人生)「平凡」に生き 無縁墓に入る #ハンセン病 #小笠原登 #光田健輔 RT_@tiniasobu
2021/02/19
2023年7月31日追加
ドキュメンタリー映画ができています。https://www.asahi.com/articles/ASP693GPQP67PLZB00K.html
ハンセン病強制隔離に抗った京大医師の記録映画を公開
大貫聡子2021年6月9日 15時00分
国のハンセン病隔離政策に一貫して反対し、患者の治療に生涯を捧げた京都大学の小笠原登(おがさわらのぼる)医師(1888~1970)のドキュメンタリー映画「一人になる」が京都シネマ(京都市下京区)で公開されている。10日まで。
小笠原医師は1915年に京都帝国大学医学科を卒業後、京大病院の皮膚科特別研究室でハンセン病患者の治療にあたった。
当時、ハンセン病は誤った認識から、国による患者の強制隔離が行われ、患者や家族らは苛烈(かれつ)な差別や偏見にさらされ続けた。「らい予防法」は1996年に廃止。2001年には、元患者による国家賠償請求訴訟で熊本地裁が隔離は違憲との判決を出し、国は控訴を断念。政府も謝罪した。
小笠原医師は、そのはるか前から隔離政策に反対し続けた。患者を守るためにカルテの病名欄を空欄にして診療し、ある患者の家族が職場を追われそうになった時には、同僚や上司を説得するため、遠方まで足を運ぶこともあったという。
映画では、国だけでなく医学界や宗教団体も差別に加担した事実にも迫る。プロデューサーの鵜久森典妙(うくもりのりたえ)さん(72)は「小笠原は医師、公務員、僧の三つの立場で同調圧力に屈しなかった。どれほど孤独だったか。タイトルは群れるな、という思いからつけた」と話す。
監督の高橋一郎さんは4日、大阪市淀川区のシアターセブンで、シンポジウムに出席後、虚血性心疾患で亡くなった。67歳だった。鵜久森さんは言う。「今もコロナで差別に苦しむ患者や家族はおり、過去の話ではない。人間の根っこは変わっていない。彼が一人になることを恐れず、医師として信じる道を進んだ背景を若い人にも知って欲しい」
大阪市淀川区の「シアターセブン」では18日まで、神戸市中央区の「元町映画館」では12~25日上映される。問い合わせは映画製作委員会(072・845・6091)。(大貫聡子)
ETV特集(NHK)でもとりあげられて、そのまとめが載っています(2016.04.24)。
https://tvmatome.net/archives/4044
防府市出身の医師、光田健輔(防府駅前に銅像あり)が、西表島に、3万人のハンセン病患者を絶対隔離する案を1917年1月、内務省に提出したということを原稿に書いていて小笠原登という医師・僧のことを知りました。
国際留学生新聞の記事(年月日なし)から
http://ifsa.jp/index.php?Gogasawaranoboru
名声赫赫(かくかく)たる光田にくらべ、
「平凡」を貫くことの大切さと困難さを教えてくれる みごとな人生の師だとおもいました。
父の父(雅亮)の、
「我死なば 墓を建つるな 経読むな 信の上より み名を唱へよ」を思い出しつつ
安渓遊地