フィールドノート)腸チフス患者フィールドノートの束を偽造パスポートと言われてファーストクラスに乗りウォトカを飲む RT_@tiniasobu
2023/02/27
1983年、コンゴ川の上流を丸木舟でくだって、物々交換の市場を探すという旅をしている中で、体調不良で腸チフスと診断されて、旅を途中で切り上げたことがあります。
内戦前の、北キブ州の美しいブカブの町まで来て、ルワンダ側に国境を超えたシャンググ(Cyangugu)の空港から、ナイロビ行きの飛行機に乗ることにしました。19人のりほどのツインオッター機だったと思います。
カウンターで、搭乗手続きをすませて、ふと足元を見ると、ない! 大事なフィールドノートをいれた旅行かばんがないのです。あたりを見回してもそれらしい人影もありません。あわてふためいて、空港内をかけまわるうち、ふと見ると、乗る予定の飛行機の貨物室にちゃんとおしこまれていました。有能な係員が、黙ってサービスしていたのです。
大いに安堵してナイロビに着きました。帰国の便はセイシェルズ経由なのですが、出発の朝はやく、旅行会社に行って、予約確認をとり、予約のステータスをRQ(リクエスト)からOKに書き換えてもらいました。空港について、荷物検査ですが、わたしが腹巻きにしていた、お札入れが見つかりました。そこに入っていたお金が何ドルだ!? と詰問されて、適当にこたえたら、中身とちがっていたのですね。これは怪しいやつということになりました。担当の女性係官に、「偉い人=ムクブワ=を呼んで」と言ったら、「わたしがここのムクブワなのよ!」という返事。「手荷物を調べなさい!」の命令一下、さっそく機内持ち込みのかばんをあけている男たち。
「あ! こいつ、偽造パスポートを10冊ぐらいもっています!」
勢い込んで調べてみたら、わけのわからんことが書いてあるフィールドノートの束。そうこうしているうちに、飛行機は出ていきそうです。ああ、「偉い人」の逆鱗にふれて、ナイロビに逆戻りかと覚悟したところで、「こんどは許さないわよ」と言われ、先に進むことができました。証拠不十分で放免です。
ようやくの思いで到着したセイシェルズのマヘ空港は、大雨でした。その中に霞んで見える断崖は、その形は、与那国島のティンダハナタ(天蛇鼻)にそっくりでしたが、高さは4倍ぐらいありそうに見えます。ぐったりするほど蒸し暑いので、ビールでも飲もうかと、バーを探しましたが、飛行機の出る夕方ごろまではあいていないとのこと。
夕方近く、ようやくオープンしたカウンターのところで、ブリティッシュ・エアウェイズの係の女性が、素っ頓狂な声をあげます。「この切符はどうしてOKなの!? もう満席なのに・・・・・・」
「天下のBAが、オーバーブッキングをされるんですか?」のわたしの質問に、
「いまどきオーバーブッキングしない飛行機会社はありません。ファーストクラスならあいていますから、差額を負担されれば乗り換え可能ですよ」という返事。
わたしは思わず
「なんで、OKのチケットをもっとるもんが、差額はらわんとのれんと?」と文句をいいます。
「ああら、お乗りにならないのね。キャンセル待ちの方はいっぱいですから、どうぞご自由に」
そこに行列していた、リクエストの切符をもっていて乗れない人たちが、次々に差額を払ってファーストクラスの客となります。日本人のテレビクルーたちは、重い機材のこともあり、南ア経由の便を探すか、などと相談しています。
しまった、軽率なひとことのせいで、チフス菌とフィールドノートの束を抱えて、次の便まで雨季のセイシェルズ 1週間のご招待かもー。
後悔しているわたしに、窓口嬢
「あと一席だけあいていますが、乗りますか」
「はい! 乗ります乗ります」
あわてて、銀行の窓口でドルをセイシェルズルピーに交換してもらって、もどってくると
「もう、時間がありませんから、乗り継ぎの香港で払ってください」
病気なんていってられません。猛スピードで銀行にかけもどり、さっきのお金を返して! と手数料ははらわずに、ドルをとりもどして、搭乗できました。
始めて登った、ジャンボ機の2階の最前列の席、空間が広々してさすがファーストクラス!
黒海の上を通るわけでもないのに、途中でキャビアなんかどんぶりで持ってきて、すきなほど皿に載せてくれます。
「ウォトカはいかがですか?」
「ああ、いただきましょ。」
熱が続いて、治療がおくれれば、腸に穴が空いて死ぬという病気であることは忘れています。
今朝からのつかれとウォトカの酔いで、すっかり寝込んでしまったわたしは、ふとめざめると、夕食を食べそこねたことに気づきます。
香港の空港でアナウンスで呼び出され、千米ドルあまりの差額をしはらわされました。
(BAに手紙を書いて交渉して、とりもどすのに、3ヶ月ほどかかりました。キャビアの代金ほど目減りしていましたが、それは許しましょう。)
そのあとは、以下にご紹介したように、隔離病棟への入院や、文部省からの一喝など、まだまだ波乱と腹立たしいことは続くのですが、論文や報告を書く前に、
生きてフィールドノートを持ち帰るのも、なかなか大変だという例として書いておきます。
http://ankei.jp/yuji/?n=2444
安渓遊地