チョン・ギョンス先生の研究)日本の人類学史・調査協力へのお礼としてアヘンをわたしていた
2008/11/20
ソウル大のチョン・ギョンス先生と最近しりあう光栄にめぐまれたのですが、
http://ankei.jp/yuji/?n=596
泉先生が人間のフィールドワークをやめたいきさつについて、珍島からカサ島へ渡る船の上でお話ししました。
研究倫理の問題については私も非常に興味をもっています。
http://ankei.jp/yuji/?n=613
以下のようなブログに、チョン先生の業績の一端が紹介されています。
http://2nd-archaeology.blog.so-net.ne.jp/2007-10-12 から引用
全(Chun)2005「阿片と天皇の植民地/戦争人類学」
全 京秀(山 泰幸・金 蘭姫 訳)2005「阿片と天皇の植民地/戦争人類学 -学問の対民関係-」『先端社会研究』第2号、特集
社会調査の社会学、関西学院大学:127-158.
Chun Kyung-Soo (trs. Yoshiyuki Yama, Kim Nan Hee) 2005 Opium and
Emperor in the Context of Colonialism / Wartime Anthropology : Ethical
Issues in Academism.
「本稿は植民地支配と戦争の渦中で人類学という学問分野に従事していた学者たちの調査活動の過程において必修的に行われた資料収集の行為に関心を集中して、その行為に介入された倫理的な問題について検討してみることを目的としている。」(129.)
衝撃的な事実が記された衝撃的な論文である。
「調査に際して彼等に親しむ事は大切であるが、そこまで行けなくても、彼等に或る程度まで接近しなくてはならぬ。特に参考品の採集を目的とする時には殊更さうである。即ちそのためには彼等の生活に同化すると同時に、若干の物質的な御土産も必要である。併し長い旅故重量が重く嵩張るものはいけない。小さくて軽く、而も彼等の最も要望するものでなければならぬ。それには阿片が最もよい。私は曽根崎参謀長の御好意により、約十二両(百二十匁)の阿片を携行して、七両程を消費した。無茶苦茶に之を振り撒く事は後々の事を考へると、悪結果を招来する恐れがあるけれども、苦しい労働や長い質問の後に阿片を興へると、につこり子供のやうに笑ふ彼等の鬚面は今以て忘れられない。」(泉靖一1937「大興安嶺東南部オロチョン族踏査報告」『民族学研究』第3巻第1号:44-45.)
マリノフスキーは、トロブリアンド島で参与観察するに際して情報提供者である住民に代償としてタバコや菓子を与えた。1910年代のことである。
泉靖一が、1936年に中国東北地方大興安嶺のオロチョン族を調査したときに持参した「物質的な御土産」とは、関東軍参謀長より譲り受けた阿片であった。
「京城帝国大学の学生であった泉が関東軍の下の興安東警備軍の参謀長曽根崎将校から阿片を受け、京城帝国大学民俗参考品室のための参考品収集と民族誌的質問と観察に対する対価として阿片をオロチョン族に配った行為を、個人の過ち、または私的行為に限られたこととして説明するようになると、植民地統治や戦争期のシステム作動と人類学という学問の連関性に対する嫌疑論証は資格喪失とともに隠蔽幇助の水準に止まることになる。オロチョンと泉の出会いである私的遭遇の贈り物として登場した阿片の分配行為に関わる共犯と時代性を追跡しないと、植民地/戦争システムの作動を証明することにおいて失敗することになる。」(141.)
さらに深刻なことは、1937年の『民族学研究』に掲載された原報告は、1969年の著書『フィールド・ワークの記録
-文化人類学の実践-』(講談社現代新書190)において「阿片と関わる幾つかの内容は組織的に削除された状態で」(142.)再録され、1972年の『泉靖一著作集
1フィールド・ワークの記録(1)』(読売新聞社)に収録された文章は、原文である1937年の文章ではなく、改変された1969年の文章であったという事実である。『著作集』収録論文の出典として、1937年『民族学研究』第3巻第1号と明記されているにも関わらず。ここには、『著作集』の編者を含む複数の重なり合う作為が見え隠れしている。
1972年刊行の『著作集』には、作家の金 石範氏との対話における泉氏の以下のような発言も収録されている。
「ぼくは日本は太平洋戦争にさきだつ中国との戦争でおこなった残虐行為によって、もうだめになっちゃっていたと思うのですが……。
つまり人間が何を人間と認識するかということの問題になってくるわけですね。
話しは違いますが、このことはいまのアメリカもソ連もおなじことで、大国というのは骨肉相はむようなことをさしておいて、自分は笑って写真を撮っているというふうに人道的に堕落しているように思う。」(1972『泉靖一著作集1』:364.原文は1970『世界』293号:253.)
「記憶よりは記録の発掘と分析に忠実でなければならない作業が人類学史の重要な部分であることが分かる。このような部分について学問の倫理問題上の責任ある発言をすることが後学たちの残された課題だろう。」(143.)
このような「責任ある発言」が、後学たる日本人自らの手によってなされずに、隣国の研究者によってなされるという事実を深く受けとめなければならない。
来年2008年は、泉氏がアンデス調査を始めて50周年にあたる記念すべき年とのことである。
去年の2006年は、泉氏が初めてフィールドワークを行なったオロチョン調査70周年であった。
(引用終わり)