ルーツ)毎日2時間バイオリンを練習していた5歳のころ 母の日記から
2024/04/03
2024年4月3日、若干の誤記を修正し、注をほどこしました。ハイフェッツの写真を以下から借用。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%84
富山県高岡市に住んでいたころ、屋敷文夫先生のもとでバイオリンをひいていた時代のことを以前に書きました。
http://ankei.jp/yuji/?n=128
母・芙美子の遺品の中に、「バイオリンのために(母と子の記録)」という日記が2冊あります。5歳で毎日2時間、6歳で4時間という猛練習だったようです。
文中、島尾は、氷見市島尾の郵便局です。屋敷先生は局長さんだったのですね。バンバというのは、雪バンバともいって、木でできたスコップのようなものです。
荒野さんは、高岡市千石町(もと百姓町と言った)の借家での家主さんです。
なぜ、そんなに懸命にバイオリンに打ち込むようになったかは、日記に中に挟まれた、小説風の「芙大々(ふーたいたい)」の昭和20年の内モンゴルのカトリック修道院でのエピソードでわかります。
https://ankei.jp/yuji/?n=111
1956年11月11日から始まる母の日記から
○遊地も五月から一緒に教えて頂く。
小さすぎて(満五才)だめでせうといったら屋敷先生、反語のように「大きすぎるよ」と仰言った。このごろその意味少しわかりかける。
いくら小さくても、赤ん坊以外なら小さすぎることなさ相だ。なぜって音楽を理解して入るかわりに生活自体が音楽となれるから。
ためしに遊地の生活を見よう。積み木をつんでいる。I、II、III、I、II、III、リズムそのもの、
絵本を見て喋っている。
「クマサンこれからバイオリン習いにゆくの。
ハイ練習してきましたか、
ううん途中の川でおとしたんや、
先生のクマサン申します。 いけませんね。ガッキはもっと大じにしなさい。
子供のクマサンいいました。「ボクのバイオリン ナーンええがにならんさかい(注、ちっとも良く鳴らないから) すてたのやもん」
先生のクマサン言いました。私が作って上げましょう。それから狸や狐やらからいろいろ買って、ほらチビクマサンええバイオリン作ってもらってよろこんどる。
ナニひこうかなあ。ミリタリマーチ。パチパチパチ。これ手たたいた音。あれ遊ちゃんよりうまいなあ。お母ちゃまくらいかな。もっと上手や、屋敷先生程かな、ソヤソヤ、ワシヤ、ハイヘツ(注、ヤッシャ・ハイフェッツ、ヴァイオリニストの王と言われた)程、うまかったのや。」
そして、口誦んでいるのは1、2、3、4といふ指盤を押える指によって表現されるミリタリーマーチのメロディー。
傍で編物し乍ら微笑ましくなってお母ちゃんの私、幸福そうな笑い。
○一日二時間の練習は遊地にとって苛重だと皆がいう。然し私はそう思はぬ。それはバイオリンを手にしない人に苛重なのであって、子供が稚(おさな)い程、その練習は苛酷でないと逆説めくが私は思っている。なぜって、物心つくころから絶えずバイオリンの音色の中で育ってきた子供にとって、手にするのこそ半年前であっても楽器は殆ど体の一部とさえなっているのだから。手にとることは殆ど本能を働かせるのと相違ない筈だと思う。……
彼氏はもう物心ついた時から母と兄の練習をきき、見ている。
自分はバイオリンをしなければならないのだと思い込んでいる。メロディーもリズムもたえず耳にしているから練習は容易である。従って一日二時間の練習は決して苛酷ではないという結論が生まれる訳、来年満六才になったら私は多分その時間を二倍にするつもりでいる。
少しでもいやがった場合、練習しなければお八つもあたえない。どこへも連れてゆかない。
練習を快くすれば沢山褒めて気持ちよくしてやる。そういう立場をとる日もある。或時はもっと強制的に叱る日もある。お尻を五度程ひっぱたいてものもいわないでをく。黙ってオッカナイ顔をして、にらみつけてをく。或は私が楽器を持って根気よく気が向くまでひいている。すると遊地は反射作用を起こして、いつの間にか楽器をもって傍にたっている。私はかわいいかわいいをして(頭を丁寧に撫でて)さあ初めましょうという訳。
普通は何気なく初め一時間終わって又午後、保育園から帰ってから一時間することに、何のこだわりもお互いに感じてはいない。
何にしろ子供を指導する母親は、却々リンキ応変に子供のその時の心情の所在をたしかめてからやらないと、失敗するのぢゃないかと思う。
……
「そんなに烈しい程の練習をつづけて将来演奏家にでも仕立てるつもりなの」友のすべてが非難のこもる目差しをそそぎかける。
「止しなさい。音楽家なんてそもそも資金的にも体力的にもなれるものぢゃない」
「宛で強制ぢゃないの 小さい子供に可哀想ぢゃないの」
私はつよくはねっかえす。世間の目、外からのもの丈じゃなくて私の内部にもある世間の目、そんなものに気おくれしていてはとても練習出来ない。子供は将来何になるか、そんなこと私のはかり知られることではない。学問する人になるか、会社員になるか、労働者になるか、子供は自分の道を拓いてゆくことだろう。どんな道にすすむ人間であろうとも、子供達にとって、幼い日からたとえそれが自ら望んだものでなく強制されたとしてでも、自分が音楽を知り得たことを決して後悔はしない。一つの道に専心することの尊さと習練の堆積がどんな実りを貢らせてくれたかに心づいてありがたく思う時は必ず訪れる。
そして大切なことは、目的は向こうにあることでなく、「やりつつある現在」そのものだということ。今懸命に励んでいる。そのことが尤も重要な目的なのだ。
12.13
遊地、鈴木鎮一の巻三終わったので四に入る前にスポア教則本やらなくちゃというので少しやらせてみたがこの子は、譜をみること全然なく、ただ私のひく音に合わせて、私が音程やリズムや強弱を口で教え込むようにして練習してきたせいか教則本のようにメロディーに乏しいものでは興味も持たないし、やろうとはしない。仕方ないので直ちに四に入ることにして練習する。譜を読ませたい。せめて指使いの数字だけでもみるくせをつけたい。と思い乍らそれは新たな努力を要する仕事なので二人ともいやがっている。まづお母ちゃまの私から辛抱して努力しなければ。
「弓が前に倒れる。指盤の上を流れる。バイオリンが下に下る」いけないいけない。だめだめづくしであんまりやかましく言いすぎたかしら。どうも練習をいやがって仕方がない。暫く休ませて見ようか。等と迷っている。
1957.1.6
○初練習は、先ず遊坊から見て頂く。
姿勢が悪いし運弓もわるいしと注意されるけれど、私もこの子には少し困っている。性質が非常に強情に出来ていて、家で教えるにも私の言いなりにはちっともなっちゃくれない。だけでなく自分勝手な解釈をして頑としてゆずらない所がある。そのために私は真一よりもずっと心を労していらいらさせられるのに、怒るとプイと止して了うし仕方なく我慢してご機嫌とって練習させたら案の定、ぼろっかすにいわれてがっかり。屋敷先生って爪の垢ほども見逃してくれない。ここまで毎日練習させる私の苦労も一寸位思うてくれはったらええのに……と少々うらめしい気がする。大体、譜も読めないのにザイツの五番なんてむつかしすぎるのぢゃないのかしら。といってスポアーはいやがるし。
音譜を見る練習しようと思うのだけれど。又新しい努力を必要とするために、却々踏み出しきれない。音を耳できき耳が指に命じて、耳丈を手探りにしている現在の練習の仕方、メロディーをマスターすることは早いが、ピアノ、フォルテ、クレッシェンド、アクセント等の細部までききわける能力注意、はまだ生まれてこないために遊地はたびたびひきならすだけ。ここらで一つ「おかあちゃまあ」の私も思い切って面倒がらずに読譜の努力をしなければならない。
島尾から帰ってから、先づ始めに(1)の指の位置をのみこませる。五線の下第二線と第一線、第三線、第五線の上にある音符は(1)の指で押さえるのよ、と半時間程勉強して、すっかりわかったみたいなので楽譜の中から(1)の指を探してこれは、これは、などきいてみると全然でたらめ、3,4,5,なんて答える。がっかり。でも焦らないように、理論と実際がまだ子供の内部で消化できないのだから。正しいみちびき方は、焦らないでしかも根気よく毎日何度もくりかえすということのようだ。しかし根気といひ焦らないことといい、何と私に苦手なことだろう。もし私に音に対する情熱がなければ、これ程根気のいる仕事など見向きもしないかも知れない。
四方八方に目の向いている幼い魂を、練習という一つの労働に、毎日二時間以上も注意を向かわせることの困難さ、時にもう私も投げ出したくなる。曲を自ら味わうことなど殆どなく、ただ機械的に、耳から与えられた通りをくりかえしまきかえし練習するに過ぎないことは、たしかに遊地のような、外向的な年令にある子供には苛酷だとは思う。或時は余りにもいやがるのでもう止そうかと思う。それでいて決して止められないことも遊地は稚なさのままに、体中で感じていることもたしか。
「遊ちゃん、どうして時計ばかりみるの」
「長い針が十二のとこに来たら止めるがやろ、もうあと四つやね」(五分を一つと勘定して)
「どうしてそう時間ばかり気にするの」
「そんでも練習なあんおもしろないもん」
「全然いやなの」
「うん、ゼヱンゼヱンいやや」
「フン、そんなら外になんかおもしろいことあって?」
「そらあるわイ。雪ふっとるもん、バンバでダルマ作るし、雪合戦するし、バイオリンよかずっとおもしろいわイ」
「そう、それならもう止めなさい。そんなにいやならしないのもいいわよ。今日からもうお稽古止め、バイオリンも叩き壊して燃やして上げます。なくなったらしないでもいいからそうするわね? いいでしょ」
うつむいてきいていた子、顔を上げると眼に涙がいっぱい。
「いやわい、いやわい、もやしたらいやわい」
「それならお稽古しますか。いやがらないわね。きっとよ」
「うん、きっといやがらない。そやけど今丈 一寸止めさしてや。今度から一生懸命するさかい」
ああ、それが君の正直な気持ちなんでしょう。するのもいや、しないのもいや、尤も一直球をつっぱしるように驀進するような練習の仕方では疲労して途中でヘタバッて了うかも知れない。止まり後退し、いや気がさし投げ出し乍ら少しづつ前進する。天才でもなく特別音楽への興味もないごく普通の子供である遊地の方法は、やはりこういう日常生活の基本的方法と変わらない方法でありのままにしてゆくことの外なさ相だ。
1.8
○二つの方法(遊地の場合)
最初に、私が曲全体を二十辺程ひいて大体のメロディーをのみ込ませる。
それから二つの方法に分かれる。
一、細部にこだわらず全体をマスターするまでやってから細部を教える。
二、一つの音の大小、記号の有無など最も忠実に追い乍ら長い間かかって全体のメロディーを仕上げる。
今日までこの二つの方法を無意識の裡に交互に織り交ぜてやって来たが、一の方法では未知のものを早く知り得るために興味がわき練習も比較的スムーズにゆく。そのかわり後で忠実を追う時、困難が供なう。
二の場合は一と全く反対だが終わりまでいった時は、殆ど曲を仕上げられるから終わりでは楽だ。
子供が大きければ勿論二の方法しかないのだけど、小さい場合どちらをとるべきだろうか、先生にきかなくっちゃ。
1.15
○遊地サードポジション練習し始める。親指だけが残らないよう?の指と一緒に位置を上げるよう注意しすぎたせいだろうか、今度は親指だけがずっと?の指の向かい側まで上がる。でも気をつけているとどうにかできそう。
ビバルディー(イ短調 concert in a moll)始めの方、十回程練習すると途中から止めてしまう。
「どうしてつづけてしない?」
「うん。ゆうちゃんいやや」
「どうして」
「この曲いやな曲やもん。淋しい気がするからきらいや」
「そう。だけどお兄ちゃんも皆やったの、だから淋しいのでもしなくちゃいけないの」
「うん。だけどはようしてしまおうね。これやっぱりきらいや」
思い出してみると以前にやったバッハのガボットNo.1 メヌヱットNo.3のバリヱーション。ペッカーのガボットの時もやはり淋しい曲だったせいだろ、練習をいやがっていた。そのかわりシューベルトの軍隊行進曲をしていた頃は実にうれし相、且つ得意満面、子供って皆、活発な勇ましい調べを好むものだろうか。
好悪をはっきり表現するのはそれ丈音楽性に優れているとみるのは、親馬鹿チャンリンか、でも面白い小僧さんだ。
遊地は姿勢と弓の持ち方、基本的な楽器と弓の位置について執拗に訂正をくりかえす。一本もった丈で、それが正しい持ち方になるのはいつのことやら。言っても言っても弓は後にひく。そのため弦の上を直角に走らない。直角でないからきしんだり、音が出なかったり。
楽器の方は「あご」でしっかり押さえられない。そのためポジションが変わるたびにガクンと下がる。肘が外に出るので鼻と楽器の棹は直線を画(描)かない。おまけに弓は後へ引くので、時には黒い棹の上でひいている。ついつい口八釜しく注意しすぎる。
するとチビはやーな顔する。口惜しそうだ。
「うるさくいわれるのがいやなら、自分でよくするよう心がけてごらん」
「なんぼようしよう思うても、このバイオリン ナーン。遊ちゃんの思うようになってくれないもん。もっといいの一つ買おうか」ですってさ。
楽器に主体性を見出すのはいいけれど「よくするのは自分だということ、いくら楽器を取り替えても貴方が自分で良くしようと思って努めない限り、バイオリンは少しもいうこときいてくれないのよ」と諄々説き聞かせたら曰く
「ハハアン、わかった。バイオリンっておかあちゃまのココロみたいもんやネ」がっかり。
この「ココロ」っていう言葉曰く因念つき、この間ヒスを起こして息子共に当たり散らしていたら遊地ポカンとして「何でそう怒るの」っていふから私も何だか恥ずかしくなって、お母ちゃまはネ、怒りたくないのに、胸の中にココロいうもんがあってね。それがすぐあばれだすのよ。ココロってぢっとしづかにして、お母ちゃまのいうこときいてられるといいのに、思うようにならないの。ヘンですね。遊ちゃまはお母ちゃまみたいアバレン坊のココロもってないからいいわネとチョッピリ暗示もあたえて説明すると、その時は黙って考がえていた。
多分、赤とか紫とかの色のついた三角か丸かのココロを考えているのだろうと、私は子供の円らな瞳を見入っていたのだが、却々どうして私の考える程子供は子供らしくないということ。そのものズバリと掴んでいるのを今日発見して、あんまりうっかりしてられませんと思う次第に御座候。
2.1
○遊地、ビバルディー第一楽章、一通りひきこなせるようになる。どうしても先弓がつかいにくいらしい。まるで根気比べ、先が残らないよう、ほら先が遊んでる。ほら又真ん中だけ働いている。といっていって、ウンザリする程いったら少し先に気をつけるようになる。弓の持ち方、親指を少し曲げて、後にひかないよう、直角になるようにと注意して少しづつよくなって来たようでうれしい。結局一辺には決してよくならない。毎日少しづつ訂正されるという平凡なことを改めて思う。正しい指導の下でこそ才能は伸ばされること、いつも私は忘れないように、曲を追はぬよう。子供を正しく練習されることは、私が正しい練習を積んでいてのみ出来るということ肝銘のこと。
○ビバルディー第一楽章から第三楽章の練習をする。
第一楽章の終わりに近い部分に、少し複雑な小節が重なっているので、覚えさせるのは大変だと覚悟していたが、やってみると案外苦もなく??りこす。やはり大人の感覚を尺度としてはズレルものらしい。私がみて単純だと思う方に反って、困難を感じる場合もあるから。
○バイオリンを練習してみて私は度々教えられることが多い。
子供という者は、すべてに於いて大人の未完成形だと大人達は考えることが多い。私だって勿論そう。
考えることも行動も未熟だと危ぶんで、多く注意しすぎる。うるさいだろうと思って時に控えめにしようとはするが、母性本能というもの、却々そうはいかない。やはりツベコベと注意をする。所が、子供は案外それをうるさくは感じていないらしい。母親の注意や小言は空気的存在で一向苦にもならないらしい。ということは、大して気にも止めていないということだ。
自動車が来た、ホラ危ない、ナイフを持った、それ指を傷つける。窓から首を出したらいけません。馬跳びしちゃだめホラホラと注意したければおかあさん、勝手に注意して下さいというわけだ。別に怪我もせず日々無事に籠もり籠もってをられるのは子供は子供なりに、絶えず神経を働かせて、たとえ大人がみて危険なことのようでも、興味のために注意を怠っているようにみえても本能的に身を守ることができているらしい。寧ろそういう本能は大人達より優れている場合がある。
音楽の場合だって、同じだ。子供の能力って案外発見したみたい気持ち。
○島尾で外の子供達練習みてもらっている間に遊地がいたずらをして謄寫版のインキをあちこちにぢりつけたり筆でクシャクシャに字らしきものをかきなぐる。??敷先生それをみつけてプリカン。「誰ぢゃ、こんなことをするものは」「ユーチャンやユーチャンや」と外の子供達が叫ぶ。「こんなことをするものはもう、ここへはこさせんゾ」先生そういってヂロリと私をにらむ。私何だか悲しくなってギョロリとにらみかえす。負けられませんというように先生いつまでもニラんでいる。「私がしたんぢゃありませんけど御免なさいネ」と憎まれ口を叩く。喉ンとこまで涙が出るのをキュッとこらえて
「すーみませーん」
と笑ってをく。ニクシ、人のこころも知らないで来るなとか止めとけとか。もし先生でなければムシャブリついてギューギューいわせるのにとセッシャクワン。
2.16
○遊地を練習させていると、時々根気が失せてもう本当にこれで止めようかしら、と思うことがある。ほんとに佐藤さんのいわれるように「子供の遊び道具」にしとこかしらと投げ出したくなる。あたえられた注意なんててんで「そりゃ聞けませぬ半七ツァン」だ。小さな小川がいつか大河を形造ることを夢見て鼓舞激励、投げ出したくなるのをやっとの思いでこらえ毎日二時間余り見ているけれど、今日はつくづくいやになった。私の性質として、やる以上は徹底的にやらねば我慢できない。やるでもなしやらぬでもなし遊び半分なら、いつも、きっぱりと止めてしまう。そして今日という日、本当に私は、遊地の弓を折ってしまいたかった。
四つの困難
一、先弓の使えないこと、
二、肘でボーイングせず肩でする。
三、バイオリンが体と平行しない。
四、下に下る。
曲は教えられればいくらでもひくのだが、どうしてもスタイルがよくならない。
弓と楽器の基本的関係、暫く曲を止めてボーイングばかり教えて頂くよう、いってみようかと思う。メロディーを追うことに気がむいて、もっとも大切な基本を忘れてしまう。正しい姿勢やボーイングをマスターできなければ、どれ程むつかしい曲がひけたって価値なし、結局ある程度以上になれば、正しい運弓や姿勢でなければひけないのでは、ないのかしらと思うのだけど、自分がもどかしくなる。
○遊地はいたずら小僧で、少しも目が離せない。外に出ると、大きい子供達と喧嘩して叩いたり、ひっぱったりしたりされたりしてるらしい。
「おばちゃん、あんたッちのユーちゃん、どだいきかっしやらんなあ」
子供達が可愛い声をはり上げて、いきづりに訴える。叱ろうかと思うけど「バイオリンしましょ」っていうと、何しててもとんで来るので、つい叱れなくなってしまう。それにいたずらだとわかった時は、ハッとして息をひそめ「しまった」と自分でも困っている様子をみると、それ以上にひっぱたいたり出来ない。甘やかしているかもしれないけれど、バイオリンを練習してくれるのに免じて、我慢している状態。あと1,2年の辛抱、張ったばかりの障子破いても、洗濯したばかりのズボンどろんこに穴あけても、お父ちゃまのパイプにマッチを一杯つめても、黙ってみていよう。
○毎日二時間余りの練習を、私自身、少し酷いかしらと思ってたけど、「どうせ遊んでるんだ。最低二時間位させたって、ちっともなんともない」って先生にはっきりいわれたら、一向苦にならなくなって、うれしくなっちゃった。
○「ナーン、オモシナイ、ナーン、オモシナイ(注、ちっとも面白くない)」これおもしろい言葉。お金をつかうことおぼえた遊地、お金クレルコッチャという。いやよといったら、ナーンオモシナイ、ナーンオモシナイとふくれてバンバ持って外へ行った。私だって、ナーンオモシナイ、ナーンオモシナイといってみる、するとおかしくなって笑えて来た。ナーンオモシナイ、ほんとにほんとになぁんおもしない 一寸も(注、方言ではちょっこも)なあん、おもしない。
2.24
○ジンボうちのオババが、玄関で怒鳴っている「あんけいさん、あんたっちのゆうさんが、うちのジンボ傷つけたがいネ。ちょっこ見に来てくだはれ」「ハイハイ」腰を上げたが困ったと思う。ジンボの目の横、腫れ上がっている。遊地はしょげて私のお尻に顔ひっつけている。オババはゆうを見つけると、自分のとこへひっぱってて、
「ユウチャン見られ、ジンボこないにきづつけて、今、あんたも同じとこへ同じように、傷つけてあげるがややで」、
何ともむつかしいことになった。御免なさいね、今、私お薬つけるから勘忍してくださいね、とあやまるが、オババは却々堪忍してくれない。同じことくりかえしても、やっきになってゆうをこづきまわしている。好きなようにすれば気がすむだろうと、ほっといて家の中へ入る。遊も逃げて来た。理由をきいてみると、ジンボがゆうのスケート取ったので、かえせといったら叩いたので、ヒッカイたのだという。
「遊ちゃんネ、いつも先にチャナーンせんがいや(注、先には絶対しないだよ)。誰でも叩くけど、叩き返してやんがや。口惜しいもん」
負けん気がつよいので、叩かれると我慢できないらしい。荒野さんの奥さんに困るわっていうと
「ナーンオクサンほっとくこっちゃ。ワシようみとるけど、遊ちゃん先にちゃもうせんがやで。それにあのオババ利かんがで(注、気が強いので)有名やもの」
傍からおばあちゃん
「芙美子さん、あんた家の中にばっかり居らんと、チョイチョイ外へ出てかんとせんなあ危ないや」
といわれる。ききわけることはできる。好んで喧嘩するわけではない。ただ人に負けたような気がするのが惜しい丈ぢゃないのかしらと思うのは、親馬鹿なのだろうか。真一と喧嘩して泣かせるときでも、必ず真一が先にからかってチョッカイを出すに決まっている。すると真に受けてカッとなり、力の限り奮闘して兄を泣かせる。全体困ったことだけど、性質らしいので仕方ない。倉に入れとこかと思ったけど、臆病なので止した。乱暴者にならないよう、少し情操教育をしたいと思う。
(続く)