わが師)西表島での伊谷純一郎先生語録
2004/04/03
伊谷純一郎先生
2023年12月3日 リンク切れを修正し、pdfを添付します。
No.7 生態人類学会ニュースレター [別冊]
特集 伊谷純一郎氏追悼
2002年3月23日 発行日本生態人類学会
より転載します。
全文を添付します、https://ecoanth.main.jp/nl/7sp.pdf のミラーです。
他の号は、https://ecoanth.main.jp/nl.html からごらんいただけます。
西表島での伊谷純一郎先生語録
安渓遊地(あんけい・ゆうじ、山口県立大学教員)
私にとっての初めてのフィールド・西表島に伊谷純一郎先生は3たび付きそってくださった。教育者としての伊谷先生のユニークとしかいいようのない魅力については、安渓貴子との対談の形でやや詳しく述べたが(安渓遊地・安渓貴子、2000『島からのことづて――琉球弧聞き書きの旅』葦書房)、ここでは、先生の西表島でのことばを書きとめて、われらが師匠の随聞記の一部としたい。
「君の行くところは一か所しかない。」
1974年4月。右も左も分からない大学院生だった私に、この断固たる言葉で伊谷先生は西表島の廃村・鹿川(かのかわ)での調査を指示された。そして、さっそく6月には、原子令三さんとともに現地へ同行してくださった。廃村でのダニのかゆさは、先生をのちのちまで苦しめることになるのだが、「安上がりの熱帯はつらいなあ」とこぼしておられた。
「目覚まし時計までもって来たんか!? まるで百貨店やないか!」
廃村で迎えた朝、浜辺に張ったテントの中で叱られた。軽いズック靴にイスラーム帽、帆布のサブザックを背に、手には厚鎌というのが、西表島での伊谷先生のスタイルの定番だった。私はといえば、無駄なものはうんともち、廃村に降り立ってみたら、港に自分の靴を脱いだまま忘れてきたことに気づいたというちぐはぐさだった。
「しょうもない無くし方すな!」
――比較調査のため、鹿川村から歩いて3時間ほど先の崎山廃村に泊まった時、夕食をとりながら、私はノートをなくしたことに気づいた。慌てる私に先生は「俺もフィールドノートなくしたことがあって、その時は今西さんにものすごう叱られたわ。あれからいっぺんもなくしたことないけどな……。」ところが、食事が終わらないうちに「あ、ありました」と報告したところで、憮然とした先生のこの言葉が出たのだった。
「さっき殺した蛇の首が君のズボンの裾に食らいついてるで!」
と脅されたこともある。廃村の旧道を切りひらいている時に顔を出した西表一の大蛇サキシマスジオを思わず切り捨て、5分ほど歩いたあとのことであった。思わず飛び上がったが、何もついてはいず、「喰わぬ殺生はするな」という先生の教えに気づいたのだった。
「ものすごう旨い。」
――伊谷流では、おかずは基本的に自給である。しぶきのかかる岩場で採ったオオベッコウガサは、直火で軽く焼くと旨いのだが、先生は手ずから生の肝を勧めて下さった。喉の奥までいがらっぽくなって私はへきえきしたが、先生は「その余韻がものすごう旨いのやないか。」とおっしゃった。急斜面の藪の中での遺物探しを終えた私が、夕刻浜に戻ると、その日の食事係を引き受けてくださった伊谷先生は、誇り高いシェフの面持ちで、しずしずと鍋の蓋を取った。そこには、ハチジョウダカラガイとシャコがそれぞれ一匹ずつ鎮座していた。努力の結晶。文字通りのご馳走だった。いつでもどこでも、現場をとことん楽しみ、そこに豪華さを演出する伊谷先生の心意気と茶目っ気、忘れないようにしたい。
http://www.hitohaku.jp/news/docs/pre3-03.html
からお借りした写真を貼付しています。