講演の記録)アレン・ネルソン講演会――本当の戦争とは
2006/07/28
2006年6月19日、山口市労福協会館にて、世界人権宣言が生き生きと働くことをめ
ざす国際平和団体「アムネスティ・インターナショナル」の山口支部主催の講演会の
記録です。
お話は英語でした、以下は通訳された言葉を中心に紹介します。ホームページでの
公開については、ネルソンさんのご許可をいただきました。ただし、たいへん不完全
な要約ですから、どうぞ、末尾に掲載したブックレットを購入して読んでいただきた
いとおもいます。このページの書き留めと写真撮影は、アムネスティ山口の会員の安
渓遊地によるものです。県立大学の学生たちも何人も聞きに来てくれました。
司会(アムネスティ山口・三原)
ネルソンさんは、すでに、日本各地で800回ぐらい講演をしておられます。山口
県はずいぶん少なくて、昨日の下関を加えて、今日で4回目になるとのことです。そ
れでは、ネルソンさん、よろしくお願いいたします。
◎Amazing Grace
(アレン・ネルソンさん、ギターをもって登場。)
機会をあたえてださった主催者の方に感謝いたします。
まず、歌をうたいます。戦争に苦しめられているすべての人々にささげる歌です。
Amazing graceです。
(ハーモニカとギターによるブルース風の演奏と歌)。
神様は、私のような破滅した人間をも救ってくださった。私は完全に道に迷って(
失われて)いたけれど、いまでは(神様によって)みつけだされた。何も見えなかっ
た私なのに、いまでは見える。なんというやさしさだろう!(歌の言葉の抜粋)
◎教えられなかった戦争の真実
数年前、はじめて、長崎、広島の原爆資料館をおとずれました。そこで、それまで
アメリカの小学校で受けた教育がいかにうそだったか、本当の犠牲者はだれだったの
かということを知りました。
そして、私の国アメリカ合衆国こそがテロリストの国だったのだと気づきました。
もちろん、第2時世界大戦中に大日本帝国の軍人たちが中国でした残虐行為のことも
忘れていただいては困るんですが。
原爆の投下をうけた犠牲者は、女性、子どもたち、高齢者、そしてその標的は、学
校、病院、ふつうの家庭だったのです。
アメリカ合衆国の歴史は、先住民の虐殺からはじまります。そして、奪った土地を
農地にして、そこでアフリカから奴隷を鎖につなぎ、むりやりつれてきて働かせたと
いうことを思い起こします。
◎なぜ日本に米軍基地があるのか
どうしてこんなに多くの米軍基地が日本にあるのか、考えたことはありますか?そ
の目的はあなたがたを守るということにはなく、日本政府を牛耳って、アメリカのい
うことを聞かせるのが目的です。このような非占領地域であるという点では、日本は
イラクやパレスチナと同じです。
そんなことを聞いても実感がわかないかもしれないかもしれませんが、沖縄の人々
は日常生活の中で、身近に米軍基地があり、兵隊がいるという状況にさらされていま
す。
あなたがたは、ジョージ・ブッシュ大統領のもとにおかれた、日本州の州民なので
す。独立国の首相をもっておられるつもりかもしれませんが、州知事をもっているだ
けなんです。霞ヶ関にいろいろな意見をぶつけても、無駄です。ワシントンにでかけ
てホワイトハウスに直接意見を言わなければ、無駄骨です。
ベトナム戦争に参加して戦争というものを見てきた私は、戦争や暴力によっては決
して平和は得られないと気づきました。
◎ベトナム戦争に参加した後遺症
戦場から帰った私を、妹や弟はよろこんで迎えましたが、母は、私の様子を見て「
これは私の息子ではない!」といいました。
ベトナム戦争に行く前は、歌が好きで、踊りやスポーツが大すきな少年でした。で
も、帰ってからは、自分の部屋にとじこもって、窓の外を眺めるだけの毎日です。戦
争のことはひとことも話しませんでしたが、頭の中にはそのことばかりが渦巻いてい
ました。
夜になると、毎晩悪夢にうなされます。ジャングルの中で泣き叫んでいるベトナム
の子どもたちのことを思い浮かべるのです。毎晩大声で叫びあばれるものですから、
家族はたまったものではありません。
2週間たったとき、母から出ていってくれといわれました。ホームレスになりまし
た。使われていない空きビルにもぐりこんでその中で暮らし始めました。
◎子どもたちに戦争の体験を話す
その時、高校時代の同級生の女性にぱったりあいました。彼女は、小学校の先生に
なっていて、子どもたちに戦争のことを話してくれないか、と言われました。とんで
もありません。すぐに断りました。
彼女は、作戦をたてて、「お話をききたい」という子どもたちの手紙の束をもって、
空きビルの部屋を訪ねてくれました。それで、私も重い腰をあげて彼女の学校にでか
けました。しかし、自分が戦場で見たこと、してきたことを話すことはとてもできま
せんでした。だって、私が本当にしてきたことを語ったら、子どもたちが私のことを
まるで怪物のような目で見るのではないか、ということが怖かったんです。だから、
戦争一般について、それがいかに残虐なものかを、ぼかした形で話しただけでした。
話し終えたあと、ひとりの女の子がすっくと立って、私の目をまっすぐに見て、尋
ねました。「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか」という質問だったんです。
答えたくなかったけれど、ごまかすことができません。目をつむって、やっとの思
いで「イエス」といったとき、子どもたちは、逃げ出すかと思ったんですけれど、子
どもたちのひとりひとりが私のところにきて、抱きしめてくれたのです。私は泣いて
いました。子どもたちも泣いていました。先生も泣いていました。
この経験を通して、わたしは子どもたちに戦争のことを話そうと決意するようになっ
ていくんです。でも、今で言うPTSDになっていて、立ち直れない状態はつづいてまし
た。精神科医のニール・ダニエル先生の根気強い治療を通して、ようやく実際にその
ことができるようになった時には、ベトナム戦争からもどって18年の歳月の後のこ
とでした。
◎アメリカの貧困と戦争のための富
アメリカの一面に貧困があります。ホームレスというと、男だとおもっているでしょ
うか?ニューヨーク市だけで、3万5000人の人たちが毎日貧困者用のシェルター
に収容されています。女も子どももおおいのです。
日本にはないような、大きなスラムやゲットーがあります。そういうスラムのひと
つのブルックリンで育ちました。
暴力と麻薬とアルコール中毒が蔓延している場所でした。
アメリカの富は、大量破壊兵器と戦争のために使われるのです。
私の母はシングルマザーで、4人の子どもを養わなければなりませんでした。それ
はとても難しいことです。
◎海兵隊に入隊する
私は高校を中退して海兵隊に入りました。道で誘われてファーストフード店に入り、
そこで食べさせてもらいました。なぜご馳走してくれるか不思議ですが、ともかく腹
が減っていましたから、食べました。すると、制服を見せてくれて、軍に入ればいい
ものを食べて、こんなりっぱな服装を着ることができると言われ、海兵隊に入ること
にしました。手続きが終わったとき、これで、黒人といってばかにされたり、貧乏で
腹を減らすということもなくなるという、誇りと自信を感じました。
ところが、そのことを伝ええたとき母はびっくりし、失望し、なき崩れました。
でも、私はもう貧しい生活にはうんざりだったのです。
沖縄をはじめ、日本各地にきている海兵隊員たち、イラクやアフガニスタンに派遣
されている人たちは、労働者階級のひとたちではありません。
同じように、自衛隊員には、金持ち、大臣などの有力者といった家の子どもたちは
きていません。
ブッシュ大統領は、テロとの戦いがなによりも大切だというけれど、二人の娘が戦
争に参加することはありません。小泉さんの息子は、東京にすんで、ビール会社の宣
伝をしていることを私はテレビで見ました。
まず叩き込まれることは「黙っていろ」ということです。「頭をつかうな、それは
幹部のすることだ。おまえたちは命令に従うだけだ。」と言われるんです。
毎朝、日の出前におきて、何マイルも走って体力を訓練です。授業もありますが、
それは武器の使い方を教わるだけです。もうひとつ、肉弾戦といって、素手で敵を殺
すという訓練もあります。
銃を撃つ訓練では、丸い的を200メートルはなれたところから撃つと、中心から
ずれたばらばらの場所にあたります。これでは敵をたおせませんから、それがなるべ
く近くに集まるようにグルーピングということを習い、それを的の中心にもっていく
ように、という訓練なんです。
海兵隊の訓練は殺しの訓練です。平和の教育はありません。
40人の若者を前にして、おまえたちは、何をしたいのか、を聞かれて、「キル(
殺す)!」というと、「なんだ?声が小さくて聞こえないぞ」と言われて、なんども
「キル!」と絶叫してそのあと、ウォーっと獣のような声でほえるのです。
マスコミが誤解をあたえていますが、戦争に派遣される目的は困っているお年より
を助けたり、子どもたちを病院につれていってあげたり、するような、ソーシャルワー
カーとしていったのではありません。殺すのが目的です。
◎沖縄での殺しの訓練
合衆国での訓練のあと、沖縄の金武町にあるキャンプハンセンに配属されて、新し
い訓練を受けました。
沖縄での訓練では、実弾を使います。ヘリコプターと共同で、村落を包囲する作戦
などを教えこまれました。
アメリカでつかっていた的は◎が重なった、「牛の目の標的」というものですが、
沖縄ではこんな形のものを使います。何の形でしょう?
――(会場から)人間の形ですか?
そうです。沖縄で使われたのは、人型標的です。
それではみなさんにお聞きします。銃でこの標的を撃つ真似をしてください。
頭だと思った方は? 11人。
腕? 1人。
足? 1人。
それでは心臓?多くの方ですね。
実際の戦争では銃を撃つときは、絶対に外してはいけません。隠れていて相手を撃
つのです。はずせば、こちらの位置が一瞬でばれてしまいます。
ですから、頭を撃つと答えた方は、お気の毒ですが全員戦死です。腕や足を撃って
相手を負傷させた人は、やはり戦死です。
心臓と答えた人は、とても心やさしい人です。苦しまずに殺すことができからです。
でも命中させることは難しいので、あなたも、やはり戦死です。
本当の戦争では、股間部をねらいます。結果的には、グルーピングの技術撃つによっ
て、腹部に何発か命中させます。そうして、何時間も苦しんで死なせるようにねらう
のです。
沖縄でしたことは、まさに殺人訓練だったわけです。
◎地域のこうむる暴力
昼間はこういう演習を終えると、シャワーを終えて町にでかけます。目的は酒と喧
嘩と女です。
よっぱらってタクシーにのって軍のゲートまでくると、そこで金を払わないといっ
て逆に運転手を殴り倒す。女たちのセックスのサービスを受けても、金を払わない。
殺すことを教えられている兵士が町に繰り出すわけです。不祥事、暴力ざたがおこ
ると、司令官はすばやく謝罪のメッセージをだします。しかし、心のそこでは「訓練
のかいがあって新兵たちもようやく暴力性が身についてきた。よかった。」と思って
いるかもしれないのです。
いよいよ戦争に行くという前には興奮して眠れなくなりました。
◎映画と実際の違い
戦争映画では登場人物は、とても英雄的です。正々堂々として、女性や子どもを救
い、美しい音楽が流れます。実際は本当の戦争では、眠っている敵は、枕をけとばし
て「起きろ!」といって起こしてから戦うのではなくて、いきなり撃ち殺します。食
事中の敵もトイレ中の敵もみつけしだい、殺します。
戦場で一番苦しむのが、女性、子どもたち、お年よりたちということになります。
ベトナムで村を襲うと、男たちは銃をもって抵抗します。女たちは子どもをつれて
逃げます。4日も5日もすれば、腹をすかした子どもたちが泣き出すので、すぐに見
つかります。
逃げ送れたお年よりは、機関銃やヘリコプターの犠牲になります。
お年よりは、「先に行け、あとで追いつくから」と手まねをするけれど、実際には
そうならず、そのあと、おとしよりの死骸や怪我をおった状態が残されるわけです。
帰国後、わたしを苦しめたのは、こうした光景でした。
戦闘がおわったら、まだ仕事があります。残ったものには、死体と死にかけている
重症者があります。
まずは、死体を探します。男、女、子どもにわけて集めます。
重症を負ってジャングルに逃げ込んだ人たちは、そこで死にます。それを探し出し
て見つけるのも仕事です。見つけ方は二つで、ひとつは蝿が群れている。もうひとつ
は、腐乱死体のにおいです。胃の中身が逆流し、目がつんとして涙がとまらず、全身
の力が抜けていくようなにおいです。
戦争映画にぬけているものは、このにおいです。どんな戦争映画でも、あの本当の
においを流せば、2度とみようとする人はいなくなることでしょう。
逃げていた女たちや子どもたちを、死体の山につれてくると、子どもたちは泣き叫
びながら母親の死骸にとりすがって泣くわけです。
中には生き残ったお年よりもいて、死骸を確かめて、「残されたのは自分ひとりだ」
と泣き崩れることになるのです。
◎ベトナム人も人間だった
このような殺戮にあけくれていた私が、なにをきっかけにして変わったのか、とよ
く聞かれます。
私たち海兵隊の中隊がある村をとおっているとき、奇襲攻撃を受けて多くの戦友が
ころされました。
ある家の後ろの防空壕に飛び込んでみたら、15,6歳ぐらいの女性がいました。
なぜか逃げ出さないのです。
彼女は荒い息づかいで、下半身になにも身につけていませんでした。足の間になに
か見えました。いまにして思えば、赤ん坊の頭でした。
女性がひときわつよくいきんだときに、思わず手をさしのべたとき、その上に赤ん
坊が生み落とされ、後産がこびりついていました。母親は、子どもをわたしの手から
奪い取ると、歯で臍の緒を噛みきって外ににげていきました。
なにが起こったのか、わからないような状態でしたが、手にはたしかにお産のあと
がついていました。
この経験によって、たしかに、ベトナム人もまぎれもない人間だったということを
気づかされたのです。
壕からでてみると、どうした?と聞かれましたが、ついに、なにがあったかを語る
ことはありませんでした。
それから、私とベトナムの人たちとの関係はかわりました。毛布がほしいといわれ
たら、こっそり盗みだして渡したり、ということをしました。
軍隊では、ベトナム人とよばず、GOOKS(あさぐろい奴)、共産主義者とよばせて
いました。
敵を人間ではないということは、どの戦争でもあることで、第二時世界戦争中、ア
メリカ人は、日本人をJAPSと呼んでいました。日本でも鬼畜米英と呼んでいましたね。
今、イラク人はアメリカ軍によって「砂漠のサル」と呼ばれているんです。
◎女性と子どもたちへの暴力
この瞬間にもパレスチナで、イラクで、戦争が戦われています。また、沖縄戦の中
で20万人を越す人々がころされたわけです。女性たちはその中でも、ガマという洞
窟の中で子どもを、生命を生み出し続けて来たいのでした。
12歳の少女が3人の米軍兵士によって拉致され暴行されたとうことがおこりまし
た。1995年のことでした。しかし、これは例外ではなく、しょっちゅうおこって
きたことなのです。
今、子どもをもつ親の立場になって、一番心配なのは、沖縄の子どものおかれてい
る状況です。
沖縄の子どもたちは、基地のそばで、戦闘機が学校の上をとび、いつも射撃の音が
し、戦車が走り、トラックに満載された銃をもった兵士たちが、殺人の訓練に出かけ
て行くのを見るわけです。
◎日本国憲法第九条の大切さ
沖縄の米軍基地はすべて閉鎖し、日本全体の米軍基地を撤去すべき時です。その時
はじめて、第二次大戦が終結することになるのです。
1996年、日本国憲法をもらって読んで、第九条を見たとき、目からうろこがお
ちました。どんな核兵器よりも強く、美しいいものが、そこにあります。
日本人は戦争をしらない国民です。子どもたちは、お父さんや兄さんを戦争で失っ
たことがないのです。世界のほとんどの国の子どもたちは戦争を知っています。
第九条によって、戦争の悲惨と恐怖から守られてきたのです。
しかし、国会議員の大半は、第九条をなきものにしようとしています。
皆さん方は、日本国憲法第九条によって守られてきました。こんどは、みなさん方
が第九条を守るために立ち上がるときです。これは、世界のすべての人たちのためで
もあるのです。アメリカ国民として、アメリカの憲法に第九条をくみこみたいと思う
ものです。
世界平和は、この部屋に集まれたひとりひとりの行動からうまれてくるものなので
す。
主催者のみなさま、参加されたみなさま、ありがとうございました。
◎質疑応答
Q 9.11事件は、アメリカの自作自演であるという説を聞くことがありますが?
A ジョージ・ブッシュは、そのことを事前に知っていてあえて阻止しなかった、と
いう疑いがあります。しかし、くわしいことは最高機密であるということで、真相は
なかなかわかりません。
サウジアラビアには米軍基地がないのです。これは聖地であるからという理由です
が、世界中に基地をもちたいアメリカにとっては、こまったことです。
Q ネルソンさん、昨年は岩国にきていただいてありがとうございました。いま、岩
国は米軍再編の問題をめぐっておおもめにもめています。
A 米軍再編というのは、政府によることばのまやかしです。撤去ではないのです。
給料と制服以外のすべてを日本の税金によってまかなわれています。基地の中のボー
リング場、水泳場、ゴルフ場、映画館、食べ物、トラックの燃料費まで出しているの
ですよ。
日本国民は、選挙で国会議員を選び、自らの通貨をもっているようでも、アメリカ
は、実際には占領を続けているのです。だから、米軍は本国にかえるべきだ、と主張
しているのです。
Q 米軍の中では、捕虜の人道的な扱いについてどのような教育がされているのか、
それを教えてください。
A 虐待については、ブッシュ政権の時代に、捕虜を拷問にかけることが合法的なこ
とと認められるようになったのです。理由を示さず逮捕して、無制限に閉じ込めてお
けるということにしてしまったのです。捕虜の取り扱いについてのジュネーブ協定な
ど、まったく無視の状態です。
基地の周りでおこっているレイプ事件などは、報道もされないものが多いのです。
それは軍や警察の扱い方が正当なものでないために、表に出しにくいということがあ
ります。
Q ネルソンさんのような人と、それを励ます子どもたちがいるのに、それがなぜ圧
倒的な数になっていないのか、そのへんについて教えてください。
A 9.11事件以来、合衆国は多くの問題を抱えています。報復戦争について89%
が賛成し、それに乗じて「愛国法」なるものができて、盗聴やEメールの盗み読みも
可能になりました。
現在の戦争政策を支持する人々は3分の1ほどに減ってしまっています。
クエーカー教徒や、Veterans for Peace (平和を求める退役軍人たち)といった、
平和運動があります。しかし、問題は、マスコミがこの問題を報道しないことです。
反基地行動を日本でおこしても、国際メディアにのらないから、アメリカ人はそう
いうものを目にする機会がまったくありません。アメリカの知り合いに「日本に平和
運動なんてあるの?」と聞かれるしまつです。
同様に、日本のマスコミもアメリカ国内の反戦運動をとりあげることはほとんどな
いんです。
たとえば、CNNは、アレン・ネルソンの講演が今日山口であるということを知って
いますけれども、それをけっして報道しようとはしません。
Q 昼間明るい中で、電気をつけて、涼しくして暮らしている私たちのライフスタイ
ルこそが、環境を破壊するアメリカ式の暮らしのまねそのものですし、そのような暮
らしをうらやむ人たちによるテロを生み出しているとおもうのですが。
A たしかに、ひとりひとりの行動形態をかえる必要があります。生まれてこの方、
暴力的になるように育てられてきます。なぐったりする以前に、気づかずに暴力的に
なっている場合があります。
2時間の講演のあと、隣り合って聞いていた人たちが、お互いに挨拶もせずに、見
ず知らずの他人のままの状態で帰っていくということを見ます。これは目に見えない
ひとつの暴力だと、思いませんか。
お互いにいたわりの気持ちをかわしあうことを身につけていかなければなりません。
Q ニュージャージーの青少年センターでの活動の内容は?
A 貧しい子どもたちに、週4日勉強の補助をして、大学進学の力をつけさせてあげ
たい。それを通して、軍隊にいかなくてもすむようにしたいとおもいました。12歳
から18歳まで世話をします。
ある時、沖縄に子どもたちをつれていきました。アフリカ系、ヒスパニックの子ど
もたちをつれていきました。基地関係者ではない、外国人をはじめてみた沖縄の子ど
もたちは、とても驚いていました。
最近は日本にくる機会があまりに多くなっているので、十分な世話ができなくなっ
ていますが。
Q アメリカがこんなにも戦争をしたがる、その目的は?
A イラク戦争の目的は石油資源の確保だと思います。しかし、戦争自体の目的はわ
かりません。
関連するホームページ
兵士よ故郷アメリカへ帰ろう!(1996年講演)
http://www.coara.or.jp/~yufukiri/allen.html
ブックレット『そのとき、赤ん坊が私の手の中に』
http://www.k3.dion.ne.jp/~k-9mp/sonotoki.htm