市民科学研究室)高木仁三郎市民科学基金の助成をもらった上関の自然を守る会の高島美登里さん大いに語る
2024/08/06
『高木基金だより』No.60(2024.5.1) の封筒を開いてみました。
市民科学の調査の現場から というシリーズの第1回 を
埋立工事を一日でも延ばしたいとの思いで調査に取り組んできました というタイトルで、
4月6日に話された内容です。
https://livingscience-archive.org/archives/6691
事実関係を補足・訂正しておきます。
(まとめ・山口県のアセスメントの委員だったのは、安渓貴子。
上関の自然のすばらしさを初めに力説したのは、福田宏さん。
湯本貴和さんと野間直彦さんの助言で、安渓貴子・安渓遊地が、加藤真さんの助力を願って、生態学会が動く道筋がついた。安渓貴子・安渓遊地が日本生態学会に入ったのは、要望書を生態学会が出すことが決まってから。安渓遊地は、現在も日本生態学会自然保護専門委員)
安渓貴子:山口県環境影響評価技術審査会 委員 (1997-2006 の10年間) 上関原発のアセスメントは、1999年から始まったのでした。
山口県のアセス室の依頼で、日本湿地ネットワーク代表の山下弘文さんを団長として海の生物の専門家たちが現地視察をする、ということがありました。
そのメンバーであった軟体動物の専門家の福田宏さんが、田ノ浦の現地を訪れて「ここはすごいところだ」と見抜いて、それ以来、研究者たちの目の色が変わったという場面がありました。
ちなみに、山下弘文さんは、2000年7月になくなりますが、この時、安渓遊地は、山下さんに会っていて、「ゴカイってどんな生き物ですか?」と同じ質問を2回して、同じ答えを2回もらったのでした。
審査会の意見は、山口県のアセス室長の奮闘により、一言も変えることなく、山口県知事意見に反映されました。
ただ、上関原発のアセスメントは県知事と通産大臣(当時)による承認もされてしまった形になって、県の委員としては、もはやできることがありませんでした。
そのことを、安渓遊地・貴子の屋久島コネクション(=湯本貴和さんや山極寿一さんが世話をする、屋久島フィールワーク講座の講師仲間)の野間直彦さんに相談しました。
これは、大事なことだから、京大の生態学者、加藤真さんに話してみて、生態学会に動いてもらえないか、いうことで、初めて、京都でお会いして話しました。
そのあとは、加藤さんの力添えで、上関原発の要望書の原案を作り、生態学会の大会にあわせて開催された自然保護専門委員会で、安渓貴子が、要望書を提出するにいたった経緯を説明しました。
そこには、専門委員として、京都大学で安渓貴子の研究仲間であった研究者が顔を並べていて、これは認めようではないか、という結論になったのです。
加藤さんが部屋から出てこられて、「認められました!」と言われたとき、待っていた私たち二人は、廊下でくるくるとダンスをしました。
そのあとは、上関原発に関する生態学会の要望書を作成するという運びになり、その修正のプロセスに立ち会ったことから、安渓遊地は、生態学会の要望書の出し方のあらましを知ることができました。
安渓貴子と安渓遊地が、生態学会の会員になったのは、それからです。そして、やがて、安渓遊地は、自然保護専門委員と中国四国地区会の山口県委員もお引き受けするようになったのです。
そんな経緯で、定年退職したいまも、安渓遊地は、日本生態学会の自然保護専門委員と上関要望書アフターケア委員長をお引き受けし、安渓貴子は、上関要望書アフターケア委員のひとりとして、上関の自然を守る会の活動にも協力しています。
安渓遊地