割引販売)『#奄美_・_#沖縄_#カトリック_宣教史──_#パリ外国宣教会_の足跡』(南方新社) 11年かかって翻訳完成! RT_@tiniasobu
2020/04/21
地域の方の要望に応えて、フランス語からの翻訳に取り組んでいただいていた文献が、11年ごしで本になりました。多くの方にお勧めします。以下は、南方新社のサイトからの引用です(そちらで注文されると定価です、ご注意)。
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パリ外国宣教会の若き神父たちが奄美・沖縄にかけた巨大な努力の記録
日本の鎖国が解かれてからも、キリスト教はなお宣教が許されなかった。沖縄での孤立と島人に溶け込んでいった奄美での日々。慣れない気候のもと、多くの仲間を病気や水難で失いながら、地震の被害の中でも住民に手をさしのべつづけた神父たち。
在日50年を越え、長崎の崎津教会の墓地に眠るハルブ神父が大正期に書きとめた、初期奄美・沖縄のカトリック宣教の情景が、いま生き生きとよみがえる。
日本カトリック教会史の重要な記録である。
内容(目次より)
第1章 琉球
第2章 神父たちのみた奄美大島
第3章 大島の神父たち
第4章 大島での対立と大きな収穫
第5章 大島の人びととの別れ
■推薦
◎オリビエ・シェガレ神父(渋川教会・前パリ外国宣教会日本管区長)
奄美大島での宣教のことを知る貴重な資料として、日本の多くの方々におすすめします。非常にていねいな翻訳で、ハルブ神父の文章の個性やニュアンスが見事に反映されています。ハルブ神父はこの本の出版をきっと大いに喜んでいます。
◎百瀬文晃神父(元上智大学神学部教授・イエズス会司祭)
訳者の岡村和美さんは、本文の翻訳だけでなく、当時の状況や地理の確認も、情熱をもって取り組みました。明治時代のカトリック教会史はもちろん、およそ福音宣教とは何なのかを、改めて考えさせる書物です。
◎押川壽夫神父(カトリック那覇教区・名誉司教)
奄美の宣教師たちが肌で感じた島の姿が生き生きと描かれた歴史ドキュメント。琉球弧・奄美文化のルーツを辿り、今は滅びた懐かしい島の年中行事やたましいの姿を識る貴重な記録として、心のふるさとの原風景を知るには最良の書といえよう。
◎郡山健次郎神父(カトリック鹿児島教区・名誉司教)
ハルブ神父様についての著作は読んだことがあるが、本人の残されたものはこれが初めてで翻訳が完成したことをとても嬉しく思います。我が古里の瀬留教会建設にも尽力された神父様なので当時、神父様がどんな思いで宣教されたのか教会建設に関してどんな苦労をされたのか具体的に知ることができるので、直接手にとって読むことができるのを楽しみにしています。多くの皆さんに読んでもらいたいと思います。
著者 A.ハルブ神父/著、岡村和美/訳、安渓遊地/監修
判型、他 A5判 127ページ
著者紹介
著者/A. ハルブ神父
1864年、フランス北西部セ(S醇Pes)教区で生まれた。パリ外国宣教会に入り,1888年9月司祭に叙階、宣教師として日本に派遣され,奄美と長崎で大きな足跡をのこした。熊本県天草の崎津教会で日本滞在56カ年の生涯を終え1945年1月帰天した。
訳者/岡村和美(おかむら・かずみ)
九州大学文学部仏文学科卒業。山口日仏協会理事。樋口かずみの筆名で,『九州文学』同人を経て,『文芸山口』同人。
監修者/安渓遊地(あんけい・ゆうじ)
人類学専攻。奄美沖縄と熱帯アフリカで人と自然の関係を研究。京都大学理学博士。山口県立大学名誉教授。著作に,宮本常一との共著で『調査されるという迷惑』(みずのわ出版,2008
年),当山昌直との共編著で『奄美沖縄環境史資料集成』(南方新社,2011 年),監修書に『地中海食と和食の出会い』(南方新社,2019
年)など。
型番 978-4-86124-421-6
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書名:『奄美・沖縄 カトリック宣教史──パリ外国宣教会の足跡』
冊数:定価 1,650円(税込み)のところ
特価 1,320円(税込み)を( )冊
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この内容は転載していただいてもかまいません。
以下、監修の辞を転載します。
この本のできるまで(安渓遊地)
この本は,前ページの推薦の辞にあるように,沖縄と奄美にカトリックを根付かせようとしたパリ外国宣教会にかかわる人びとの足あとを丹念にたどった,1925(大正14)年に書かれた貴重な記録です。明治に入り,日本の鎖国が解かれてからも,キリスト教はなお宣教が許されませんでした。その時代に,パリ外国宣教会の若き神父たちが,琉球王国と奄美大島で,はじめてのカトリック宣教のために傾けた巨大な努力の記録です。沖縄での孤立と,島人に溶け込んでいった奄美での日々。慣れない気候の中で多くの仲間を病気や水難で失いながら,
地震の被害の中でも住民に手をさしのべつづけた神父たち。在日50年を超え,熊本県天草市の崎津教会の墓地に眠るハルブ神父が書きとめた記録が,執筆から95年の時を経てようやく日本語になったものです。
本のもととなるコピーを翻訳できないかと託されたのは,2009年9月のことでした。総合地球環境学研究所の主催で,奄美大島の大和村で「いま聞きたい・語りたい──人も自然も元気な奄美の秘密」と題するフォーラムを開催したとき,たくさん集まって下さった地元のみなさんの中に,観光ガイドをしておられる「しまさばくりにん」こと栄和朗さんがおられたのです。「面白そうな内容でぜひ読んでみたいのだけれど,フランス語なのでさっぱり意味がわからない」という言葉とともに手渡されました。
私は,沖繩や熱帯アフリカの,人と自然の関係の研究が専門で,フランス語とはアフリカ地域研究のためにパリで1年半すごしたという程度の経験しかありませんが,ざっと目を通してみると,沖縄と奄美でのカトリック宣教の初期の記録として非常に詳細なものだとわかりました。母の故郷が瀬戸内町西阿室で,加計呂麻島唯一のカトリック教会のある場所ですから,これもなにかのご縁と思ってお引き受けしてから,10年もの時が経ってしまいました。
2017年まで大学教員であった私は,なかなか翻訳の時間がとれそうにありませんでしたから,山口日仏協会の仲間の岡村和美さんに,コピーをお渡しして訳してもらえませんか,とお願いをしました。とりかかった岡村さんは,こつこつと努力を重ねられました。しかし,18年かかって2名の洗礼者しか得られなかった宣教師たちの苦難の日々が綴られた沖縄編の訳業は,カトリックの熱心な信者である岡村さんにとっては余りにも過酷なものであったようで,最終の原稿ができたのが,2019年8月でした。
その間,フランス語については,山口日仏協会会長の末松壽先生(九州大学文学部名誉教授),カトリックの教えについては,現在,山口市のサビエル記念聖堂の主任司祭である百瀬文晃先生(元上智大学神学部教授)の教えを受け,訳文の修正を進められました。
私は,こうした経緯で監修を引き受けさせていただくことになり,主に奄美の地名や住民の生活についての面から,必要な場合には原文にもどって訳文を検討させていただきました。どうしても調べが付かなかった中国の地名については,前パリ外国宣教会日本管区長オリビエ・シェガレ神父にお願いして,パリ外国宣教会の専門家のご教示をあおぎました。また,栄和朗さんや,喜界島の助祭である四條淳也さんには,推薦の辞をたまわった神父様方をはじめとする多くのカトリック関係者を紹介していただくとともに,貴重な資料を提供していただくことができました。
岡村さんは,たくさんの詳細なる訳註を作成されましたが,キリスト教について基礎的な知識がない読者のために,事典などからの引用をしたものが中心でしたので,今回の訳では,最小限のものを[……]にくくって文中に示すに留めました。
出版にあたっては,これまで奄美や沖縄に関するいくつかの本の出版を引き受けてくださった,南方新社の向原祥隆社長にお願いをすることになりました。
口絵として,本書に登場する主な宣教師の写真を,既存の本からの引用で掲載させていただいています。いくつかの写真は,パリ外国宣教会の日本管区長様とドゥゲストゆりさんのお心づかいによるものです。表紙には,奄美市で染め織りの創作工房「さねんばな」を営んでおられる佐竹京子さんが1997年に奄美大島各地に足を運んで撮影された,教会の庭で遊ぶ子どもたちの写真を使用させていただきました。
2019年4月には,ハルブ神父が建設に携わった,瀬留教会と浦上教会の復活祭のミサに妻とともに参加させていただき,この本の内容をご紹介して予約を募らせていただくことができました。瀬留では和やかな交流会にも参加させていただき,りっぱな『瀬留カトリック教会献堂100周年記念誌』をいただきました。本書の出版を心待ちにしてくださったみなさまに,印刷用版下の作成を担当した私の都合により,出版が遅延したことをお詫びもうしあげます。
この本では,現在の事典の表記に合わせて,フランシスコ・ザビエルと表記されていますが,最近,私が監修したもう一冊のカトリック関係の本『地中海食と和食の出会い──サビエルと大内氏の遺産を生かして』(南方新社,2019年)では,現地バスク地方および山口での発音に近い「サビエル」と表記しました。本書とあわせてお読みいただければ,サビエルのひととなりや,ふるさとでの様子,日本での活動などについても,これまでにない知識が得られる内容となっています。
訳者の岡村さんが参照された資料は,本の末尾に載せましたが,著者のハルブ神父についての詳しい評伝が,廣瀬敦子著『よみがえる明治の宣教師──ハルブ神父の生涯』(サンパウロ,2004年)として刊行されています。その中には,地元の赤尾木集落の人たちから「赤ひげ神父様」と親しまれ,キャベツやトマト,クレソンなどの西洋野菜の作り方や種子の採り方を教えた恩人としての姿が描かれています。
パリ外国宣教会から日本に派遣された宣教師については,2018年に脇田安大著『パリ外国宣教会宣教師の軌跡──幕末から昭和初期の長崎を中心に』(長崎の教会群情報センター)が出版されました。これは,本書にも登場する多くの宣教師について,大判の見開き2ページ,豊富な写真入りで紹介したものです。内容的にはカトリック長崎大司教区が監修したしっかりしたもので,フランス語の人名や地名の表記についても,本書に推薦の辞を寄せて下さったシェガレ神父が協力しておられますから,まずは今後の日本語訳の標準となるものと考えられます。
パリ外国宣教会の年次報告も,松村菅和・女子カルメル修道会の訳で,1996年に聖母の騎士社から刊行され,『パリ外国宣教会年次報告? (1846-1893)』には,本書で扱われた奄美大島についての短い記述もあります。地名や人名表記を日本語で表現する困難や,カトリック用語集の解説も付けられていますから,より深く学びたい方には有用な資料でしょう。
文英吉『奄美大島物語(増補版)』(南方新社,2008年)は,旧版にはなかった「神父さん群像」を加えており,必読のものです。その中で,コシュリー神父がコゼリ神父,本名はコルベリー神父として紹介されているのが珍しく思われます。また,中村長八神父についての詳しい思い出が興味深く,その中に中村神父が以下のように語ったことが紹介されていて,ハルブ神父らがいかに地元のことばを身に付けることを重視していたかがわかります。
ハルブ神父さんは,一度瀬留の教会でボーネ神父さんと会われたことがあったんですが,ひとりは嘉渡ことば,ひとりは赤尾木ことば丸出しで地元の人顔まけという形でした。……とくにハルブ神父さんは,そのなまりまで全然赤尾木ことばで,暗すみで聞くと赤尾木の人としか思えませんでした(同書,548頁)。
これほどまでに深く溶け込んで暮らしていたパリ外国宣教会の宣教師たちが,心ならずも立ち去ったあとの奄美大島では,カトリック信者に対する苛烈な弾圧が進められていきます。その様子は,小坂井澄著『「悲しみのマリア」の島──ある昭和の受難』(集英社,1984年)に,美しい写真つきのドキュメンタリーとして描かれ,さらに,地元新聞の記者の手で宮下正昭『聖堂の日の丸──奄美カトリック迫害と天皇教』(南方新社,1999年)が出版されています。
そうしたカトリックの歴史を踏まえて,いくつもの大型本が奄美の地元では発行されていますが,その中から次の1冊をあげておきます。奄美福音宣教100周年記念誌編集部『[カトリック]奄美100年』奄美宣教100周年実行委員会(1992年)。
現在の奄美の教会の美しい写真は,例えば以下で見られます。https://amami.studio-kerasa.com/church.html
カトリック鹿児島司教区の公式のホームページの奄美の教会紹介は,以下にあります。https://kagoshima-catholic.jp/diocese/amami/
この小さな本の出版まで,お力添えをいただいたすべての方々に心から感謝申し上げます。
原典:
Bulletin de la Soci醇Pt醇P des missions 醇Ptrang醇Qres de Paris 1925: 255-266,
319-329, 381-392, 449-457, 513-520.
原文のイメージとテキスト:
https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k9737943c