文化人類学Ⅰ)2004年12月17日 山口県立大学国際文化学部客員教授 秋山豊寛さんの特別講義と参加者の感想
2005/03/23
2024年3月18日追記
朝日新聞の記事を追加しました。https://www.asahi.com/special/10005/TKY201112070153.html
「グローバルに考え、ローカルに行動する――宇宙飛行士 秋山豊寛 いま農に生きる意味を語る」
受講学生100人の他に、教職員、地域の方々の参加があって、F204教室が満員になる盛況でした。200部用意した資料が足りませんでした。220人ぐらいが聞いて下さったと思います。
安渓遊地がごく簡単な要約筆記をつくり、秋山さんに筆を入れていただきました。どんなお話があったか、の参考程度に紹介しておきます。
客員教授として、大学の先生でない方にきていただくことにしている、という趣旨を安野早己学部長に説明していただきました。
◎「考える」ということ
5月に県立大学に招かれたときには、宇宙へ行くまでのお話を中心にさせていただきました。今回は、安渓先生が、福島の山の中でやっていることを話せということでしたので、またやってきました。
「あぶくま農業大学」という任意団体があります。その紀要に載せた、自然を創る農ということについて書いたものの写しをお配りしております。直接は触れませんが、レポートを書かれる学生さんなど、ご参考になさってください。
グローバルに考え、ローカルに行動する、というのが今回のテーマです。
Think globally.というとき、考えるということはどういうことでしょうか。
「考える」のは観念の世界です。観念の世界は、行動するとき、はじめて具体的になります。知行合一。「わかったと言うだけでやらない」といつも母親にしかられたことです。
53才で東京での生活に別れを告げて、福島の山中に入りました。僕は福島がふるさとじゃないんです。自分の出身地じゃないところで、農地を求めようとしても非常に難しいんですが、なんとか分けてもらうことができました。
5月にお話したことのおさらいですが、僕がやっていることは、「農業」ではないんです。「農のある暮らし」をしたい。これは、定年になった勤め人の多くがもつ夢ですね。
勤め人になるということは、すべて観念の中で動くということです。自分にしかできない、ということは何もなくて、肉体的にはとりかえ可能です。上司が部下にはっぱをかけるために「余人をもって代え難い」というようなことはありますが。
「あなたの性格にあうような職場なんて、世界中にどこにもないんだよ。」なんてことを新人にいいました。この人たちは、叱ると泣くんですよ。いい年して。これは、管理職になっていやになったことのひとつです。そういう人達の相手していくのが難しいんですね。
◎農的な暮らしの紹介
6反4畝の土地を耕作している兼業農家です。年間売り上げは、税務署に届けているところでは100万円ほどです。
椎茸を会員に売っているんです。築地で1キロ6000円ほどに売れる品質のもの、それを3000円で売っています。林産物であるキノコは、木材の売り上げとほぼ同じ規模の産業です。
福島は、原発が立ち並ぶ前は、炭の生産地でした。だから、すごく雑木林が多いです。
40年ほど前に杉林に変えたところも多いんですが、全部は杉林に変わらず、やはり雑木林が多くのこっています。
雑木林というのは、伐らないととんでもないことになるんです。ほったらかしにしておくと、30年40年以上たった、ひとかかえもあるクヌギやナラの木が立つようになります。そういうのは椎茸のほだ木に利用しようとしてもどうしようもないです。遷移が一時的に阻止されたのが里山なんですが、放っておくと、弱肉強食になります。つまり、強い木だけが残って、最後は竹藪になったりする。
竹が一斉に枯れれば燃えやすくなり、山火事の危険性も高まります。
今の日本では利益にならなければ木を伐ったりしません。いま、福島の山の木を定期的に伐って、里山を維持しているのは、椎茸屋の力といえます。僕は、椎茸のほだ木になるクヌギの木の、長さ3尺、太さ5寸ぐらいで15年生ぐらいのものを、1本180円で買っています。
◎人為が自然を豊かにすることもある
自然をどうとらえるのか、ということをお話します。原始自然がいい、例えば白神のブナの森がいいと思う人がいるかもしれませんね。この中に、ブナを植えたことがある人はおられますか。なかなか育たない木で、10年たっても1メートル以下ですね。
森の生産力が森の姿や人間との関係を決めている。
今年は、ドングリと栗の生産がすばらしかったので、イノシシ君たちも畑まで出てきません。人間なんかにあうより、山で静かにドングリを食べてたほうがいい。たくさん実をつける年とつけない年が交代であると、それに合わせて食べる動物も増えたり減ったりしながら共存していくわけです。
そんな中で、ブナは、賢い木なんだそうです。ドングリとは違って、5,6年に一度ぐらいしか実をつけない。すると、それに頼って生きている動物はあまりいないわけで、実る年には、結果的に食い残しが多くなり、たくさんの芽が出ます。おまけに日陰でも育つので、やがては他の木を圧倒して自分たちだけの森を創ってしまう。それがブナです。原生林というのは、そういうようにして何百年かかってようやくできた生態系です。
自然というものが、私たちが放って置いたままでは必ずしも豊かではないと思うんです。
自然が豊かというのは、どういうことでしょうか。僕の創っている4反の田圃にカエルがやってくる。オタマジャクシとしてそこで生まれてまたやぶの中に戻っていくという生活をしています。ところで、僕のところには、藪蚊がほとんどいないんです。東京の杉並区の友達がきて、自分の家と違って蚊がいないといって驚くんです。東京というシステムの中で生きながられるのは、空き缶の中にたまった水でも発生できる蚊とゴキブリぐらいです。いや、鳥もいる。そうですカラスもいるんです。その他、ホモサピエンスというかなり獰猛な大型獣が1000万ほどもいるという場所です(笑い)。
オタマジャクシの虎口を逃れ、空からのトンボたちの襲撃をのがれて、ようやくたまにいる蚊が僕の腕で血を吸っているのを見たりすると、なんだかいとおしいような気持ちになります。
うちにいるほ乳類で小さいのはカヤネズミ。決して家の中には入ってきません。モグラにリス。リスは高いところに棲んで家ごと風に揺れています。松かさを食べて、エビのしっぽみたいな部分を下におとしてます。それが落ちているのを見ると、ああ、元気なんだなあ、と思います。それからウサギ、イタチ、タヌキ、キツネ。野猫というのもいますが、子猫のうちに鳥にやられるのが多いみたいで、そんなには増えていません。そしてイノシシ君たち。
自然が豊かというのは、ひとくちでいうと、命がいっぱいある、ということです。
普通の沼よりも田圃のほうがメダカや蛙たちには暮らしやすんです。生態系は人の手が加わった方が豊かになることがありますね。
次に人為ということを考えてみましょう。存在そのものは、人間の営みでは統御し得ないものですね。生老病死の苦しみというものを人間が逃れることはできません。
定期的に健康診断でいろいろな検査をうけて、それで見つけた病気を早く治療する。これが予防医学です。でも、ぼくは15年もそういうものは受けていません。人間50歳を過ぎてすべての部品がOKということはないに決まっています。でも、調子が悪くなって倒れた時に医者にはかかろうと思っています。保険料だけを納めて損のようですが、そのうち大病して元をとってやろうなんてね(笑い)。
自然て何なんだろう。人間がいない方がいいんだ、と思っている人もあるでしょうが、それはおかしいと思います。むしろ人為によって自然が豊かになる場合もあります。
◎カザフスタンの犬
立花隆さんが宇宙飛行士たちにインタビューして、本を出した。その内容の一部がいつのまにか一人歩きして、宇宙へ行ったら、神秘的な体験をして、帰ってきたらみんな宗教的になる、というように短絡的に一般化してしまう言い方がはやっているのは、おかしいと思います。宇宙飛行士は400人もいるんですから、中にはそういう人もいる、程度に思って下さい。
僕にとっての宇宙体験を訓練の開始から打ち上げを経て地上に戻ってくるまでのすべてと設定すれば、たしかに、それによって生活が変わったといえるかもしれません。要するに地上400キロから地球を見たという経験は重要でしたが、それは全体の一部だったということです。
考え方で大きな影響を受けたのは、飛ぶ前です。
『文芸春秋』の幸福論という特集の中で、「カザフスタンの犬」として書きましたが、その前に、アラル海の犬に見る物質循環ということをお話します。アラル海は、旧ソ連の時代に開発のために綿花をつくり、それをつくる人達のための米も作って、どんどん水を利用しました。その結果、世界第4位の面積をもつ湖が干上がりかけているんです。
取材のためにアラル海に行って、建っている大きなホテルに泊まりましたが、砂に便所が半分ほど埋まっています。外で野糞。それが便所でした。なるべく人気の少なそうな砂地の所にしゃがみ込んで、立ち上がると、とたんにつむじ風に見舞われたか、と思ったら、どこかで見ていた犬がつむじ風のように飛んできて生まれたばかりの分身を食べるんです。
もうひとつ直接的循環を経験した話をします。インドシナ半島を2ヶ月取材して歩いた時、ベトナムの古都フエにさしかかりました。もと売春をしていた女性たちの更正施設に行って、その人達が育てたという魚をごちそうしてもらいました。そのあと、養殖池に案内されると、真ん中に建物が建っていて、そこに娘さんが入っていきました。池になにかが落ちたと見る間に、池が波打って魚たちが一斉に押し寄せているんですね。そのあと、しばらく魚を食べるのに抵抗がありました。
循環ということは観念としてはすばらしいけれど、その中に実際に入っていくという経験はなかなか大変です。
さて、カザフスタンの犬です。打ち上げ前、宇宙飛行士の散歩道を毎朝6キロほどジョッギングします。田圃のあぜ道のような所ですが、子犬がついてきて走ってくれる。それはなんかほのぼのしてうれしい。子犬だから途中で疲れて脱落してしまうんですけれど、3日ほどついてきたのに、ある日もう来なくなった。今日はどうしたんだろう、と思いながら走っていくと向こうのところに、まっかなネッカチーフが落ちているんです。と思ったら、それは血で、その向こうに子犬のクビが落ちていました。これはどうしたんだ!と聞くと、さあ兵隊が食ったんだろう、という日常的な返事でした。
「はかないなあ、命というのは」とおもったんです。昨日まであんなに生き生きと生きていた子犬がもうクビだけになっているんです。俺もあと7日後には打ち上げだ。
チャレンジャー号の事故の時、音も入れずにテレビ見ていたのですが、ロケットがずうっと曲がっていく。下手なカメラマンだなあ、と思って見ていると爆発です。あわてて音量を上げてみると、大変な事故でした。結局7人の方がなくなられた。
死ぬ可能性もある。あと1週間後に死ぬとすれば……なんて、考える。結局、暇なんです。
くやしいこと、納得できないこともあったなあ。納得できないけれど、これは会社に貸したつもりであとで元をとろう。そういうのを貯めてきた。納得しないことを納得したふりをずいぶんしたな。
これはよくないことだ。あの日死んだと思えば、何でも言える。これも宇宙体験の結果のひとつなんですね。
◎言ったことが自分に還ってくる
地球環境問題から見れば、これからは循環ということを考えていかなければならないと思います、なんてことを記者として言う。それじゃ、そんなことを偉そうに言っている俺はどうなのさ、という問いが自分に帰ってきた。それに答えたい。ちょっと恥ずかしいけれど、かっこよくいえば、「自分が言ったことの落とし前をつける」ということじゃないかな、と思ったわけです。
記者という生き物は好奇心で生きています。はじめは、学者になろうかと思ったこともあります。
大学を出て教養学士になるんですが、教養もないのになんだか恥ずかしい。学院にでも行きたいと思って、「将来学者にでもなろうと思う」といったら、指導教授がこういうんですよ。
「一流の学者になろうと思ったら、すごく頭がいいか、すごく金持ちか、どちらかでないと、つとまりませんよ」と。つまり、どんどん奨学金をもらって外国で勉強するか、自分のお金で自由に勉強ができるか、でないとものにならない。これであきらめたんです。
僕は、来世というようなことはあまり信じていなくて、この世のぎりぎりいっぱいまでいい思いをしたい。
あるとき前世を占ってもらったら、あなたの前世は浅草の観音様の縁の下にいたイタチで、いつも聞いていたお経の功徳で人間に生まれたと言われたことがあります(笑い)。
とりあえず100歳まで元気に生きたい。
そのためには、よく寝て、ちゃんとしたもの食べて、いい水を呑まないと……。人間はほとんど水でできているんですから、いいかげんな水を呑んではいけません。
東京都を変えるのは、大変ですよ。そんなことを考えるより、まず自分がしあわせに長生きしたほうがいい。毛沢東の言葉ですが、「敵強ければ引く」ですよ。
世界全体が豊かになることをめざさなければならないけれど、とりあえず俺自身が豊かにならなければならない。
サラリーマン時代、僕は具体性に欠けることをやってきた、という思いがあります。国際記者なんて、観念そのものじゃないですか。
豊かさと言えば、都会で暮らしていて触覚や嗅覚をほとんど意識しない、ということは貧しいことだな、と思います。
山歩きの時に、香りの変化を感じながら、それをたよりに歩いていく。自分が生物として自然環境を楽しんでいる、ということを感じる時の喜びが大きいですね。
「書を捨てて田圃に入ろう」で、農的な暮らしを始めたころは、まだまだ、観念が勝っていて、脳味噌が直接大地と擦れあっているような感じでした。5,6年たって、足の裏で土を直接感じることができるようになってきました。
歳をとると、いろいろ衰えてきます。歯とか目とか。僕は、まだ大丈夫ですが。衰えても日向ぼっこをするという楽しみがあります。
大地と接し、太陽をあびていることから、自然としての自分の再発見ができるんですね。
つまり、私たちは考えてばかりいたんじゃだめだよ、ということです。
Think globallyということは、そんなに難しいことじゃないです。
◎農業の多面的機能とデカップリング
農業の多面的機能ということをお話します。
『食糧農業農村基本法』の第3条には、農業の多面的機能の大切さが置かれ、第4条で、そのための循環を保証するべきだ、と書かれているんです。
日本の農業生産は、現在約9兆円です。トヨタ自動車の年間売り上げが18兆円。だからといって、日本で農業の果たしている役割の2倍を一自動車会社がはたしている、とはどうしても思えない。これまでお金に換算されてこなかったけれども、農業には環境を守るなどの大切な役割があるのではないか、ということです。OECDも1989年には農業環境政策を提案し、1992年の、リオデジャネイロでの国連開発会議で約束したことに従って各国政府も取り組んでいるんです。それが、日本の農業基本法にも反映してきたし、容器リサイクル法や家電リサイクル法ができてきたのもその流れです。
自分は、農業をすることで環境を守っているんだ。そういう自信をもって、そこに暮らすことで、守る。従来言われていたように、大規模農家に集約するなんてことだったら、もううちの町なんか10軒しか農家が残らない。それではとうてい環境を守り切れません。
農は関わり方によっては環境を豊かにするものなんだ、という気づきですね。
化学物質を使わないという農業をし、きのこ山を守っていく人がいることで、守れるわけです。山や農村に暮らしていることについて税金を使うようにする、デカップリングということも政策的には十分可能だと思います。
例えばこれを目標に具体的にやっていくことが、ローカルに行動するということですね。
◎会場からの質問
1.どのような農法をしておられますか。
田圃では、鯉を飼ってそれに除草してもらうという、「こいが育てたひとめぼれ」という作り方ですが、鯉ヘルペスの影響で移動が禁止され、十分に使えませんでした。
2.日本に有人宇宙船が誕生する可能性は?
技術的には十分可能なレベルにあります。
などの応答がありました。
写真は、会場風景と山口での農的暮らしなどです。
文化人類学Ⅰ)2004年12月17日 秋山豊寛さんの講演をきいて(授業評価分)
○授業評価システムをつかってよせられた感想です。
「グローバルに考え、ローカルに行動する」というと国際関係学などとはすぐ結びつくのですが、農業というより私たちの生活の全てと結びつくものだということを思いました。
シイタケは偉大ですね。というより、シイタケを育てる人間がいないと森林はなくなっていたかもしれないのですから、人間もなかなか捨てたものではないですね。
ヒトの手が加わることで良くなる自然があるということがすごく印象に残りました。しかしその前にヒトが生態系が壊していることも問題としてあるようにも思いました。
今まで自然に形成された森林や雑木林は人の手が全く入らない方が環境保護になっているものだと思い込んでいました。秋山さんのお話を聞いてある程度人の手が入って強い木をきのこ作りや炭作りでちょっとずつ抑えることも大事だと言うことを初めて知りました。人間がこの地球に存在してしまった以上自然を全く壊さないと言うことは無理だと思いますがこれ以上環境破壊を促進せずに環境を肌で楽しみながら保護が出来るような生活を考えて私たちも生活しなければいけないなぁと改めて感じました。
今日の秋山さんの公演の中で国際的に考えるとはいっても、それは本当に観念的なもの、身近には感じにくいものだとおっしゃっておられましたが、本当にそうだと思います。余りにも「国際的」ということは考えるのには大きすぎる・重すぎるものです。私達は国際的という言葉の重さを持ちすぎずまず小さなことから始めるべきだという考えは本当にそうだと思いました。
今日は講演でした。とても、楽しく聞けました。最近は、人間が自然を壊して、環境保護が問われていますが、秋山さんたちの仕事は、仕事の一環が自然保護につながっているということらしく、すばらしい仕事をやられているなあと思いました。いかに、自然を愛しているかがとても伺えました。また、好奇心が長生きできる秘訣らしいので、私も、もっと好奇心を持って暮らせていけたらなあと思います。
今日は秋山さんの貴重なお話がきけてよかったです。農業の話がおおかったですが、宇宙についても聞いてみたかったです。でも心に響く言葉が多かったです。
雑木林は人が手を加えないと維持できないものであり、現在阿武隈山地の山を維持しているのはきのこ作りという秋山さんのお話を聞き、人にも自然環境にも貢献している農業はすごいものだと思いました。
私はありのままの自然が一番いいんだとか、人間が手をくわえたからいけないんだとか思っていました。秋山さんのお話で、この考えが少し変わりました。人間が手を加えて今の山は守られているのなら人間もたいしたもんだと思います。人間と自然のよい関わり方が大切だと思いました。
秋山さんのお考えと、それに基づいた行動は、本当にactとthinkがバランスよくとられているなと感じました。宇宙体験をすると、人生観が変わってくると言われましたが、それ以前に秋山さんは考え深い方だなぁと感じました。自分の考えをもう少し変えていく必要があるなと思いました。
秋山さんのお話はちょっと難しいところもありましたが、興味を持って聞くことができました。秋山さんは環境と農業について、とても明確に考えていらっしゃる方だなと思いました。
秋山さんの講演は本当に生き生きしたものだなと感じました。いろいろなことを知っておられて経験もされていて、テンポよくお話をされていたのでメモを取ることもなく、時間もあっという間に過ぎてしまった感じでした。農業(田んぼ)が生物に棲みよい環境をつくっているということに人間も生態系にとって悪いばかりではないのだなと思いました。
秋山さんの講演を聞いて絶対忘れないでいようと思ったキーワードは経済に左右されないこと、もっとスローに生きてしまう、人生の場を選ぶ。この3つです。そして、秋山さんは「目で見ることは多いけど、触る、香るなど具体的なことはあまり体験していないものなんです」とおっしゃっていました。本当にそうでした。だからその秋山さんがおっしゃる「具体的なこと」を人は癒しとして求めるのかもしれません。だって、目で見るだけのことがあふれているから。なかなか具体的なことを見つけるまでが大変なんだと思います。
秋山さんの講演を聞くのは2回目です。相変わらず人を笑わせて楽しませようとしているのが伝わってきました(笑)宇宙から世界を見て自分の足もとを見つめなおした秋山さんの講演はとても興味を惹かれました。
秋山さんの講義はとても面白かったです。世界を視野に入れた考えの下に行動するというのは一見難しそうですが、結局は足元の第一歩から始まるんだと再認識させられました。
秋山さんの話がとても興味深かったです。私の実家も田舎にあるので、様々な作物を植えていました。といっても、売ったりすることはなく、自分地で食べるぐらいでしかなかったのですが。人が手を加えることで自然もいい具合に成り立つというのを聞いて、実際にそうなのだろうなと思いました。ちょうどテレビカメラを持った人が前のほうにいたので、邪魔でした。
色々な話が聞けてよかったです。安値で直接売っている秋山さんはすごいと思いました。
前期も秋山さんの講演を聞きましたが、講堂だったために距離があったので今回は近くでお話が聞けてよかったです。「好奇心を軸に生きていく」という言葉がとても印象的でした。
都会に、蚊が多いというのには驚きました。田舎のほうが多そうなのに…。自然に手を加えることでよくなることもあるということは、初めて知りました。そして、木の種類など考えてもなかったです。
頭がぼんやりしていて睡眠不足でした。秋山さんが何を言われたのかわかりませんでした。規則正しい生活に戻って、年が明けると挽回したい。
○前回の感想
フランスについての先生のお話を聞いて、今まで持っていたイメージが良い意味で少し変わった気がしました。観光に訪れた外国人に対しては母国語以外での対応はしてくれないという話を聞いたことがあったのですが、それも彼らのいい意味でのスタンスだなぁと、かっこよくさえ思えました。スマートな国民性が強いのかなぁと思いました。日本に来た外国人が日本語もろくに覚えずに来ても日本人は英語などで一生懸命対応しようとしたりする姿と、その対照的な感じがとても面白く感じられました。
文化人類学Ⅰ)秋山豊寛さんのお話を聞いた感想(当日分の抜粋)
会場で書いていただいたものを安渓が抜粋して、毎回授業に参加してくださっている地域住民の Nさんに入力していただきました。ここで取り上げられた受講生は、参加点1点追加です。また、ここに取り上げられていれば、無理に同じ文章を授業評価システムの方に書き込む必要はありません。
話の順番はめちゃくちゃですが、お許しください。
・thinkとactの話に納得です。思っていても行動に移さなければ意味を成さないと思います。自然を破壊する農業なのか、豊かにする農業なのか、もちろん豊かにする方がいいです。話が全て一貫していて、とても分かりやすかったです。
・長生きはもちろんしたいけど、私たち人間も自然環境の一部で、良質の水を吸収しなければ生きていけません。そのためには、自分も生態系の一部であることを意識することが大事です。
・今日の秋山さんの講演で秋山さんにお会いするのは、2回目でした。やはり話が上手でとても元気づけられる言葉がたくさんあったので、いくつか心にのこった言葉を書きます。
☆食物連鎖があるということは自然が豊かである。最近、自然に対してプラスのイメージの言葉を聞く機会が少ないので改めて自然を近くに、又美しいものと認識できました。
☆好奇心を軸に生きていく 私が心にとめている信念の一つです。とても元気づけられました。
☆考えてばっかりいちゃだめだよ 好奇心が高まったなら、行動すべきだ!!自然のままに思うがままに好奇心に従ってみることもいいことだと感じました。
・具体性と概念というお話、身にしみる思いがしました。環境問題について考える時、(卒論を書いていますが、)文献を読んだり、自分なりの考えをまとめようとするのですが、ふとこのことが、実際の私の生活に関わってくるのか、関わらせることができるのか考えた時、これはただの頭でっかちだなあと感じます。この先行動してゆきたい!
☆質問 今回地域的に行動するというお話で、秋山さんは福島に移って、人が自然と関わることが必ずしも環境破壊につながるのではなく、農業環境政策ということが可能であるというのはとても興味深かったのですが、都市での環境との関わり方とはどういったものなのでしょうか?実際に土にふれるということが難しいですが…
←全員が田舎に移るなどという話はしていない、自分で選択することだと秋山さんのお返事がありました。安渓の蛇足を付け加えると、都市にいてもできることはいっぱいあるのではないでしょうか。窓際の机の上に、牛乳パック半分に切ったものをおき、ティシューを敷いて濡らしてやり、貝割れ大根の種でもまいて、育ってくるのを観察し、育ったら感謝してたべましょう。ほっとくと、机の上じゅう大根だらけになるかも?
・自らの人生を振り返り、観念と具体との大きなギャップに気付いたのが数年前です。それ以降できるだけ「知行合一」に努めてきましたが、なかなかうまく行かずに、懺悔の日々を送っています。それから、「宗教=死後の世界を語るもの」とは限らないと思います。例えば、古来、禅の考え方は「死後の世界など考えずに、ただ今を生きなさい」というものであると教わったことがあります。この度はどうもありがとうございました。妄言の段お許し下さい。 (在宮野の住民)
・なかなか日頃は観念の世界にいることが多いものですから、このように身体性のゆたかな話をきくことは私にとって意味がありました。「政治学」というのを講じてますが、なんともそのなまなましさを伝えられるか考えています。「生命の問題なんですが…」 (「ホモサピエンスとしてやや発育不良」を自認する某大学教員)
・今日のように面白い講演は初めてでした。前回来られた時は出席することができなかったので今日の講演をずっと楽しみにしていました。「好奇心を軸に生きる」という秋山さんの生き方がとても印象的でした。私もどちらかと言えば好奇心旺盛な方ですが、どこかに「無難にいこう」という意識があるような気がします。秋山さんのように「~でもするか!」と言える位
のびのびとした人間になりたいと思いました。虫や鳥や植物に囲まれて、「こんなにいっぱい命がある!」と感動できる人間ってすばらしいですね。人間に生まれて良かったなと心から思いました。(とは言いつつ、虫が苦手なのですが…)
・すてきなお話を伺う機会に恵まれました事を、とても感謝しています。納得できない事を、納得したふりをして生きていくのはやめよう。と言われた事に、私もそんな生き方、自分の気持ちに正直な生き方をしていきたいと思いました。自分が本当に良いと思うことをする。そんな生き方はとってもすてきです。ありがとうございました。
(地域からの参加者)
・グローバルな考えは大切だけれど、そこから海外のボランティア活動を始めたりしなくても、地域の人々、環境などを助けたりすることの方がまず大切です。少なくとも私はそのようなactを行したいと考えます。
・とても楽しく聞き易い講演でした。はじめ私は宇宙飛行士と農業を行う人という存在があまりにもかけ離れているので、何故なのかと思っていたのですが、話を聞いてみて、自然にそのことを受け入れることができました。
・「人間の存在が必ずしも自然を悪い状態にするものではない。むしろ日本ではその存在が基本となり、それが自然を豊かにする」というお話にとても希望が湧いたのを感じました。
・春のにおい、夏のにおい、秋のにおい、冬のにおい、ありますよね。よく季節の香りを楽しんで一人で満足しています。本当に心が広くなる気がする。秋山さんの言われた、「sense of wonder」とても大切だと思いました。しかし、確かに思ったままに行動することは難しい+大規模であったりしますよね。「グローバルに考え、ローカルに行動する」少し分かった気がしま
す。秋山さんの宇宙にたずさわった前半の人生というのはものすごく濃く深いものだったと思います。そして、極端に言えばま逆の(グローバル→ローカル)人生を今は送られているのですね。なんともおいしい一生を送られていると思います。人間と自然の関わりってとっても素敵だと感じます。ちなみに私、しいたけ本気大大大好きです
・グローバルに考え、ローカルに行動する。このことは一見とても難解であることのように思われる。が、しかし今日の秋山先生の講義を実際に聞くことにより、それは必然であるということに気付かされた。グローバルに考えるということは、すなわち自分のまわりをとりまく環境をより広くとらえるということである。そしてその環境を変えるためには結局自分のまず手近
にあるもの、すなわちローカルなことから実践するしかないのだ。その点、秋山先生がその信念をもって農の道に進まれたのは納得した。
・今、人間は自然界で、生態系でトップレベルの強さを持っているが、頭の良さのレベルとしては最低だなと思う。先のことを考えてなさすぎだと思う。自然について考え、その中で生きる将来の人間について考える。このような柔軟な頭を持つことが大切だろう。私たち人間は、それ個体では生きていけない.自然からの恵みに感謝して、これからの生活をおくっていくことが必要だ。
・私は昔から定期的に山に入らなければストレスがたまってしまう変な体質で、時間があればいつも山に入っていました。(今はバイトで時間がないので…)そんな時、父がぼそりとつぶいたのが、「こりゃいい材料にはならないな…途中までまっすぐ綺麗なんだけどな枝も落としてもらっていない」確かに最近の山には紅葉がみられません。それは広葉樹が少なくなっており、育つのも早く利益になる杉や檜などの林が多くなっているからでしょう。そんな林も今は人の手が入らず、荒れ放題です。私たちは自分たちの生活、仕事、生きていく環境を見直さなければいけないと思いました。
・私の農業のイメージは、”大変”とか”面倒”でした。しかし、今日の講義を聴いて、(又は資料を読んで)とても考え方が変わりました。”大切”とかそんな簡単な言葉では表せないなと思いました。
・今日の講話を聞いて、わたしにとって、とても興味深い話だと、真剣に聞けました。と言うのも、私は鹿野町(現在の周南市)出身のため、幼少期から、自然と密接に関わってきたからです。山と川しかないような土地に暮らしてきた私ですが、記憶の中からだんだんと農業や林業は少なくなっていったような気がします。実家の前の田んぼは、手付かずでただの荒地になってしまい、私の祖父も林業からだんだんと離れていってしまいました。当時はその理由もあまり分かりませんでしたが、今日のお話でそれが多少分かったような気がします。これから私がどう農業に関わっていくのかは分かりませんが、自然がもたらす環境や、地球への影響を考えると、関わらざるを得ないのではないかと感じてやみません。この問題を地球規模で考え、一人一人に出来る「地球のために出来ること」を少しでもしていかなければならないと思いました。私一個人に何ができるのでしょうか?
・世界を変えるにはまず自分自身が変わらないといけないという秋山さん。今山口市はごみの分別があまいと思います。私の住む町(地元)では完璧にゴミは分別され、名前までゴミ袋に書かされます。でもよく考えるとそれはあたりまえだと思います。確かに分別はめんどくさいけれど、世界的に考えると、みんながちゃんと分別できるようになれば、絶対に何かが変わると思います。以前見たゴミ山のビデオをとっても、私たちはまだまだ知らない、かくされた所(裏側)をもっとよく学ぶべきだと思いました。
・実際に現場で「体を動かす」という言葉がとても心に残りました。そうして初めて「分かった」と言えると思いました。
・農業の果たす役割というものの、見直しが必要だなと感じました。循環の中の一部に自分がいるということを、普段は感じることが少ないけれど、今日お話を聞いて自然の中に自分がいるということも考えるきっかけになりました。
・私の実家は兼業農家です.畑も持っています。一人暮しをする前は、米を家で作り炊いて食べることや、畑から土だらけの大根を抜いて、おでんにしたりすることは当たり前のことだと思っていた。また、主に畑仕事をするのはおばあちゃんの役目で、おばあちゃんはよく「畑に行くのは、つらい、つらい。腰につらい。」と言います。「それなら畑やめてしまえばいい」と私が言ったこともあります。しかし、一人暮しをはじめて、田畑の大切が身にしみて分かってきました。スーパーに買い物に行き野菜を買いますが、これに農薬はついてないかとか不安になります。良き農業は自然も豊かにするし、人間の体も豊かにすると思う。
・農林業は「生命産業」ということがわかりました。
・私の家でもしいたけ栽培をしているので、しいたけの話も聞けてよかったです。今回秋山さんの話を聞いて、祖父母の手伝いをしたいと考えるようになりました。
・人類は自然の一部として、やはり自然の生き方が一番いいと思う。
・昔は人間と自然はうまくやっていたはずなのに、どうして今は「自分達が守ってあげなくちゃ」と思うのでしょうか。技術があることが自然の力よりも強いと思っているからでしょうか。昔の人間は技術がなかったから自然に対するありがたみとおそれをちゃんともっていたと思います。だからこそそれに手を加えるのも最小限だったし、それが秋山さんのいう、自然に対
する人間のプラスになる関わり方だったのではないかと思います。
・私の家も農業(お米)を行っていますが、多分利益だけのために行って、環境のことなんて考えていないと思います。もっと自分の体で自然や環境を感じながら作物を作っていけたらいいなぁと思いました。
・「農がある暮らし」は、感覚器官を使ったものだと知りました。私達は五感が備わっているので、よくそれを用いていきたいと思います。そうすれば、人生の喜びと言うものも生まれてくると思います。食物連鎖や命のはかなさについても考えさせられました。