こどものほん・おとなのほん)そんなくべつはないぞ
2024/04/06
もともと、2016年2月19日の記事でしたが、
2024年4月6日少し修正。
すぐにはなぶえをふいたりする こどもみたいなおとなにも、おとなのようなほんをよんだ くらいかこがあるのさ
ものごころついたとき、大きな造り酒屋の一画を間借りしてすんでいた。大家さんに卵を一個かりにいくようなわが家にはかえない本も手ぢかにあった。はじめてよんだのは、山川惣治さんの『少年ケニヤ』全20巻だった。でも、お腹がよわくて紙芝居のお菓子も禁止されていた幼い私は、じっさいには『こねこのぴっち』の冒険にどきどきするぐらいがせいぜいだった。小学校中学年の読書感想文ではリンドグレーンさんの『さすらいの孤児ラスムス』を2年連続でかいた。大人になってからアフリカやパリでくらして、そのあと大きな街で仕事をするチャンスもいくつかあったけれど、みんなおことわりして、やまぐちの山村の小さな森の大きなお家で薪をたきながらくらし、いまは津和野に近い阿東高原で家族農業をめざしているのは、たぶんラスムスやバートンさんの『ちいさいおうち』の影響。
小学校高学年の時に家にあった人類学の父フレーザーさんの『悪魔の弁護人』をよんだ。「その本はおまえにはまだ早い」と止めようとした6歳上の兄。世界の民族の性の習俗のいろいろが紹介された部分に興味津々だった私には、「弟であれ他人の読書に口出しするな!」と、ふだんは穏やかな高校国語教員の父が烈火のように怒って兄を叱ったのが新鮮だった。
玄関横の畳2枚分の広さの暖房のない物置に机を置いて、そこの壁を占めた本棚の父の蔵書の背中をながめていた。ある時、『ハイデッガーはニヒリストか』と唱えながら、私が部屋から出たきたのを兄が聞いて、弟にはるか先を越されたとあせったということを、大学生になってから聞いた。高坂正顕著の哲学書だったらしいが、なに、語調が気に入っただけでした。
つらいときにはやすんだらいいよ。大学教員として若者と接する時にいちばん大きな力を与えてくれるのは、5月病が慢性化して寝たきり学生になった大学1年生の時の経験。受験勉強でひからびた心をいやしてくれるのは、幼いころしたしんだ絵本だった。ほぼ1年がすぎたときには、リンドグレーンさんの『ミオよわたしのミオ』に涙がながせるまでになっていた。
いまでも繰り返しよむ本は、そうね。
賢治さんの「農民芸術概論綱要」かな。伊谷純一郎先生の『ゴリラとピグミーの森』かな。