金星人)西表伝統のカラフニ・マチキブニ(松木舟)復元 RT @tiniasobu
2023/07/27
石垣金星:2014年3月9日〜26日facebook
カラフニ・マチキブニ復元1 祖公は祖納公民館の略
カラフニ・マチキブニ復元2
カラフニ・マチキブニ復元3
カラフニ・マチキブニ復元4
カラフニ・マチキブニ復元5
カラフニ・マチキブニ復元6
カラフニ・マチキブニ復元7
カラフニ・マチキブニ復元8
カラフニ・マチキブニ復元9
カラフニ・マチキブニ復元10
カラフニ・マチキブニ復元11
カラフニ・マチキブニ復元12
カラフニ・マチキブニ復元13
西表島の石垣金星さんがfacebookにあげていた写真の中から、資料的な価値の高いものを、時々アップロードしていきたいと思います。
石垣昭子さんの了解のもと、facebookからのデータの取り出しにあたっては、紅露工房の岡崎愛さんのお力を借りました。お礼を申し上げます。
刳り舟(くりぶね) 西表島の祖納と干立では、カラフニ と いい、材料がマチキ(リュウキュウマツ)である場合は、マチキブニといいました。
アカンギ(アカギ)、シイキ(イタジイ)でも作ったと、祖納の松山忠夫さんからうかがいました(関連資料2)。
資料1の新聞記事にもあるように、マチキフニ とも言うようですが、ここでは、石垣金星さんの表記のままにマチキブニとしておきます。
2014年3月9日〜3月26日 と記されています。場所は、紅露工房の近くのマングローブのようです。ヤフ(櫂)は、工房の中での撮影です。
西表をほりおこす会・安渓遊地
資料1
関連する情報としては、『琉球新報』2013年1月5日の記事 があります。
https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-201007.html
「マチキフニ」再現 60年ぶり進水祝う 西表祖納
【西表島=竹富】竹富町西表島の祖納公民館(那根操館長)が、リュウキュウマツをくりぬいて作るくり舟の「マチキフニ」(松木舟)を約60年ぶりに製作した。
12月22日、同島前泊海岸で完成した2隻のマチキフニの進水式を行い、地域住民が伝統の再現を祝った。
祖納地区では戦後しばらく、集落間や畑までの往来にくり舟を使っていたが、交通手段の発達で現在は使用していない。
くり舟の再現を学術的に支援している、沖縄大学地域研究所の板井英伸特別研究員から同公民館に依頼があり、製作を決定。祖納岳から2本のリュウキュウマツを切り出し、11月10日から製作していた。
若いころにくり舟を作ったことがある地域の長老が指導し、約1カ月かけて2隻を完成させた。作業を行った公民館関係者のほとんどが作り方を知らず、那根館長は「言われた通り作業したけれど、初めのうちは舟になることが想像できないくらい、今の舟とは作り方が違った」と振り返った。
進水式には多くの地域住民が参加。子どもたちは舟に乗って海岸沿いをこいで進み、完成を喜んだ。製作を指導した前大用安さん(88)は「親が作るのを手伝ったことがあるので、後輩を指導した。昔の通りに作ることができて満足している」と目を細めた。
完成した舟のうち、1隻は海洋博記念公園海洋文化館で展示する。もう1隻は公民館がしばらく保管し、その後、県指定文化財「新盛家住宅」に飾る予定だ。
資料2 西表島祖納・松山忠夫さんのお話から
・・・・・・こんどは、キにもイヌチがある、という考えがわかる話をしましょうね。島では、くりぬき舟を造るのに、マチキ(和名リュウキュウマツ)か、アカンギ(和名アカギ)を
使いました。ときたまはシイ(和名イタジイ)も使いました。
山の神から舟の木をいただく私も、終戦後シイの木でくり舟を造ったことがあります。家内のじいさんほか、七、八名の先輩におともをしてもらって山に行きました。私の舟にいただきたいというシイの木の前に立つと、「これはすばらしい木だ」とみなさんがおっしゃいました。そして古老の方が、「お酒をもっているか?」とたずねられました。そのほかに、線香と花米(白米)をもつように言われていましたから、それは筒に入れてちゃんともってきていました。近くの小川から水を汲んでくるように言われました。木の前にみんなで正座して座って、古老の方が、木の正面の胸の高さの所に水をかけ流して、線香をあげ、御神酒もさしあげて、祝詞をあげます。
祝詞は、山の神様によってこの大きさにまで守り育ててもらったこの木を、舟材としていただきたいので、この木をどうぞいただかせてください、というほどの意味ですね。そうそう、祝詞をあげる前に、おじぎをして、ノコとオノを木の根っこにたてかけます。柄を上にして。祝詞が終わったら、根元にお酒をあげて、のこったものをみんなで一口ずつみんなで回しのみします。これで、木をさずけてもらう約束ごとができた、と一方的だけど合点して仕事にかかるんです。いよいよ仕事にかかる前に周囲に花米をまきます。根元にオノを入れるときは、木の裏の方から入れるように気をつけます。山の木は傾いて立っていますが、山側が表、谷側が裏です。表から先にオノを入れると裂けやすいんですよ。シイの木なんかは裂けやすいので、直径の半分ぐらいまで裏から切り込んでおかないといけません。これでよう失敗 をしました。木が倒れる前には、あらかじめ小さい木を切って準備しておいて、木がどーっと完全に倒れたらすかさず、切り株の真ん中に穴にこの小さい木をさします。この穴は方言でイキといいますよ。
さっき祝詞をあげた古老が、また唱え事をします。「たしかに木はちょうだいしましたが、その代わりに子供をさしあげますから、もっとすばらしい名木に育てて下さい、山の神様」という意味の内容です。
私は、「なぜこういうことをするんですか?」と尋ねました。そうしたら、「昔は、蔡温(さいおん、一八世紀の琉球王国の宰相)さんが、命令されたことだそうだが、木一本切るなら、二本植えなさい、それをおこたるものは厳罰に処する、と言われたそうだよ。」という返事でした。
「道具をたてかけるわけは?」と問えば、「無事故息災を願う意味だ」という返事でした。これを教えてくれた古老というのは、宮良孫全(みやら・そんぜん)さんという人でした。
祝詞の方言ですか。ちょっとまってくださいよ。今思い出して書いてみましょう。
木を倒す前の願いのことば
ヤマヌカンヌマイ シサレ 山の神様に 申し上げます。
ウウフドゥ タキフドゥ 大きな胴 丈高い胴に
スダティ オレル お育てに なった
クヌ フニムトゥ この 舟の元になる木を
キュウヌ キチジツナ 今日の 吉日に
バヌッティ クバリトーリ 私に お分けください
ディ ニガイ ウキトーリ という 願いを お受け下さいます
ディ シサリルヨー ように 申し上げます
トゥードゥ トゥードゥ 尊々 尊々
木を倒し終わったあとの願いのことば
ミナ クマナ バカキ 今 ここに 若木を
ウビカイ オイサバ 植えかえ いたしましたので
バカミドゥリ 若緑に
サカラシ トーリリ 栄えさせて くださるよう
ヤマヌカン 山の神は
トゥイマシ トーリ おとりはからい ください
トゥードゥ トゥードゥ 尊々 尊々
木にもイヌチ(命)があるんです。これはねえ、山の神に対する敬虔な気持ちのあらわれのことばです。木にもイヌチ(命)がある、という昔からの考えかたによる儀式ですね。
かっこうの変わった岩にも神様がおるっていいますよ。
前泊の海にあるマルマ盆山も信仰の対象にしておる人がいます。老人クラブの人が香炉をおいたらしいですよ。方言で、
ムリムリタキタキナンカンドゥオーリルカンティヌニガイ、
つまり、山々、岳々においでになる神様への願いをしなくちゃいけませんから。
----(安渓遊地)ヤマヌカンは、男の神様でしょうか、女の神様なんでしょうか。
そのことは、私もたずねてみました。そうすると、古老の返事は、「はっきりこうだ、とは言い切れないけれど、宰領権をもっているのは、男の神様だろう」ということでした。
宿乞いといって洞窟の主へあいさつします猪などを狩りに山へ入って、野宿するときのことをすこしお話しします。自然の洞窟を方言でイリャーといいますが、そういうイリャーや大きな石が突き出していてその下が野宿に適したような場所で泊まりたいとおもうとしましょう。いきなり荷物を中に入れるないで入り口で降ろして、ヤドゥクイ(宿乞い)ということをするんですね。荷物を降ろしたらかぶりものを取って衿を正します。そして、中に入って、まずこういうふうに呼びかけるんですよ。「イリャーヌ ヌシ シサレ iryã: nu nushi shisare」つまり、洞窟の主に申し上げます、というわけです。木の下に泊まる時には、「キーヌ ヌシ シサレ」つまり、木の主に申し上げます、というんです。そのあと、
「今日は、これこれの用事で、だれだれが泊まらせていただきたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます」と唱えるわけです。私の知るかぎりでは、特にささげものをする、ということはありませんでした。無断で泊まるのでなくて、許してもらう。それは、必ずやるものとなっていたんです。このあと、中に入って掃除をします。そして、敷物をしいて、荷物を中に入れます。この宿乞いをきちんとやると、夜中に責められないですみます。まあ、悪い夢をみない、といいますかね。
ヌシのことを、シーともいいます。精とでも字をあてますか。鹿川湾の洞窟や、グザ岳の下のグザイリャー Guzá iryã: なんかにはよく泊まりました。私のおやじたちの代までは、山の中でずいぶん泊まったらしいです。建材のキャーンギ(和名イヌマキ)を切り出したりするときは、ほとんどグザイリャーあたりまで行って泊まったものだと言いました。犬をつれて山を歩き回った時には、いたる所でこの宿乞いということをやりました。
----(安渓遊地)自然が神である、あるいは樹にも石にも魂がある、ということは、あちこちの島の人から聞きましたが。
一切のものに神がやどるというのはね、宗教的な立場からのことばになります。これは、自然を大切にしてくださいという意味ですよ。自然と人間というものの関係は、太古の昔からいろいろ変わってきているけれど、今の時代になってはじめて自然の大切さがわかったんですね。
竹富島や黒島では、浜に漂流木があるのをみつけたら、それを自分の家までもってゆくまでは、やりかけの仕事もしない。これぐらい、ものを大切にしたそうですよ。西表あたりとはずいぶんちがいますね。
安渓君、あなたの学問は、まず自分の五体で感じたものをよく咀嚼して、それを学問的に表現していくところに持ち味があると私は思います。ひとつこれからもその持ち味を島のために生かしてください。
----オー、ミーハイディ ウマリルンヨー(はい、ありがとう存じます)。
(松山さんのお話の全文は、https://ankei.jp/yuji/?n=126 の「木にもいのちがある」でお読みいただけます。)
資料3 西表島の地名と生物文化データベース
生活 の語彙のS111に カラフニ(刳り舟) があります。干立の与那国茂一さんの語彙集から。 https://airtable.com/appeCFMkKnbby6jPd/shrjpApSfTx03gpBA/tblT9DD1c8GE867w2/viwSTLCxu8DfHwBSK?blocks=bipu5UDmUk4pEq5Q1