当に生き延びられるわけがないのだということを。
◎勉強を助けてくれる研究者もいる
私が始めのころに提供した資料は、ひとつも来ていないけれども、最近は、ずっと連続して調査してくれている大学や研究所があるの。そういう場合は、そこに次々に納めるというかたちで整理されていくだろうから、島の人間だっていざとなれば、そこに見にいくということも理屈の上ではできないわけではないわね。
研究者のなかには、調査としては事実にかなり接近している人もいる。とてもいい調査してたカップルもあるわよ。それから、島の人間が勉強することを励まして、助けてくれる先生も数は少ないけどいるわ。
◎島の人間としての反省
これは、島の人間としての反省。今から一八年前に、伝統芸能の研究にいらしゃった人がいて、どうしてもその芸能を復活してやってみせてほしい、としつこく頼まれたことがあったの。それで、すでに出演の全員はそろわない状態になっていたのを、若いひとをかき集めて教え込んで、それを再現して、フィルムに取ったのよ。先生は、大変喜ばれて「この足の踏み方というものは、六〇〇年前の能の足の踏み方と共通するものがあって、非常に古風をよく残しています。大変学術的な価値が高いものです」とおっしゃったわ。しばらくして、報告書といっしょにその撮ったフィルムを送ってくださったんだけど、島に帰ってきたフィルムを受け取った人が、それがどれだけ大切なものかわからないままに、今ではどこへ行ったか
わか
らなくなってしまっているわけ。こういうことは、地元の側の大きな反省点だと思う。
私自身も、子供の世話しながらではビデオが撮れないっていうので、人を頼んで撮ってきてもらったことがあるの。それなのに、一度もちゃんと見ないうちにビデオテープにかびを生やしてしまった。ドジな話。
それから、これはこの島に限った話じゃなくて、まあ一般論だけれど、地元の人間にも問題のある人もいないわけじゃない。いろいろ調査されたり、それに協力したりするうちに、しったかぶりの語り部というのがでてくるのね。中途はんぱにしか知らないのに、もう全部知っているようなつもりで話す人がいるわけ。「私は、この部分は知りません」と言うことを知らない語り手。これは自分しかしらないことなんだ、という伝承の私物化みたいな意識さえ生ずることがあるのよ。こういう人の存在が、時として誠実な調査を妨げる場合もある。それを正しく見分けるのが学問の目だと思うの。だからといって、「あなたは、物を知らない」というようなことを言って、相手を傷つける接し方だけは絶対にして欲しくない。
◎人であることを忘れるなよう
だれにも、思わずやったことが、はたから見るとすごいわがままになってるってことは、こりゃあるわ、人間だもの。だけど、冷静によく考えた上でやっているわがまま、こんな理性のあるわがままは、許されるものじゃない。誠意さえあれば良いと思ってる人もいるみたいだけど、自分に誠意があるから、すべて意のままに通ると思うのは、きったない甘えさ。そんな奴は、この島に二度と来られない状況にしてやるわ。あんたも、いつでも、どこでも、人であることを忘れるなよう。
島の外からやってくる、人間としての自覚のない人たち、誠意だけはあるけれどそれが甘えになってしまっている人たちに、私もずいぶん泣かされてきたわ。けれど、私の涙はわたしひとりの涙じゃないのよ。この島の人たちは、海も山も川も、岩も木も鳥も魚もすべてのものを、神のやどるものとして大切にしてきている。そういう気持をわかってほしい。だから、私の涙は、人間だけじゃなくて、すべての命あるもの、何千何億の声なのよ。そうした小さな痛み、叫び声を大切にできない人にいったい何が大切にできる?
あなたには、今、世界中から響いてくるその声が聞えるかな。
引用文献
泉靖一、一九六九『フィールドワークの記録――文化人類学の実態』講談社現代新書
宮本常一、一九七二「調査地被害――される側のさまざまな迷惑」『朝日講座・探検と冒険』七、朝日新聞社(一九七五『現代日本民俗学』三一書房に再録)
英語タイトルAre you human: a narrative of a Japanse islander on
ethnologicalresearchers.