青年海外協力隊)リケジョの凱旋──赴任1日目の失業から地域のママたちの賛美歌に包まれるまで_RT_@tiniasobu
2019/07/05
青年海外協力隊に応募してみようか、と考えはじめたあなたへ。
会社をやめて、協力隊として働いてみたいという希望をうかがいました。それはひとつのいい選択だと思います。派遣先によって経験は様々でしょうけれど、どんなところでも、どんな状況になっても たじろがない、そんな底力をつけてもらって、もどってくる人が多いように感じています。いざという時、国からの手厚いバックアップが得られるというのも、安心なところでしょう。大学時代に鍛えた語学や、いまの職場で身に付けた力が活かせそうな行き先があればいいな、と思います。
日本の援助には、批判もたくさんあるのですが、少なくとも、直接外国に出向いて、そこの人たちと仲良くなりながら、地域の課題に取り組ませてもらうという経験を日本の
若者がさせていただけることは、とてもすばらしいことだと思います。そのために使われる税金は、ひとりあたり2000万円にもなるのですが、これはボランティアとして受け取るお金ではありません。バックアップのためにそれだけかかるということですね。
https://sloowlife.com/%E4%B8%80%E4%BA%BA%E5%BD%93%E3%81%9F%E3%82%8A%E3%81%AE%E6%B4%BE%E9%81%A3%E8%B2%BB%E7%94%A8%E3%81%AF2000%E4%B8%87%E5%86%86%E3%80%82%E8%88%88%E5%91%B3%E3%82%92%E3%82%82%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%89/
これまで、何人ものお話をうかがったところでは、実際に行ってみたら現地の状況が予想外ということがよくあるみたいですね。でも、現地からの「要請」とどのくらい外れた結果になるか、それが大きいほど、得るものは大きいという印象を、私は持っています。10数年前に聞いたある女性の経験談が印象的だったので、これから理系の力を生かした協力隊員をめざそうか、というあなたのためにメモしておきますね。以下、覚えている範囲での聞き書きです。
私は、エチオピアで数学の先生が必要ということで、青年海外協力隊の理数科教師として派遣されました。職場になる高校で、校長先生に挨拶したら、先生がびっくりしたようにこう言うんです。
「ええっ!? 女なんですか。男の先生が来るとばかり思っていたのに。女に数学は無理ですから。すぐに帰って下さい!!」
いきなり一日目から失業なんです。どうしようもありませんから、しょんぼりしょんぼり、宿へ帰ろうと歩いていたら、そこらにいた子ども達が、「やーい、ガイジン」みたいな感じではやしたてるんです。もう腹が立って、小石を投げたりして……。これが私の滞在の最悪の始まりでした。
さあ、翌日から行けるところもないし、することもない状態なんですね。
趣味が卓球だったものですから、やがて宿舎の近くの子ども達と、卓球をはじめてみたんです。だんだん親しくなってくると、子ども達のお母さんたちとも話すようになりました。そうするうちに、お母さんたちがいろいろな悩みをもっているということが解るようになりました。それで、その悩みをどうやったら少しでも軽くできるだろう、ということを考えて、いろいろお手伝いしたりするうちに、しだいに信頼していただけるようになって来たんです。村落開発担当みたいなことを手がけたりしているうちに、2年間の任期がきてしまうんですけれど、お別れするときに、お母さんたちが、キリスト教の賛美歌を歌って別れを惜しんで下さいました。(お話終わり)
いろいろな入り口から入っても、結局は コミュニティの課題に取り組むというようになってくるんですね。
日本の田舎で、農業経験とか、薪を焚いたりするといった経験は、試験を受けるときに、意外に役立ちますから、またワーキングホリデーにおいでなさいね。