わが友)#竹富島_・喜宝院蒐集館の_#上勢頭芳徳_さんをしのぶ_RT_@tiniasobu
2021/01/20
よしのりさん。あれは1974年だったか、はじめて竹富島でお会いしたときは、あなたは邑(むら)さんと呼ばれていましたね。
小雨の中、傘をもっていなかった私が、喜宝院から仲筋村まで歩いて行こうとしていたら、車で送ろうと深切に言って下さったのでした。
その時の私の返事が可愛くなかった。「そんなにしていただく癖がつくと、今度からふらりと島に来にくくなりますから……」
といって、黒いゴミ袋に穴をあけて貫頭衣みたいなものをつくって、それを着て歩いて行ったのでした。
長崎生まれのあなたが、島の言葉を覚え、島の伝承を残す大切な人になって行かれる様子は、とても印象的でした。
いっしょに生ビールを飲みながら、「何十年たっても、竹富島DNAがない」などという言葉が出るということを聞いて、
私「DNAって、もともと、島建ての祖先が、ムーヤマといって、6つの島々から集まって力を会わせて、うつぐみの心を育ててきたという歴史をしらない人が、Dデーンと座って、N飲んで、A遊ぶ じゃないの?」といって笑いあったのは、昨日のことのようです。
あなたとの思い出の動画を以下にはりつけました。
1 文化財のささやき(上勢頭芳徳さん)https://youtu.be/ZpT1QsaBFus
沖縄八重山竹富島喜宝院蒐集館の上勢頭芳徳(うえせど・よしのり)さんの「収蔵品が自分のことを書いてほしいとささやく」というお話。2007年9月5日収録。まだ「ムラさん」と呼ばれていた、1974年からのお付き合いでしたが、ビールを飲みながら語ったこの晩が最後の別れとなってしまいました。ご家族の許しを得てアップします。
2 人頭税時代の拷問 https://youtu.be/RqGf-9AXoNA
竹富島喜宝院蒐集館で、拷問道具の実演。役人=上勢頭芳徳館長。拷問される農民=安渓遊地。撮影=全京秀
普通、こんなにいじめられた道具なんていうのは、人頭税が廃止されたら、憎しみをこめて折ったり捨てたりして当然だと思うんですが、それがちゃんと保存されて動態展示されているところが、喜宝院のすばらしいところです。
屋久島に若者があつまって、屋久島を教科書とするフィールドワーク講座という企画で、講師になって来ていただいたのもありがたいご縁でした。2004年の第6回の記録から
「島に要るものと要らないもの-竹富島の町並みづくりの経験から」
上勢頭芳徳(屋久島フィールドワーク講座講師)
https://www.wrc.kyoto-u.ac.jp/stations/yfc/2004/gaiyou/gaiyou.html
あなたに指導を受けた、人と自然班の学生達の気づきを以下にはりつけておきます。
最後に、話しあいの中で印象に残った言葉をいくつか引用して結びといたします。
「自然と文化についての知識が自分のものとなって,愛情に裏付けられて行動に表れる。」
「頭と心と体がしなやかに連携して動く。これぞ『島びと』。」
「島だからわかりやすい。自分の地元で動くための勉強をさせていただく場としての屋久島なのだ。」
「島で学んだことは世界に通用する。」
対談 上勢頭芳徳・小林文人 竹富島憲章と竹富公民館 は、紹介された資料も多く、すばらしい内容です。以下のリンクとともに、長く読まれるように、pdfを添付しておきます。
http://bunjin-k.net/taketomitaidan07.htm
■上勢頭芳徳・略年譜 *遺族提供
以下のブログから引用させていただきました
http://bunjin-k.net/usdotuitou201703.htm
(1943年~2017年)
経歴:
昭和18年(1943)10月24日 長崎県諫早市生まれ
昭和42年(1967)03月 福岡大学商学部卒業
昭和49年(1974)05月 竹富島移住
昭和55年(1980)05月 喜宝院蒐集館勤務
昭和57年(1982) 全国町並み保存連盟幹事就任(竹富島を守る会代表として)
昭和57年(1982)10月28日 八重山毎日新聞社竹富島特派員初投稿
昭和59年(1984)08月 喜宝院蒐集館館長就任
昭和63年(1988)01月 博物館学芸員資格取得
平成04年(1991)04月01日 竹富公民館主事選出
平成04年(1992)04月 竹富島集落景観保存調整委員会事務局長選出
平成15年(2003)01月24日 特定非営利活動法人たきどぅん理事就任
平成15年(2003)06月02日 特定非営利活動法人全国町並み保存連盟理事就任
平成16年(2004)05月22日 特定非営利活動法人全国町並み保存連盟理事退任
平成17年(2005)03月31日 竹富島集落景観保存調整委員会事務局長退任
平成20年(2008)05月08日 沖縄県博物館協会賞受賞(喜宝院蒐集館として)
平成22年(2010)04月01日 地縁団体法人竹富公民館長選出
平成23年(2011)04月01日 地縁団体法人竹富公民館長再任
平成24年(2012)03月31日 地縁団体法人竹富公民館長退任
平成24年(2012)04月 竹富島集落景観保存調整委員会会長選出
平成25年(2013)03月31日 竹富島集落景観保存調整委員会長退任
平成26年(2014)01月21日 竹富島の聖域・文教地区を守る住民の会会長選出
平成28年(2016)03月11日 八重山毎日新聞社竹富島特派員退任
平成29年(2017)3月22日(水)午前11時52分逝去 享年75歳(満73歳)
著作・論文・記事など
・解説:「竹富島種子取祭」 大塚勝久写真集『うつぐみの心竹富島』葦書房/1992年
・『竹富島に何が可能か』 宮澤智士 共著 東京ソルボンヌ塾/2001年
・論文:「竹富島の信仰会と御嶽」 『東アジアの周縁部の土着の聖なる空間に関する研究』
東京藝術大学大学院美術研究科 文化財保存修復建造物研究室/2004年
・「今、なぜ町並み保存か」 『沖縄文化研究所報57号』 法政大学/2005年
・「竹富島の行き方、竹富人の生き方」 『月刊 情報やいま4月号』南山舎/2007年
・「久高島と竹富島」 『今こそ琉球の自治を』藤原書店/2007年
・対談「竹富島憲章と竹富公民館」TOAFAEC年報『東アジア社会教育研究』12号・2007年 ほか
・「外村先生来島五十年」(『民芸』675号、2009年3月)
以上、感謝を込めて合掌 なむあみだぶつ
安渓遊地・安渓貴子(生物文化多様性研究所)