フィールドノート)西表島の稲作や地名を聞く RT_@tiniasobu
2023/02/27
西表島がはじめてのフィールドでした。http://ankei.jp/yuji/?n=8でご紹介したように、わたしを、明治の末に廃村になった鹿川(かのかわ)村に島流しになることを、修士研究のテーマとして与えた、伊谷純一郎先生は、三度も、現地に同行してくださったのでした。その時のフィールドノートをめぐるエピソードです。
――比較調査のため、鹿川村から歩いて3時間ほど先の崎山廃村に泊まった時、夕食をとりながら、私はフィールドノートをなくしたことに気づきました。慌てる私に先生は「俺もアフリカでフィールドノートなくしたことがあってな、その時は、今西[錦司]さんにものすごう叱られたわ。あれからいっぺんもなくしたことないけどな……。」
ところが、食事が終わらないうちに「あ、ありました」と報告したところで、憮然とした先生は、「しょうもないなくし方すな!」とおっしゃったのでした。みずからの恥ずかしい経験を語って、渾身の指導をしてくださった伊谷先生の拍子抜けが、その後教員になってみるとよくわかります。
ここでお示しするノートには、昼間、あるきまわって、お話も聞いたりして、その時メモしきれなかったことを、別の色のペンであとで書き込んだりしています。しだいに、西表語を、カタカナなどではなくて、音声記号で書き、西表語の特徴である、有気無声音には、下に 。の記号をつけ、さらにあがめ・さがりめのアクセント記号もつけるようになっていたころのようすがわかります。
安渓遊地