わが師)思いやりあれば花 屋久島の教え RT_@tiniasobu
2020/10/23
屋久島の教え---あるお百姓さんの言葉から 文化人類学の授業用です。
人類は、地球の害菌である。
(しかし)思いやりあれば、
花を見ることができる。
これから何億年先の人たちが、
花と交流できるか、
それとも十年で滅亡するか、
これは人間の心ひとつにある。
なぜ、自分というのが生まれたのか……。そして、自分はなぜ、いまここにいるのか?いまポカッと生まれたものじゃないですよね。自分を生んでくれた親がいるから、いまここに自分がいる。その親にも親があって、そのまた親にも……。これは、人類の始まりまでさかのぼります。でも、人類だって急にできたものじゃなくて、その元になった生き物たちがいたわけでしょう。してみると自分がいただいている
「いのち」は、地球の生命の歴史と同じだけの歴史があるわけですねえ。地球がうまれて、いろんな生命がうまれて、人類がうまれて、そして自分がうまれ、いまここに生きている。そこには血の流れというか、ひとつのつながりがあります。この地球ができて四五億年になるといいますね。してみれば僕のいのちも四五億年のものだなあ、僕もそれだけ生きてきたんだなあ、と思います。肉体はわずか七〇年しか生きていないけれども、祖先のたましいが私に流れているのを実感するんです。
この地球の中に、いろいろな生物とともに助けあってきて、いま現在の自分があるんだということ。それが本当にわかったら、そこから「思いやり」ということが出てくるんです。僕が「思いやり」というのは、「いのちを大事にしあって、すべての生物から喜ばれるように」ということです。これ以上壊してはいけません。これから、人間の生きかたを考えていかんといかんなあ……ということを考えています。
今、屋久島の自然を守る話がいろいろ出ていますが、屋久島が自分の庭である、自分の家である、という気持ちで歩いて行かなければいかないですね。山に杉ばかりを植えるのではなくて、実のなるものも植えて、鳥や獣たちの食べることも考えてほしいですよ。動物も人間も花のさすときはお互いに楽しみながら生きていかんといけません。
人間として生きている以上は、虫もけだものも、いのちあるものだから、大事にせんといかんなあ、と思います。植物も何も、すべての生き物は、お互いに人であると思うんです。そして、互いに愛しあっていかんといかん。自分たちも自然の人であり、生きものたちは、大切な人たちなんです。人類が滅びたあとの数億年先にも、この地球には自然の人たちがいのちを花咲かせていることができるはずなんです。
そしてまた、この自分というものは二度とは出てこないんだということに気付くわけです。他人もそうでしょうけどね。だから、働くだけではものたりません。何かを残さないと……。自分らは四五億年生きているけれども、のちの人たちは生きて行けるか。そのことを自分で反省しながら進んでいかにゃいけんと思っています。これから生まれてくる人たちは本当に大変です。
日本人と満州の人たちは兄弟のようなものだと日本では聞かされて、満州に行きました。しかし実際に行ってみると、自分と中国人や朝鮮人との間の差別はものすごいものでした。たとえば、中国人は鎖で両側をはさまれて、ふんどし一つで工場まで歩かされます。着替えるのも吹きっさらしの戸外です。そして言うことを聞かんとムチで叩くんです。
会社までいく途中に、そういうひどい目にあわされている人を毎日のように見るんです。老人から子供までも、木枯しでおちたアカシアの葉を集めて背負っていました。これが暖房につかう燃料だというんです。一方、うちらはスチームでしょう。そのころ詠んだ歌です。まだ一七歳でしたから言葉が少し変なところもありますが……。
からころと 木枯し吹けば アカシアの 落葉背負いし 中国の人
りんごを大箱にひとつ丸ごと中国人の店先からとって、お金をぜんぜん払わない日本人もいました。そういう人は、マーチューという馬車に乗っても、ただ乗りするんですね。
僕は、中国人とも満人とも人間として同じようにつきあうように努力していました。中国人や満人に食べさせていたものは、お米といったら一日一回だけ。それもチョク(盃)一杯ぐらいのお米にゆがいた大豆と大根を入れて、どんぶり一杯にしたものしかあげないんです。僕らはお昼は、とうもろこしで作るトッピキというものや、マントウなんかをスチームの上で焼いて食べるんですが、ひどいめにあっている中国人に何度も食べさせてあげました。育ちざかりの太りざかりに屋久島では食べるものがなくて、僕もそういう苦しみはよくわかっていましたから。
当時僕が満州で見た日本人のうち、中国人や満人に対して正直にやさしくしていた人は、さあ、一〇人のうち四人いたかなあ……。僕は、自分としては、一生懸命やさしく正直にしていたけれど、その仕方が足らんかったかな、と今になって反省しています。
ロシア兵が入ってきた時、日本人でもつねひごろ中国人にやさしくしていた人は中国人に隠してもらっています。その逆に、いつもひどい目にあわせてきた日本人の場合は、中国人たちがロシア兵に渡す前に自分たちで銃殺しましたね。
いくら日本人が頭を下げても、僕なんかの時代を生きた中国の人たちは、日本人が中国でしたあの仕打ちを死ぬまで忘れんですよ。
人種差別をなくしていって、将来は世界をひとつの家庭のようにしないといけません。僕は、満州で日本人のものすごい仕打ちを見てきたんですから。
(安渓遊地・安渓貴子 聞き書き、屋久島の雑誌『季刊・生命の島』25号より抜粋。)
限定公開動画 奄美・カミガミの植民地 https://youtu.be/WVOD1MwS64E